壱−2 夏の殺人鬼
うだるような夏の暑さが猛威を振るう8月初旬。
帝国ランスホルストの南方交易都市の一つ、マーストンキーでは市場が賑わっており、暑苦しいまでに照りつける太陽の光を受けて野菜や魚の雫がきらめく。近場のビーチでは観光客が海水浴や日光浴に興じている。
陽気な音楽がそこかしこで鳴り響き、大人から子どもまで老若男女が騒がしく夏を謳歌していた。地元民らに少しよそよそしい様子が見られたのは否めないが。
そんな街の一角。今しがたそこそこ大きな建物からボロ布を身に着けた少年少女が雪崩のように飛び出してきた。陽気な祭りとは違う剣呑な雰囲気を持っている。そしてカラスのように黒い髪と眼を持つ少女が民衆に取り囲まれていた。
「人殺しめ!」
身に覚えのない単語である。シーラフィーナは首をひねった。その緩慢な動作が気に障ったのか、彼女を罵った男は激昂した。胸ぐらをつかみ唾を飛ばして叫ぶ。必死に何かを訴えている。けれどやはり彼女には覚えがなく眉根を寄せて困ったような顔をした。
「待ちなさい。彼女がそうだとお決まったわけではないじゃろう」
「けどっガス爺!」
「奴らはどうやら奴隷商のようじゃ。そこに捕まっていた彼女が昨日の事件を起こしたとは考えにくい」
「それはっ⋯⋯」
民衆をかき分け前に進んで出てきた老人は彼女を罵る男を制止した。誰もがいきり立つさなかに冷静なことだ。ジリジリと焼けつくような日光の下、沈黙が彼らを襲った。
シーラフィーナは夏の暑さをものともせず⋯⋯なんてことはなく、滝のように流れる汗を拭っては拭い、息も絶え絶えに干からびかけていた。ただでさえムワッとした熱気のこもった地下牢に閉じ込められ、水分もろくに取れていなかったのだ。夏の暑さに頭と身体がやられてしまった。
「もう、ホントむり⋯⋯」
「あっ おいっ!」
頭から湯気を出してその場でバタリと倒れてしまった。騒ぎになったのは言うまでもない。
□□□
日が暮れかけ、涼しい海風がそよぐ夕方。彼女は下の階からドタドタと駆け上がってくる騒々しい足音で目を覚ました。のそりと床に敷かれた粗末な布の上で身体を起こす。心優しい誰かが介抱してくれたとみえる。
枕元にローブや杖が置かれており、『お大事に』と記された小さなメッセージカードがついていた。あの青年が届けてくれたようだ。
足音はまっすぐこの部屋に向かってきており、大きな音を出して扉が開かれた。壊れたと言い直そう。扉が壊れたのである。
「よかったー! もう目覚めんのじゃねーかと心配したんじゃぞー!」
筋骨隆々な大柄の老人が壊した扉を踏みつけにして部屋の中へ入ってくる。ガス爺と呼ばれていた老人である。手には氷水をいれた桶があり、水の入ったボトルが冷やされていた。
それを受け取って老人の話を聞くと、彼女が倒れてから彼が抱えて自宅に連れ帰ったのだという。殺人鬼かもしれない少女を連れ帰ることにみんな躊躇いがあったらしく、ガス爺が介抱してくれなければ今頃彼女は炎天下に放置か私刑にあっていただろう。部屋に明かりをつけながら安心したように話す彼に、さすがの彼女も顔が引きつるのを抑えられなかった。
「爺さん、私になんか手伝えることある? お礼させてほしいんだけど」
「ほほう! いい子じゃのう!」
人殺しだと決めつけてきた若者を制止して、そのうえ熱中症になったの彼女をこんなにも手厚く介抱してくれた。シーラフィーナは老人の親切に感謝した。彼は嬉しそうに笑ったが、ふっと笑みを消して苦しそうな表情で膝をついた。
「ワシはガスト、この街の代表じゃ。お前さんは痣持ちの魔法使い、そうじゃな?」
「そうだよ。シーラフィーナ。よろしく」
シーラフィーナの顔面の右側の耳から頬にかけて黒い痣が走っている。これは魔法に関して格別の才能を有する者に現れる『魔女の祝福』である。それをひとなでして、目の前の老人を観察する。
ガストの眉間に寄ったシワは歳のせいだけではないだろう。言い出しにくそうに、それでも背に腹は代えられないと思いきって言葉を口にする。
「この街でな⋯⋯おぞましい人殺しが出たんじゃ」
「みんな言ってたね。それってどんな?」
「凶器はわかっとらんが、身体の内側から食い破られたような仏さんじゃった」
「うわ⋯⋯趣味が悪いな」
その遺体は食事をするような格好で椅子に縛りつけられ、四肢や腹が変形し、首がかろうじて繋がっているような状態で発見されたという。臓器が一部紛失しており、その他冒険者もまた同じようなものだった。想像しただけで顔をしかめたくなる内容のグロさに辟易する。
観光客や住民にこれ以上被害が広がればこの小さな街は収益が落ち経済的に追い込まれるうえ、恐怖が充満して皆がおかしくなってしまう。
「彼奴を一刻も早く取り押さえねばならん。それでその⋯⋯打算もあって、お前さんを助けたというわけじゃ。あぁ、お前さんがその殺人鬼ではないとはわかっておるからな。安心してほしい」
「はーん?」
「まだ若いお前さんにこんなことを頼むのもどうかと思っとる。じゃがもうこの街には騎士団を雇うほどの金はない」
「そうなんだ? てっきり栄えてるものと思ってたけど」
昼間に見た市場は繁盛しているように見えた。隣町に大きな交易都市があるのにかなりの観光客が訪れている。観光が栄える都市は金銭的な余裕があるものではなかったか。首を傾げるシーラフィーナに、ガストは苦笑いした。
「この街は帝国の南に位置しているが、冬場は厳しい寒さでな。皆それに備えるために売り上げのほとんどを使ってしまうんじゃよ。冬は長いからのう。食糧も灯油もありったけ用意せねばならん」
「へぇー。夏は酷暑で冬は極寒。すごい街だね」
「元々は年中暖かかったんじゃがの」
気候変動はやむを得ない事情だ。蓄えるための時期に殺人鬼の出没など、街の代表としては頭の痛い案件だったのだろう。
ガストは冒険者や帝都の衛兵に頼んでも解決しない事件を痣持ちの魔法使いなら何とかしてくれるかもしれないと、藁にもすがる思いで彼女に頭を下げた。
「頼む。彼奴をなんとかしてくれんか。礼は時間がかかるかもしれないが必ずする。この通りじゃ。皆も怯えとる。もうお前さんしかおらん。痣持ちのお前さんならなんとか⋯⋯! 頼む!」
街の代表として住民や観光客が襲われるのは非常に耐え難いことだ。大きな身体を丸めて頭を下げる彼から切実さが伝わってくる。シーラフィーナは目を丸くして小さく笑った。
「顔を上げてよ、ガス爺。私から何か手伝わせてほしいって言ったんだ。やるよ」
「⋯⋯ひ、引き受けてくれるのか?」
「もちろん。任せてよ」
力強く頷く彼女を見て、事態が好転するのではないかと希望を見出す。ガストはほっと胸をなで下ろした。
「それに話を聞く限り、そんな芸当ができるのは魔法使いくらいでしょ。なら私を助けたガス爺の判断は正しかったってことだよ。大丈夫。何とかしてみせるから」
「⋯⋯では、頼むぞ」
シーラフィーナにはある魔法使いに心当たりがあった。こんな暑い夏場にローブを脱ごうとしない魔法使いをマーストンキーに来る途中で見かけたのだ。刺繍の美しいローブの魔法使い。あの男を追うのが手っ取り早い。大きなミッションを抱えた彼女はガストと固い握手を交わした。




