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第4章‐3話

沈黙の中、渓流の水音がやけに大きく聞こえてくる。

腕の中のクララが、緊張で身を硬くしているのが分かる。

だが、行くことも戻ることもできない。


「なんだお前ら? こんなところで何してる?」


黒髪の男性が、ずぶ濡れの二人を訝しむように上から下まで眺めてくる。

続いてヘイレンを見て「でけえ狼だな」と呟くのが聞こえた。ハインたちと違って余裕を感じる態度だ。

焦って刀を抜こうだとか、そういう様子もない。


年の頃は25、6歳くらいだろうか、若い男性だ。涼し気な吊り目で、見事な碧眼をしている。

真っ直ぐな、毛先に行くほど金色になっている長い黒髪。それを高い位置で一つに結っている。

かっちりとした詰襟の黒い軍服のような制服に、なめし革の黒い膝丈ブーツ。腰にはベルトで打刀を佩刀していた。

そしてその首に後ろから抱きつくようにして、ふわふわと宙を漂っている艶っぽい女性がいる。

制服的な服装から見ても、ハイデマリーたちの言っていた騎士団の人で間違いないだろうと思うが……

「今はあまり好ましくない」と言われた端から遭遇してしまうとは、どうしたものか。

しかも、どうやら相手は同じ魔人だ。


「どうした。他の魔人を見るのは初めてか?」

「えっと……はい。初めてです」

「だろうな。俺だって今初めて見たぜ。教会以外の魔人ねえ……」


男性が顎に手を添え、じろじろと無遠慮に二人を見てくる。

ハイデマリーの口振りからするに、自分たちが何者であるかなどは、たぶん知られない方がいいはずで。

どう答えるべきか迷っていると、向こうの方が先に話しかけてきた。


「ま、とりあえず詳しく話を聞かせてもらおうか。お前ら誰に作られた?」

「え。すみません、それはお話しできません」

「ああ? 言えねえってのか? てめえ……いい度胸してんじゃねえか」


男性が腕を組み、ニヤリと笑う。その笑い方が、やはりリシャに似ている気がする。

寄生精霊と思しき女性を連れているのもそっくりだ。そこのところがどうにも気になる。


「……あの、」

「まあいい。喋らねえならとっ捕まえて吐かせるだけだ」


男性は笑いながら煙草を胸ポケットに戻すと、腰の佩刀に手を掛けた。

鯉口を切り、すらりと抜く。薄暗い森の中でも、刃が冷たい銀光を放っていた。

切っ先が真っ直ぐにハインたちに向けられる。


「得物はなんだ? 銃か、腰の後ろの短刀か? なんでもいいから早く抜け。

 抵抗しねえなら二人ともぶった斬って連れて行くぞ」


抵抗しない者を、いきなり斬るだって? 乱暴な物言いに眉をひそめる。

だが、このまま黙って斬られるわけにはいかない。話が通じないなら戦うしかない、

などと短絡的なことを言いたくはないが、クララに危害が及ぶなら話は別だ。

抱きかかえていたクララを、地面へと下ろす。


「危ないから離れてて」

「戦うつもりなの?」

「大丈夫だから」

「でも……」


「おいおい、それでも魔人か? いちゃついてんじゃねえぞ」


刀の峰で肩を叩き、からかうような口調で男性が言う。

宙に横たわるような格好でいる黒い炎の精霊が『あら、微笑ましいじゃない』などと言うのを聞きながら、

不安そうなクララを背に庇う形で、ハインは黙って男性に向き直る。

大丈夫とは言ったものの、男性に勝ってこの場を切り抜けるのは正直難しいと思えた。

対峙している時の感覚が、ハイデマリーやミハイルやリシャのそれと同じだからだ。

この人はきっと強い。だからこそ、どうやって逃げるべきか……。


「魔人相手なんて滅多にねえ機会だ。できるだけ楽しませてくれよ?」

「あの、あなたと争いたくないんです。このまま行かせてくれませんか?」

「はっ、ガキみてえなこと言うんじゃねえ!」


好戦的な笑みを浮かべ、男性が飛び掛かってくる。

その瞬間、眩い光とともにヘイレンが刀に変じ、ハインの手の中に握られる。

上段からの攻撃をヘイレンでもって受け、奇しくも同じ打刀同士がぶつかり合う音が一帯に響いた。

男性が一瞬、驚きに打たれた顔をする。


「あ? なんだそりゃ、手品か?」

「……っ!」


軽口を叩きながらも、そのまま上から力を込めて押し込んでくる。

背も高いし、単純に力も強い。体格が違いすぎる。真っ向勝負ではどうしても押し負けてしまう。

力を抜き、なんとか受け流す。刃が刃の上を滑り、ぞっとするような音を立てて火花を散らした。

一旦二人は離れたが、再び切り結んだ。そのまま何合も打ち合い、跳び離れる。


ここまでで正直、動きについていくのがやっとだった。

しかも少し開けた場所であるとはいえ、少し走れば木にぶつかるような環境なので、

素早く取り回せるように柄を短く握る必要もあり、刀を思いっきり振り回せるわけでもない。

それは向こうも同じはずだが、ずいぶん場慣れしているようだ。

ハインも何度もミハイルと山野を駆け回って稽古を積んできたが、相手とは経験値が違うことを感じる。

緊張で呼吸が乱れるのを、意識して整える。焦るな。もしもの時は、クララだけでも逃がすことを―――


「ははっ、余計なこと考えてるツラだ。余裕だなあ、おい!」


空を切る鋭い音とともに、恐ろしい速さの突きがくる。

肩を狙って迫る切っ先をからくも転がるようにして避け、そのまま低空で相手の脚めがけて刀を振ったが、

地面に突き刺した刀で防がれる。耳をつんざく鋼の音が響いた。

相手が刀を引き抜きざま、当たったら骨が砕けそうな蹴りを放ってくる。

重い風切り音を耳のすぐそばで聞きながら、どうにか避ける。


「チッ、すばしっこい奴だぜ」

『ねえ、手を貸すー?』

「るせえ、引っ込んでろ」


宙に腰掛けて両頬杖をついた精霊の言葉に、男性がそちらを見もせずに返す。

手を貸してもらう必要などないはずだ。はっきり言って勝負にならない。

戦うどころか、こちらからは手も出せないのだから。刀を平正眼に構え、男性が問う。


「実力差はもう見えたよな? どうだ、俺に勝てそうか?」

「……勝てないと思います」

「はっは! バカ正直な奴だな!」


思いっきり笑われるが、実際どうにもならない実力差だ。

とにかくクララのいる方とは逆方向へと攻撃を避け続けているので、少し距離は開いた。

だが、あまり離れると今度はクララに危害が加えられた時にカバーできなくなってしまう。

その心理さえお見通しなのだろう、男性がちらりとクララを見やる。


「この状況で人の心配か? つまんねえ、いいから本気でかかってこいってんだよ。

 それともお望み通り、あっちの女からやってやろうか?」

「やめろ!」


ハインが気色ばむのを見て、男性が得たりとばかりにニヤリと笑う。


「顔色が変わったな。魔人らしくねえなあ、お前」

「彼女に手を出すな」

「それはお前次第だな。お前が本気でやらないなら、女の手足を順番に折る」

「……ッ!!」


戦うときは常に冷静でいろと、いつもハイデマリーに教えられてきた。

だがその言葉に、自分の中の理性が簡単に灼き切れる。

気がつけばヘイレンを振りかぶり、男性に斬りかかっていた。

それを受け止める刀と打ち合い、すさまじい音が鳴る。


「そういう顔が見たかったんだよ!」


そのままギリギリと音を立てて鍔迫り合いになる。

喜悦の笑みを浮かべ、男性の脚がハインの腹をめがけて真っ直ぐに蹴ってくる。

後方へ跳び離れて避け、そのまますかさず、ぐっと膝をたわませて地面を蹴って跳ぶ。

ちょうどボールが地面で跳ね返ってきたかのような動きだ。

だがハインの急襲を男性は難なく受け止め、そのまま二人は何合も切り結ぶ。


「おらあっ!」


この男、さっきから足癖が悪い! 膠着状態になるとすぐに蹴りが出てくる。

身を捻ったが、リーチが違う分どうしても避けきれず脇腹を膝で蹴られてよろめく。

そこへ側頭部を狙って肘が飛んでくる。刀でもって受けようと防御姿勢を取る……

刹那、ぴたりと肘が止まった。男性の唇に笑みが浮かんでいるのが見える。

フェイク。はっと気づいた時には、刀の必殺の一撃が吸い込まれるように脇腹に突き入れられ――――


「雷精さん!」

「っとお!」


バシンッ!と放電が迸り、男性がハインから飛び退く。

クララが己の眼前に展開した魔法陣と、パリパリと音を立てる放電の残滓が見えていた。


「邪魔すんじゃねえよ!」

「っ!」


男性がクララに飛びかかるのを、動線上に割って入り無我夢中で阻止する。

挑発だとどこかで分かっていても動かない選択肢はなかった。

男性の刀がハインの右肩を易々と貫く。魔力を一点集中して防ごうとしたが、それを貫通された形だ。

単純に向こうの魔力の練度が上なのだ。血が迸り、クララの悲鳴が聞こえる。

骨が砕かれ激痛とともに手に力が入らなくなり、ヘイレンを握る腕がだらりと下がった。

刀を引き抜かれるときにも焼けつくような痛みが走り、歯を食いしばる。

ヘイレンをすぐに左手に持ち替えようとするが、間に合わない。

左腕を捻り上げられたかと思うと、強引に地面に叩き伏された。ヘイレンが目の前に転がる。

押し殺した苦鳴をあげるハインを見下ろし、男性が鼻で笑った。


「ピーピー喚かねえのは褒めてやるよ。だが勝負あったな?」

「うっ……!」


男性の膝が背中に圧し掛かってくる。体格の差があるために、それだけで動けなくなる。

肺が圧迫されて息が詰まり、目がちかちかするくらい壊された右肩が激しく痛んだ。

背中を押さえつけられながらもなんとか顔を動かすと、少し離れた場所に立っているクララが

真っ青になって震えているのが見える。

……クララは、きっと自分を置いて逃げられない。逃げたところで、絶対に捕まってしまう。

ならば今、自分がすべきことは。


「さーて、じゃあお前にはちょっくら眠って……」

「ヘイレン、行け!」


ハインの鋭い声とともに、ヘイレンの姿が光を伴って狼に変じる。

クララの体を横からばくっと銜えると、そのまま高く跳躍した。クララのハインを呼ぶ声が聞こえたが、

ヘイレンは唖然とする男性の目の前で繁みの中に飛び込み、一瞬で姿が見えなくなる。


「やべえ、そういやあいつ狼だったな!」

『もう、詰めが甘いったらないわね』

「チッ。でもまあいいか。こいつの方が面白そうだしな」


面白そう? 訝るハインの頭を男性が無理やり動かし、横に向ける。

ハインは肩の痛みを噛み殺しつつ、視線だけを動かして男性を見上げた。


「女は逃がしたが、お前は丸腰になっちまったな。どうすんだ、こっから?」

「……俺は、どうなってもいいです。彼女を見逃してください」

「ははっ! 面白え。本気で魔人ぽくねえなお前。

 なんだ? 最近の魔人は恋愛もできるようになったのか?」


ふざけた口調でそう言って、男性がどっかとハインの背中に座る。肩まで衝撃が走って痛みにうめいた。

角度的に見えないが、音から察するに煙草に火を点けようとしているようだ。

ライターの火を点ける時の独特の音がする。ややあって、煙草を吸う気配がした。


「ま、暇潰しにはなるだろ。お前が何者か、ゆっくり吐かせてやるよ」


男性がぐっと身を乗り出して顔を覗き込んでくると、

これからどうなるのかと固唾を呑むハインに向かって、あろうことか煙草の煙をふーっと浴びせてくる。

思わず咳き込むハインを見て、ニヤニヤと笑ったのだった。





・・・ + ・・・ + ・・・ + ・・・





「ヘイレン、ヘイレン戻って!」

『それはできない。お前を連れて逃げろという主の命だ』


何度訴えてもヘイレンの足は止まらない。

クララを口に銜えて、渓流の岩場を上流へと駆け上っていく。

クララは体は下を向いた状態で、胴の部分をやんわり銜えられていた。

ヘイレンは口を動かして喋るわけではないので、口さえ開いていれば言葉は明瞭に聞こえる。

だから何度訴えても、明確なNOが返ってくるのみだった。

なかば泣きそうになりながら、言葉を絞り出す。


「だってあんなの、ハインが殺されちゃう……お願い……!」

『まだ生きている。己には分かる』

「本当……!?」


振動にゆらゆら揺られながらも、なんとかヘイレンの目を見る。

ヘイレンの走る速度が少しゆっくりになった。


『おそらくすぐに殺されはしない。あの男も、殺すのならとっくにやっているだろう。

 できる限り生きたまま連れて行かれるはずだ』

「じゃあどこに連れて行かれたか突き止めて、助ければいいっていうことね……!?」

『そういうことだ』


ヘイレンが岩場の上で完全に足を止めた。

ハイデマリーたちとはぐれた場所の景色ではなかったが、ヘイレンは黙ってクララを下ろす。

さすがに歯が当たってあちこち擦り傷や内出血だらけだったが、構ってはいられない。


「ありがとう、ヘイレン。マリーたちを探さなくちゃ!」

『大丈夫だ。今、魔力の残滓を追って来た。おそらくこの近くにいる』


ヘイレンがその言葉を言い終えぬうちに、「お嬢様!」と声が聞こえた。

振り向くとハイデマリーが森の中から姿を現し、岩場の上を軽々と跳んでくる。


「お嬢様、ご無事でしたか!?」

「マリー!」


お互いぎゅっと抱き合い、無事を確かめ合う。

幼い頃からずっと傍にいるハイデマリーの匂いに安心してしまい、一瞬力が抜けてしまった。

傷めていた左足が痛み、声こそ出さなかったものの、体のこわばりでハイデマリーには分かってしまうらしい。

クララの体を支え、異常はないかと体を見ているのが分かる。


「お嬢様、どこかお怪我を? ああ、傷だらけではないですか」

「いいの、大丈夫。それよりハインが大変なの」

「そういえば彼はどこに? まさかあの魔獣に?」

「いえ、魔獣を倒した後で、たぶん……教会の魔人の人に出会ってしまって」

「なんですって?」


珍しくハイデマリーが顔色を変える。

それだけで大方を察した様子ではあったが、重ねて聞いてくる。


「それで、ハイン君は?」

『クララを逃がし、一人捕まった』

「わたしを庇ってくれたの」

「そうですか……」


ハイデマリーが眉根を寄せ、顎に手を当てて考え込む。

が、次にその口から出てきたのは、クララが驚くような言葉だった。


「お嬢様。もしかしてその魔人というのは、若い男性ではありませんか?

 長い黒髪をこう、私のように結っていて。毛先は金色で、碧眼の吊り目の」

「! ええ、その通りよ。知っているの?」


と、そこでいきなり森の木々がガサガサと揺れ、黒いものが飛び出してきたかと思うと、

一行の目の前にだんっ!と着地した。被っていたフードを払うと、鮮烈な赤の髪が現れる。リシャだ。

彼女は立ち上がるなり、きょろきょろと首肯を巡らせる。


「あれ? ハインは?」

「リシャ……あなた今までどこに」

「ちょっと偵察してきた。騎士団の戦闘区域を見てきたけど、戦ってるのは15人か20人くらいだったな。

 向こうも群れの大量発生は想定外っぽかったよ。でも魔族とか大型の魔獣はまだ出てないみたいだ」

「そうですか。ならば来ている人数はそう多くはないですね」

「うん。てかさ、森の中に騎士団の野営地っていうか拠点があったよ」

「拠点?」

「野営地だけど簡易的な感じじゃなくて、バリケードもほりもしっかりしてたし。

 何回も使ってる前線基地だと思う。僕らの時代にはなかったよね?」

「そうですね……ではそこに連れて行かれた可能性が高いですね」

「え? もしかしてあいつ捕まったの? なんで? 誰に?」

「あなたの、お兄様ですよ」


ハイデマリーの言葉に、リシャだけでなく全員がぽかんとなった。

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