第1話
ゴブリン、オーガ、ガーゴイル。
ゴーレム、コボルト、サイクロプス。
その数、およそ200体。
中央のリーダーらしきデュラハンが剣を掲げると、それらは雄叫びをあげ一斉に街へと襲いかかる。
対するは唯一人。
少年は躊躇なく城壁の上から飛び降り、迫る敵勢力を見渡した。
「よし、頑張るぞ!」
この街の見張りはただ外を見るだけの存在。
門番は、ただ門前に立つだけの存在。
「はあ!」
息を吸うように少年は敵を屠る。
警鐘は鳴らない。
「せいっ!」
微かに聞こえる戦火の音も、市民にとってはただの環境音の一つでしかない。
「とりゃ!」
街の平和は誰もが疑わない。
それ程にこの男は、圧倒的だった。
だが、万に一つというものは起こり得る。
「――っ! しまった……!」
視界の端を一つの影が掠める。
少年が見落とし、取り逃がした一匹のガーゴイルは、疾風の如く街を襲った。
◇
魔王軍の攻撃は三年目に至る現在まで続く。
数日おきに魔物の軍勢が城を落としにかかる日々。
初の襲撃当時、運悪くその地の領主だった貴族は、騎士に加えて冒険者を雇い、速やかに迎撃体制を整えた。襲われては追い返し、なお無限に沸き続ける敵に、際限なく資金と資源が割かれていく。
そんな中、救世主は現れた。
名はセルフィウス。
平凡な家庭で生まれた平凡な人間。
戦闘力というただ一点を除いて。
力の使い方を間違えないように、両親から入念な教育を施されたのか。将又、生まれながらに善だったのか。
十四歳になる今の今まで。
ずっと、人の為に生きてきた。
「ウチの家をどうしてくれるんだ」
「驚いて子供が泣いちゃったわ」
「せっかく商売が軌道に乗っていたのに」
「街を守るのがお前の役目だろ」
理由は単純。
感謝されると嬉しいから。
役に立てたと実感できるから。
「ふざけんな」
「許せない」
「信じてたのに」
「見損なった」
被害を受けた住民は帰還したセルフィウスに向かって罵詈雑言を浴びせる。
「……ごめんなさい……」
言い訳はなかった。
よく考えずとも悪いのは完全に自分だ。
「壊れた家や商品は弁償します! なので、どうか落ち込まないでください」
「……ったく。それくらいは当然してもらわないと困るよ」
「次やらかしたら分かるだろうな」
「ホント、迷惑だわ」
非は間違いなくこちらにある。
ただし、それはそれとして。
少年は最近、自分が何のために街を守っているのかが、わからなくなっていた。
◇◆◇
深夜、中々寝付けずにいたセルフィウスは街の中央にある『地下闘技場』へと赴いた。
親の言いつけで行ったことがなかった場所。
少年にとっては大人の遊び場という認識だった。
決して静かではないが、すれ違う人間の多くはどこか落ち着きを感じる。
辿り着いた観戦フロアは階段上に席が設けられ、どこからでも中心の試合を観戦できる構造になっていた。観戦席を登った先にはスペースがあり、賭博を行う窓口や酒を提供するバーのような施設が設けられていた。
「――ご注文は?」
初めての夜遊びで興奮した少年は、弾み震える声を抑えてカウンターへと腰掛ける。
「あそこの、赤いお酒をください」
「畏まりました」
振り返れば、上方から戦士たちの試合を一望できた。
ただし闘いを集中して観たいのなら、もっと近くの観客席へ向かった方が良さそうだ。
「どうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
ボトルからワインを直接注がれたグラスを差し出される。恐る恐る口にしてみたが、想像していたジュースのような味ではなく、独特な渋みと苦味が口内を支配する。
「飲みやすく致しましょうか」
顔を顰めるセルフィウスにマスターは気を利かせたが、肩肘を張る少年は「いえ、結構です」と首を振った。
遠目で闘いを眺めながら、時間をかけてグラスの中身を減らしていく。試合内容に興味はなく、ただ漠然と、人生について考えていた。
なぜこれまで人助けをしていたのか。
理由は考えればわかる。
故郷を守らなければいけないから。自分にはその適性があるから。
人から感謝されるのは嬉しいから。
人から頼られるのは嬉しいから。
でも仮にこれが正しいとするのなら。
感謝されなければ、頼られなければ、居場所は『居たい場所』から『居なくてはいけない場所』に変わる。
「……はあ」
ため息と同時に、頭の片隅にあった愚痴が溢れそうになる。
「街の英雄ともなると、日々の心労は想像を絶するでしょうね」
少年の酔いがまわって来たところで、マスターは仄かに笑みを浮かべて声をかけた。
「ここでの話はどこにも渡りません。何か悩みがあるなら、どうぞ吐き出して楽になってください」
セルフィウスは弱音を吐いたことがなかった。それは今まで心の内に押し留めていたのではなく、弱音を吐くほどの経験をしてこなかったから。
「……街を守るのが、疲れました」
一度は慎んだ本音が、流れるように溢れ出していく。
「敵を倒しても感謝されないし。むしろ不満を言われるし。失敗した時には、もう酷いですよ。もちろんそれは僕が悪いんですけど……文句を言う立場じゃないのはわかってるんですけど……なんていうか。なんかもう、色々と、疲れました」
マスターは商売道具を手入れする片手間で少年に耳を傾ける。
直後、場内に歓声が巻き起こり、二人の間には少しの静寂が流れた。
「辞めてみればいいんじゃないですか?」
「……えっ?」
あっさりとした回答にセルフィウスは気の抜けた声を漏らす。
「疲れたなら、辞めてみればいいじゃないですか」
アルコールのせいか、少年は思ったことをすぐに口走った。
「簡単に言いますけどね。そんな単純な話じゃないですよ。辞めたくても辞められない理由があるんです」
街の平和。領主との契約。
両親との関係。家族の街での立場。
どれも無視できる問題じゃない。
「本当にそうですか?」
手を止め、マスターはこちらを見つめる。
「辞められない理由は全部、誰かのためのものなんじゃないですか?」
「……誰かの、ため……?」
言われて気づいた。
確かにそうかもしれない。
「あくまでこれは持論ですし、諭すわけではないですが。自分のために生きてこなかった人間には、誰かのために生きる資格なんてないですよ」
視界がクリアになる。フロアで巻き起こる歓声がやけに鮮明に響いた。
放心するセルフィウスにマスターは続ける。
「もしあなたが己を見失っているのなら、一度自分のためだけに生きてみても良いのかもしれませんよ」
その言葉は心の奥底に深く刺さっていた。
それでも少年は、まだ迷いを捨てきれていない。
「僕がいなかったら、誰が街を守るんですか」
「あなたが現れるまでは、騎士とこの闘技場にいる冒険者たちが守っていたんです。多少の混乱は招くでしょうが、陥落することはありませんよ」
「領主さんが、怒って僕を処刑するかもしれない」
「英雄は最も敵に回してはいけない存在です。抵抗されれば、それこそ滅びかねませんから。むしろ丁重に扱われるでしょうね」
「お母さんとお父さんは……」
「きっと許してくれます。反抗期なんてよくあることですよ。一方的でも報告はした方が賢明ですが」
「家族の街での立場が……」
「街にあなたが存在することの大切さを、今一度皆にわからせる良い機会です」
不安を全て打ち消され、マスターの助言が現実味を帯びていく。
心臓が大きく脈を打った。
夜遊びとは比にならない非行を、正当化されている。
最後の最後、わずかに残っていた不安は、ワインと共に流し込まれ、消滅する。
「ありがとうございました。僕、辞めてみます」
立ち上がり、深々と頭を下げた。
少年は千鳥足で出口へと向かう。
その背中をマスターは落ち着いた雰囲気で見据えて、はっきりと述べた。
「お金払ってください」
「……あっすみません」
その夜、一人の英雄が姿を消した。
自宅に『探さないでください』という書き置きを残して。




