第3話
「あの、そろそろ名前を聞いてもいいですか? 僕はセルフィウスって言います」
籠を担ぐ少女をさらにおぶって少年は問う。
少女は「リベラ」と一言口にして、目まぐるしく変わる周囲を眺めている。
「リベラさんはどうして山の上に行きたいんですか?」
先ほどセルフィウスはそう頼まれた。あれだけ身体能力が高ければ、自分を運んでいくことも可能なはずだと。
「……見てみたいから」
背中でリベラはボソリと呟く。
少年にはその意図がよくわからなかった。
「それは、山からの景色とかですか? ――よいしょ」
雑談と並行して、急な斜面を構わず突き進んでいく。
「逆。もっと近くで、山を見たい」
益々意味不明な答えにセルフィウスは首を傾げる。
「近くで見たら、森と大して変わんないと思いますよ」
率直な意見を述べたつもりだったが――
「それは違う」
と、力強く否定された。
「似てるようで、違う。ホントだよ」
背負っていて少女の表情は見えない。
しかし「どう違うんですか」と軽く深掘りをしてみれば。
「わかりやすいのは、生態系。山は、高低差があるから。森と比べて、ちょっと進んだだけで、気温が変わる。だから、少し標高が違えば、生息する植物も動物も、変わってくる。動物は、特に顕著」
待ってましたと言わんばかりに、生き生きとした声色でリベラは語る。
聞かずとも自然が好きなのだと理解できた。
「だから、近くで山を見たい。けど……親が、夜には帰れって、うるさいから。いつも、上の方まではいけないの」
「そういうことだったんですね」
それでセルフィウスを利用した。
随分と自分勝手な行動だと少年は思う。
ただし目的と意思がはっきりしている以上、少女に対して不快感を抱くこともなかった。
むしろ、若干の憧憬が湧いていた。
何の憂いもなく好きを貫くその姿勢が、セルフィウスは確かに羨ましかった。
「――もうすぐ山頂ですけど、ここらで降りますか?」
「ん。ありがとう」
常人では半日近くかかるであろう山道をものの十数分で踏破した少年は、ゆっくりとリベラを背中から下ろす。
「あとは一人で帰れるから。もういいよ」
突き放すような物言いではなく、もう無理して自分に構う必要はないという、配慮の混じった口調だった。
「そんなこと言わないでくださいよ。リベラさんが嫌じゃなければ、最後まで付き合わせてください」
すぐさま振り返った少女の瞳はキラキラと輝いていたが、絞り出すように喉から出てきたのは。
「あなたは、それでいいの?」
それはセルフィウスにとって、先ほど答えられなかった質問の繰り返しに聞こえた。
「はい。僕がやりたいんです」
今度ははっきりと言い切った。
◇◆◇
「ちょ、そんなに先に行かないでよ……! 見えなくなっちゃう」
少年はもつれる足を何とか整え、子供らしくはしゃぐ少女の後を追いかける。
山の上は霧で満ちていた。
「すごい! 雲の中! 初めて来た! はぁ、はぁ」
息を切らしながらも、興奮で止まらないリベラ。
しかし道中の巌上で足を滑らせ、勢いよく空を仰いで転倒する。岩に頭をぶつけるところを、背中の籠が直前で防いだ。
「……はぁ、はぁ……あっはは」
籠に身を任せてゆっくりと回転し、その場に横臥する。
「さっきも危ないって言ったのに――わあ!?」
遅れてやってきたセルフィウスも盛大に横転する。
凹凸が激しく転びやすい山道とは性質の違う、滑りやすい地面だった。
「いて……なんかこの辺り、ヌルヌルしてるような」
「霧と、あと苔のせい。雲がある高さだと、木と岩には苔がいっぱいできるみたい」
お互い横になったまま二人は見合わせる。
「ね、全然違うでしょ?」
「うん。痛いくらいわかった」
「それ、ホントに痛いだけ」
くすりと笑みが溢れた。
「ねえ、他にももっと教えてよ」
「私も、来たことないから、全部は知らない」
「わかったことだけでいいからさ」
毎日が街の防衛で手一杯な少年。
人口が少ない集落の孤独な少女。
どちらも同い年の異性と戯れるのは、初めてのことだった。
「根っこが捩れてる!」
「葉っぱが違う!」
「匂いが変!」
新たな自然に触れ、あっという間に時間は過ぎていく。
二人が気付かぬ間に太陽は沈みきっていた。
「どうしよ。セルフィウス、帰れる?」
「降りることは出来そうだけど、リベラの村がどこにあるかまでは……」
いっぱいになった籠を担いで、彼は俯く。
「なら、野宿しかないね」
「……大丈夫なの? 両親は怒るんじゃない」
「一回くらい、いいよ。仕方ないし」
「それに――」と続けて、少女はいたずらに笑みを浮かべた。
「あなたと、もっと話したいし」
少年は一瞬言葉を失った。
こんな風に誰かに言われたことは、これまでなかった。
「……僕も」
しかし、そんな生まれて初めて抱いた感情とは全く関係がなく。
セルフィウスにはどうしても聞きたいことがあった。
◇◆◇
下山後、少年の作った穴の前で二人は焚き火をした。
「こうすれば、魔物も獣も、寄ってこない。野宿の初歩」
「へー、知らなかった……」
慣れた手つきで火をつけてみせた少女に、感嘆の声を漏らすセルフィウス。
「色々ありがと。今日は、楽しかった」
「僕の方こそ。リベラとの一日は、本当に楽しくて、充実してて…………幸せだった」
こんな日がずっと続くのも、悪くないのかもしれない。
でも、ずっとは続かない。
「リベラは夢中だったよね。山で過ごしてた時は、全部に」
「うん。でもそれは、そっちも同じ」
少女の言葉に、セルフィウスは同意しなかった。
「違うよ。似てるようで、違う」
確かに自分は没頭していたが。
それは、はっきりと自覚したものではなく。
少なくとも、リベラほど高尚じゃない。
でも、後ちょっとで、それが何なのか、少しだけわかる気がする。
「リベラは、自然が好きでしょ」
「うん。好き」
「森や山を見て、触れて、自然を知って、自然を感じることが……堪らなく好きでしょ」
「言い方が、恥ずかしいけど」
少しだけ、頬を赤らめる。
「……でも。それだけじゃないはずだ」
真剣に少女を見据えて、少年は大きく息を吸った。
「今朝みたいに魔物に襲われるのは、好きじゃないはずだ。上で転んだ時も、あの時は楽しかったかもしれないけど、普通は嫌なはずだ。自然を感じることが好きで、楽しいなら――逆に自然を感じれない時は、好きじゃないし、なんら楽しくはないはずだ」
リベラは無言で薪をくべる。視線はセルフィウスではなく、眼前の火へと落ちていた。
「どれだけ嫌なことがあっても。楽しい時が一瞬だけだったとしても。それでも君は、自然に触れることをやめない。そうでしょ?」
「うん」
ノータイムで返事が返ってくる。
「それは……どうして?」
「自然が好きだから」
両者はしばらくの間口を閉ざした。
「…………それだけ?」
「他に何が要るの」
何当たり前のことを聞いているんだと、首を傾げて少年に目を向ける。
セルフィウスは、唖然とした。
火が薪を焼く音だけが静かに響く。
ただ瞳を丸くして、瞬きを繰り返していた。
そっか。
そうだったんだ。
穏やかな顔つきで炎を見つめて笑う。
「わかっていれば、要らないんだ」
少年は気づいた。
「リベラ。やっぱり帰ろうよ」
立ち上がって、静かに周りを見渡す。
「帰るって、場所がわからないのに、どうやって?」
「少し強引な手を使えば、わかるんだよ。リベラと話すのが楽しくて、まだ一緒にいたかったから、黙ってたんだけど」
少女に向け手を差し伸べて。
「それに……やっぱり親は心配するよ。たとえ一日だけでも。きっと、僕たちの想像の何倍も心配してる。書き置きがないなら、尚更。いいや……あってもダメだよね」
頭のどこかでわかっていたものの、心の奥に押し留めていた感情。
「自己中だ。これは自己中心的なだけで、決して自分のためじゃない」
家出をして四日目の夜。
セルフィウスは自分のために、街へ帰ることを決めた。




