最期の願いは尊重すべき!と他人から婚約解消を迫られました
社交界は煌びやかな戦場だ。
一挙手一投足を監視し合い、認め合い、秩序を守ろうとしている。その秩序からはみ出した者に容赦のない社交界では、和やかな会話にも常に緊張感が漂う。
何気ないつもりで発した言葉が取り返しのつかない事態を巻き起こすこともある。
今日、侯爵家のパーティーに招かれ婚約者と共に出席している私は、そんな緊張感の中でも頼もしい婚約者と共に社交を楽しんでいた。
会場に音楽が鳴り響き、談笑を止めた招待客達が次々パートナーと会場中心部へ集っていく。
「フリージア、私達も行こうか」
「はい」
優しい笑みと共に差し出された手を取り、私達も中心部へ向かうとそのままダンスに加わった。
彼のリードはいつも頼もしく、安心して身を委ねることができる。
力強いリードを受けながら彼を見上げると、目が合った瞬間優しく微笑まれた。
ヒース・フォード侯爵令息、私の大切な婚約者だ。
ヒース様の少し長めの前髪は、パーティー用に後ろに撫で付けられ、その精悍な顔立ちが露わになっている。
キリッとした瞳が私を映すと優しく緩む瞬間がたまらなく愛おしい。
あっという間に最初の曲が終わり、続く曲もそのままヒース様と踊り終えた。一度休憩のために、と輪から外れようとしたところで声をかけられる。
「ヒース様、フリージア様」
耳に飛び込んできた聞きたくない声に、思わずヒース様の左腕を掴む手に力が入る。
そんな私の手をヒース様は右手で優しく包み込み、私達の名前を呼びながら近づいてきた人物に目を向けた。
「ヘンリー様、ナタリア様」
心の内を悟られないようににこやかに2人と挨拶を交わすと、聞きたくなかった声の主、ヘンリー・デイル侯爵令息が人当たりの良い笑顔で本題を切り出す。
「フリージア様にダンスのお相手をお願いしたいのです。いかがでしょう?ヒース様には是非ナタリアのお相手を」
ヘンリー様の婚約者であるナタリア様は、ヘンリー様の隣で頬を赤く染めながら私の婚約者ヒース様を見つめている。
『申し訳ありません。少し疲れておりますの』
そう言ってヘンリー様のお誘いをかわしてしまいたいが、今回はそうはいかない。前回お誘いをお断りしてしまっているのだ。
誘いを断り続けるとその人物に思うところがある、と宣言しているようなものだ。
人格者として多くの方から慕われているヘンリー様と何かしらのわだかまりがあると思われると、私だけでなく私の婚約者であるヒース様にも白い目が向く可能性がある。
だからこそ今回はお断りするわけにはいかない。
ヘンリー様もそれをよくわかっているようで、断られないと確信めいた表情で私に右手を差し出してきた。
今日誘われたら断れない、と覚悟してパーティーに臨んではいたものの、やはり本人を目の前にすると身体が強張り足がすくんでしまう。
だがここで私がヒース様の評判まで落とすような行動をとるわけにはいかない。自分を奮い立たせ、行ってきますという気持ちを込めてヒース様に微笑みかける。
ヒース様は心配そうな眼差しを私に向けていたが小さく頷き、ヒース様の腕にかけた私の右手を一度痛まない程度にぎゅっと握りしめてくれた。
「お受けいたしますわ」
そう言ってヘンリー様の手を取ると嬉しそうに握り返された。
その瞬間全身の鳥肌が立った私の様子に気付くことなく、ヘンリー様は優雅に私をエスコートしてダンスの輪の中に加わる。
ヒース様もナタリア様をエスコートして、私達のすぐ近くに位置をとった。
ダンスが始まりしばらくすると、ヘンリー様が小さな声で話しかけてきた。
「フリージア様、今回はあなたのお手を取れることができて感無量です」
「まあ、そう言っていただけて光栄ですわ。前回はお断りしてしまって申し訳ありませんでした」
「いえいえ、体調不良は仕方がありませんから。今日はお元気そうでよかったです」
「ありがとうございます」
当たり障りのない会話。
このままこの調子で続いてくれればよいのだが、そうはいかないようだ。
「ところで、ヒース様との結婚式の準備は順調ですか?」
「はい。滞りなく進んでおりますわ」
「…そうですか。それはよかったです」
言葉とは裏腹な声色。
「フリージア様の花嫁姿、さぞかしお綺麗なんでしょうね」
「ありがとうございます。ヒース様も楽しみにしてくださっているようですわ……っ!」
ヒース様の名前を出した瞬間組んでいた右手を強く握られ、痛みに少し顔を歪めてしまった。
すぐに何事もなかったような表情を作りヘンリー様を見上げると、ヘンリー様の目線は私の背後、おそらくヒース様に向けられていた。
だが私の視線に気がついたのか、取り繕うように私に微笑みかけてくる。
「それはそれは楽しみでしょうね。羨ましい限りです」
「ヘンリー様も私達と同時期の挙式ですよね。お互い素敵な式になるといいですわね」
満面の笑みでヘンリー様に答えたその時、曲が終わった。
ヘンリー様から離れ互いに挨拶をすると、ヒース様が私の名前を呼びながらすぐそばに来てくれた。
「ヘンリー様、どうぞナタリア様を。フリージア、私達は少しあちらで休憩を取ろうか」
「はい、ヒース様。それではヘンリー様、ナタリア様失礼いたします」
2人に挨拶をしてその場から離れようとした時、ヘンリー様が顔を歪めて胸の辺りを抑え少しふらついた。
「ヘンリー様!」
すぐにナタリア様がヘンリー様の身体を支える。
「大丈夫ですか?」
ヒース様が慌てたように声をかけた。
「ええ、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ない」
「最近ふらつかれるところを時々お見かけしますが……」
「ええ、以前から時々こういったことがあったんですが最近頻度が多くなっておりまして……近々医師に診てもらわなければと思っていたところなんですよ」
「それは心配ですね。今日はもうお帰りになられた方がよろしいのでは?無理をしない方がいい」
ヒース様の言葉に私も同意するように頷く。
「どうかご無理なさらないでください」
「ありがとうございます。そうですね、今日はこれで失礼しようと思います」
そう言ってヘンリー様はざわつく周囲にも場を乱したことを丁寧に謝罪すると、心配そうに寄り添うナタリア様と共に主催者に挨拶をして会場を後にして行った。
それを見送った私達も、ほどなくして会場を後にした。
※※※
ヒース様のエスコートでフォード侯爵家の馬車に乗り込み扉が閉まると、静かに馬車が動き出した。その瞬間、やっと張り詰めていた緊張が解け安堵の息を吐く。
「フリージア、大丈夫か?」
「はい、ご心配をおかけして申し訳ありません」
ヒース様は隣でそっと私の手を握りながら優しく労わりの言葉をかけてくれた。
「しかし、周囲にあの男が人格者だと慕われているのが歯痒くて仕方ない。あれだけフリージアを怖がらせておいて」
「ヒース様…仕方がありませんわ。社交界では何も知られていませんから」
ヒース様にそう答えながら、私は半年前に婚約者が決まったときのことを思い出していた。
近年の貴族の婚約は6、7歳といった幼少期から結んでいた頃とは異なり、ある程度貴族令息令嬢間の交流が深まってから結ばれるようになった。
幼少期に相性が良くとも、成長するにつれ合わなくなっていき、婚約破棄や婚約解消をするケースが相次ぐようになった時代からの変化だ。
その流れを受け、我がアルベリー伯爵家では私が昨年15歳になりしばらく経ってから婚約者を募る旨を周知した。
ありがたいことに多くの方から婚約の申し込みをいただいたが、申込者の中にヒース様のお名前を見つけた時は言葉にできないほど嬉しかった。
お茶会や交流の場でヒース様と接する度にヒース様と人生を歩んで行けたら、と心に秘めるようになっていたからだ。
ヒース様の落ち着いた低い声や穏やかでありながら凛とした話口調、私の話を興味深そうに聞いてくれる表情や細やかな気遣い、時折みせる屈託のない笑顔。
この方の隣で歩んでいけたらどんなに幸せだろう、と思っていた方からの婚約の申し込み。
私の心はすぐに決まったが、婚約を申し込んでくれた方とは一度会ってお断りをするのが慣習だ。
そこで慣習通りに全員とお会いし、1人ずつ丁重にお断りさせていただくことにした。
以前からの顔見知りが多く、ほとんどの方が理解を示してくれて、『お幸せに』と優しい言葉までかけてくれる方もいた。
だが中には断っても納得してくれない方もいて、最後は両家の親が出てくる事態にまで発展してしまった方がいた。
それがヘンリー様だった。
誰とでも分け隔てなく接するヘンリー様は多くの貴族から慕われており、いつもヘンリー様の周りには笑いが絶えなかった。かく言う私もヘンリー様との会話を以前は心から楽しんでいた。
しかし私のヘンリー様に対する印象は次第に変化していった。
最初に覚えた違和感は、私が友人との内輪のお茶会で話していた会話の内容を知っていたこと。
友人が話したのだろう、と最初のうちは気にせず会話を続けていたが、それが繰り返されるようになるとまるで『あなたのことは何でも知っています』と言われているように感じて少しヘンリー様のことが怖くなった。
次に覚えた違和感は、私がヒース様と話していると必ずと言っていいほど「あちらで呼ばれていたよ」とヒース様を連れて行ってしまうこと。
通常、交流の場で盛り上がっているところに水を差し、その会話を途切れされるようなことはしない。ある程度会話が落ち着いたところで話しかけるのがマナーだ。
だがヒース様との会話がどんなに盛り上がっていても、ヘンリー様は有無を言わせぬ勢いでヒース様を連れて行ってしまう。
場の空気を読むことに長けているはずのヘンリー様がそのような行動を繰り返すので、私に対する嫌がらせなのかと勘繰るようになってしまった。
そんなある日、ヘンリー様が小声でこんなことを話しかけてくるようになった。
『ヒース様には気をつけた方が良いですよ』
何に気をつけた方が良いのか尋ねてものらりくらりとかわされる。その発言を聞いた私がどんな気持ちになるのか想像しているのかいないのか。
ヒース様に気をつけろと言いながら、なぜか気をつけなければならない理由は教えてもらえない。
そんなヘンリー様にいよいよ不信感が募っていく。
もしかしたらヘンリー様は私をお嫌いなのかもしれない。そんな私がヒース様と楽しげに会話をしている姿も気に入らないのかもしれない。
そう思うようになっていたからこそ、ヘンリー様から婚約の申し込みがあった時には目を疑った。
何かの間違いでは?と思ったが、確かに手紙には私との婚約を望む旨がヘンリー様の名で書かれていた。
何か事情があってのことなのかもしれない。ご本人があまり乗り気はなくてもヘンリー様のお父様、デイル侯爵から申し込みをするように言われて…ということも考えられる。
そう考えた私はヘンリー様とお会いしてすぐに丁重にお断りをすることにした。
問題なく終わるだろうと思っていた私の考えが甘かったと気付かされたのは、お断りをした直後に強い力で肩を掴まれて血走った目を向けられた時だった。
『納得できません!!私は一目あなたを見たときからあなたを婚約者にしたいと望んでいたのです』
『もっと私を知っていただく機会をください!!1年、いやせめて半年でもいいですから婚約者候補としての交流をさせていただきたい』
『ヒース様よりも私の方がフリージア様を幸せにできます!!』
まさかヘンリー様が私に好意を持っていたとは。
はっきり断っても納得してもらえず、何とか帰ってもらったと思ったら翌日から私への想いを綴った手紙や贈り物が大量に届くようになった。
何度お断りのご返事をしても贈り物をお返ししても状況は変わらないどころか、一度に届く手紙の枚数が10枚を優に超えるようになり、高価な贈り物が次々と送られてくるようになった。
若さゆえの過ちだ、と最初は見守る姿勢を示していた両親も、妄想が大量に綴られるようになった手紙を読ませるとすぐにデイル侯爵に連絡を入れ、早急に話し合いの場がもたれることになった。
デイル侯爵はヘンリー様から『婚約者候補として順調に交流を深めている』と聞かされていたようで大変動揺されていた。
『まさか婚約を断られたにも関わらず手紙や贈り物を一方的に送り続けていたとは……。諦めの悪い愚息のせいで御心労をおかけして本当に申し訳なかった』
デイル侯爵からの真摯な謝罪、そしてヘンリー様からも謝罪をいただいたことで、我が伯爵家としては謝罪を受け入れ事を納めることにした。その際、十分に反省している様子だったヘンリー様の将来を考えてこの度のヘンリー様の執拗な行動については公言しないことにした。
その後正式にヒース様との婚約を発表。
間もなくヘンリー様もナタリア様との婚約を発表した。
婚約後の交流の場では、お互い婚約者がいる身としてヘンリー様とは節度を持った距離感で話ができるまでになっていった。
だがあの時のヘンリー様の形相や言動、送られてきた手紙の内容は脳裏に焼き付いていて、警戒心を解くことはできなかった。実際、ヘンリー様とのことを伝えていたヒース様も、ヘンリー様の様子に警戒していた。
『表面上は上手く取り繕っているが、諦めていない。時折君を見つめる目が……』
ヒース様からの忠告を思い出して身震いをする。
「フリージア、すまなかった。嫌な事を思い出させたな」
ヒース様の言葉に首を横に振った。
「あと2ヶ月の辛抱ですわね」
ヒース様との結婚式まであと2ヶ月。
結婚式を終えて結婚が成立すればさすがにもう諦めてくれるはず……諦めてくれるわよね?
今日のヘンリー様と交わした会話やふらついたヘンリー様の姿を思い出し、胸に漠然とした不安が広がる。
このまま何事もなく結婚式を迎えられればよいのだが……。
しかしこの1週間後、デイル侯爵家のある発表を機に、私とヒース様はとんでもない事態に巻き込まれていくことになる。
※※※
パーティーから1週間後。
この日、両親はデイル侯爵家で行われる晩餐会に招待されていた。
「お父様とお母様が帰ってくるまで起きていたい」
そう言いながら目を擦っていた幼い弟を寝かしつけてからしばらくすると、両親が帰ってきた。
出迎えに向かったが、帰ってきた両親の纏う雰囲気がどうも良くない。楽しい晩餐会だったとは言えない雰囲気だ。
「お父様、お母様、おかえりなさい。何かあったのですか?」
「ただいま、フリージア。ああ、少しな…オスカーはもう寝たのか?」
「ええ先程。お父様とお母様におかえりなさいを言いたいと頑張って起きていたのですが」
「そうか、後で顔を見に行こう。フリージア、今夜はまだ冷える。一緒にココアでも飲まないか」
お父様は私が落ち込んでいる時に必ずココアを一緒に飲みながら語らう時間を作ってくれる。
恐らくお父様達の纏っている雰囲気の理由を今から話してくれるのだろう。
「ええ、喜んで」
「ローラ、3人分お願いね」
「かしこまりました」
お母様の指示でメイドのローラはすぐに準備へ向かった。
これからどのような話をされるのだろうか。私に話す必要がある、ということはヘンリー様が絡む話なのかもしれない。
不安な中、当たり障りのない会話をしながら部屋に入るとすぐにローラがココアをそれぞれの前に置いていく。
お父様にはウイスキー入りのココア。
お母様にはラム酒入りのココア。
私にはシナモンとクローブ入りのココア。
スパイスの香りとココアの温かさが身体を芯からじんわりと温めてくれる。
何口か飲んだところでお父様が口を開いた。
「今日、デイル侯爵から2つ発表があった。まず1つ目だが、ヘンリー卿の病気についてだ」
「ヘンリー様のご病気ですか?」
「ああ。どうやら心臓の状態が良くないらしい。余命3ヶ月と医師に言われたそうだ」
お父様の言葉に、息を呑む。
あの時、ヘンリー様はふらつきながら心臓の辺りを押さえていた。心臓を悪くされていたからだったのか。
「いつわかったのでしょうか?先日の公爵家のパーティーの後ですか?」
「ああ、そのようだ」
余命宣告を受けてまだ1週間しか経っていないということか。
「それでだな、2つ目の発表なんだが…余命宣告を受けて、ヘンリー卿とナタリア嬢の婚約が解消された」
「え……婚約解消ですか?」
「そうだ」
ヘンリー様の余命宣告を受け、すぐデイル侯爵家とナタリア様のシュールズ伯爵家で話し合いが持たれた。
ナタリア様は非常に動揺されていたそうだ。それでも最後まで一緒に、とナタリア様は望んだが、ヘンリー様がそれを断ったという。
余命わずかな自分に縛られず、新たな婚約を結んで欲しい、と。
ナタリア様と釣り合いが取れる家柄で婚約をしていない令息が少なくなっている現状、早めに婚約を解消して次の相手を見つけて欲しいというヘンリー様のお気持ちから来る言葉だったようだ。
結局、最後はヘンリー様の意思を尊重しようということで、ナタリア様との婚約が解消されたということだった。
「皆様お辛いでしょうね……」
「そうだろうな。あの侯爵が憔悴しきっている姿は、とてもじゃないが見られたものではなかったんだがな……」
デイル侯爵のお姿を想像して胸を痛めていると、お父様が口ごもった。
「夫人がな……」
「デイル侯爵夫人がどうされたのですか?もしかして倒れられているのでしょうか?」
「いや、晩餐会に夫人も参加されていた。発表時もデイル侯爵の隣に最後まで立っていた」
デイル侯爵夫人は繊細な方だ。
寝込んでいる姿が容易に想像できたのだが、晩餐会に予定通り現れ、ヘンリー様に関する発表時も毅然とした態度をとられていたというのは些か意外ではあった。
「その様子を見てだな、シレーネは何かある、というんだ」
「お母様、何があるというのですか?」
「何か企んでいる気がするのよ。それが何かはまだわからないわ。でも何かひっかかるのよね。そういう時は必ず何らかの嘘が隠されているものよ」
「何らかの嘘…」
お母様は私の言葉に頷くと話を続ける。
「今からもう20年近く前の話ではあるのだけれどね」
それからお母様が語ったのは、今から約20年前、デイル侯爵夫人がまだ未婚の頃の話だった。
夫人の父親であるバース侯爵が病に倒れ、余命6ヶ月の宣告を受けたという。
「社交が大好きな彼女が憔悴しきって屋敷に閉じこもっていると聞いた時は私も胸が痛かったわ。結局彼女が社交界にまた顔を出すようになったのは、デイル侯爵との婚約を発表した頃、バース侯爵が亡くなって数ヶ月経ってからだったの」
それから今に至るまで、繊細な彼女は何かある度に寝込んでいたという。
たとえばまだ幼いヘンリー様が少し深く手を傷つけてしまった時。ヘンリー様が血を流すところを見た瞬間卒倒し、それから3日は寝込んでいたそうだ。
「そんな彼女がご子息の病気、しかも余命宣告を受けて間もない状況であのような毅然とした態度を取るなんて…私には信じられないのよ」
私の知っている彼女であれば部屋でずっと寝込んでいるはず、とお母様は続けた。
確かに私のイメージするデイル侯爵夫人もお母様と同じだ。
ではなぜ今日見せたデイル侯爵夫人の姿がこうもいつもとかけ離れているのだろうか。
「現実を受け止められていないのかもしれないとも思ったのだけれどね、そういう感じでもなかったの」
「…お母様、先程何らかの嘘、とおっしゃっていましたよね?どんな嘘をつかれているというのでしょうか」
「わからないわ。でも嘘をつくには嘘をつかなくてはいけない理由があるものよ」
「理由…?」
「これまでの騒動を考えると、フリージアに関係している可能性もあるわ。少しでも巻き込まれる可能性があるのなら、相手の出方を窺ったほうがいいかもしれないわね」
デイル侯爵夫人はどんな嘘をついているというのだろうか。
私が巻き込まれる可能性などなさそうにも思えるが……。
「しばらくデイル侯爵家を警戒する必要があるだろう。お前も社交の場での言動に細心の注意を払いなさい、フリージア。どんな火の粉が降り掛かるかわからないからな」
「わかりました」
「不安に思いすぎることはない、お前には私達もついているからな。だが、無防備でいると突然の事態に対応することができない。…わかるな?」
「はい」
デイル侯爵夫人のイメージとかけ離れた行動に隠された嘘……もしかして、いやでもまさかそんな嘘、何のために?
「どうしたフリージア、何か思いついたことがあれば言ってみなさい」
「はい、ふと思いついただけなのですが……もしかしたら」
私の思いつきを両親は真剣な面持ちで聞いてくれた。
私が話し終えると両親は納得したように頷き、やがて話は隣国のある人物の話にまで及んだ。
「今は動くべき時ではないだろう。その時が来るのを待とう」
※※※
数日後。
この日、私はあと2ヶ月を切ったヒース様との結婚式に向けて、ウエディングドレスの調整を行なっていた。
「ではここを2cm詰めて、ここにもう少し真珠を……」
お母様がお針子と細かく調整箇所を確認していたところ、扉が叩かれた。
「モーランド伯爵夫人がお見えです」
お母様は訪問客の名前を聞くと急いで部屋を出て行った。
「フリージア、あなたも着替えたら挨拶にいらっしゃい」
「はい、お母様」
モーランド伯爵夫人はお母様の一番上のお姉様、私の伯母にあたる方だ。
今日は訪問客の予定はなかったはず。いつも必ず連絡を入れて訪問をする伯母様の突然の訪問。
すぐにお母様に会わなければならない事態が起こったということだ。
不安を感じながらウェディングドレスから着替え、急いで応接間へ向かう。
部屋に入るとお母様と伯母様が向かい合って座っていた。
「ごきげんよう、伯母様」
「ごきげんよう、フリージア。先月のあなたの誕生日パーティー以来ね」
「はい。先日はお越しいただきありがとうございました。素晴らしい贈り物も。伯母様からいただいた香水、春の花畑のような香りがしてとても気に入りましたわ」
「今も付けてくれているのね、嬉しいわ。あなたをイメージした香りなのよ。やっぱり、私の見立てに間違いはなかったわね」
和やかな挨拶を済ませてお母様の隣に促されるように座ると、伯母様は紅茶を一口飲んだ。
そして私に引き締まった表情を向けた。
「今日私が来たのはフリージア、あなたと考えたいことがあるからよ」
「私と考えたいことですか?」
「ええ。これから湧いてくる"厄介な善人"対策よ」
それから伯母様が語ったのは、昨日開かれたばかりというデイル侯爵夫人主催のお茶会での出来事だった。
伯母様は昨日、1ヶ月前から招待されていたお茶会に参加したという。
この時点ですでにヘンリー様のご病気や婚約解消の話は広まってきており、とてもではないがお茶会どころではないだろう、と伯母様は中止の連絡を待っていたそうだが、予定通りの開催となったそうだ。
それならばと厳粛な気持ちでお茶会に臨めば、デイル侯爵夫人は今にも倒れてしまいそうな様子で現れたという。
当然、参加者は皆それぞれの言葉でデイル侯爵夫人を慰めようとした。
一人一人の言葉を涙を流しながら聞いていたデイル侯爵夫人は、お礼を述べるとヘンリー様のご様子について語り出した。
『私にも辛い顔を見せずに明るく振る舞って……私達の前で泣かないんですの。そんなあの子の様子が心配になりまして、夜中そっとあの子の部屋を覗いてみたら、声を押し殺すようにして泣いていて…私、思わず部屋に入って行ってあの子を抱きしめて…』
ヘンリー様は死への恐怖を吐露しながら泣いていた、というところまでデイル侯爵夫人が話すと、お茶会の参加者は皆目に涙を浮かべていたという。
問題はその後だった。
ヘンリー様はこんなことを溢したそうだ。
『母上、私の存在は少しは皆様のお役に立てたのでしょうか?』
『もちろんよ、あなたが生まれてくれてどれほどお母様が幸せな気持ちになれたか……もちろん私だけではないわ。あなたに救われたという方はたくさんいるはずよ』
『そうでしょうか?少しはお役に立てたのですね……私が生まれてきた意味があったのですね。それなら、もしかしたら私を哀れに思われた神様が来世では私の願いを叶えてくださるかもしれませんね』
『願い?どんな願いなの?叶えられるなら今すぐにでもお母様が叶えてあげるわ』
ここでヘンリー様は悲しそうに首を横に振ったという。
『母上、こればかりはどうしようもありません。今世では叶えられない願いなのですから』
『そんなこと言わないで、どんな願いなの?教えてちょうだい』
『…来世では、あの方に選んでいただけるような自分になりたいです』
『あの方?』
『…フリージア様です』
「耳を疑ったわよ、あなたの名前が出てくるなんて。彼があなたに婚約の申し込みをしていたことは知っていたけれど、まさかね」
伯母様の言葉に頭が真っ白になる。
「お姉様、その場にいた方々はどのような反応を?」
「それよ、シレーネ。それが私が今日ここに急遽来なければと思った原因なのよ」
最初、それを聞いた招待客は皆動揺していたそうだ。
私に婚約を申し込み断られたという事実は知っていても、その後すぐナタリア様と婚約し仲睦まじくされている姿を交流の場で見せていただけに、私に対する気持ちはその程度のものだった、あるいは家柄を考えての申し込みだったと認識していた方が多かった。
そのため私にそこまでの気持ちを寄せていたとは…と驚いた方が多かったようだ。
ここでヘンリー様の発言が、来世への切ない願いとして招待客に受け止められていればよかった。しかし誰かがぽつりと溢した一言がその場の雰囲気をあらぬ方向へ向かわせる。
『お可哀想に……叶えられるものなら叶えてあげたいですわね』
その言葉に、伯母様はハッとしてその場の参加者を確認したという。
「招待客の顔触れを見てこれは厄介なことになると思ったの。たとえば…」
伯母様が挙げていく名前を聞く度に自分の血の気がみるみる引いていくのを感じる。
交流の場で積極的にヒース様に話しかけに行っていた方やヒース様と話していたご令嬢に陰で嫌がらせをしていた方、つまりヒース様に想いを寄せていたご令嬢を持つご婦人方ばかり。
そうではない名前はどれも、社交界では"感受性豊か"つまり、感情移入しがちで感情任せな行動をしてしまうことで有名な方々の名前だった。
「まさか……フリージアをヘンリー卿に…なんてことを言い出す方が?」
「いいえ、さすがにあの場でそのような事を言う方はいなかったわ。でも皆、私にちらちら鬱陶しい視線を送ってきたのよ。私にフリージアを説得させようとしたのでしょうね。ヒース卿と婚約解消してヘンリー卿に嫁ぎなさい、なんてこの私が言うわけがないでしょうに」
そんな事を言う人物に思われていたのだとしたら心外だ、と伯母様は怒りを露わにする。
「ただ、あの場だけでも厄介な思いが生まれていくのがはっきりわかったわ」
"余命僅かの好青年の願いを叶えてあげたい"という利他的な思い。
"フリージア嬢の婚約を解消させれば娘がヒース卿と結ばれるかもしれない"という利己的な思い。
「わかるでしょう?フリージア。これからあなたには厄介な善人のご進言が山ほどくるでしょう」
「…伯母様、お言葉を返すようですが、さすがに社交界では受け入れられないのではないでしょうか?既に決まっている婚約を解消させてまでヘンリー様の願いを叶えようだなんて」
「ええ、少なくとも利己的な方は大々的には言わないでしょうね」
つまり、内々的に言ってくる可能性があるということだ。
「だからこそ対策ができるわ。ただ厄介なのは本気で良かれと思ってご進言をしようとする方々の方ね」
自分がやることは間違っていない、と信じている人の行動を止める事は難しい。むしろ嬉々として自らの信じる正義のために"ヘンリー様の願いを今世で叶えて欲しい"と私を説得しようとするだろう。
……もしかしたらどちらも同じ対策が有効なのでは?
「伯母様、それでしたら……」
※※※
あれから2週間が経った。
この期間、お茶会や夜会などの招待を極力受けないようにしていた。
利己的な目的で"ご進言"をしようとする人は内々で事を起こそうとするはず。夜会や舞踏会など人が多く目が多い場所でご進言などすれば良識を疑われるからだ。
だからこそ、令嬢間のお茶会や小規模の晩餐会など、自分達で招待客やその場の雰囲気を管理しやすい場面で私に"ご進言"しようとするはず。
そこでこの2週間は本当に親しい友人からの招待しか受けず、友人とヒース様としか会わないようにしてご進言の機会を与えないようにしたのだ。
しかし今日は久しぶりにヒース様と共にグロースター公爵家主催の夜会に参加することになっていた。主催者である公爵夫人には以前から大変良くしていただいていて、とてもではないが招待を断ることなどできなかったからだ。
少しずつ春が近づき寒さも和らぎ始めた夜空の下、馬車から降りるとヒース様の腕を取り公爵家へと歩みを進める。
そしてヒース様と共に会場に足を踏み入れると、会場の視線が私達に集まるのを感じた。
決して好意的な視線だけではない。嫉妬や苛立ちを隠せない視線を送ってくる方をそれとなく確認しながら、まずは主催者に挨拶に向かった。
「よく来てくれたわね。ここ最近大変だったでしょう?今日は楽しんでちょうだいね」
「ありがとうございます」
挨拶を済ませると、ヒース様と共に親しい友人達の元へ向かう中、普段よりも多くの方と目が合い小さく頭を下げられる。
こちらも同じように小さく頭を下げながら友人達の元へ着くと歓談の輪に加わった。
しばらく会話を楽しんでいると後ろから声を掛けられた。振り向くと柔らかい笑みを浮かべたハートリー侯爵夫妻が立っていた。
挨拶を交わすと私達に紹介したい方々がいる、ということで友人達に断りを入れてその方々とお話をする機会をいただいた。
気難しいことで有名な伯爵や社交界で影響力を持つ侯爵夫人といった名だたる顔ぶれとの会話は緊張感もあったが、間を取り持ってくださったハートリー侯爵夫妻のおかげで楽しむことができた。
「フリージア、少し休もうか」
「はい、ヒース様」
そのまま壁際に向かうと椅子に腰を掛けた。
「飲み物を取ってくるから待っていてくれ」
「ありがとうございます」
ヒース様の優しさに感謝しながら心身を休めていると、こちらに近づいて来る集団が視界に入る。
やはり来たわね、ヒース様に想いを寄せる"厄介な善人"が。
ここ2週間彼女達が主催する悪意のあるお茶会へのご招待は全て断っていたもの。私に"ご進言"する機会を持てず相当苛立っているご様子ね。
ちらっとヒース様の様子を確認すると、ここから随分離れたところで足止め部隊に捕まっていた。
私にご進言ができるように事前に協力を頼んでいたのだろう。
やがて集団が私の前まで来たのを見計らい立ち上がる。
「ごきげんよう、シンシア様」
「ごきげんよう、フリージア様」
にこやかに挨拶を返されたのは侯爵家のシンシア様だ。
そのまま後ろにいる方々とも順々に挨拶を交わすと、シンシア様が口火を切った。
「フリージア様、近頃なかなかお会いできず、寂しかったですわ」
「まあ、シンシア様にそうおっしゃっていただけるなんて光栄ですわ。結婚式の準備や前々から決まっておりましたお茶会の参加でありがたいことに忙しくさせていただいておりますの」
私がそう答えると、シンシア様がわざとらしく驚いた声を出す。
「まあ!では本当にヒース様とこのままご結婚されるおつもりなんですの?」
「それはどういう意味なのでしょうか?」
こちらもわざとらしく無知のふりをして尋ねてみれば、シンシア様の周りのご令嬢達が口々に"ご進言"を始めた。
「ヘンリー様の願いをご存知でしょう?叶えて差し上げようとは思えないのですか?」
「何て冷たいお方なのかしら…私なら余命僅かな方の願いとあらばどんなことでも叶えて差し上げますのに」
「私もですわ。当然のことではなくて?」
予想通りの内容に思わずため息を吐きそうになるのをぐっと堪え、きょとんとした顔を作る。
するとそんな私に更に苛立ちが増したのか、せっかく周囲に聞こえないように抑えていた声が徐々に大きくなっていく。
「少しでも人の心がおありならヘンリー様の願いを叶えようとお思いになるでしょう?」
「ヘンリー様の余命はもう2カ月になってしまったのですよ?早くご決断なさらないと」
興奮していて周囲の変化に何も気付いていないわね。
あと一押しといったところかしら。
こちらに近づいて来ている人物達にも気付いていない彼女達に対して、私は少し困ったような表情を浮かべる。
「つまり私にどうしろとおっしゃるのですか?」
何を言われているのか皆目見当もつかない、というように無知を演じて尋ねれば、いよいよそんな私に耐えられなくなったシンシア様が声を張り上げた。
「ですから、余命僅かなヘンリー様がフリージア様を望まれているのですよ?!来世ではなんておっしゃっておりますが、叶うのなら今世でフリージア様と結ばれたいという、言葉に隠されたヘンリー様の願いがなぜおわかりにならないの?
最期の願いを無下にしないで早くヒース様と婚約解消してヘンリー様の願いを叶えて差し上げてください!!」
シンシア様の声が会場で響き、その場は静まり返った。
「シンシア様」
「なんですの?!」
後ろから声を掛けられ睨むように振り返ったシンシア様は、声の主を確認して固まってしまった。
「ヒ、ヒース様…」
ヒース様の怒りを感じ取ったのか、私を囲っていたご令嬢達は私の前を開けるようにじりじりと後退りをする。
そしてこの時になってようやく、会場中の目線が自分達に集まっていることに気が付いたようだ。
「フリージア、大丈夫だったか?」
彼女達の間を通り私の元へ来てくれたヒース様に寄り添われ「はい」と困った表情で頷く。
「どういう事ですか?シンシア様。フリージアに随分な事をおっしゃっていたようですが」
「ご、誤解ですわ、ヒース様。私はただフリージア様とお話をしていただけで……」
「嘘はおやめください、シンシア様。あなたの発言はしっかりと聞かせていただきましたよ」
「……!!ライアン様、何をおっしゃいますの?!」
声を上げたライアン・シャルモンド子爵令息は、こちらで起きている事態に気付きいち早く駆けつけてくれた1人だ。
「あなたは確かにこうおっしゃっていました。余命僅かなヘンリー様がフリージア様を望まれている、最期の願いを無下にしないで早くヒース様と婚約解消してヘンリー様の願いを叶えて差し上げてください、と」
「私がそんなことを言うはずがありませんわ!!そうですわね?皆様」
先程私を取り囲み声高にご進言をしていた彼女達は一様に頷くと、シンシア様は勝ち誇った顔をされた。
しかしその表情はすぐに崩れることになる。
「私達も同じ言葉を確かに聞いた」
「ええ。その前からあなた達がフリージア嬢にかけていた言葉も、所々ではありますが耳に入ってきましたよ」
ハートリー侯爵夫妻の援護に最早言い逃れができないと悟ったのか、絶望した表情になるご令嬢達。
しかし腹を括ったのか、シンシア様は悲しげに眉を寄せながら口を開く。
「私達はただ、ヘンリー様がこのままではあまりにもお可哀想だと思っただけなのです。ヘンリー様の余命はもう2ヶ月しかありませんのよ?2ヶ月の間、最期の願いを叶えて差し上げる優しさがフリージア様にあればと」
シンシア様はそう言うと私に視線を向けてきた。
「最期の願いを叶えることが優しさだとおっしゃるのですか?それがどのような願いであっても」
「ええ、ええ!!そうですわ、フリージア様!!」
私の言葉に何を勘違いしたのか、シンシア様を筆頭に顔を輝かせるご令嬢達。
ここで言い返してしまってもいいけれど、私を守ろうと意気込んでいらっしゃる方々のやる気を削いでしまうのも申し訳ないわね。
もう少し待ちましょうか。
私は不安気にヒース様を見上げる。
ヒース様は心配そうに私を見つめ返すと怒りを込めた瞳をシンシア様達に向けた。
「フリージアと私の婚約を解消しろとおっしゃるのですね?」
「解消しろだなんてそんな……ただヘンリー様のためにはそうした方がよろしいのでは、と私達はヘンリー様のために言いづらい事を敢えて申し上げているのです」
ねえ?とシンシア様に同意を求められたご令嬢達はしおらしく頷く。
「なぜヒース様とフリージア様の婚約を解消させてまでヘンリー様の願いを叶えなければならないのですか?」
「ライアン様には関係ありませんでしょう?ヘンリー様はまもなく命が失われてしまいます。そんなヘンリー様の願いはフリージア様と結ばれること……叶えられる願いなら最期の2ヶ月だけでも叶えて差し上げるべきではありませんか?最期の願いをきかないだなんて、あんまりではありませんか」
開き直って主張を正当化しようともがいているが、残念ながらシンシア様達には初めから勝ち目などない。
「それを言うなら君達だって関係がないだろう」
「ハートリー侯爵のおっしゃる通りだわ。あなた方には関係がありませんよ、シンシア嬢、ミア嬢、ローラ嬢、アデル嬢、デボラ嬢」
「なっ、関係ないだなんてそんな、あんまりですわソールベリー侯爵夫人」
ライアン様、ハートリー侯爵夫妻、ソールベリー侯爵夫人……彼らに加えて彼女達に厳しい目を向けている方々は皆、私がこの2週間で獲得した味方だ。
この2週間、私はただ親しい友人やヒース様との交流を楽しむ日々を送っていたわけではない。着々と準備を進めていたのだ。社交界での私の味方を増やす準備を。
シンシア様達と違い、本気で良かれと思って私を説得しようとするご婦人方の行動を止める事は難しい。
それを逆手にとり、私はその行動力を利用することにしたのだ。
案の定、正義感に駆られた方々は私に交流の場で説得を試みようとしていたようだが、私は姿を現さない。中々私に会えず説得ができない、と愚痴混じりに語る内容を聞いた他の貴族達はこの時点で彼女達と距離を取り始める。
説得の機会が得られないのであれば、と彼女達が次に移した行動が"手紙"だ。
手紙は自分の気持ちを伝える手段として便利だが、何かあった際には証拠になることもある。シンシア様達は、他家の婚姻に口出しをすることは貴族社会で御法度だと重々理解しているからこそ、私に手紙を送ってこないことはわかっていた。
しかし悪気のないご婦人方は違う。
自分達を善人と疑わない彼女達から、シンシア様達のような発言が恥ずかし気もなく書き連ねられた手紙を受け取った私はすぐに返事を出した。
我がアルベリー伯爵家とヒース様のご実家フォード侯爵家からの当主に宛てた抗議文と共に。
私の返事を受け取った彼女達は深く反省していたというが、もう遅い。彼女達は歪んだ正義感を元に他家の婚姻に干渉しようとしたのだ。
何よりも秩序を尊ぶ社交界で"他家の婚姻への干渉"という許されない行為をした彼女達は、社交界に呼ばれないという制裁をすでに受けている。現に今日の顔ぶれの中に私に手紙を送ってきた方々は1人もいない。
もちろんそれだけで済む問題ではない。そんな彼女達の行動のために抗議文を受け取る羽目になった当主達からは相応の謝罪を受け、親族の方々からも多くの労りの手紙が届いた。
『何かあった際には必ずフリージア様の味方になります』
『よろしければ社交界での縁繋ぎをお手伝いさせていただきます』
『何かお力になれることがあれば遠慮なくおっしゃってください』
先程から私を守ろうと動いてくれているライアン様、ハートリー侯爵夫妻、ソールベリー侯爵夫人は、私にこのような手紙をくれた"厄介な善人"の親族達だ。
手紙にあったお申し出の通りに、今まさに彼らは私の力になろうとしてくれている。
錚々たる私の味方を前に、先程ヒース様を足止めしていた令息達は一斉に沈黙しているためシンシア様達の力になるものはいない。
「あら、事実でしょう?シンシア嬢。関係のないあなた達が他家の婚姻に口出しをしようなどと……恥を知りなさい」
「……っ」
ソールベリー侯爵夫人の一喝で押し黙るご令嬢達。しかしこれで終わらないのがシンシア様だ。
「お言葉ですが、余命僅かな方の最期の願いを叶えて差し上げたいと思うのはいけないことですの?」
「そのこと自体は決して悪い事ではないわ。でもそれを押し付けるのは違うのよ」
「押し付けるのは違う?どういう意味ですの?」
ソールベリー侯爵夫人の言葉に困惑する彼女に、今度はハートリー侯爵夫人が言葉をかける。
「ヘンリー卿が望んでいたのがシンシア嬢だったとしたら、あなたの発言通りになさればよろしいと思うわ。あなたがヘンリー卿の願いを叶えるために自分の意思でヘンリー卿に嫁ぐというのであれば、それはそれで素晴らしいことですもの。
でもフリージア嬢はヒース卿と婚約していて、このままヒース卿に嫁ぐことを望んでいるの」
「ですからそれが間違っていると申し上げているのです!!私だったらハートリー侯爵夫人がおっしゃったようにしますわ!!」
「あなたはご自分の考えが全てだとでも思っているのかしら?あなたの考えとフリージア嬢の考えは違うわ。あなたの考えを押し付けてはいけません」
「……」
ここまで言われてもまだ納得いかないようね。ヒース様を手に入れられる最後のチャンスなのだから何としても折れるわけにはいかない、といったところかしら。
「シンシア様、本当に余命僅かな方の最期の願いは自分の気持ちを我慢してまで叶えなければならないものなのでしょうか?それがどのような願いであっても」
「ええ、その通りですわフリージア様」
何を期待しているのか、シンシア様は私の問いかけに再び目を輝かせた。
「私はそうは思いませんわ。たとえばシンシア様が余命僅かな方から一緒に死んで欲しいと望まれたらどうされますか?」
「そんなの断るに決まっていますわ!」
「あらなぜです?最期の願いですのに、無下になさるのですか?」
「……っ」
シンシア様は唇を噛み締め口を噤む。
「皆様はいかがでしょう?」
他のご令嬢達に目を向けると、皆視線を落とし沈黙していた。
「おわかりになるでしょう?なんでも叶えられるというわけではありませんわ。物理的に可能なものが心理的にも可能なものだとは限らないのです。
それでも叶えたいと皆様が思われるなら、どうぞそうなさってくださいな。ただ私はそうは思わないというだけですわ。
私は私を望んでくださるヒース様のお気持ちと、私自身の気持ちを大事にします」
私がそう言うとヒース様は私の肩に置いた手に力を込め、私に優しく微笑んでくれた。
「私もフリージアと同じ考えです。フリージアが私との婚約を解消してヘンリー様と婚約をすれば、ヘンリー様はお喜びになるかもしれない。しかしフリージアはそれを望んでいないのです。私もそうなることを望んでいません」
彼女達が慕うヒース様の言葉が最後の一撃になったようで、彼女達はひどく落胆した様子で項垂れた。
「私もフリージア嬢の考えに同意するわ」
主催者であるグロースター公爵夫人の登場で、彼女達は思わず同情しそうになるくらい血の気の引いていた。
「シンシア嬢、ミア嬢、ローラ嬢、アデル嬢、デボラ嬢……残念だわ」
そのまま促されるように会場をあとにする彼女達の背を見届けると、場を乱したことを謝罪した。
しかし私とヒース様はグロースター公爵夫人をはじめとして、その場にいた多くの方々から温かい言葉をかけられた。
「来月の結婚式、楽しみにしているわ」
「ありがとうございます、グロースター公爵夫人」
※※※
夜会の2日後。
私はお父様と共にフォード侯爵家を訪れていた。
フォード侯爵とヒース様と4人で談笑していると、部屋の扉が叩かれる。
扉から入って来たのはデイル侯爵夫妻とヘンリー様の3名。3名とも酷く顔色が悪い。
先程からの和やかな雰囲気は消え去り、部屋の空気が張り詰める。
3名がソファーに腰掛けると、フォード侯爵が口を開いた。
「では早速謝罪とやらをお聞きしましょうか」
「はい、まずは謝罪の場を設けてくださったことに感謝申し上げます。この度は私の妻と息子が多大なるご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした」
そう言ってデイル侯爵が深く頭を下げる隣で、デイル侯爵夫人は不貞腐れた表情を浮かべてそっぽを向き、ヘンリー様に至っては私と寄り添うように座っているヒース様に敵意のこもった眼差しを向けている。
「事を起こした張本人達には反省の色が見えないようですな」
「……!!お前達も頭を下げなさい!!」
デイル侯爵に謝罪を促されようやくしぶしぶといった謝罪があった。
「しかし驚きましたな。ウィリアム医師のご紹介を断られるとは」
「その件につきましては本当に申し訳なく思っております。アルベリー伯爵からのせっかくのお申し出をこんな形でお断りすることになるとは…」
そう言ってデイル侯爵は夫人とヘンリー様を睨みつける。
ウィリアム医師は、この国ではまだ行われていない心臓手術によって多くの命を救ってきた隣国の名医だ。
なぜ隣国の名医を私のお父様がデイル侯爵に紹介することになったのか?
なぜデイル侯爵は紹介を断ったのか?
話は約3週間前、ヘンリー様の病気と余命宣告があったという話を両親から聞いた時に遡る。
◇◇◇
デイル侯爵夫人の普段のイメージとかけ離れた行動にどのような嘘が隠されているのか……。
私が思いついたのは"ヘンリー様は本当は病気ではない"という可能性だった。
『どうしたフリージア、何か思いついたことがあれば言ってみなさい』
『はい、ふと思いついただけなのですが……ヘンリー様のご病気は嘘なのではないでしょうか?
ヘンリー様の病気が偽りだとデイル侯爵夫人がご存知なら普段と異なる様子も不思議ではないと思いまして』
『確かにそれならデイル侯爵夫人の態度も納得できるけれど、実際に医師から診断を受けているのよ?』
『嘘の診断を出させた可能性があるな』
お父様が険しい顔つきで続ける。
『金でも権力でも使って嘘の診断を出させたとするとどうだ?』
『嘘の診断…デイル侯爵が指示を?』
『いや、恐らく首謀者はデイル侯爵夫人だ。デイル侯爵はそういう嘘を嫌う』
『それではデイル侯爵夫人は何のためにそのような嘘を?』
『それはまだわからん。だが放っておくには嫌な予感がする』
私もお母様もお父様の言葉に頷き、それを事実と仮定してどうすれば嘘だと明らかにすることができるのか考えた。
もし嘘の診断書をデイル侯爵夫人が出させたなら、別の医師にヘンリー様を診察されるのを嫌がるはず。
だが心臓手術が認められていない我が国でできることはない以上、デイル侯爵に"他の医師に診察してもらってはどうか"と提案しても無意味と捉えられる可能性もある。
そもそもデイル侯爵夫人がデイル侯爵からそう提案されないために、国内の名医から診断を受けている可能性があるだろう。
"あの医師の診断に間違いなどないのだから他の医師に診せる必要はない"と言うために。
『隣国のウィリアム医師に連絡をしてみるか』
『ウィリアム医師ですか?』
『ああ。あの国では心臓手術も行われているんだが、去年王弟の手術を成功させた医師だ』
『それならすでにデイル侯爵が連絡をしているのでは?手術はお願いできなくても薬で症状を和らげるといったことは可能でしょう?隣国は医療自体発展しているもの。何か少しでも延命や痛みを和らげる薬を処方してもらえないかと私なら考えるわ』
『ああ、だが相手は王族の手術を頼まれるような医師だ。連絡を取るのも容易ではない』
それならお父様でも連絡を取れないのではないか?という私の頭に浮かぶ疑問に答えるようにお父様が続ける。
『だが幸運にも私は以前隣国を訪れた際にウィリアム医師と話をする機会があってな、お互い娘がいる身で話が盛り上がったんだ。帰国してからも時折手紙のやりとりをしているんだ…だが彼に協力を要請するにはまだ早いだろう』
『まだ早い?』
『ああ。今は動くべき時ではないだろう。その時が来るのを待とう』
そして数日後、伯母様からお茶会での出来事を聞いた私達は、やはりヘンリー様は仮病だという疑いを深めた。
『"余命僅かな人格者の最期の願い" か。これを盾にフリージアと結婚するのが目的か』
『お茶会の顔ぶれも、そういう流れを作ってその目的を達成させようとしているのでしょうね。"来世では"なんていじらしいことを言って…特にヒース卿狙いの令嬢達が涎を垂らして飛びつくでしょうね』
『涎……令嬢達を利用するつもりなのだろうな。こちらはこちらで動くだけだ。早速ウィリアム医師に事情を説明して奴らの嘘を明らかにするとしよう』
◇◇◇
ウィリアム医師からお父様に協力要請について快諾の返事がきたのが昨日。お父様はすぐデイル侯爵家に従者を送り"ウィリアム医師を紹介する"と伝えた。
本当にヘンリー様がご病気だったのなら、喜んでお父様からの申し出を受けていただろう。
しかし帰ってきた従者から伝えられたのは申し出を断る旨と、その件で至急謝罪の場を設けたいとのことだった。
つまりそういうことだったのだ。
アルベリー伯爵家とフォード侯爵家両家に謝罪をしたいとのお申し出だったため、急遽フォード侯爵家で集まることが決まり、今に至る。
「なぜアルベリー伯爵のお申し出をお断りになったのか、謝罪の場が必要になったのか、詳しくお聞かせ願いたい」
フォード侯爵の言葉にデイル侯爵は重々しい顔つきで頷いた。
「アルベリー伯爵からお申し出をいただき、こんなに有難い話はないとすぐお受けしようとしたのですが妻から猛反対を受けまして…これはおかしいと問いただしたところ、ヘンリーの病気は嘘だと白状しました」
部屋中の視線がヘンリー様に注がれる。
「ご病気でなくてよかったと言うべきだろうか?それにしてはあまりにも不謹慎な嘘だ。その嘘をついた理由については我々へ謝罪したいとお申し出いただいた時点でおおよその見当はついているが、是非本人の口から聞きたい」
フォード侯爵から促されたヘンリー様の目が私に向く。
「私は……フリージア様と結婚したかったのです。どうしても諦められないと母に相談したら良い案があると…フリージア様なら"余命僅かな私の願い"と聞けば私を哀れに思って結婚してくださるのではないかと思ったのです。周りからの後押しもあれば絶対に上手くいく……そう思ったのに」
ヘンリー様が"なぜそうしてくれなかったのか"と言いたげに、私に不満気な顔をする。
「そうよ!本来であればヘンリーの願いを叶えようとするのが筋というものでしょう?」
あの繊細なデイル侯爵夫人から出たとは思えない金切り声が部屋に響く。
「お前は何を言ってるんだ?!」
「あなたならわかるでしょう?あなた自身がそうだったじゃない!!死ぬ間際の人の願いを叶えたいと思うものでしょう?」
「お前は本当に何を言っているんだ?」
デイル侯爵夫人が続けるには、夫人の父親バース侯爵が亡くなる間際、デイル侯爵が見舞いに訪れたという。
その時にバース侯爵が『娘と結婚してくれ』と願い、デイル侯爵がそれを了承するのを扉の外で聞いていたのだそうだ。
「死ぬ間際の父の願いだから叶えてくれたんでしょう?だからヘンリーも余命僅かとなれば願いを叶えてもらえると思って…」
「お前は何を勘違いしているんだ…私はお前のお父上から死に際に頼まれたからお前と結婚したというわけではない」
驚く夫人にデイル侯爵が語るには、確かにバース侯爵に『娘を頼む』と言われたそうだ。
しかし、その前に『娘のことをどう思っているのか』と聞かれて『お慕いしています』と答えたというやりとりがあったという。
「そこは聞いていなかったのか?長い人生を共に歩む伴侶を"死ぬ間際のバース侯爵に頼まれたから"というだけで決めるわけがないだろう。
たまたまバース侯爵の願いと私の思いが一致したから頷いただけだ」
「そんな……あなたの意思だったの?」
「ああ、そうだ」
「じゃあ私がヘンリーにさせたことは……」
動揺している夫人にお父様が問いかける。
「そもそも仮に思惑通りに事が運んだとして、余命宣告された期間が過ぎたらどうされるおつもりだったのですか?」
「……余命宣告は多少ずれることもありますでしょう?ですから3ヶ月が過ぎてもしばらくは問題がないかと…その後は2人の愛の力で神様が奇跡を起こしてくださったのだということに」
「めちゃくちゃだな……それでよく事を起こしたものだ」
お父様が呆れたように溢す。
するとヘンリー様がぶつぶつと何かを呟き出した。
「……なんだ……そもそも……」
「ヘンリー卿、言いたい事があるならはっきり言いなさい」
フォード侯爵の言葉にヘンリー様がばっと顔を上げた。
「これしかなかったんです!!フリージア様を手に入れるにはどうすればいいか考えましたが、他の方法では"ヒース様からフリージア様を無理矢理奪った"とデイル侯爵家が後ろ指をさされることになります!
この方法なら、フリージア様が自ら余命僅かな私のために嫁ぎに来たとなれば美談としてフリージア様を手に入れることができると思ったのに、どうしてこんなことに?いえ、そもそもフリージア様がヒース様を選んだことが間違いなのです…私は間違いを正そうとしただけです!!」
興奮気味に捲し立てるように話し終えたヘンリー様が息を整える音が部屋に響いている。
狂気すら感じるヘンリー様の様子に皆が静まり返る中、ヒース様が怒気を帯びた声を出した。
「あなたはどこまでフリージアの気持ちを無視すれば気が済むんだ……一体フリージアを何だと思って……」
怒りに震えるヒース様の手を握る。
どうか私に任せて欲しいという気持ちを込めてヒース様を見つめれば、ヒース様はゆっくり頷いてくれた。
私も頷き返すと、ヘンリー様の狂気に気圧されないように一層背筋を伸ばしヘンリー様と向き合った。
「何も間違いなどございませんわ。私はこの度のことで改めて、あの時の自分の選択は正しかったと思いました」
「あの時の?ヒース様を選んだことですか?私は納得していません!!あなたを想う気持ちは誰にも負けていないのに……なぜわかっていただけないのですか?!」
「そうよフリージア嬢、ヘンリーはここまであなたを想っているのよ?」
「よさないかお前達!!」
デイル侯爵夫人は先程のデイル侯爵とのやりとりで少しはわかって下さったと思っていたけれど、やはり一筋縄ではいかないわね。
こんな愚策を実行する方だもの、これくらい神経が図太くなければこんな事態にはなっていないわよね。
これまでの"繊細なデイル侯爵夫人"は自分の主張を通すための偽りの姿だったということかしら。
夫人の方が厄介そうね……まずは彼の勢いから殺しましょうか。
「自分本位で他者の心情にどこまでも無頓着、他者の想いの重さを自分より軽いと決めつける、自分のために多くの人々を巻き込んだことを悪びれる様子もない……。
そんな傲慢な方のどこを好きになれとおっしゃるの?」
戸惑った顔で尋ねてみると、口をぽかんと開けて呆気に取られていたヘンリー様の顔が徐々に真っ赤に染まっていった。
「なっ、なっ……」
怒りのためか恥ずかしさゆえか上手く言葉を紡げないヘンリー様に代わり、デイル侯爵夫人が声を張り上げる。
「なんて失礼なの?!ヘンリーはとても優しい子よ!!」
「優しい方は病気を偽り愛し合う者同士を別れさせようとはしません」
「……!!」
ここまで来てもまだ自分達の行いの醜さを認識できていない2人には呆れるしかない。
「ナタリア様のことはどうお考えなのですか?お2人の嘘で進めていた結婚式の準備も台無しにされ、婚約解消にまでされたのですよ?」
「それは少しは申し訳ないとは思っているが、彼女を犠牲にしてでも私はあなたと…」
「本当に勝手な方……自分の視点からしか物事を見ることができないのですね。他者の気持ちなど取るに足らないものとお考えなのではないですか?そうでなければそのような発言が出来るはずがありませんもの」
思わず溜息交じりの言葉がこぼれた。
恐らくこれまでヘンリー様は自分の思い通りにならないことなどなかったのだろう。
だからこそ自分の思い通りにいかなかった私にここまで執着しているのかもしれない。
「では、お2人の計画に乗せられて社交界での居場所を無くした方についてはいかがですか?彼女達の自業自得な部分も勿論ありますが、あなた方がついた嘘が、今後の彼女達の人生を狂わせるきっかけになったことは間違いないでしょう」
恐らくヘンリー様達以外でこの先の人生が一番狂うことになるのは、先日の夜会で騒ぎを起こしたシンシア様達5人だ。
だが2人はこれから彼女達に何が起きるのか理解していない、するつもりもないのだろう。
「私とフリージアも、あなたのついた嘘で人生を狂わされていたかもしれなかった。そうならないで済んだのは、フリージアが強くあってくれたからだ」
ヒース様の怒りが滲む声が、静かに部屋に響く。
「あなたの嘘に踊らされフリージアに心無い声がどれほど届いたことか……。フリージアが傷つかなかったと?フリージアを本当に愛していたら、フリージアが傷付く方法など取らなかったはずだ」
「私は本来の正しい形に戻そうとしただけだ!!それに周りが勝手にしたことだろう?!私には関係ない!!フリージア様を傷付けたのは私じゃない!!」
「あなたの嘘が全ての発端だ。そもそもデイル侯爵夫人のお茶会も、最初から彼女達を利用する目的で設けたのでは?」
ヒース様に図星を突かれた2人の顔色が悪くなる。
「ヘンリー様に同情しヘンリー様の願いを叶えようと動きそうなご婦人方、そしてヒース様を慕うご令嬢をお持ちのご婦人方ばかりお集めになっていたようですわね?モーランド伯爵夫人まで招待されたのは、大方情の深いモーランド伯爵夫人に姪である私の説得を期待したのでしょうけれど、誤算でしたわね」
デイル侯爵夫人は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
「あなた方はフリージアが彼女達の心無い言葉に折れることを期待していた……そのために彼女達を利用したんです」
ここまで言われてもなお、ヘンリー様は"だからどうした"とでも言いたげな態度だ。
「ヘンリー様、あなたが本当に愛しているのは私ではありませんわ」
「何をおっしゃるのですかフリージア様っ!!私が愛しているのはフリージア様です!!」
「ご自身ではおわかりにならないのでしょう。私があなたの想い人を教えて差し上げます。
ヘンリー・デイル様、それがあなたの想い人の正体です」
「……!!」
ヘンリー様は誰よりも自分を愛している。
だからこそ私を愛していると言いながら傷つけることができるのだ。
自分を愛しているからこそ、自分の幸せしか頭にない。そのせいで傷つく者達がいるという現実に目を向けるつもりもないのだろう。
「私は、自分の目的のために他者の犠牲も厭わないあなたを心から軽蔑いたします。そんな方のために私は私を犠牲にしません」
嫌悪を込めた眼差しを向ければ、ヘンリー様の表情が崩れる。
だがその悲しげな表情に同情など湧くはずもない。
「ただこの度のこと、1つだけ感謝したいことがございます。お陰様で、私を真に大切に思ってくれているのは誰なのか改めて知ることができました。その事だけは感謝申し上げますわ」
心からの笑顔を浮かべて言い切ると、ヘンリー様は今にも泣き出しそうに顔を歪めた。
デイル侯爵夫人はヘンリー様の隣で口をわなわなと震わせていたが、上手く言葉が見つからないようで悔しそうに唇を噛み締めた。
「フリージア嬢、本当に申し訳ない。ヒース卿にも本当に申し訳なく思っている。
改めて、フォード侯爵家とアルベリー伯爵家の皆様には愚妻と愚息の私情で多大なる御心労をおかけして、誠に申し訳ありませんでした。この度の不始末、決して謝罪だけで許されるとは思っておりません」
「ではどう後始末をつけるおつもりかな?」
深く頭を下げたデイル侯爵がフォード侯爵の言葉に顔を上げると、その顔からは固い決意が見てとれた。
「全て公表した上で、ヘンリーには自らの嘘の通りに死んでもらいます」
「……!!」
「あなた何をおっしゃるの?!」
「貴族としてだ。貴族として遵守せねばならない婚約という契約をヘンリーは無下にした。全く同情の余地もない自分本位な動機のためにな。
もはやヘンリーに貴族を名乗る資格はないのだ。
ナタリア嬢にも改めてお詫びをしなければならないだろう」
「私を貴族籍から除籍するとおっしゃるのですか父上?!」
「私は反対よ?!」
抗議する2人にデイル侯爵は厳しい態度を崩さない。
「自分達の罪を真に理解していれば異議など出せるはずもないのだがな。何も理解していないということがよくわかった」
デイル侯爵の言葉から溢れる、ヘンリー様への深い失望と揺るがない決意。
取り付く島もないということがわかったのだろう。ヘンリー様は全身から力が抜けたかのように深く項垂れた。
「カーラ、無論お前もこのままにはしておけん。愚策を掲げ積極的に行動したお前の罪はヘンリー以上に重いだろう。お前の行動で多くの貴族を巻き込み、両家に多大なるご迷惑をおかけしてしまった。
お前の愚策愚行のために、デイル侯爵家はこれまで築き上げた名誉も信頼も失うだろう。その事態を引き起こしたお前をデイル侯爵家の女主人に据えていては、迷惑をかけた他家に示しがつかん」
デイル侯爵夫人が息を呑む。この後に続く言葉がわかったのだろう。
「カーラ、お前と離縁する」
「嘘ですわよね?絶対に嫌よ!!こんなことであなたと離れるなんて……」
2人はしばらくの間押し問答を続けていた。
苦しげに突き放すデイル侯爵に頑なに離縁を拒み泣き出した夫人。周囲は重い空気の中2人を見守っていたが、お父様が夫人に声を掛けた。
「デイル侯爵夫人はデイル侯爵を心から愛していらっしゃるのですね」
「ええ、当たり前ですわ!!」
「ならフリージアの気持ちもおわかりいただけるのでは?フリージアとヒース卿はお互いを大切に思い心から愛し合っています。あなた達はそんな2人を引き裂こうとしたのですよ」
お父様の言葉にぴたっと涙が止まったデイル侯爵夫人は気まずそうな顔をした。
しかしそれも一瞬のこと。
すぐにまた離婚したくないと縋り始めた。
その様子を見て、お父様とフォード侯爵が顔を見合わせ軽く頷く。
「この場ですべき話は済んだでしょう。後はそちらで解決してください。細かいことはまた後日改めて」
フォード侯爵の言葉にデイル侯爵は再び頭を深く下げると、従者に指示し放心状態のヘンリー様と縋り付く夫人を連れて退室して行く。
扉が閉まると部屋に安堵の空気が流れた。
「いち段落といったところですな」
「ええ、まったく……予想以上に疲れましたな」
お父様とフォード侯爵は溜め息を吐き、苦笑しながらお互いを労わる。
それから私もフォード侯爵にお褒めの言葉と共に嬉しい言葉をいただけた。
「フリージア嬢がヒースの伴侶として並ぶ日が楽しみだ」
「ありがとうございます、フォード侯爵」
温かい眼差しに囲まれた今をしみじみと噛み締めながら、ようやく騒動の終わりが見えたことにほっと胸を撫で下ろしてヒース様とお互いを労わるように微笑み合った。
※※※
謝罪からしばらくして、デイル侯爵家からこの度の騒動とそれに伴う処遇が公表された。
ヘンリー様のご病気が嘘であり、その嘘で大勢を巻き込み、自身の婚約を蔑ろにするだけでなく他家の婚約に干渉しようとしたことが事細かに公表されると、改めて私に多くの謝罪文が届いた。
次にヘンリー様とデイル侯爵夫人の処遇だが、これはデイル侯爵の宣言通りの処遇になった。
ヘンリー様が貴族籍から抜かれ平民になると、デイル侯爵夫人も離縁され元のご実家に戻されたそうだ。
しかし彼女も現バース侯爵家の当主になっているデイル侯爵夫人の兄から貴族籍を抜かれたため、ヘンリー様と同じ平民になったという。
恐らく2人で暮らしているのだろうが、今までの生活と掛け離れた生活に自分本位な2人がどこまで耐えられるのだろうか。
今までの生活と掛け離れた生活を送っているのは彼らだけではない。
公爵家の夜会で騒動を起こしたシンシア様達5人のご令嬢達の生活も激変した。
あの日のシンシア様達の発言は、瞬く間に社交界に広まった。
その結果どうなったのかというと、彼女達は皆それぞれ"余命僅かな者の願い"を叶えるために嫁いで行ったのだ。
ミア嬢とローラ嬢は老男爵の後妻に。
アデル嬢は大病を患っているという老子爵の妻に。
デボラ嬢は寝たきりの子爵の長男の妻に。
そしてシンシア嬢は老伯爵の後妻になった。
"社交の場では何気ないつもりで発した言葉が取り返しのつかない事態を巻き起こすこともある"
あの日、発言をその場で撤回していなかったことで、それが彼女たちの意思だと決定づけられた。
そのために、彼女達の失言を手ぐすね引いて待っていた者達に利用される羽目になったのだ。
『最期の願いと望まれたら叶えて差し上げるのが当然のこと、とおっしゃっていたのでしょう?』
『最期に若い女性に世話を頼みたいと父が望んでおりまして、貴女のことを話したところ是非伴侶にと』
『まさか断るなんてことはないでしょうな。あの時の発言、私は大変感動したのですよ』
羽目になったと言ってしまったが、これはこれで彼女達は本望なのかもしれない。あれほど熱く"最期の願いは叶えるべきだ"と語っていたのだから。
彼女達にはどうかその崇高な理念を体現していただきたい。
ちなみに嘘に振り回され婚約解消になってしまったナタリア様には新たな縁談があり、新しい婚約者にとても大切にされていてお幸せそうだ。
さて私はというと、暖かい日差しがステンドグラスから降り注ぎ色鮮やかな光が満ちる教会で、これまでの日々を振り返りながらゆっくりとヒース様の元へ向かっている最中だ。
目に涙を浮かべるお父様の腕に手を添え、一歩ずつ歩みを進める。
幻想的な光景の中で私を待つヒース様の姿を捉えると、緊張とは異なる胸の高鳴りを感じた。
近づくことに大きくなる心臓の音を少し恥ずかしく思いながらもヒース様の元へ辿り着くと、そっとお父様に右手を取られヒース様の手に重ねられる。
お父様にこれまでの感謝の思いを込め微笑むと、お父様は優しく微笑み返してくれた。
そのままヒース様と並び祭壇へ進むとステンドグラスが一段と輝き、私達を祝福するかのような春の柔らかい光が降り注いだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
至らない部分も多々あったと思いますが、ここまで読んでいただけたこと、心から感謝致します。
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