第2話
一日の終わり、警視庁の重い空気の中で、私は執務机に突っ伏していた。
左肩は脱臼を強引に嵌め直したせいで熱を持ち、指先はさっきまでの乱闘で爪が剥がれ、ジンジンと拍動している。
「……彩花、いや、彩花警部補」
聞き慣れた、けれど今は一番聞きたくない声がした。
顔を上げると、そこには私の直属の部下であり、実の父親でもある佐藤巡査部長が立っていた。彼は現場叩き上げのベテランだが、キャリア組として最短で配属された私の方が、階級も立場も上だ。
父の目は、私の頬にある新しい切り傷と、血の滲んだ包帯で膨らんだ腕に釘付けになっていた。
「もういい加減にしろ。今月だけで何度病院へ運ばれた? 今日だって、あんな無茶をせずとも応援を待てば……」
「佐藤巡査部長。ここは職場よ。私的な感情は持ち込まないで」
私は冷たく突き放し、痛みなど微塵も感じていないかのように、震える手で無理やり報告書を綴り続ける。
父は私の言葉を無視して、一歩踏み込んできた。その手には、家から持ってきたのであろう使い古しの救急箱が握られている。
「親として言っているんだ! お前はまだ若い。これ以上、その綺麗な体に傷を増やしてどうするんだ。顔だって……これじゃ、嫁の貰い手も……」
「嫁の貰い手?」
私はペンを止め、あえて父の目を真っ向から見据えた。
瞳の奥で、悦びが渦巻く。父が心配すればするほど、私の体が壊れていることが証明される。彼が悲痛な顔をするほど、私は自分の「夢」が着実に進行していることを確信できるのだ。
「そんなもの、最初から興味ないわ。お父さん、あなたは私の部下でしょう? 命令に従いなさい。私の体の心配をする暇があるなら、次のガサ入れの準備を整えて」
「彩花……!」
「……二度は言わせないで。それから」
私はわざと、父の目の前で、傷ついた方の腕を机に強く押し当てた。
脳を突き刺すような激痛。視界が一瞬白くなるほどの刺激。けれど、私は最高にエレガントな微笑を浮かべてみせる。
「この傷は、私が私の意志で手に入れたもの。誰にも邪魔させない。たとえ、親であってもね」
父はそれ以上、何も言えなかった。
救急箱を握りしめる彼の手が、悔しさと情けなさで震えている。かつて私を抱き上げたその手は、今の私の狂気を止めるにはあまりに無力だった。
「……失礼しました、警部補」
力なく背を向け、去っていく父の足音。
静まり返った事務室で、私は一人、ズキズキと疼く全身の痛み(しあわせ)を噛み締める。
「もっとよ。もっと壊れなきゃ……」
金髪のボブを揺らし、私は再びペンを走らせる。
次に父が私を見たとき、さらにボロボロになって絶望してくれることを、心から願いながら。




