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第3章‐10話

秋も深まってきた、十月。

朝晩は気温がぐっと下がるようになり、肌寒さを感じる季節になっていた。


早朝、ハインはキッチンの石窯の前にいた。

寝癖をきちんと整えた銀の髪は、薄暗いキッチンの中でも柔らかく輝いている。

繊細な氷細工の如き銀の睫毛が縁取る、透き通るような空色の瞳。

姿勢よく立つすらりとしたその身にまとうのは、

一番上の台襟ボタン以外をきっちりと留めた白い長袖シャツに、紺色のVネックのカーディガン。

グレーのスラックスに革靴という、生来の生真面目さを感じさせる服装。

この島に来てからはすっかり、稽古が休みの日にしかしない格好になってしまった。


妙に真剣な表情で、石窯の中の暗闇を覗いていると。

そこに螺旋階段を下りてくる、軽妙な足音が聞こえてきた。

足音の主はキッチンに姿を現すと軽やかに駆けてきて、迷わずハインの背中に抱きつく。


「おはよう、ハイン! 何をしてるの?」

「おはよう、クララ。せっかく休みだからさ、ケーキでも焼こうかと思って」

「まあ、どんなケーキ?」

「チーズケーキにしてみた。クララ好きだろ?」

「ええ、大好き!」

「うまく焼けてくれるといいけど」


その言葉を最後に、早朝から作ったケーキを石窯の中に入れ、ミトンをした手で窯の扉を閉める。

パンを焼いた後の余熱で焼き上げるので、石窯はすでに熱い状態なのだ。


「ふふ、楽しみ!」


背中にくっついているクララを振り返ってみると、うれしそうに笑っていた。

アメジストを思わせる薄紫色の大きな瞳は、瞬く星のよう。

その瞳を、けぶる様な長い金の睫毛が縁取る。

白金の髪は今日は解かれたままで、薄暗い場所でも淡くきらきらと輝いていた。

今日のクララは足首まである生成り色のふんわりした長袖ワンピースに、

茶色の編み上げベスト、編み上げのブーツを合わせた姿だった。

肩には赤を基調にしたチェックのショールを掛けている。


そのあとクララは黙ったまま、なぜか背中から離れようとしない。

なんかちょっと、すんすん?してる? え、ちょっと待って嫌な予感がする。


「待って。あの、もしかして、匂いとか嗅いで……ないよね?」

「まあ! どうして分かったの?」

「ちょっ、え、なんで? なんで嗅ぐの? やめよう!?」

「だってハインの匂いって落ち着くんですもの」

「あー! あっ、ちょ、マリー先生! なんとか言ってください!」

「はしたないですよ、お嬢様。めっ、です」


ちょうど卵の籠を抱えて傍を通りかかったハイデマリーに助けを求めると、

彼女は銀縁の眼鏡をくいっと押し上げながら、たしなめて?くれた。

その眼鏡の奥には、今は細められている、ヘーゼルナッツのような美しい色合いの榛色の瞳。

相変わらず青い髪をポニーテールに結い、前髪は顔の左半分をほとんど隠している。

ハイネックの黒いリブセーターに青いパンツとブーツという、ラフな格好だ。

この頃、メイド服は冗談だったのかと思うようになるくらいには、見慣れてきた。


「いけない、叱られちゃった!」


ようやく背中から離れ、両手を後ろに組んで小首を傾げ、ふふ!とクララが笑う。

そんなかわいい仕草で笑われてもさすがに、いいよとは言えない。匂い嗅がれるとか恥ずかしすぎる。

ミハイルが「朝から大変ねー」と、ぜんぜんそうは思っていなさそうなニュアンスで言うのが聞こえてきた。




朝食のあと、レギィネイラを除く面々は、畑のそばに集まった。

そこには大きな二本の林檎の木がある。赤林檎と、青林檎の木だ。

秋の実りの季節を迎え、どちらの木にも林檎がたわわに実っている。

というか、たわわに実りすぎている。なので大きさもわりと小さいものが多かった。


「今まではアタシとリシャの二人だけだったからねー。ちゃんと手入れもできてないのよ。

 来年はある程度大きく育つように、剪定したり摘果したりしておかないとね」


ミハイルが腰に手を当てて、垂れ目気味の碧眼で木を見上げている。

スタンドカラーの黒いシャツに黒いスラックス、黒い革靴。

その中で、上に着ている綿入りの、花柄の赤い羽織りだけが華やかで目立っていた。

背が高くて、均整の取れた筋肉のついた体をしているので、彼は何を着ても様になる。

癖っ毛の金髪が、秋の風にフワフワと揺れていた。


「二人とも、ある程度大きいのだけでいいからね。残りは鳥が冬に食べるから」

「うん、分かった」

「ある程度ってどの程度だよ」


ハインが赤林檎、リシャが青林檎の木にそれぞれ登りながら答える。

リシャの真っ赤な髪が、青林檎の木の中でよく映えていた。

スタンドカラーの白いシャツに、V字ネックの黒いニット。黒のごく短いズボン。

黒いニーソックスを履き、黒いブーツを履いている。彼女は相変わらずの黒ずくめだ。


ある程度の大きさの果実を鋏でもいでは、下にいるミハイルとハイデマリーに投げる。

それなりに選別しているハインはわりとゆっくりなので、ハイデマリーに投げて、

それをクララが受け取って籠に入れていく。リシャの方は、明らかに小さいものでなければ適当で、

次々もいではポイポイとミハイルに投げてよこしていた。「もうちょっと選んでよ!」と文句を言いつつ、

それを曲芸じみた動きで受け取るミハイル。なんだかんだ息はぴったりだ。

そんな感じで、みるみるうちに大小のいろいろの収穫籠はいっぱいになってしまった。


「これ以上採っても食べられませんね。終わりにしましょう」

「そうね。これだけあったら冬中ずっと楽しめるんじゃないかしら?

 今年はいろいろ作れそうね! コンポートとジャムは絶対作るでしょー。みんなは何食べたい?」

「やっぱりアップルタルトは外せないわ。新鮮な林檎をいっぱい乗せるの!」

「いいわねー! タルトタタンも食べたいけど、作るの面倒だわあ。ハイン作ってくれない?」

「ん? 分かった」

「ハイン君、作ったことがあるんですか?」

「ないですけど、まあレシピがあればなんとかなるかなと」

「便利に使われてるぞお前」


そうなのだろうか。でもまあ、おいしく作れたらクララもみんなも喜んでくれるだろうし。

それならそれでいいかな、と思う自分に、ハインはあまり疑問など感じないのだった。


「さて、じゃあ片付けましょうか」というミハイルの号令で、それぞれ梯子を片付けたり、

倉庫の地下の貯蔵庫に林檎を運び込む準備を始める。

まずは虫食いなどがないか選別をして、終わったものから順次運び込む形だ。

選別が終わったものを、ハインはミハイルとリシャと一緒に倉庫へと運ぶ。


人ならとても一人で持って歩けないような、木箱にいっぱいの林檎を軽々と抱えて小道を歩く。

途中に通る畑のそばでは、ニワトリが地面をつついたり、ヤギの親子がのんびりと草を食んでいた。

霜が降りる前なので草はまだ青いが、冬の間はこういう光景も見られなくなるだろう。

日向では、ヘイレンとシャルラハが微妙な距離を保って午睡を取っていた。

柔らかな風が頭上の木々を揺らし、小道の上に秋の木漏れ日を散らせる。


「……こんなに穏やかな日もあるんだね」

「ああ、そうよね。考えてみたら、あなたたちはここに来てから、

 きっとゆっくり立ち止まる暇もなかったわよね」

「ヒヨコに立ち止まる暇なんてないでしょ。死にたくなかったら走れって話」


相変わらずリシャが手厳しすぎて苦笑してしまう。

だが、本当にその言葉通りの数か月だった。もちろん折々に休息日はあったものの、そういうことではなく。

全体を通して振り返ってみると、精神的にもずっと走りっぱなしだったような気がする。

今、やっと少し、周りを見る余裕ができてきたというか。

だからこそハインは思わず呟いていた。


「……こうやってみんなで過ごせるなら、永遠もそんなに怖くない気がする」

「え? ああ、あれのこと? 永遠みたいな寿命って話」

「うん」

「そうねえ、アタシも最初は怖い気がしたわ。

 でもね、ほんとに永遠生きるかなんて分からないし」

「そうなの?」

「そうよお。まだ誰も生きたことがないから分からないだけよ!

 この中で一番に魔人になったの、マリーだし。永遠なんてまだ全然よ」

「そう言って何百年とか生きるんじゃないの? レギィもそのくらい生きてるんでしょ」

「まあそれならそれでもいいんじゃない? 独りじゃないんだし」


あっけらかんと明るくミハイルが笑う。

その明るさが、自分たちの行く道を照らす方法を教えてくれる気がする。

魔人になったあの日、ハインもクララも、まるでこの世に二人きりになったように心細かった。

でもそうではなかったのだと、今は分かる。

彼らとともに永遠の夜を乗り越えていく、そのことが。

ここに来てから教わった一番大切なことなのではないかと、ハインは思っていた。





・・・ + ・・・ + ・・・ + ・・・





林檎の収穫を終えて、昼下がりの時間。

ハインとクララは手を繋いで、島の西側の草原を歩いていく。

いつもは稽古に明け暮れている場所だが、休息日の今日は一番ひっそりした場所になる。


「寒くない?」

「大丈夫よ」


歩きながら振り返ると、湖を渡る穏やかな風に髪を押さえて、クララが微笑む。

休息日にはどんなに短くとも、できるだけ二人で過ごす時間を持つようにしていた。


湖を見下ろせる丘の上で、二人して草の上に腰を下ろす。

そこでハインは、ここに来てからずっと仕舞ったままだったバイオリンケースを開いた。

実は数日前、ミハイルと一緒に街に冬支度に赴いた際、楽器専門店に立ち寄り、

弦と弓を張り直してもらってきていたのだ。


「ちょっと弾いてはみたんだけど、全然思ったように弾けなくて。

 夜中にヘイレンに付き合ってもらって、外で練習してたんだ」

「ええ、知ってるわ。かすかに聴こえていたもの」

「やっぱり聴こえてた? 狭い島だもんな。シャルラハにめちゃくちゃうるさがられてさ……」

「ふふっ、怒るところが目に浮かぶわね」


クララがおかしそうに、可愛い声でころころと笑った。

ハインはバイオリンを構え、何度か音を出してみる。シャルラハには申し訳なかったけれど、

今日までにどうしても少し弾いておきたかった理由があった。それは……。


「クララ、一緒に歌ってくれる?」

「わたしも?」

「うん。久しぶりにクララの歌が聴きたい」

「もちろん、いいわ」


ここに来てからハインもバイオリンを弾くことがなかったけれど、クララもまた歌うことはなかった。

何を歌うかしばし相談して、故郷に伝わる牧歌的な古い童歌に決める。

クララの唇が息を吸い声を出す、その最初の瞬間が好きだ。間髪入れず、伴奏を合わせる。

久しぶりで二人ともはじめはぎこちなかったけれど、だんだん呼吸が合い始める。

ああ、こうだった。こんなふうに二人で何度も歌って、演奏してきた。

二人のほかに誰も聴くことのない音楽が、輝くような秋の空に吸い込まれていく。


「……ああ、楽しかった!」


演奏が終わると、少しだけ息を弾ませてクララが笑った。

そうだねとハインも微笑んだ。

やはり久しぶりで、すっかり鈍っていて、指は思うようには動かなかったけれど、

そんなことがどうでもよくなるくらい楽しいひと時だった。


バイオリンをケースに置くと、クララが見計らったように横から抱きついてくる。

小さな頭が、ちょうどハインの左胸の上に寄り掛かるような形だ。


「ふふ、ハインすごくドキドキしてる」

「好きな子にそんなふうにされたら、誰だってドキドキするよ」

「好きな子……!」


何度も伝えているし、今更だとは思うのだけど、クララはいちいち目を輝かせて仰いでくる。

さらりと言いたいのに、そういう反応をされるとこっちが恥ずかしくなるというか。

それにクララが顔を上げると、顔がほとんど至近距離になる。

アメジストの瞳の美しい虹彩すら覗き込めて、薔薇色の唇の吐息さえ感じられるほど。

近い。キスできそうなくらいに。


「あんまり不用意にこういうことされるの、ちょっと困る」


視線を泳がせ、クララの肩を掴んでぐいっと体から離した。

しがみついていたはずなのに簡単に身を離されてしまったクララは、きょとんとして首を傾げる。


「困るって、どうして?」

「だって我慢できなくなるから」

「我慢?」

「……キスしたい」


クララのあまりに無垢な追及に、あっさり白状させられてしまった。

アメジストの瞳をぱちくりとさせるのを、許しを乞うように見つめていると、

クララは眉尻を下げてはにかみ微笑んだ。


「ハインったら正直ね」


そう言われると返す言葉もない。

黙ってそれを肯うしかないハインに、彼女はくすくすと笑って聞いた。


「キスってどうやるの?」

「分からない、したことないから。してもいい?」

「いいわ」


興味津々といった様子でクララが頷く。

でもお互いに初めてとなると、どうやってすればいいのか分からない。

ぎこちないながらも、お互いにそおっと顔を近づけてみる。

すると、つんっとお互いの鼻が触れてしまい。目が合った瞬間、思わず苦笑しあった。

そうか、どっちも正面から近づいたらこうなるよな、と分かって。


「クララは動かないで」


クララの柔らかな頬に片手を添える。

そうして瞳を閉じるクララに、顔を傾けてキスをした。

それは本当に、ただひととき唇が触れ合うだけのキスで。

ただ、それだけのことなのに。

顔を離して見つめ合ったとき、クララが小さな声で呟いた。


「……キスって難しいのね?」

「本当に」


自分たちがあんまりつたなくて、思わずお互い吹き出して笑ってしまう。

本当に、こんなに難しいものだとは思わなかった。


「でも、すごく幸せな気持ちになるわ」

「そうだね」


同じ触れ合うことでも、手を繋いだり、抱きしめることとはまた違う。

今までに感じたことのない、それは特別な幸福感だった。

だがその余韻に浸る間もなく、クララがはっとしたように目を瞠った。


「あ、でも、またレギィが視てるかも……」

「ああ……いいよ別に」

「いいの?」

「見たければ見ればいいさ。

 俺はもう君に気持ちを隠すことはしたくない。五年間ずっと隠してたんだから」


レギィネイラはこの島にいる限り、どこにいても自分たちのことを視ることができる。

でもそんなこと、自分でも驚くくらいに今はどうでもいいと思えた。

そんなハインにクララも最初は驚いていたが、やがて大きく頷く。


「それもそうね! だってわたしも五年間ずっと、わたしの片想いだと思っていたんだもの」

「俺もだよ」

「ね!」


見られて恥ずかしいとかどうとか、そんなことよりも。

目の前にいる大切な人と、二度と会えなくなるはずだった人と、想いを伝えあっていたい。

そもそもレギィネイラがいなければ今はなかったと思えば、少しくらいは好きにすればいいと思った。

まあ、もちろん、限度というものはあるけれど……。


「あ!」

「どうしたの?」

「ハインの作ったケーキ食べたい!」

「ああ、忘れてた。じゃあ戻ってお茶にする? みんな家にいるかな」


クララが思い出したのは、朝に焼いたチーズケーキのことで。

そういえば涼しいところで冷やしておいて後で切ろうと思って、すっかり忘れていた。

バイオリンケースを手に立ち上がり、クララに手を差し伸べて立たせる。


「ハイン、レギィにもケーキ、持って行く?」

「いや……今行くと絶対からかってくるから、行かなくていいよ」

「ふふ、じゃあ残しておいてあげましょう。まあわたしが食べちゃうかもしれないけれど!」


手を繋いで歩きながら、そんなことを言って笑いあう。

風も冷たくなってきたし、温かい紅茶やコーヒーを淹れるのもいいだろう。


湖の向こうに見える遠い山の峰には、もう真っ白な雪がかかりはじめている。

遠からぬ冬の到来をすぐそこに感じられていた。

でも、ふたたび巡り来る春を君とともに待てるのなら、何も怖くはないと。

心からそう思えた。






第3章 了

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