第4章‐2話
異界の森、と呼ばれる場所がある。
大陸のやや北の方に位置する、大きな森だ。
それは元々は複数の国の領土であったが、その森は異界へと繋がる次元の歪みが生じやすく、
今はどの国からも放棄され切り離された緩衝地帯となっている。
ハイデマリーとミハイルが力試しの場として選んだのが、この森だった。
島のあるベルトイア共和国からは汽車や馬車を乗り継ぎ、三日ほどかかる距離にある。
森は放置されているわけではなく、魔獣が蔓延らないように
定期的に創世神教会の対魔族騎士団が掃討作戦を展開しており、一定の安全性を保っている。
他に、賞金の掛かった魔獣を狩りに賞金稼ぎなども立ち入るので、
ここで派手に暴れても怪しまれるようなことはない、というのがハイデマリーの言だった。
出発前、ミハイルは「まあ群れに遭遇するようなことはないでしょ」と言っていたし、
戦うにしても一匹か数匹ずつ相手にするイメージでいた、のだが……。
牙を剥いて襲い掛かってくる獣型の魔獣。
雪のように白い毛並みでしなやかな筋肉を持ち、よく飛び跳ねる。
ぞろりと牙の生えそろった大きな口。赤い目は複眼で、顔の上部で何個もギョロギョロと動いている。
細長くピンと立った大きな耳、ねずみのような細長い尻尾。
打刀に変じたヘイレンに魔力を込め、その心臓を体重を乗せた一突きで刺し貫く。
ほぼ死体と化したその体を蹴りつけてヘイレンを引き抜き、次に背後から迫る魔獣の爪を避け、
ハインを攻撃し損なった魔獣のその横腹を切り裂く。どっと倒れ伏したその頭に、
ハイデマリーの魔力の込められた銃弾が叩き込まれるのを後目に、次の獲物に向かう。
正直、初陣と言っていい最初からこんな混戦になるとは思っていなかった。
ヘイレンを魔獣に見立てての戦闘訓練は幾度となく行ってきたが、本物はまた殺気が違うし、
今のハインはただただ平静を保つことに必死だった。そうしないとすぐに恐怖が頭をもたげてくる。
恐怖が勝った瞬間、きっと体は動かなくなってこの場から逃げ出したくなってしまうだろう。
今も、ヘイレンを握る体は小刻みに震えている。
だが驚いたのは、それでも二年間鍛え続けられてきた体が反応し、きちんと動くことだった。
とにかく今は魔獣をハイデマリーと、彼女の背に庇われて樹上にいるクララに近付けないことだけを考えよう。
今度は二体同時に襲い掛かってくる。焦りそうになる心を必死に抑える。
一体は樹上から急襲したリシャの太刀が、背中から正確に心臓を貫く。
ハインはもう一体の腹を捌き、倒れたところで確実に心臓を一突きにする。
……これで、一帯にいた群れは全部倒せたはずだ。
そう思ったが、森の闇の奥からまた獣たちの吠える声が近づいてくる。
それを聞いてリシャが太刀を肩に担ぎ、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「新手か。ハイン、まだやれるだろ?」
「やれるとは思うけど、キリがないよ。どうする?」
「湧いてこなくなるまで全部潰す」
「それしかないのか……」
リシャの実に単純明快かつ脳筋すぎる答えに、震える手で顎に滴る汗を拭ったその時。
二人の前方頭上に、光る魔方陣が出現した。その魔方陣から、厳冬のような冷たい風が吹いてくる。
「お二人とも、敵を引きつけたら離れて!」
ハイデマリーが叫びながら、拳銃のマガジンを交換している。
彼女の頭上、太い木の枝に立っているクララが、魔法陣に向かって手をかざしているのが見えた。
クララが魔法を使おうとしている。それを察したハインとリシャは、魔獣の群れが接近するのを待ち構えた。
群れが魔法陣の射程範囲内に入るまで引きつけると、それぞれバラバラの方向に跳んで退避する。
それとほぼ同時に、クララの声が響いた。
「氷精さん、わたしの敵を撃って!」
刹那、魔法陣から幾本もの氷柱が捻じりながら出現し、射出される。
無慈悲な氷の杭。それで頭や胴を射抜かれた魔獣たちがバタバタと斃れた。
中には致命傷を免れたものもいるが、それらはハインとリシャが見つけ次第止めを刺していく。
魔法陣は光を失って消え、辺りには静寂が戻る。森の奥からも鳴き声がしてくる気配はない。
どうやら、とりあえずはこれで打ち止めのようだ。
「みんな無事かしら?」
「はい。お見事です、お嬢様」
恐る恐る枝の上にしゃがむクララを、ハイデマリーが抱きかかえて下ろす。
今回の目的が目的だけに、クララも普段はしないような格好をしていた。
生成りのブラウスの上に濃茶の編み上げベスト、下はベージュのぴったりとしたパンツで、
上に共布のタイトなミニスカートを重ねている。膝丈のブーツに、ハーフ丈の白い外套を着けていた。
白金の髪は、今は三つ編みで一つにまとめられている。
可愛らしい要素と言えば、ブラウスの襟に青い花の刺繍がされていることくらいか。
対するハイデマリーも動きやすいパンツスタイルで、スタンドカラーシャツの上には青いコート、
頑丈な革のブーツ。ショルダーホルスターと右の太腿には銃を一丁ずつ携帯し、
その身にはボルトアクションライフルを斜め掛けにしている。
青い髪をポニーテールに結い、相変わらず前髪は顔の左半分をほとんど隠していた。
醸し出す雰囲気が歴戦の賞金稼ぎか、傭兵さながらである。
「クララの魔法、すごいな……」
「こういうときは便利なんだよね」
ハインとリシャがようやく一息つき、武器を下ろす。
ハインは黒いスタンドカラーシャツに紺色のベスト、黒いスタンドカラーのジャケット。
丈夫な素材の黒いスラックスに、膝丈の革のブーツを履いていた。
腰の後ろにはダガーを差し、太腿のホルスターには拳銃、腰には弾薬の入った小さな鞄を着けている。
その銀の髪や服装は、激しい戦闘のせいで少し乱れていた。
リシャはスタンドカラーの白いシャツに、黒のごく短いズボン。
いつものように黒いニーソックスを履き、黒いブーツを履いている。
背中にフードがついた、サイズが大きめの黒いジャケットを羽織っていた。
鞘はベルトで留めて、体に斜め掛けにしている。かがんだ時に前に流れてきた、
毛先が金色になっている赤い長い髪を、邪魔そうに背中のフードに入れ込む。
「森に入って早々群れに遭遇とはね。ミハイルの予想、大外れだな。
まあその方が面白いからいいけど」
島にいる時より明らかに生き生きした様子でリシャが言う。
思いっきり肝を冷やしたし、これが面白いだなんてハインには到底思えないのだが。
なんと言ってもここはまだ、異界の森に少し入っただけの場所なのだ。
時間は午前10時過ぎくらいだろうか。
近くにけっこうな水量の川が流れていて、この辺りはやや開けた場所になっている。
だが森の中は手入れがされているわけでもないので、鬱蒼として薄暗い。
それになんだか空気が淀んで、冷気が漂っているような。えも言われぬ不気味さがある。
そこに魔獣が死屍累々と転がっているので、さらにおどろおどろしい雰囲気になってしまっているが、
リシャはそんなことは意にも介さぬ様子だ。
「どうする? マリー。もっと奥へ進んでみる? でもこれだけ群れが出てるとやばいかな」
「やばいってどういうこと?」
「群れが大量発生しているときは、魔族か大型魔獣の出現の前触れのことが多いんです」
ハインが聞くと、ハイデマリーが答えてくれた。
魔族に、大型魔獣……さすがに初陣で相手にするには、荷が勝ちすぎる相手のような。
思わずクララと顔を見合わせてしまう。
「となると騎士団が来てる可能性も高いよな」
「そうですね。あまり奥へは行かない方がいいかもしれません」
「……騎士団の人とは、会わない方がいいんですか?」
今度の質問には、ハイデマリーは少し眉根を寄せた。どうも複雑そうな顔だ。
リシャの方は刀を地面に突き刺すと頭の後ろで腕を組み、何も気にしていなさそうな様子だったが。
「会わない方がいいというか……今はまだ私たちの消息を知られたくないので、避けています。
騎士団に知られること自体は問題ではないのですが……」
「結果的にあいつに見つかるようなことになったら、今はちょっと困るもんね」
「そうですね。お二人を守り切れないかもしれませんので」
答えてくれたのはいいのだが、どうにも話が見えない。
ハインとクララが訝しげな顔をしていることに気づき、ハイデマリーは困ったようにしている。
「とにかく今はあまり好ましくないということだけ、分かって頂ければ」
「そういうこと。で、どうする? 進む?」
「いえ、日を改めたほうが無難かと――――」
ハイデマリーが言い終えないうちに、いきなり遠くの方で何かが爆発するような音がした。
ハインたちがぎょっとしているうちに、リシャは素早く地面から刀を引き抜いている。
クララが身をすくめながらも、首肯を巡らせて呟いた。
「今のは魔法じゃないかしら?」
「やっぱり来てるみたいだな。ちょっと見てくる!」
「待ちなさい、リシャ!」
ハイデマリーが引き留める声も虚しく、リシャの姿が一瞬でかき消える。
頭上の枝が音を立てて揺れたので、一瞬であそこまで跳び上がったようだ。
そのまま枝を揺らして、音のしたと思しき方角へと行ってしまう。
こんな状況でバラバラになるなんて、さすがに悪手じゃないんだろうか?
そう思っていると、ハイデマリーが苦々しげにうめく。
「まったく、好戦的すぎて困ったものです」
「マリー先生、追いますか?」
「いえ、下手に動かないほうがいい。戻るのを待ちましょう」
「分かりました。とりあえず、どこか休めそうな場所を探します。クララ……」
クララを休ませようと、背後にいるはずの彼女の方を振り返ったその時。
ハインは一瞬、我が目を疑った。なんだ、あの透明な紐みたいなものは? 動いてる?
咄嗟に駆け寄ろうとしたのと、その紐みたいなものがクララの片脚に巻きつくのは、ほぼ同時だった。
「きゃあっ!?」
「クララ!」
「お嬢様!」
透明な細い紐みたいなものに引っ張り上げられ、クララが逆さまに宙吊りになる。
すると近くの川の中から、激しい水しぶきを上げて何かが出現した。
半透明なぶよぶよした感じの、細長い体をした、何か大きなワームみたいな魔獣だ。
木よりもまだ大きい。目は見当たらず、頭のてっぺん辺りに小さな口らしきものが見えている。
その体からは無数の触手が伸びてうねうね動いており、そのうちの一本にクララが捕まっていた。
宙吊りで、不安定にぶらぶら揺れている状態だ。
ハイデマリーが素早く拳銃を構え、その半透明の腹に銃弾を何発も撃ち込む。
が、魔力を込めた弾なのに貫通しない。
ワームが身を捩じらせると、その銃創から弾がポロポロと押し出されてくる。
「拳銃程度では駄目か」
ハイデマリーが呟き、武器を拳銃からライフルに持ち替える。
その間にハインはヘイレンを手に、行く手を遮るように伸びてきた触手を何本も斬り飛ばし、ワームへと迫った。
まずその半透明の体を横薙ぎに切り裂いてみたが、まるで妙に固いゼリーを斬ったかのような手応えだ。
どうもあのぶよぶよの体が、魔力を込めていてすら刀や銃弾の威力を減じてしまうようだった。
おそらく、物理攻撃より魔法の方が効くというタイプだろうか?
宙吊りにされながらもそれに気づいたらしいクララが、魔法を使おうとワームに手のひらを向ける。
「風精さ……きゃああああ!」
その時いきなり、ワームの頭部にあった小さな口のようなものが、ガバッと大きく開いた。
頭全体が丸く大きく開いて、すべてが口になってしまったかのようだ。
しかも蠢動する口の中、喉の奥の方まで、大小の牙がうごめいている。
あまりの気持ち悪さにパニックになってしまったクララを、一飲みにしようとしていた。
その瞬間、武器をライフルに持ち替えたハイデマリーがワームめがけて銃弾を撃ち込む。
凄まじい威力でワームの体が吹き飛ぶように真っ二つになる。どろどろした透明な体液が派手に飛び散った。
一緒に宙に舞うクララが悲鳴を上げる。ハインは跳躍して、空中で彼女を抱き留めた。
彼女を拘束していた触手は力を失い、ワームが落下するとともに自然と解けていく……が。
突然その触手が力を取り戻し、瞬く間に二人の体に巻き付いてくる!
「わっ!?」
ぐんっ!と体が引っ張られる。上半身だけの状態のワームから生えた無数の触手が、足のように動いていた。
驚くハイデマリーのライフルの追撃をかいくぐり、跳躍。
しっかり二人を捕らえたまま、そのままで、逃げるように川の中へと飛び込んだ。
ハイデマリーの声が遠く聞こえたその刹那、体が水中に没する。
ごぼごぼと泡立つ音が耳元で聞こえ、激しい水流に体が流されるのを感じた。
それでも水中で目を開けると、深い川の淵へとワームが二人を引き込もうとしているのが見えた。
ちぎれたその傷口が盛り上がり、水の中でみるみる再生していくのが分かる。
光も届かないような水底へ引き込んで、そこで二人をゆっくり食べようという算段らしい。
只人なら、それで食べられて終わりだったろう。だが二人は魔人だ。
魔力を込め、まずヘイレンに巻き付いている触手を斬り飛ばす。
水の抵抗の中ヘイレンを振るい、自分とクララを一まとめに捕らえている触手を力任せに断ち切って逃れる。
クララを抱えて、一旦水面へと浮上した。水流に流されつつも、それぞれ酸素を貪る。
「わたしの、魔法で……」
「っ、掴まって!」
短い時間で二人が発せた言葉はそれだけだ。ハインの足が触手に引っ張られ、ふたたび体が水中に没する。
自分の体にしがみつくクララに左腕を回して、離れないようきつく抱く。
二度目の水中での対峙。暗い水底を泳ぎながら触手を伸ばすワームが見える。
そして再生のために活発に動く青い心臓が、ハインの目にははっきりと映った。
元々水棲の魔獣なのだろうから、奴には地の利がある。
あの心臓を破壊しないことには、何度触手を断ったところで逃れられない。
ワームの頭部がふたたびガバッと開く。触手がぐっと二人を引っ張った。
大小の牙がうごめく口が見え、二人を飲み込もうとしている。
その口めがけて、ハインは迷うことなくヘイレンを突き立てた。青い血が迸って水を汚す。
苦痛に痙攣するワームの体を呵責なく蹴りつけ、離れる。
それでもまだしつこく触手を伸ばしてくるワームへと、クララが手を向けた。
ワームの心臓の辺りに輝く魔法陣が展開されるのを確認し、ハインは彼女を抱えてワームから
できるだけ距離を取ろうと水中でもがく。
ドンッ!と背後で炎の魔法が炸裂し、ワームの心臓どころか体そのものを吹き飛ばす。
衝撃でハインとクララも水面近くへと押し上げられた。
「……っ!!」
水流に翻弄されながらも、クララを抱いて水面へと浮上する。
二人して水面に顔を出すと、咳き込みながらも激しく酸素を貪った。
辺りには半透明のワームの残骸が浮いているが、心臓を潰されてさすがにもう再生はできないだろう。
からくも勝利したものの、しかし次はこの川の中から脱出する必要があった。
大きな川というか渓流で、両側は岩場になっている。とても泳いで岸辺に……という調子にはいかない。
さらに前方には大きな岩が迫ってきているのが見える。
「っ、ヘイレン!」
右手に握ったヘイレンを、とにかくその岩めがけて放り投げた。
眩しい光とともにヘイレンが狼の姿に変じ、大きな岩の上に降り立つ。
続いてハインが必死に岩に捕まると同時に、ヘイレンがその首根っこを銜えて引っ張り上げ、
そのまま跳躍して二人を岸辺の岩場に連れて行き、そっと下ろしてくれた。
クララは水を飲んでしまったらしく苦しげに咳き込んでおり、その背中をさすってやる。
「クララ、大丈夫? 助かったよ、ありがとうヘイレン」
『いや。無事で何よりだ』
ヘイレンの静かな青い瞳が、ハインを見下ろしていた。
それだけで少しほっとしてしまう。とりあえずワームからも川からも脱出できてよかった。
が、まだほっとしている場合ではない。呼吸を整えつつ、急いで自分の装備を確認する。
腰の後ろのダガーは無事で、腰のホルスターの拳銃も無事。
弾薬の入った小さな革の鞄も無事だ。銃は一旦銃身を乾かさないと使えないが、弾薬はおそらく無事のはずだ。
ヘイレンもいる、戦うのに支障はない。ここまではいい。
だが、自分たちが今いる場所も分からない状況だ。
ハイデマリーの姿も見えないし、リシャがどこにいるのかも分からない。どうやって合流すべきか。
「だいぶ下流まで流されたような気がするけど……」
『ハイン。戦闘音が聞こえる。近くで戦っている者がいるようだ』
「さっき言ってた騎士団の人かな……見つかる前に移動した方がいいかもしれない。クララ立てる?」
「ええ、平気……ありがとう」
ハインの手を取って立ち上がったものの、クララは足元がふらふらしている。
肩を貸すにはやや身長差があるので、自分に寄り掛からせるようにして歩き出す。
そのとたん、クララが小さく悲鳴を上げた。はっと気づく。
そういえばずっと足をワームの触手に巻きつかれて振り回されたりしていたのだ、痛めていてもおかしくない。
「どこが痛いの?」
「足首が……少し捻ったみたい」
捻挫だろうか。痛がりようから見て少しではないだろう。
立ち上がってはいたので、おそらく骨は無事だと思われるが……。
魔人の身なので捻挫程度なら時間を置けばすぐに治るが、この場はこのまま歩かせるわけにはいかないので、
彼女を横抱きにして抱えていくことにした。
「ごめんね、ハイン……」
「大丈夫、気にしなくていいから」
クララが申し訳なさそうに謝ってくるが、彼女一人抱えて歩くくらいはどうということはない。
それはいいのだが、二人とも全身ずぶ濡れだった。クララは寒いのだろう、少し震えている。
さもあろう、北方の春、まだ川の水は身震いするほど冷たかった。
レギィネイラの言によれば魔人が風邪を引くことなどないが、早く着替えさせた方がいいのは確かだ。
夕方には宿を取ってある町に戻る予定だったので、さすがに着替えは持ってきていないし、
早いところハイデマリーたちと合流して、森を出るのが賢明だろう。
「とにかく上流の方に向かおう。川をたどれば元の場所に戻れるだろうし」
ヘイレンに先導してもらい、上流に向かって歩き出す。
歩きながら耳をそばだてると、川の音と混ざって分かりにくいが、確かに剣戟の音や叫び声などが聞こえるようだ。
リシャもこの辺りにいるだろうか? だが探すにしても、大声を出すのはまずいだろうし。
などと考えていると、腕の中のクララが顔を見上げてきた。
「さっきの、上手くいってよかった。
ハインが魔獣の動きを止めてくれたから、ちゃんと狙いを定められたわ」
「ああ、うん。水中でも魔法って使えるんだね」
「そうなの。お風呂でね、レギィが教えてくれたのよ」
「お風呂でもレッスンしてるの?」
「まあ、遊びに近いけれど……『遊びの中にも学びがあるのだよ』ですって。だけど本当ね」
レギィの声色をクララが真似る。声はともかく口振りが妙に似ていて、笑ってしまった。
二人で少し笑ったあと、クララが胸に手を当ててふーっと息を吐く。
「ああ、怖かった! あの魔獣の口の中、夢に見ちゃいそう」
「大丈夫?」
「ええ、でも、最初はちょっとパニックになっちゃった。
こんなんじゃだめね、レギィに笑われちゃう」
「まあパニックにもなるよ、あれは……」
正直、あの口はものすごく気持ち悪かった。思い出すのも嫌なくらいに。
結果的には二人とも無事で、本当に良かったが……。
「でも、俺だってそうだ。リシャならきっと、もっと楽にクララを助けられてた。
がんばってきたつもりだけど、まだまだだなって思ったよ」
「そうね、わたしも」
そう言って、クララと苦い笑みを交わしたときだった。
ヘイレンがぴくっと耳を立てて立ち止まる。
『待て、ハイン。声が……』
ヘイレンの声と同時に、何者かの急接近を感じた。
そのときにはもう、前方の鬱蒼とした繁みがガサッと大きく揺れる。
かと思うと、誰かが喋りながら飛び出してきた。
『そんなサボってるとまた怒られるわよ?』
「分かってるっての。ちょっと煙草一本吸うだけだからよ……ん?」
「……え?」
ばったり、という言葉がこれほどぴったり当てはまる状況もなかなかないだろう。
繁みから出てきた人物と、思いっきり目が合った。
年の頃は25、6歳くらいだろうか、若い男性だ。涼し気な吊り目で、見事な碧眼をしている。
真っ直ぐな、毛先に行くほど金色になっている長い黒髪。それを高い位置で一つに結っている。
かっちりとした詰襟の黒い軍服のような制服に、なめし革の黒い膝丈ブーツ。腰にはベルトで打刀を佩刀していた。
そしてその首に後ろから抱きつくようにして、ふわふわと宙を漂っている艶っぽい女性がいる。
燃える黒い炎のようなドレスを身にまとい、真っ直ぐな黒髪は毛先だけが赤い。
いたずら気な赤い瞳をしていて――――あれ?
ここまでで、いくつもデジャヴを感じずにはいられなかった。
似ている。リシャと。
「あ? なんだお前ら?」
若い男性が煙草を銜えかけていた手を止めて、ハインたちを睨む。
その瞬間、理屈ではなく感覚で分かってしまった。
お互いが、魔人であるということが。




