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Creatures Chronicle  作者: テルミン
曖昧meマイン
2/2

第二話

 棚に詰められた漫画、引越しついでに新調してもらったテレビとその脇に置かれた据え置き型ゲーム機、見た目から中の上程度の値段であること推測されるベッド、極々普通な部屋だが、しかし中の空気は非常に緊迫したものとなっていた。

 原因は、上半身裸で自らの編み出した拳法の構えをとっている遠藤だった。その頬には絶えることなく汗が伝い続け、どれだけ遠藤が消耗しているかを訴えている。また、息の荒れ方も尋常ではなく、まるでマラソンのゴール直前のような荒々しさだ。

 しかし、遠藤はこの体勢に入ってから一度たりとも動いていない。パンチもキックも、果てはステップすら行わずにいた。にも関わらず、何故遠藤がここまで疲弊しているのか。その原因は、遠藤の常軌を逸したスペックの理由と同一のものだった。

 遠藤の力の根源──というよりは引き出し方だが──は、一般に「気功」と呼ばれているものだ。人々には相手の動きを操るほうが知られているが、遠藤はそのまったく逆を行く。自分の体を巡る気と内に秘められた気、その全てを完璧に扱いこなすことで超常的な力を得ているのだ。

 相沢も同じ原理でやっているのだが、保有する気の量と、普段の鍛錬の量に差があるために実力にも大きく差が出てしまっている。本気で繰り出された蹴りを受け流すついでに床に寝かせることが、雑作もないほどに。

 しかし、強すぎる故の問題も出てくる。強すぎる気に自身の体がもたないのだ。そのせいで激しく疲弊してしまい、今のように汗を滝のように流しているわけだ。ただし、これは慣れである程度なんとかなるため、こうして気の総量の底上げも兼ねて修行をしている。ここまで必死にやるのは、相沢から見てもやりすぎだろうが。

 

 そんな緊迫感溢れる部屋の中に、場違いな人物が一人いた。その人物は相沢程ではないが小柄な体格をしており、童顔とツインテールにした髪がマッチして非常に幼く見えた。ベッドの上に小さく座り、黙々と漫画を読み続ける姿は、異性同姓関わらずその母性をくすぐることうけあいだ。

 この少女が遠藤の部屋にいる理由は四つあり、そのうちの一つは漫画を読むこと、もう一つは遠藤の下で水溜りのようになっている汗に向かって、雑巾を放り投げることだ。汗をダラダラと垂らしている上半身裸の大男に、小柄な少女が漫画を読みつつ雑巾を放り投げているのは、これまた随分とシュールな光景だが、当事者二人はまったく気にしていない。見る者がいないのだから、当然といえば当然だが。


 不動の修行は一向に終わる気配を見せないが、遠藤にも限界はある。

「ッ!」

「ありゃ」

 少女が漫画を読み終わろうかという時に、突然遠藤は膝から崩れ落ちた。

 それもその筈である。こうなる十分前から、既に遠藤の膝は笑ってしまっていたのだから。更に言えば筋肉という筋肉が攣っていたし、軽いとは言い切れない脱水症状も引き起こしていた。そんな状況にあって立ち続けられたのは、それだけ強くなることへの執念が強いということだ。

 ちなみに、こうなった遠藤に水分を与え、攣った筋肉をマッサージして解すのも少女の役目である。学業から開放される時間をこんなことに当てているのは、家族としては微妙なところであるらしいが、少女本人はどうとも思っていない。


 毎度毎度よくやるものだと、少女は感心と呆れの両方を宿した眼差しで遠藤を見つめる。その言葉が自分にも当てはまっているのは無視し、最後の雑巾を放り投げてペットボトルを手渡す──つもりだった。

 ところが、この時遠藤の頭からは少女の存在がすっぽり抜けてしまっていた。そうなってしまっては、自分の後ろから何が投げられたかも分からない──普通は投げられていること自体分からないが。

 正体不明のものに対し、人間は具体的な行動(アクション)はともかく必ず防衛本能を働かせてしまうものだ。そして、ここで遠藤がとった行動は──反撃だった。

 ゆっくりととんでくる雑巾に、遠藤の最後の力を振り絞って繰り出された蹴りが直撃する。いかに雑巾が空気抵抗を受けやすいからといって、それを蹴った人物は只者ではなく、雑巾はスピードを緩めることなく飛んでいった。

 これだけなら、遠藤が無用な行動をとって余計に疲弊しただけである。恐らく、夕飯の時に笑い話にされてそこで終わりであろう。ただ、悲しいかな。雑巾の飛んでいくその軌道上には──投げた本人がいた。

「あ」

「へぷしっ?!」

 少女の顔面に雑巾が派手な音を立てて張り付く。その勢いで少女は上体を後ろに持っていかれ、ベッドに仰向けに倒されてしまう。あまりの痛みに少女は涙目になり、飛び起きて遠藤に詰め寄る。

「酷いよぉ! 折角お兄ちゃんに甲斐甲斐しくお世話したり、お兄ちゃんの体のあちこちにあんなことやこんなことできると思ったのに!」

「あ、杏……とりあえず、み、水……がふっ……」

「まったく、いつ将来できるであろう義理のお姉ちゃんにお兄ちゃんを奪われるか分からないあたしとしては、できる限りお兄ちゃんとの甘い記憶を作りたいのに……あれ? お兄ちゃん? ちょっとー? ……いやあああ! お兄ちゃんが死んだあああああ!」

 遠藤の室内に、彼の断末魔の変わりに少女──杏の悲鳴が響き渡った。


「死ぬかと思ったぜ……オイ」

「ごめんなさい……」

 別に杏を責めるつもりで言ったわけではない遠藤と、別に非があるわけでもないのに強く罪悪感を抱いている杏。そんな二人を、両親は暖かい目で見守っていた。

「まったく、日雨も随分な変わり者だな。毎日毎日よくそんな死ぬような目にあっていられる」

「ふふ、そうですね。我慢強いんでしょうかねぇ……そうなった時の手当てを任せてもらえてるのは、信頼の証ととってもいいの?」

「そう、だな。母さんには何度命を救われたことか……」

「ちょっとぉ! あたしは抜きなの?!」

「杏は何十、何百回だからなぁ……ああ、心配しなくてもちゃんと杏には感謝してるよ。ありがとうな」

 遠藤は期待の眼差しで見つめる妹の頭を優しく撫でる。実際の年齢はそこまで『離れて』はいないのだが、その様はもはや親子を思わせてしまう。

 暫くその行為を続けていたが、やがて遠藤のほうが手を離していった。それを杏は名残惜しそうな瞳で見つめるが、わざわざ止めようとはしなかった、

「……にしても、ある意味で原点回帰だな。今の気分はどうだ?」

 軽い口調で問う父親の表情は、しかし真剣なものであった。遠藤本人はここに帰ってきたことをそこまで真剣には考えていなかったが、周りの人物は内心おっかなびっくりなのである。

 俺ってそこまで情緒不安定な奴だと思われていたのかと、少しばかりショックを受ける遠藤ではあったが、前の町であった出来事を思えば不自然ではないと苦笑する。

 とはいっても、実際に何か問題があるわけではない。商店街での喧嘩はあったが、相沢との喧嘩は二人とも引き際を弁えており──開戦のタイミングを弁えていない者が一名いるが──ある意味「演舞」と言っても差し支えのないものであった。

「大丈夫だよ。幼馴染はいるし、だいたい前の町のことなんてかなりの特例だろ」

「まあな。似たようなことはあっても、さすがにあそこまで大事になるとは思えないが……お前は何をしでかすか分からんしな」

「信用の低さに定評がある、とでも言いたげだなとっつぁん」

 溜め息混じりに吐き出された言葉を実に愉快そうに受け取る遠藤に、家族全員が嘆息する。この青年が自分達の家に住む時に、ある程度の覚悟はできていたのだが、さすがにここまでくると精神的な疲労も溜まるらしい。もっとも、見た目に表しているほどには疲れていないのも事実だが。

「本当に、なんでお前なんぞ引き取っちまったんだろうなぁ」

「同情するよ、ホント。ま、俺の毒牙に掛かる家族が一つ減ったってことでいいじゃねぇか」

「身代わりパンダかよ」

「あなた、パンダは客寄せですよ」

「おっとぉ! それもそうだったな!」

 妻のあまり勢いの無いツッコミを受け、その十乗の勢いでリアクションをとる夫。間近でそれを見る息子達は「このバカップル共が」と言いたくなる衝動を抑えなければならないのだが、険悪よりはマシだよなとそこまで気にしてはいない。

 まあ、「そんなことよりもっとツッコむところがあるだろう」と、この会話を聞いた者は必ず言うだろう。父のセリフの中にある引き取ったという部分だ。

 これは文字通り、遠藤……というよりも日雨が遠藤家に引き取られた存在であり、元は孤児であったということだ。相沢や、その他の幼馴染に関しても同様である。


「さて、と。じゃあ荷物整理行くか」

「はーい! あ、下着とか……見ちゃ駄目だよ? いや、不可抗力だったらいいけど。不可抗力だったらいいかもだけど、見ちゃ駄目だよ?」

「言われんでも分かってますー」

 微笑みというよりニヤつきという表現が正しい笑みを浮かべながら遠藤は、不相応な誘いを仕掛けてきた妹にデコピンを食らわせた。

「イタッ! 痛いよ痛いよこれは酷い……いやムゴい! 義理とはいえ妹に向かってこの仕打ちは裁判に掛けられるべきだー!」

「……フッ」

 わざとらしい兄の嘲笑と、それに憤慨する杏の怒鳴り声が家中に響く。(怒鳴り声と呼ぶほど気迫が篭ったものではないが)

 それを聞いて微笑んでいる人物が約ニ名いることなど露知らず──というより忘れて──二人は似たようなやりとりを繰り返しながら、未だダンボールの中身が整理されていない部屋に辿り着いた。

 何故、遠藤の部屋は棚に漫画が入れられていたりと整っていたかというと、先に二人掛かりで遠藤の部屋を片付けてしまったからだ。そして、今度はその逆というわけである。杏が先程心配していた……あえて心配していたと書くが、下着類はダンボールにちゃんとそう書かれた紙が張られているため、その可能性はまず無かった。

 そのことについて杏がぶつぶつと文句を言っているのにも気付かず、遠藤はいかにもだるそうに作業していた。例を上げるならナメクジや毛虫と言ったところだろう。それを見た杏はあまりにもおかしく、思わず小さく吹き出してしまった。

「あ、お前今、俺ンこと馬鹿にしたやろ? 馬鹿にしたやろォ?!」

「西っかわの人でも無いんだから、その訛りは止しといたほうがいいよー」

 先程まで死んだように地面に突っ伏していたというのに、今はもうハイテンションでツッコミを行っている兄を諭すように返答する。慰めたり諭されたり、玩んだり玩ばれたりとどうにも立場が不明瞭だが、実のところ主導権を握っているのは遠藤だ。先の二つの例は実際のところは、慰めたり諭されてあげたり、玩んだり玩ばれてあげたり、である。


 ところが、今度こそ遠藤のほうが玩ばれる──いや、弄ばれることになりそうだった。

「ねぇ、お兄ちゃん。今日一緒に寝よ……?」

 普段ならば「何馬鹿なこと言ってんだ」とあっさり断っているのだが、今回はその声の甘ったるさに遠藤もすぐには断れなかった。そのため、

「な、なんでだ?」

 と明確な否定の意を示せなかった。そこに付け込むようにして杏は続ける。

「だって、久しぶりにお兄ちゃんと一緒に寝たくなっちゃったんだもん……」

 非常に官能的な声で甘えてくる妹。その存在に遠藤は、自らの理性を地平線の果てに放り投げてしまいそうになっていた。無論、この程度で崩れるほど遠藤の理性は脆くないが、後一歩で倒壊してしまうのは間違いなさそうだった。そして、次に杏が放った言葉によって、それは呆気なく崩れ去ることになる。

「駄目、かな……?」

 上目遣いでの発言。中々に過激な妹からの誘惑に、もはや遠藤の精神力は数値で表すならば零を示していた。まあ、そもそもこの手の勝負で遠藤が杏に敵う筈もないのだが。

「了解です、姉上……」

「やだなぁ、急に姉上だなんて。いつもどうり杏でいいんだよ、お兄ちゃん?」

「……分かったよ、杏……たっだーし! 寝るだけだからな! それ以上は何もしないからな!」

「えー、いいじゃん。減るものじゃないんだし」

「減るわ! 寧ろ俺よりお前のものが減るからな!」

 先程までの余裕はどこへやら、遠藤はすっかり杏に転がされていた。遠藤自身既にこのことは自覚しているが、同時にどうしようもないことも悟っており、人生経験の差だと思い込むことで自分の尊厳を保つことしかできなかった。

 この場合の人生経験とは踏んだ場数のことではなく、生きた年数のことをいう。そう、実はこの二人、杏のほうが年上なのである。それも何ヶ月という差ではなく、一年半とそれなりに大きな差だ。その程度の差では何も変わらないだろうと思うかもしれないが、高校二年生と三年生ならばその差を多少理解してもらえるのではないだろうか。

 普段の年下らしい振る舞いがポーズというわけではない。ただ、積極性が一点を超えた時だけ、こうして年上らしい行動を起こすのだった。

 その言動にはあまり変化が見られないが、雰囲気はもはや別人のものと言っても過言ではなく、愛くるしい小動物をイメージさせる小柄な体が妙に扇情的で淫靡に映ってしまうと遠藤は語る。内心、翻弄される側としてはかなり怯えているのだ。

「どうしてこうなるんだかなぁ……」

「もげろ」

「ちょっ?! そりゃあ酷いよ杏さん!」

「もういいですー。お兄ちゃんが鈍感なのはこの家に来てもらった時から分かってたことだし」

「はぁ……?」

 まったく見に覚えがない杏の指摘に、遠藤は疑問の色を多分に含んだ溜め息を吐く。これが多くの友人から「救いようがない」と罵られたり呆れられたりする所以なのだが、対する当人は今のように訳が分からないと溜め息を吐くばかりだ。自分に他人から好かれる要素が見当たらない(無論異性としてだが)と思っているらしい。実際には容姿もかなり格好良い部類に入り、他人を気遣うことのできる性格、いざという時の胆力も相まって相当な数の女性から好かれているのだが、当然遠藤は気付いていない。

 そのことで杏は少々苛立ってきてしまい、ベッドの中でどんなイタズラを仕掛けてやろうかと考え始めた。そのために彼女が気付くことはなかった。隣に座る兄が窓に向かって、ある程度強い者ならば感じとることができ、且つその一瞬で居竦んでしまうだろう拳気を放っていることに。

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