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『ケイト、ジェフリーを頼んだわよ。弟を連れて、遠くまで逃げるのよ。弟を守るって約束して』
最後に見た母の涙を堪えた表情……。
家の外からは多くの悲痛な叫び声が聞こえてた。父はもうすでに私たち家族を守るために、魔族との戦いに向かっていた。
母が覚悟を決めた顔をしていたから、幼い私も覚悟を決めた。寝起きのジェフリーの手を握りながら、私は口を開いた。
「……やくそくする」
私は小さな声を発しながら、目を覚ました。涙が地面へと横向きに伝っていた。白い息が視界に入る。肩の出血や鼻血も冷気により固まっていた。
……この極寒に救われることもあるのね。大量出血で死ぬことはなかったみたい。
私は重い体を起こして、再びミレッタを見つめる。彼女は微かに口の端を上げる。
もっと致命的な傷を負わせない限り、倒せないってわけね……。一か八か、やってみるしかない。
『氷柱よ。彼女を心臓を穿て』
詠唱を発した瞬間、私はミレッタを包む氷を溶かした。身動きが取れるようになった瞬間、ミレッタの体に巨大な氷柱が突き刺さり、見事に貫通させる。
彼女が魔力で防ごうとするが、もちろん間に合うことはなかった。
「カ、ハ……ッ」
彼女の口からは血が飛び出し、氷柱が刺さったまま、その場に倒れる。透明感ある白い地面にドロッとした赤い血がとめどなく流れていく。「ヒューヒュー」という荒い呼吸だけがこの場に響く。
……勝った、のかしら。…………あれ?
急に全身に力が入らなくなり、身体がゆっくりと地面に引っ張られていく。
身体中から魔力を搾り取った渾身の一撃だった為、もう体を支える力さえも残っていないみたい。
私もミレッタ同様、その場に倒れ込んだ。
……まるで相打ちじゃない。
ミレッタの顔が逆さまにある。だが、視線だけが彼女と交わる。
「魔王……様、の……右腕に……なれる……チャンス、だったのに……」
彼女は薄れていく呼吸の中で、力のない声で呟いた。
この強さで魔王の右腕じゃないってどんな世界線なのよ……。
ミレッタの瞳に涙が溜まるのが分かった。魔族の最期をこんな風に見るのは初めてだった。私は彼女から目を離すことなく、最期を見届けようと思った。
「貴女、の……、ことを……侮って……いた、わ。……さい、ごに…………名を……」
「……ケイト・シルヴィよ」
「ケイ、ト……シ、ル……ヴィ……」
ミレッタは最期に私の名を呟いた。彼女の瞳の光がゆっくりと消えていくのをこの目で確認した。
憎い敵だと分かっているのに、僅かに喪失感を抱いてしまう。……死に際をこんな風に見てしまったからかも。
村をまるまる一つ潰した魔族に対しての同情なんて一切必要ないのにね。
…………もう二度としたくないけど、貴女との戦いは私の中で色濃く残ったわよ。
まさか武器が「囁き」だなんて、興味深い魔族だったわ。……あ、そうだ、皆を氷から解放しないと。
私はこの村の全ての生命に対して、魔法を解いた。それと共に視界がゆっくりと暗くなっていく。
今度こそ、死ぬのかも。
♢
「さっむっっっっっ!!」
「なんだこれ!? どうなってるんだ!?」
「一体何が起こったんだ……。全部凍っちまってる……」
次々と目を覚ます騎士たちの声が白さに閉じ込められた氷の世界に響く。「ふぎゃああぁぁぁ」という赤子の声も響き渡る。慣れない男性騎士が必死にあやす。
「なんか心がスッキリしているような……」
一人の騎士の言葉に第二騎士団副団長のハリス・カリルトンが「ケイトが敵を倒してくれたおかげだろう」と返す。
ハリスは、ケイトが倒れ込んでいる場所へと足を進めた。
ケイトとミレッタが倒れ込んでいる場所にはもう既に第二騎士団の団長――シャーロット・リリスが立っていた。その隣にはショートカットの女性騎士――リンディ・コジット。
リンディはケイトを見つめながら「これは……どういう状況なんでしょう」と呟く。
「また、こいつが一人で魔族を殺したんだろう。この小娘は私たちがいるというのに、少しも頼ろうとしない。…………にしても、こんな魔法を使うとは」
「こんな魔法見たことないです……。すごい…………」
リンディは目を大きく見開きながら、周囲を見渡す。感心するリンディに「神の御業といってもいいほどだ」とハリスが割り込んでくる。
シャーロットはハリスが近づいてきたことで、少し複雑な表情を一瞬浮かべる。彼女の脳裏に「自分のことを誰も女として見ていない」という考えが過る。しかし、すぐに表情を変えて厳しい口調でハリスに指示を出す。
「ケイト・シルヴィを最優先に救護しろ。……魔族の首を切り取って、王都に持って帰るぞ」
シャーロットの言葉にハリスは「魔族の首は凍らせときますね」と言って、この場を離れる。ハリスは剣術よりも魔法を扱うことに長けている。すぐさまハリスは作業に取り掛かる。
シャーロットの元に一人の男がやって来る。……ジェイだ。
「団長! 俺はこいつに処罰を与えた方がいいと思います! 勝手な行動をして、俺たちを凍らせた! 偽の聖女です! それに、こいつはあの魔族の囁きが効かないようでした! きっと奴らの仲間で俺たちを騙して」
「黙れ」
この村全体に響くほどのジェイの声に、背筋が凍るような低い声が覆いかぶさった。冷たいこの場の空気が更に冷たくなり、緊迫した空気に変わる。
シャーロットの鋭い眼光はジェイを捉え、決して逃がしてはくれない。
「あの、団長……俺は、皆のために……」
狼狽えるジェイにシャーロットは容赦なく詰め寄った。
「お前には分からないだろう。この魔法を使えるまで、どれほどの鍛錬を彼女が積んできたのか。この魔族は己の命を削るほどの魔法を使わなければいけないほどの強敵であったことも。そして、魔族の囁きがケイト・シルヴィに効かなかったのは、もう慣れているからだ。彼女が今までどれほどの残酷な言葉を受けてきたか知っているか? 鋭い刃に何度も心を刺されて、傷つき、壊れた。そして強くなった。……強くなるしかなかったんだ。だから、この魔族に囁かれたところで何も感じないのだろう。それが何故分からない。お前はどうせ『聖女に凍らされて殺されかけた』なんてことを言いふらすのだろう。だが、忘れるな。お前が魔族に喰われずに済んだのは彼女のおかげだということを」
シャーロットとケイトは性格がとことん合わない。しかし、心の底ではシャーロットはケイトに敬意を持っている。それはケイトもだ。
互いの「すごいところ」というのを、シャーロットもケイトも理解している。
「……俺、あの」
まだ何か言おうとするジェイを無視して、シャーロットは他の騎士たちの元へと足を進めた。
その場に残されたジェイに誰もが冷ややかな視線だけを注いでいた。




