最終話
この街一番の巨大施設、地下闘技場には今日も人が入り浸る。英雄の失踪から若干の選手が減ったものの、依然娯楽としての賑わいを見せていた。
そんな中、落ち着いた雰囲気の男が一人、バーの前で立ち尽くしている。
「――ご注文は?」
マスターは特に触れずに、ただの客として接した。
「マスターのおすすめを下さい」
「畏まりました」
金属製の容器を取り出し、背中合わせのカップにお酒を注いでいく。
しばらく無言の作業が続いた後、先にマスターの方から話を切り出した。
「ちゃんと考えてきたみたいですね」
カウンターに座る少年を見据えて小さく笑った。
「結論を聞かせてください」
セルフィウスはマスターから差し出された、透き通るような蒼いカクテルを眺める。
「澄んだ川に流れる水みたいな、とても綺麗な色ですね」
ふと思った感想をそのまま口にしてから、話し始める。
「……夢のような五日間でした」
グラスの付け根を指で摘み、上品に口へと入れていく。
その味はワインと比べ物にならないほど飲みやすく、少年の期待したジュースのような甘さだった。
「子供らしく、自分のために生きてみて。何が好きで何が嫌いで、自分がどんな人間なのか。考えて、考えて、考えて……考え抜いた結果――」
達観した瞳で、マスターを見上げて。
「何も考えないことにしました」
冗談ではなく、真剣にそう言った。
「……経緯を伺っても?」
マスターは少しだけ心に不安を孕んで聞き返す。
「考えれば考えるほど、それは間違ってるぞって頭は言ってくるんです。本当は間違ってなんかないのに、間違っている理由を探し続けてる。今回わかったのは、意外と頭は信用できないなってことです」
本能で動いた方が、より幸福を得られる。
冷静になってみれば当然のことだが、その当たり前にすら、今までは気づけていなかった。厳密に言えば、気づいてはいたが、その価値を見誤っていた。
「人のために生きるのをやめて、自分のために生きてみて。その途中で、また人を助ける羽目に遭って……それで気づきました。結局僕は、人のために生きるのが好きみたいです」
内実にホッとした様子でマスターは聞き返した。
「そこでは一体どんなことが?」
「身体が勝手に動きました。いつもの癖で、考える前に、つい人を助けていたんです。言ってしまえば職業病なんですけど……そこに嫌な気持ちは一切ありませんでした」
そっと胸に手を当てて少年は微笑む。
「信じるべきは頭じゃなくて、心と身体なんですよ。反射で動いたり、時間を忘れるほど夢中になったり……そういった体験が僕には必要でした」
後ろで歓声が巻き起こった。
休憩がてらセルフィウスはカクテルを飲み干し、そのままおかわりを宣言する。
「……では、どうするんでしょうか」
再び手を動かし始めたその最中。
子供と大人ではなく、対等な一人の客としてマスターは接した。
「あなたは街を守ることに疲れていた。それは頭で考えたことではなく、心と身体の問題です。それでもあなたは、人助けを続けるのですか?」
実に真っ当で、されど少年にとっては既に解決済みの質問だった。
「人助けは、好きなことだけじゃない。きっと、続けていれば苦しい時もあるし、辞めてしまおうかと思う時もある。それでも、そんな嫌な部分も全部引っくるめて、僕は人助けが好きなんです。それは、身体が教えてくれた」
フワフワとした気持ちのいい感覚のまま、セルフィウスは想いを連ねる。
「考えてみれば当たり前なんです。何の不快感も無く、ただ幸福で居続けられるものなんて、それこそ天国にしかないですよ。むしろ嫌いなところも認めて好きになる方が、ずっと健全で、素敵だ」
外見は五日前と何ら変わりない、ただの未熟な少年だったが。その中身は打って変わって、大いなる自信で満ち溢れていた。
「僕はもう、自分が人助けを好きだと知っている。揺るぎない事実だと理解してる。だから、これ以上は悩みません。考える意味はありましたが、今後は必要ない。少なくともこの理論を正しいと思っている間はね」
「……自分を見つけられた様で、良かったです」
マスターは静かに微笑んだ。
丁度完成した紅色のカクテルに口をつけて、セルフィウスはクスリと笑う。
「勢いでカッコつけちゃいましたが……結局、いつもの僕に戻っただけなんですけどね。ちょっと大人になった気はしますけど、まだお酒は甘い方が好きです」
「揺るぎない事実のようですね」
「やめてくださいよ」
もう暫くマスターとの談笑を楽しんだ後、程なくして少年は帰宅した。
◇◆◇
太陽が大地を照らす、白昼の中。
魔王軍と思しき魔物の集団を、今日も少年はたった一人で討伐する。
その光景は以前と何ら変わりない。
特に実力が上がったわけでも無く、セルフィウスは常に敵を見逃す恐怖と闘っている。
変わらないのは街に戻ってからも同じだった。
「汚い体で街を歩くな」
「今日のは煩かったぞ」
「もう少し静かに戦えないのかしら」
「こっちは税金を払ってるんだ」
「もっとしっかりしろ」
あれから幾分か時が流れ、住民は再び平和に慣れた。
平和であることを当たり前とし、その平和を守っている人間には不満を並べ、毎日を過ごしている。
少年はポジティブに考えることにした。
自分に不満が向いているうちは、街は安全なんだと。
それに――
「あんな奴ら気にするなよ、セルフィウス」
「本当、いつもありがとうね」
「お前のおかげで、みんな助かってるよ」
「兄ちゃんかっけー!」
以前からこうやって励まし、感謝してくれる人間も、確かに存在している。
自分の状況も、結局は家出をする前とほとんど同じだ。
特に疑問に思うこともなく、ただ人の為に生きている。
ずっと楽しめているわけではないし、ずっと続けられるわけでもない。完璧にこなすことはできないし、時には辞めたくなることもある。
でも。いつだって、そこには尊厳がある。
それさえあれば心が揺れることもなかった。
少年は、笑顔で晴れ渡る空を見上げた。




