第4章‐4話
対魔族騎士団の、異界の森の野営地。
拠点として何度も使われる場所だからか、周囲には濠が造られ、木製のバリケードも築かれている。
大小さまざまの白いテントがいくつも建って、そこを鎧や鎖帷子を着けた男性たちが行き交ったり、
火を囲んで座って談笑したり、武器や防具を叩いて直していたりと、
遠くからは馬のいななきも聞こえ、粗野で騒がしい活気に満ちていた。
ざっと見た感じ、ここには黒髪の男性の他に魔人は見当たらず、只人の男性ばかりのようだ。
対魔族騎士団といっても、魔人ばかりで構成されているわけではない。
むしろその逆で、魔人は数えるほどしかいないのだとハイデマリーが言っていた。
そもそも手術を受けた者が皆成功し、魔人として生きられるわけではなく、
馴染まないまま死んでいく者もいると後で聞いて、さすがにぞっとしたものだ。
ともあれここは、いわゆる敵地のど真ん中というやつなのだろうか。
黒髪の男性の後についてくるよう促され、ハインは拘束されることもなく野営地に入った。
何食わぬ顔をして歩けと言われたのでその通りにしたが、もちろん内心は穏やかではいられない。
喧噪の中をしばらく歩いて、やや大きめのテントの中に案内される。
そこで男性が外にいる軽装の青年に何ごとか声をかけ、持ってこさせたものを無造作にハインに渡してきた。
広げてみると、さっきの青年と同じような服だ。銃やダガーなどの装備品を取り上げられ、着替えろと促される。
右肩が痛んで服を脱ぐのも一苦労だったが、意外なことに男性がさっさと包帯を巻いて手当てをしてくれた。
その手際の良さから、あまりにも怪我に慣れた者の感じがする。
傷の手当てが終わると、男性も精霊の女性も向こうを向いてくれたので、抵抗はあったが急いで着替えた。
深緑色のフードのついたチュニックで、その下にズボンを履き、チュニックの上からベルトを締める形だ。
全身びしょびしょだったので借り物の一式で着替え、黒革のブーツを借りて履く。
身支度が終わると、座るように促された。下は絨毯が敷かれていて、クッションなどが置いてある。
草の上に絨毯を敷いているので、座ると妙にふかふかした。
……なんか、想像していたのと違う。着替えまで用意してもらって、手当てして座らせてもらって。
尋問ってもっとこう、乱暴に殴ったり蹴ったりされるのでは? ハインは恐々と口を開いた。
「あの……俺、尋問されるんですよね?」
「あ? 何が言いてえんだよ」
「いや、その……もっとこう、乱暴な扱いをされるのかと思っていたので」
「なんだよ、そうして欲しいのか?」
「ち、違います!」
断じてそういうことじゃない。慌てて首を振る。
男性はそんなハインを見るにつけ小さく鼻で笑うと、煙草に火を点けて悠々と燻らせる。
「逃げようったって無駄なのはもう分かったろうが? そんな奴を拘束する意味もねえだろ。
つかお前ちょっと面白いからよ、話聞かせろや。暇潰しだ」
「え、ええ……!?」
「とりあえず自己紹介しとくか。名前も分からねえんじゃお互い不便だからな。
俺はアズレト。アズレト・ヴィノクロフだ。こいつは精霊のイゾルダ。ま、よろしくな」
男性改めアズレトが言った。
……ヴィノクロフ? やはり聞き覚えのある名前だ。確かリシャの名前は、リシャ・ヴィノクロヴァ。
男性と女性で姓名が変化する国があることは、知識としては知っている。
だからおそらく同じ姓名なのではないかと思うのだが……。
「おい、お前の番だろが。名前が言えねえってんなら適当に呼ぶぞ? 犬みてえな名前にすんぞ?」
「えっ!? ハインです、ハイン・ノールです」
「おう。じゃあこれからハインて呼ぶからよ、お前もアズレトって呼べや」
ニヤッとアズレトが笑う。戦っていた時に見せていたのとはまた違う、不思議と親しみを感じる笑みだった。
『魔人というものは概して感情を失いがちである』とレギィネイラから聞かされていたはずだが、
目の前のアズレトはまるで普通の人のようだ。感情を失っているという感じがまったくしない。
思いがけず気安く接されて戸惑うハインのことなどお構いなしに、彼の質問は続く。
「お前、魔人になって何年だ?」
「ええと、二年くらいです」
「二年!? ヒヨコかよ! てか妙にガキみてえなことばっか言うなとは思ってたが、
本当にまだガキじゃねえか。なんでこんなとこウロついてんだよ?」
「え、いや、訓練の一環で……」
思いがけず驚かれ、こっちも面食らう。そんなに驚くことなのか?
魔人になりたてのころ、リシャによくヒヨコと揶揄されたが、二年経ってもまだヒヨコだとは。
というか、またリシャとの共通点だ。この人に聞いて、確かめてもいいだろうか?
こちらの情報を話してもいいものかと躊躇はするものの、やはりこの共通点は偶然の一致とも思えない。
「訓練ねえ。結局お前、誰の魔人なんだよ? 剣は誰に教わった?」
「あの。その前に俺からも、一つ聞きたいことがあるんですが」
「あ? 俺の質問に答えねえとはいい度胸じゃねえか。なんだよ、言ってみろ」
「リシャ・ヴィノクロヴァという名前に聞き覚えは?」
「何……!?」
アズレトが大きく目を見開き、ぽろっと煙草を取り落した。火の点いた煙草が絨毯の上を転がる。
見ればアズレトの傍らで、黒い炎の精霊イゾルダも同じように目を丸くしていた。
かと思うといきなりアズレトがハインの両肩を掴んできて、怪我の痛みに飛び上がる。
「いっ……!」
「あいつは生きてんのか!?」
「えっ?」
「どうなんだよ! 生きてんのか!?」
「い、生きてます……!」
がくがく揺さぶられ、肩の痛みを押し殺しながら答える。
リシャがピンピンしている姿しか知らないから、質問の意図がよく分からなかった。
生きているか死んでいるかも分からない状態だったということか?
そこでようやくアズレトが我に返り、ぱっと肩から両手を離した。
「悪りい、取り乱した」
「いえ……」
「そうか。リシャがお前に剣を教えたのか?」
「はい。それと、ミハイル……」
「ミハイルだと!?」
『アズ、声が大きい……!』
イゾルダに言われて、アズレトがはっと口を噤んだ。
静かになったテントの中に、先ほどまでと変わらずざわざわと外の喧騒が聞こえてくる。
幸いと言うべきなのか、誰も聞き咎める者はいなかったようだ。
ようよう、立ち上がりかけていたアズレトがふたたび腰を下ろす。
「ミハイル・イグナートフか……!? あいつも生きてんのかよ……!」
「普通に元気ですけど……二人とも亡くなってると思ってたってことですか?」
「……まあ、ほとんど諦めてたな。そりゃ生きててくれたらとは思ってたけどよ」
アズレトは小声で言うとひととき黙り、そこでようやく取り落した煙草に気づいて拾い上げた。
絨毯には灰がこぼれ、焦げ目ができている。だがそれには一瞥もくれず、煙草を銜えた。
煙草を吸い、煙を吐く。その一連の動作が彼を少し落ち着かせたようだ。
「リシャは俺の妹で、ミハイルは叔父……俺らの母親の弟だな。
まあリシャにとっちゃ育ての親みたいなもんでもある」
「そうだったんですか……」
やはり、兄妹。他人にしてはいくらなんでも共通点が多すぎるとは思ったが……
それにしてもミハイルがリシャの育ての親だったなんて話は初めて聞いた。
「リシャはどうなんだ? 安定はしてんのか?」
「安定……ですか?」
「ああ、お前は何も知らねえのか。んじゃ、あいつは元気か?」
「はい、元気です。いつも稽古を付けてくれますけど、俺はこてんぱんにやられるばっかりで……
一回も勝てたことがないです」
「ははっ、あいつ昔から手加減ってもんを知らねえからなあ……そうか、あいつらちゃんと生きてるのか」
『よかったわね、アズ』
「……おう」
イゾルダの優しい眼差しからわざとらしく目をそらして、アズレトはぶっきらぼうに頷いた。
おそらく喜んでいるのだとは思う。素直じゃないところも、リシャとよく似ている。
アズレトは誤魔化すように煙草をふかして、ハインを見てきた。
「リシャもここに来てんのか? ミハイルも?」
「リシャはいます。ミハイルは今回は来てないですけど」
「そうか。ミハイルの奴は相変わらず、うるせえ小姑みてえなあの喋り方か?」
「ええと……たぶん、はい」
「ははっ、まだやってんのか。そうか、つまりお前も俺らと同じ、ミハイルの教え子ってことなんだな。
兄弟弟子にひでえことして悪かったな。あの嬢ちゃんの手足を折るとか言ったりしてよ」
「え、いえ……あの、頭を上げてください」
アズレトが潔く頭を下げてきたのでびっくりしてしまう。
双方、お互いが何者かも分からなかったのだから、しようのないことだ。
それでなくても年上と思しき人にこんなふうに頭を下げられるのは居心地が悪い。
ハインの言葉に頭を上げ、改めて目を合わせたアズレトは、まじまじとハインの姿を見てくる。
「ハインつったな。お前、いくつだ?」
「17です」
「17? 魔人になったのが二年前つったら15だろ。お前、まさかどっかの特殊部隊出身とか言わねえよな?」
「いえ、普通に暮らしてました」
「やっぱ素人じゃねえか。そんな奴が、いったいなんで魔人なんかになったんだよ?
つか、お前を魔人にしたのは誰なんだ? もしかして魔女レギィネイラか?」
「……! 知ってるんですか?」
「知ってるも何も、俺もあの魔女に魔人の手術受けてるからな。
だけどよ、あの魔女は確か体がバラバラになって死んだはずだろ?」
「え、バラバラ? 死っ……?」
「てことは、やっぱ死んでなかったのか? けどどうやってお前を手術したんだよ?」
「ああ、ええとそれは……かいつまんで言うと、今は他人の体を使ってるっていう感じで」
「はあ? なんでもありか、あの魔女は? なんでそんなことになってんだ」
「ええと……」
最初から説明するとなるとすごく長くなりそうだし、どうしたものか。
悩んでいるとそれが伝わったのだろうか、アズレトは「まあいい」と軽く頷いた。
「とにかくよ、お前はなんで魔人になったんだ?
一般人が魔人になんかなる理由がねえ。てか普通、魔女と接点なんか持ちようがねえだろ」
「それは……俺の大切な人が、魔人になったので。一緒にいるために、魔人になりました」
「……あ? なんて?」
アズレトが、切れ長の吊り目を丸くして聞き返してくる。
しかし、なぜかそのアズレトよりも、黙っていたイゾルダの方が身を乗り出してきた。
『えー! それって女の子!? ちょっとお姉さんに詳しく聞かせて!?』
「誰がお姉さんだよ、てかお前の声のがでけえよ。ちょっと黙ってろ」
『何よお、ちょっとくらい聞いてもいいでしょ?』
「いいから静かにしてろ。それがさっきの嬢ちゃんか?」
「はい」
「まじかよ、他人のために魔人になったってことか? ほんと変わった奴だな」
「いえ……傍にいたいと思ったのは俺ですから。だから結局、自分のためなんだと思います」
「ははっ! すげえ。俺には真似できねえわ」
驚いたというか感心したようなニュアンスで笑い、アズレトが煙草を吹かす。
そんなふうに言われると、他の人はどんな理由でなるのかが逆に気になってくるのだが。
「じゃあ、あなたは……アズレトさんは、どうして魔人になったんですか?」
「あ? そんなもん、強くなりてえから以外あるか?」
「そうなんですか?」
「おい、びっくりした顔してんじゃねえよ。失礼な奴だな。
だいたいお前はよ、魔人のくせに真っ正直すぎだぞ。そんなんじゃこの先……」
この先。言いかけて、アズレトはそのままの格好で急に黙った。
かと思うと煙草を指の間に挟んで、考え込むように腕組みをする。
「そうかこの先か……そうだな。まだクソ弱えが、度胸も根性もありそうだ。
もしかすると使いもんになるかもしれねえな……」
「え? なんですか?」
「よし決めた。お前、俺の舎弟になれ」
「……はい?」
言われた意味が分からず、頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。
何? 何になれって言った?? 聞いたことのない言葉だったが。
怪訝な顔をするハインをどう思ったものか、アズレトはさらに続ける。
「俺と来いって言ってんだよ」
「いえ、あの」
「なんだよ。お前だって強くなりてえだろ?」
「そうじゃなくて。すみません、舎弟ってなんですか?」
「ああ!?」
アズレトが信じられないものを見るような目でハインを凝視し、固まった。
きょとんとするハインを見て、アズレトの隣のイゾルダが吹き出す。
『あはは! かわいい坊やねえ。あのね、舎弟って本来は弟を指す言葉なんだけどね。
こいつの言う舎弟っていうのは、弟分とか子分って意味なのよ』
「え……俺に弟分になれってことですか?」
「まあ、そうだ。いいだろ?」
「えっ嫌ですけど……」
「何!? 嫌ってどういうことだよ!」
「あの、嫌っていうか、無理です。俺、みんなのところに戻りたいので……」
「ヴィノクロフ卿!」
そこで突然、テントの外から声がかかった。
アズレトが「おう、入れ」と返すと、「失礼します!」と礼をしているのがテントに映る影で分かる。
入口を留めてあるトグルを外して顔を覗かせたのは、庇を上げた兜を被っている甲冑の騎士だった。
「ルフェーヴル隊長がお呼びです! 至急作戦本部まで来いとのことです!
げほっごほ! このテントめちゃくちゃ煙いです、換気した方がいいですよ!」
「るせえ、ほっとけ。マルスにはすぐに行くっつっとけ」
「はい! 失礼します!」
黒銀色に輝く甲冑を着けた騎士がそう言って礼をすると、踵を返してテントを離れていく。
重そうだし、動くたびにがちゃがちゃ音がして大変そうだ。
そして確かにテントは密室なので、そろそろ煙が充満してきて煙たい。
「さあて、お小言の時間だな。イゾルダ、お前は戻っとけ」
『はあい』
アズレトが灰皿に煙草を突っ込むと、立ち上がる。
その体に、黒い炎に変じたイゾルダが吸い込まれるようにして消えた。
そのままテントの入り口をくぐりかけ、アズレトが振り返る。
「おう、ぼさっとすんな。お前も来るんだよ」
「えっ、俺も?」
「いい機会だ、せっかくだから騎士団の中も見ていけよ。
舎弟になるかどうかはそれから考えたっていいだろ?」
「いや、舎弟の話は今断ったじゃないですか」
「とりあえずお前は俺の従騎士っつう体にしとくから、そのつもりでな」
話を聞いていなかったのか?それとも聞いていてなお諦めないということか?
混乱するハインにニヤッと笑って、アズレトがテントを出ていく。
とりあえず現状、拒否権はなさそうだ。ハインは立ち上がり、黙ってその後を追った。
アズレトのテントを出て、彼の背について野営地の中を行く。
歩きがてら「従騎士ってなんですか?」と問うと、アズレトは呆れるでもなく説明してくれた。
騎士団では7歳くらいからは小姓、14歳くらいから従騎士となって主人となる騎士の元で働き、
20歳くらいでようやく一人前の騎士として叙任されるという制度になっているらしい。
つまり従騎士とはいわゆる騎士見習いのことだ。ハインの年齢だとここに相当するわけである。
野営地はお昼時とあって、ハインと同じような年格好の従騎士たちが支度に奔走していた。
しばらく行くと、ざっくり円形をした野営地の真ん中辺りに、ひときわ大きなテントが見えてくる。
屋根の上に剣と竜の意匠が描かれた黒い旗が、風にはためいていた。
対魔族騎士団のエンブレムだろうか? などと考えていると、前方で誰かが手を振っているのに気がつく。
「あっ来た! アズアズー!」
「アズアズって呼ぶなつってんだろ」
渋面で立ち止まるアズレトのところに、女性が駆け寄ってくる。
亜麻色をしたセミロングの髪に、くりくりとした大きな珊瑚色の瞳。年の頃は20歳くらいだろうか。
可愛らしい顔立ちでニコニコしていて、こんな男所帯にいることに違和感を感じるほどだ。
アズレトと似た黒い軍服だが、下は膝下丈のふんわりしたスカートになっていて、
服のそこかしこに、正十字の中心に〇が描かれた教会のシンボルの刺繍などが見える。
黒いタイツに、黒い膝丈のなめし革のブーツ。
首からはロザリオ、腰には携帯用の聖書が見えることから、聖職者ではないかと思えた。
クララよりも身長はありそうだが、何かリスのような小動物っぽさを感じる女性だ。
「アズアズがちゃんと来ないかもしれないから連れてこいって、隊長が」
「ああ? マルスの奴、俺への信用なさすぎだろ」
「いや、自分の胸に手を当てて聞いてみてくださいよ。今日だってサボってたじゃないですか」
女性の後ろからもう一人、男性が歩み寄ってきた。
こちらはカフェオレみたいな茶色い髪をオールバックにした、22、3歳くらいの男性だ。
黒縁の長方形の眼鏡をしていて、その奥にモスグリーンの優しそうな瞳がある。
瞳だけでなく、顔立ちそのものが柔和で優しそうな印象だった。
アズレトと同じ黒い軍服の上から、黒革のショルダーホルスターを掛けている。
拳銃はおそらくハイデマリーやハインと同じ、38口径のミドルサイズではないかと思えた。
「サボってねえ。休憩だ、休憩」
「人それをサボっていると言います。隊長、お冠でしたよ?」
「めんどくせえな……」
「あはは、きっちり絞られてくださいね。……あれ? 今日は従者連れですか?
従騎士も付けたことないのに、珍しいですね」
「おう、まあな。中で説明するわ」
ハインに視線が集まったが、アズレトは二人を促してさっさとテントに向かう。
歩哨の騎士が二人、入口の部分の布をそれぞれ左右に広げ、通してくれた。
明るい外から入ると、中の薄暗さに慣れず少し目がちかちかする。
「来たか、アズレト・ヴィノクロフ」
低くてよく通る、色気のある男性の声がした。
奥の簡素なテーブルのところに、黒い軍服に黒いコートを肩から掛けた男性がいる。
年齢は30歳前後だと思う。美丈夫だが、サファイアブルーの瞳の目つきがかなり険しくて冷酷な感じがした。
褪せた金の髪を片方だけ無造作に後ろに撫でつけ、スイングタイプの正十字の片耳ピアスが見えている。
襟元には青色のアスコットタイ。タイピンもまた、正十字だ。
見るからにこの中で一番階級が高そうな人だと思う。傍らには優美な意匠の片手剣がスタンドに立て掛けてあった。
彼はアズレトを見るなり、険しい目をさらに険しくしてぎろりと睨みつける。
「先ほどの戦闘中、姿が見えなくなったようだがどこに行っていた?」
「何、ここの奴らはそんなヤワじゃねえだろ?
魔族はいねえし雑魚ばっかだったし、魔人の俺が出るまでもなかっただろうが」
アズレトは悪びれる様子もなくそう言いながら、机の周りにある椅子の一つにどっかと腰を下ろす。
その彼を殺気すら感じる目で見ている男性。関係ないのに、見ているこっちの方がひやひやする。
「そういう問題ではない。規律を乱すなと言っているんだ。何度も言っているだろう。
貴様の行動一つが、部隊全体の士気に関わることもあるのだぞ」
「へーへー、悪かったよ」
「騎士団の一員としての自覚が足りん。だいたい貴様はいつも、いい加減で軽率な言動ばかり……む?
彼は誰だ? 見ない顔だが。貴様が連れてきたのか?」
険しい目がこちらに向かってきて、ぎくりと心臓が跳ねあがる。
だが後ろで内心ドキドキしているハインとは違い、アズレトは平然とした顔で嘯く。
「おう。見どころがあるからよ、俺の舎弟にしようと思ってな」
「何? 従騎士ということか? いつ連れてきた? 私に話も通さず勝手をするな」
「いやー今回、俺はギリギリで参加が決まったろ? だから紹介しそびれてよ。悪りい悪りい」
「謝罪する態度じゃないだろう。ああ、もういい。貴様には言うだけ無駄だ」
「ほれ、隊長殿のお許しが出たぞ。ご挨拶しろ」
アズレトがハインを振り返り、隊長の男性に向かって顎をしゃくる。
どこらへんにお許しが出たというのか分からないのだが、たぶん自己紹介する流れなのだろう。
とにかくこの場は空気を読んで合わせていくしかない。ええい、ままよ!である。
「ハイン・ノールです。若輩者ではありますが、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します」
手を後ろ手に組み、きちりと礼をして挨拶をする。
ほどなくして顔を上げると、隊長殿が険しい目を瞠って顔をこわばらせていた。
え、自己紹介する流れじゃなかった? それとも何かまずいことでも言っただろうか。
「騎士の貴様よりよほど礼儀正しいではないか……! 君はこの男に、何か弱みでも握られているのか?」
「おい、どういう意味だよそりゃ」
「でなければ、こんな折り目正しい少年が貴様の従騎士になどなるはずがないだろう」
「てめえ、喧嘩売ってんのか? 俺が見込んで従騎士にしたっつっただろうがよ」
「いったいどこが気に入ったと言うんだ? だらしのない貴様と正反対ではないか。
普段なら毛嫌いしているはずだろうに、どういう風の吹き回しだ?」
「俺は別に真面目な奴が嫌いなわけじゃねえよ。お前みたいに四角四面な奴が苦手なんだっつうの」
二人のやり取りを前に、先ほどの聖職者の女性と眼鏡の男性は止めるでもなく涼しい顔をしている。
察するにいつもこうなのだろう。喧嘩するほど仲がいいというか、おそらくそんな感じだ。
しばしあって、生真面目そうな隊長殿がハインに向き直る。
「私はこの雷竜隊の隊長を任されている、マルスラン・ルフェーヴルだ。
彼奴の従騎士など気苦労が絶えんだろうが、励んでくれ。何かあればいつでも相談に乗る」
「あ、ありがとうございます……」
本物の従騎士じゃないのに、ものすごく真摯な態度で言われて良心がちくちく痛んだ。
アズレトはもしかして、こうして外堀から埋めようとしているのでは?
などと考えている間にも、聖職者の女性と眼鏡の男性が、次々に笑顔を向けてくれる。
「僕はクロヴィス・ブロンダン。この隊の副隊長を任されています。
きっと大変だと思いますから、何かあったら遠慮せずにいつでも言ってくださいね」
「私はニコレット・シャヴァンヌ。隊長の補佐官よ。
無茶ぶりばっかりされるだろうから、何かあったら我慢せずに話してね!」
「お前ら、何かある前提の話ばっかしてんじゃねえよ。俺に失礼だろうが」
全員に『何かあったら』と前置きされて、アズレトがイライラと唸る。
皆、親切そうな人ばかりだ。もちろん、ハインの正体を知らないからではあろうが。
アズレトは何を考えているのだろう? まさか本気で従騎士にしたいなどと思っているのだろうか?
ここでそんなことを聞くわけにもいかず、ハインはただ曖昧な笑みを浮かべるほかなかった。
・・・ + ・・・ + ・・・ + ・・・
「……いた。ハイン君を見つけました、お嬢様」
「まあ、どこ!?」
すっかり陽が落ちた夕刻、ハイデマリーとクララは騎士団の野営地を臨む木の上にいた。
他の木々に紛れており、それなりに距離もあるので、さすがに気取られることはないはずだ。
携帯用の単眼鏡を覗いていたハイデマリーが、それをクララに手渡す。
単眼鏡に気を取られて落ちないように、枝に腰掛けるクララの腰をしっかりと抱いている。
「東側のテント群の……」
「ひ、東ってどっち?」
「お嬢様から見て、右手の方です。煙が上がっている、炊事をしている所です。
鍋の掛かった火があるのが見えますか? そこで食事の準備をしているようですね」
「ああ、本当……! あの銀髪はハインだわ」
単眼鏡の中の遠目にも、焚き火と松明の明かりだけの薄闇に輝く銀髪が見えた。
何か材料を切ったり鍋に入れたり、レードルで掻き回したりしているようだ。
見たところ、もう右肩の怪我を庇っているような感じはしない。
他にも同じくらいの年格好の青少年たちがいて、ハインと会話を交わしている様子が見えた。
ようやく無事な姿を見られて、心底ほっとする。
「ハイン君の後方に立っている黒髪の男が、件の人物ではありませんか?」
「ええと……ああ、そうだわ。あの方よ、間違いないわ」
料理をするハインの後方で、煙草を銜えて立っている、黒髪を一つに結った男性。
時折ハインに話しかけたりしているが手伝うわけでもなく、ただ退屈そうに煙草をふかしている。
遠目だが、あの時の魔人の男性に相違なかった。
「ハイン、ひどいことをされたりはしていないみたい……よかった。
でもどうしてハインがご飯を作っているのかしら?」
「そうですね。おそらく他の者には、まだ魔人だと覚られていないのだと思います。
従騎士の制服を着せられていますし、たぶんアズレトが上手く紛れ込ませたのでしょうが……」
「リシャのお兄様、アズレトさんっておっしゃるの?」
「そうです。あんなふうにハイン君を紛れ込ませて、いったい何が目的なのやら」
「兄さんが何考えてるかなんて誰にも分からないさ」
「ひゃっ」
ガサッと音がして、枝に逆さまにぶら下がったリシャが、単眼鏡を覗くクララの目の前に突然出てくる。
器用に枝に膝をひっかけて、平然と腕を組んでぶらぶらしていた。
かと思うとクララの手から単眼鏡を奪い、身を反らせて遥か向こうの野営地を覗き込む。
「どこにいても甲斐甲斐しく働くなーあいつ」
「ハインは真面目だもの。そこがいいところなのよ?」
「まーね。真面目すぎて溶け込んじゃってるじゃん。兄さん、あのまま騎士にでもする気かな」
「それは困るわ……! ハインが連れて行かれちゃったらどうしよう、マリー?」
「お嬢様を置いていくなどと、ハイン君に限ってそれはないと思いますが」
「だよねー」
単眼鏡をクララに返し、ぐるんっと一回転してリシャが上の枝に戻っていく。
兄の姿を見るのはずいぶん久しぶりのようなのだが、その心中はともかく、彼女は特に感慨を見せてはいない。
返された単眼鏡を握りしめ、不安そうに俯くクララに、ハイデマリーが声をかけた。
「アズレトが何を考えているのかは分かりませんが、あのままにはしておけませんね。
頃合いを見て接触を図ってみましょう」




