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第1章 -4話

夏の盛りの昼下がり。

ハイン少年は今日も、バイオリンのレッスンへと通う道を歩いていた。

学校は夏季休暇に入ったが、平日はレッスンがあるのでほぼ毎日通う。

宿題はいつも夏季休暇に入って早々集中的に終わらせるようにしているので、

ここしばらくはかなり忙しい日々だった。


今日も膝丈の黒い吊りズボンに、清潔感のある白い半袖シャツ、黒い靴下に革の靴。

古ぼけた革のサッチェルバッグを背負っている。

暑くなってきたので、この頃は兄のお下がりの麦わらのカンカン帽もかぶっていた。

帽子に限らず、ハインの服も鞄もバイオリンも、持ち物の多くは兄からのお下がりだ。

と言ってもフェリクスは乱暴すぎてお下がりになる前にボロボロにしてしまうので、

ほとんどマリウスからもらった物ばかりだが。


その兄たちは王立音楽アカデミーに入学する準備のため、すでに王都に旅立っていた。

なのでここ最近は、一人でレッスンに通っている。

兄たちは一緒にいると言い合いばかりしてやかましかったが、ハインがレッスンを受けるようになった

3歳の頃からずっと一緒に通っていたので、いなくなると少し寂しい。

家の中も驚くくらいに静かになったし……やっぱり少しじゃなくて、すごく寂しいかも。


「あつ……」


高級住宅街を歩く足を止め、少し休憩する。

土地柄、夏でも湿度は低めでからりとしてはいるが、歩いているとだんだん汗が滲んでくるものだ。

いつもきっちり留めているシャツの襟をボタン一つ分開いて、パタパタさせて風を送る。

行儀は悪いけど、誰も見てないからまあいいか。

ずり落ちてくる帽子のつばを押し上げたが、手で汗をぬぐったそばからまたずり落ちてくる。

この帽子、涼しいのはいいけれどサイズが大きすぎて前が見えにくいのが難点だ。


「こんにちは、小さなバイオリニストさん!」


唐突に頭上から降ってきた、可愛らしい声。

反射的に声のした方を見上げるが、帽子が邪魔で何も見えない。

慌ててつばを跳ね上げると、そこに。


「へっ?」


びっくりするくらい間抜けな声しか出なかった。

高級住宅街の家々は、傾斜地に建っているのでどこも少し土台が高くなっている。

家が建っている地面がハインの目線のあたりにあったりするのだ。

そこに、彼女が立っていた。


肩を包む長さの、きらきらした白金色の髪。

金の睫毛に縁取られて星の瞬きもかくやという、輝くアメジスト色の大きな瞳。

すっとした鼻梁、透明感のある白い肌に、薔薇色に染まる頬と唇。

涼し気なレースがあしらわれた白の半袖ワンピースは、膝下丈で裾がふんわりと広がっている。

すんなりと伸びた手足は華奢で、腕は両方とも後ろ手に回されていた。

柵越しに立っている彼女が、こちらを見て小首を傾げ、にこっと微笑む。

正直に言って、このまま気絶するんじゃないかと思えるくらい可愛い。


「……はっ!」


どうにか我に返り、慌てて帽子を脱ぐ。

エーデルシュタイン伯爵家の一人娘である、お嬢様だ。このままでは失礼になる。

こんな風に見つめることすら不躾なことだ。慌てて顔を伏せる。

というか、ここを通るたび、ずっとお嬢様は手を振ってくれていたけれど……

昨日なんて窓を開けて、大きな声でご挨拶してくれたので驚いたけれど……

まさか、個人として認識されていたとは思わなかった。

どうしよう、知らないうちに何か失礼なことをしてしまったのでは。

えっ、昨日、大きな声で挨拶し返したのがまずかった?とか?

変な汗が出てきたその時、お嬢様が声を上げた。


「まあ! お顔を上げてくださいな。少しお話がしたいだけですの」

「お、お話? 僕と? ですか?」

「ええ、もちろん」


お嬢様がおかしそうに、ふふっと笑った。

むろん、辺りに人はいないし、ここにはお嬢様と自分しかいない。

他に誰がいるんだよ、と自分でも思えて気恥ずかしくなる。


「もしよろしかったら今度、演奏を聴かせてくださいませんか?」

「え? え、演奏?」

「ええ! それ、バイオリンでしょう?」

「そうだけど……あ、いや、そうです、けど」


僕の演奏を聴かせてほしいって、そう言ってる? いやいやいや何が起こってるんだ?

というか全然スマートに返答できないし、かっこ悪すぎないか?

あまりの展開に脳の処理が追いついてこないハインに対し、お嬢様はさらに畳みかけてきた。


「これ招待状ですの。きっといらしてね!」


お嬢様がさっとしゃがみ、自分より低いところにいるハインに封筒を差し出した。

赤い封蝋で閉じられた、白い封筒。これを、ずっと後ろ手に持っていたものらしい。

鉄柵の隙間から差し出されたその封筒を、戸惑いつつも受け取ると、

お嬢様が嬉しそうににっこりと微笑んだ。


「じゃあ、またね! ごきげんよう!」


それだけ言うと、すっくと立ち上がってお嬢様は踵を返す。

一度振り返って笑顔で手を振ると、ぴゅーっと走って行ってその姿は見えなくなってしまった。

茫然とそれを見送るハインの足元に、手から滑り落ちた帽子が転がる。


「え、ええ……!?」


招待状を持つ手が、小刻みに震えていた。

いったい何が起こったんだ?? まだ衝撃が呑み込めない。

一人その場に取り残され、ハインはしばらく立ち尽くしていた。





・・・ + ・・・ + ・・・ + ・・・





「ふぐぅ……つかれた……」


その日の夕方近く。

レッスンを終えて帰宅したハインは、部屋に戻るなりベッドに突っ伏した。

鞄も背負ったまま、バイオリンケースも握ったまま。帽子は床に転がり落ちる。

普段はこんな行儀の悪いことはしないけれど、今日だけは許してほしい気分だ。

本日のレッスンは動揺して全然集中できなくて、先生も驚くほどそれは散々なものだった。

というのは、もちろん……。


むくりとベッドの上に身を起こし、背中の鞄を下ろす。

木製のバイオリンケースを引き寄せ、留め具を外して蓋を開く。

蓋の裏のビロード張りのポケット部分に入れておいた、例の招待状を出してみる。

受け取ったあの後、我に返って急いでレッスンに向かったので、まだ読めてはいない。

押してある封蝋は、鈴蘭が印章化された可愛らしいデザインだった。

何が書いてあるんだろう。招待状なんて初めてのことで、見当もつかない。


なんとなく周りをうかがい、家族の気配が近くにないことを確かめる。

とりあえず開けてみようか。緊張でドキドキしつつ、封蝋を剥がす。

中から出てきた手紙を開くと、ふわっと甘い、いい匂いがしたので驚いた。

便箋は三色すみれなどが描かれていて、とてもきれいだ。

一行目の宛名は、『小さなバイオリニストさんへ』とある。

そういえば、今日もそう言って声をかけられたのだった。

送り主も同じくらい小さいのにと、なんだかおかしくて思わず笑みがこぼれる。


招待状は、小さなバイオリニストさんの演奏をぜひ聴かせてほしいということ、

日時の指定などはなく、気が向いたら屋敷を訪ねて来てほしいという内容が書かれていた。

送り主の名は、クララ・エーデルシュタイン。

お嬢様の名前は、クララというらしい。


「うーん……」


手紙を折りたたみ、封筒に戻す。いったいどうしたものだろうか。

あの屋敷を訪ねるって、どこから? 正面の門から? 想像がつかない。

そもそも、こんな平民の子供が訪ねて行っていいものなのだろうか。

というか、どうして僕なんかの演奏を聴きたいんだろう?

兄たちがいたら相談できたかもしれないけれど……あ、いや。

なんだか大事になりそうだからやっぱり相談はしない方がいいかもしれない。

というか、これって親には言うべきなのか? だよな?


「おにいちゃーん!」

「うわあ!?」


バターン!と勢いよく扉が開いた。

ぐるぐる考え込んでいたので、背後からの突然の襲来に飛び上がる。

4歳の妹のシャルロッテだ。慌てて手紙をバイオリンケースに入れ、電光石火で留め具を掛ける。

心臓がばくばくしていた。そんなハインを、妹がきょとんとして見ている。


「ロッテ! びっくりするだろ」

「あははー! おにいちゃんびっくりしてる!」


ベッドに飛び乗ってきてぴょんぴょん飛び跳ねる、元気なシャルロッテ。

振動でぐらぐら揺られながら、妹が怪我しないように鞄とバイオリンケースを机の上に移動させる。


「こら、靴のままベッドで飛び跳ねない」

「きゃーははは!」

「あーもう」

「おお、にぎやかだねえ」

「父さん! 帰ってたの?」


シャルロッテに続いて部屋にひょっこり入ってきたのは、父・ヨアヒムだった。

ぼさぼさの銀髪と、シャルロッテと同じ碧眼に、丸い金縁眼鏡。

ひょろりと背が高く、ちょっと猫背気味なので母によく怒られている。

丁番が緩んでいてすぐにずり下がってくる眼鏡を押し上げ、父は人好きのする笑顔を浮かべた。


「うん、仕事が一段落してね。ん? なんかいい匂いがするなあ」

「え、あ、あれじゃないかな? さっき少し食べたから」


さっきの手紙の残り香だと気が付き、とっさに本棚に押し込めてある瓶に入ったマシュマロを指差した。

一応シャルロッテの物ではあるが、ハインが食べてもいいことになっているやつだ。


「もうすぐ夕飯だから、あんまり食べると母さんに怒られるぞ~」

「少しだけだから大丈夫だよ」


本当は食べてすらいないし……というか今、家族に嘘をついてしまった。胸がちくちくする。

どうしてだろう、なぜかすぐに手紙のことを言い出せなかった。

内緒にしておきたい。そんな気持ちが自分にあることに気づいて、内心驚く。

こんなことは初めてだった。


「それにしても、マリウスとフェリクスがいないと家が静かだなあ。静かすぎて寂しいよ」

「うん。今頃どうしてるのかな」

「そうだねえ。でもまあ、あの二人のことだから心配はいらないさ」


よいしょ、と父もベッドの端に腰掛ける。

相変わらず飛び跳ねていたシャルロッテをひょいと捕まえると、その膝に乗せてしまった。


「ロッテも寂しいねえ」

「んー、わかんない!」

「そっかあ、まだ分かんないかあ。まあそのうち分かるよ~。

 いや、それにしてもこの部屋ファンシーだねえ。ハイン、嫌じゃないかい?」

「うーん……そんなには……」


半分以上が可愛らしいピンク色で構成されていて、本棚には人形やぬいぐるみがいっぱいで、

壁には動物の絵、天井からは色とりどりの蝶や妖精のモビールまでぶら下がっている。

あまり気にしたことはなかったけれど、まあ確かにだいぶファンシーかも。


「いずれは双子の部屋を片付けて、ハインの部屋にしようかと思ってるんだけどね。

 いや~でも休暇に帰省はするだろうから、ベッドがなくなるのはまずいかな?

 何しろ家が狭いからねえ。ハインの部屋はちょっと先になるかもだけど、待っててくれよ」

「僕は別にこのままでもいいよ?」

「ははは、そっか。でも年頃になってきたら、そうも言ってられなくなるだろうからね。

 家族にも内緒にしときたいことの一つや二つ、できるもんさ」

「え……そ、そう?」

「そうそう。あはは」


どきっとした。なんか、見透かされてる? それとも気のせい?

困惑するハインの頭を優しくポンポンと叩き、さ!と言って父はシャルロッテを抱いて立ち上がった。


「そろそろ夕飯の支度を手伝わないとねえ」

「あ、うん。そうだね」


ハインもベッドを降り、ゆっくりと部屋を出ていく父の背中を追いかける。

扉を閉めるとき、机に置いたバイオリンケースが目に入った。

それだけでなんとなくドキドキしたまま、ハインは静かに扉を閉めた。

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