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第3章 -8話

暑さも落ち着き、風に秋の気配が漂う九月。

穏やかな陽を受けて輝く森の樹木は、黄色や赤に紅葉しはじめている。

そう、森の中。ここはいつもの魔女レギィネイラの島ではない。


島のある湖を有する町、クローチェ。

そこからさらに離れた場所にある、峻嶮な山脈の麓に広がる手つかずの森だ。

ここは時折、魔獣が出ることもあるらしく、地元の人間もあまり森の奥には近づかない。

サバイバル訓練にはもってこいだろうと、ミハイルが選んだ地がここだった。


森の中、渓流のそばのやや開けた場所。ミハイルが地面に立てた木刀を持って立っている。

フワフワした癖っ毛の金髪に、垂れ目気味の見事な碧眼という甘い風貌。

ハインよりも背が高く、均整の取れた筋肉のついた体をしている。

黒い詰襟の長袖シャツに、黒いスラックス姿にブーツ。

その上から、織物で作られた袢纏はんてんと呼ぶらしい、丈の短い黒の羽織を着ている。


「獣型の魔獣の弱点は、基本は腹よ。腹を斬って動きを鈍らせてから、脳か心臓を破壊する。

 それで奴らの息の根を止められるわ。できるなら最初から脳か心臓狙いでもいいけどね」

「はい……!」


ミハイルが背後から見守る中、ハインは打刀を下段脇に構えて立っている。

稽古着として使用している、丈夫さが取り柄の生地でできた黒い長袖のTシャツとズボン。

森の中でも自由に動けるよう、膝丈の頑丈なブーツを履いている。

爽やかな風がハインの銀髪を揺らした。

その透き通るような空色の瞳は、今は少々焦りを映して、忙しなく周りを見ている。

ここに来て早一週間。森の中でミハイルとヘイレンを相手に、毎日稽古に明け暮れていた。


今握っているのはヘイレンではなくミハイルの刀で、銘は《芙蓉》。

真剣を使っての稽古は、今のところまだヘイレンを相手にするときだけだ。

森の中に潜んで気配を消しているヘイレンがどこから来るか、まったく読めない。


「っ!!」


ざっ!と繫みが揺れ、ヘイレンが飛び出してきた。

普段の静かな様子からは想像できないくらい、激しく牙を剥いて襲い掛かってくる。

それをかわしつつ腹を斬れれば成功だが、完全に出遅れた。

慌てて刀を下から振り上げるが間に合わない。がきっと音がして、ヘイレンが刀に噛みつく。

そのまま後ろに押し倒され、身動きが取れなくなってしまった。

ぐるる、と唸るヘイレンの顎が間近に迫る。必死で押し返そうとするが、びくともしない。


「いいわ、ヘイレン」


ミハイルが指示し、ヘイレンがゆっくりと刀を放して離れる。

ちなみにヘイレンはそもそも金属なので、刀を噛んでも怪我をしたりはしない。

同じく体毛にも腹にも、刃は通らない。よほど魔力の密度を高めて刀に付与すれば斬れないこともないらしいが、

今のハインには無理な話だ。それを踏まえての稽古ではあるが。

ミハイルが木刀を自らの手のひらに叩きつける。バシッ!と鋭い音がした。

普段の温厚さからは考えられないほど冷ややかな瞳で、ハインを見下ろしている。


「相変わらず全身の魔力のまとい方が不安定。だから簡単に体勢も崩されるのよ。

 それと攻撃を受ける時は、落ち着いて刀に魔力を集中させる。いちいち動揺しない!」

「はい……!」

「本物の魔獣だったら何回死んでると思うの? もう一度!」

「はい!」


実は稽古の時、誰よりも一番厳しいのがこのミハイルだった。

だがそれは彼の真剣さの表れでもある。

ハインは顎に滴る汗をぬぐい、立ち上がった。



――――またある時には。



ミハイルと山中を駆けまわりながら、木刀で打ち合う。

駆けまわりながらと言っているが、実質はハインが一方的に追われる側だ。

下草の生い茂る斜面を駆け上り、駆け下り、生えている木々を避けながらの攻防。

転んで滑落したり、枝で体を突かれて怪我をしたりなど、一度や二度ではきかない。

ミハイルは足場がどんな状態の場所であっても、息一つ乱さずぴたりとハインに並走してくる。

体中ボロボロになりながら、それでも向かっていかなくてはならない。


木の向こうからミハイルが急襲してくる。

迫るミハイルの木刀を受けるが、急な斜面で踏ん張りがきかずあっさり体勢が崩された。

そのがら空きの腹部を足裏で容赦なく蹴られ、蹴り落される格好で斜面を転がり落ちる羽目になる。

木刀だけは放さなかったが、強烈なのを腹に食らってしまい、たまらず咳き込む。

人だったなら内臓がやられていそうだし、手足の骨折も免れないだろう。


「こんなもんじゃないでしょ?」


斜面を降りてきたミハイルが、ハインを見下ろす。

薄暗い森の中、その美しい碧眼が猛禽の如く炯々と光っていた。


「まだ人だった時の感覚に縛られてるのよね。その体はもっと動けるはずよ」

「ゲホッゲホ……はいっ……」

「だいたいあなた、未だに人に対して刀を向けるのに躊躇いがあるわよね。

 いつまで人のつもり? あなたは魔人なのよ。今までの生き方は捨てろと言われなかった?」

「はい……!」

「対敵したら躊躇するな! もっと死ぬ気でやれ!」

「はい!」


痛みに悶えている暇も、恐怖に震えている暇もない。

今のハインには、木刀を握って立ち上がること以外の選択肢は残されていなかった。



――――そしてまたある時には。



木刀を正眼に構え、静かに瞑目する。

近くを流れる渓流の音や、木々を揺らす風のざわめき、その度に散る木洩れ日。

それらが聞こえなくなるまで、己の身の内に向かって集中する。

体の中にある魔力炉から絶え間なく供給され、全身を流れる魔力を知覚できるまで。


体の中に、ちりちりとした感覚があるのが分かる。

血液のように全身を巡っているそれで、己の体全体を包むイメージをする。

魔力を使うことは、ある意味では魔法を使うことと同じだとレギィネイラに言われた。

魔法はイメージでできていると。

契約した精霊にイメージを伝え、魔力と引き換えに発現させるのが魔法の基本だと。


これは魔法とは違うが、イメージが大切なことに変わりはない。

身体全体を包むイメージから、徐々に出力を絞って、ぴったりと薄く体にまとうイメージをしていく。

そしてそれを維持し、持続させること。これが何より難しい。

何分、何十分、一時間。どのくらい経ったろう。

瞼を通して感じられる木洩れ日は、最初の位置からずいぶん動いたような気がする。


「うん。いいわね」


ミハイルの声がして、目を開けた。

やっていたことは目を閉じて浅く呼吸していただけなのに、じっとりと汗をかいている。

まだまだ慣れないが、いずれはこれを無意識でもできるようにならなければいけないのだ。


「とにかく反復練習しかなさそうね。最終的には眠っててもできるようにならないと」

「眠ってるときでも……!?」

「寝込みを襲われたらどうすんの。アタシたちがいない時に襲われたら、

 あなたがクララを守らないといけないのよ。外に出たら気を抜く暇なんてないんだからね。肝に銘じなさい」

「はい」

「よし、じゃあ少し休憩したらもう一度!」

「はい……!」



……そんなことの繰り返しが、もう一週間に渡って続いていた。

少しずつできることは増えているような気もするが、果たして自分は前に進めているのだろうか?


今はすっかり日も暮れて、静かな夜の帳が森を包んでいる。

一時的な拠点にしている小さな洞窟の前で、ミハイルとヘイレンとともに焚火を囲んでいた。

二人と一匹だけでやってきたので、当然、クララにもしばらく会えていない。

どうしてるかな。そんなことを考えられるのは、就寝前のわずかな時間くらいだ。


今も焚火の明かりを頼りに、ハイデマリーから課せられている、拳銃を分解して組み立てる練習をしている。

古めかしい銀の銃身を持つリボルバー拳銃だ。

銃器の内部構造をきちんと頭に入れておけと言われていて、今はリボルバーだが、

これに慣れたら次はセミオートのハンドガン、ライフル等々、と言い渡されている。

普段は、ハイデマリーが愛用しているセミオートのハンドガンを使用しての射撃訓練も始まっていた。

……我ながら短期間でかなり詰め込まれていると思う。

そんなことを考えながら、銃を最後まで組み上げる。


「ふう……」

「あなたってわりと器用よね? マメだし。アタシそういうのぜんぜんダメなのよね」

「そうなんだ? なんか意外だな」

「騎士団にいた頃も触ったことはあるけど、すぐ調子悪くしちゃってさ。

 内部の掃除をしないからですよとか、よくマリーに怒られたもんよ」

「へえ。どうして掃除しなかったの?」

「ん? だって面倒だからよ!」


あっけらかんと笑うミハイル。

まだそんなに付き合いが長いわけではないけど、ミハイルって意外にこういうところあるよなと思う。

わりと大雑把というか、大味というか……。


ハインの傍らには、ヘイレンが寝そべって目を閉じている。

夕食も水浴びも済ませた今が、ここでの一日で一番穏やかな時間だった。

パチパチと火の爆ぜる音を聞きながら、ハインはふとさっきの不安を口にしていた。


「あの、ミハイル。俺ってちゃんと進歩してる?」

「あらま。不安?」

「だって俺、ぜんぜん上手くできなくて……」

「まあ、稽古中はあえて厳しいことばっかり言ってるけどね。

 ちゃんと成長してるから大丈夫。ちょっとくらい自信持ってもいいわよ」

「……うん。ありがとう」


焚火の赤い光に照らされたミハイルが微笑みながら、焚火を木の枝でかき回す。

バチンと音が鳴って、一瞬火の粉が舞った。

焚火の火種は、ミハイルが魔法で作ってくれたものだ。小さな火花の出る魔法。

ミハイルは水の魔法を得意としているらしいが、少しだけ火の魔法も使うことができる。

これを覚えられたら、野宿の時も料理の時も便利だろうなと思うのだが、

まず精霊を見ることも感じることもできない時点で、ハインには魔法の才能は皆無らしい。


「ほんと、がんばってるわよ。あなた、ここに来るまで音楽家になるつもりだったんでしょ?」

「ああ、うん。バイオリンばっかり弾いてて。作曲家になろうと思ってた」

「へえ、そうだったの! バイオリン、今度聴かせてちょうだいよ」

「うーん……全然手入れしてないからなあ。弦と弓を張り替えないと無理かも。

 弦は自分じゃできないから、専門店に持ち込まないと」

「あら、それなら言えばよかったのに。今度連れて行ってあげるわ。

 どのみち冬支度のために、これから何度か町に出なきゃならないしね」


ああ、今年はあの島で冬を越えるんだな。ふとそう思った。

島に来てからもミハイルやハイデマリーに付いて、食糧や生活用品の買い出しには行っていたが、

冬支度となるとまた違う。やはり故郷より冬は厳しい土地なのかもしれない。


「この辺りは雪は深いの?」

「わりと積もるわよ。寒いし。だからあなたたちの防寒着とかも揃えないとね。

 衣料品と薪と食糧、あと毛布もか。また買い出しの時は手伝ってね」

「分かった」

「あ。あとね、湖は凍っちゃうから。全面結氷だから」

「えっ全部凍るってこと?」

「そうよ。向こう岸まで歩いて渡れるわよ。めちゃくちゃ寒いけど」

「へえ、面白そう」

「そんなの最初だけよー! まあ滑って遊んだりしたら、あなたたちなら楽しいかもね。

 でも氷が薄いところはあるから、注意しないと冷たい湖に落っこちるわよ」


滑って遊ぶ……本で見た、いわゆるスケート遊びみたいなことだろうか?

故郷の湖は歩けるほど凍結したりしなかったので、スケートはやったことがない。

確かにちょっと楽しそうではある。そこでも稽古をさせられそうでもあるけれど……。

しかし、ミハイルは島での暮らしにずいぶん慣れているような感じだ。


「ミハイルは、あの島に住むようになって長いの?」

「ん? そうねえ。十数年くらいかしら。と言ってもずっとあそこにいたわけじゃないけどね。

 リシャと一緒に魔獣退治で賞金稼いだりしてね、いろんな国を回ってまた帰ってくるみたいな」

「へええ……」

「外へ出ると長く一箇所には留まれないからね。レギィもアタシたちも追われる身だから。けっこう大変なのよ」

「敵が多いって、レギィが前に言ってたけど……何かに追われてるってこと?」

「レギィはあなたたちに何も話してないの? そっか」


ハインが首を振ると、ミハイルは頷いて、少し考えるように優美な顎に指を当てた。


「どこまで話せばいいかしらね。でもレギィが話してないなら、何か考えがあるのかもしれないし。

 アタシの口からは言わない方がいいかもしれないわね」

「……レギィが話してくれるまで?」

「そうね、今は知らなくていいのかも。必要ならレギィは必ず話すはずだから」

「そっか……」


レギィネイラやハイデマリーやミハイルたちの、過去について。

教会でどんなことをしていて、何があったのか。

そのことを、ハインたちはいまだに何も知らないままだ。

だがミハイルの言うように、教えないということは魔女にも何か考えがあるのかもしれないと思う。

……考えなどまったくない可能性もなくはないのが、あの魔女だけれど。


「ただね、一つ覚えておいてほしいのは、あなたたちがレギィの特別な魔人だってことなの。

 それだけであなたたちには、アタシたちとは違う価値がある。切り刻んで調べたがる奴もいる。

 だからちゃんと自分で自分の身を守れるようになってほしいのよ」

「うん……分かった」


それがどんな価値なのかは、ハインにはまったく分からない。想像も及ばないことだ。

だが、ミハイルが本気でそれを心配していることは分かる。

そうでないなら、ミハイルもハイデマリーも、あんなに真剣に稽古をつけてくれるはずがないから。

たぶん、彼らは急いでいるのだ。一刻も早く、ハインたちが一人前の魔人として独り立ちできるように。

だからこんなに急いで詰め込んで鍛えようとするのだろうと思う。


さすがに何もできないまま、切り刻まれたりはしたくない。

でも……いったい何者がそんなことをするというのだろう?

もう少し詳しく聞きたいと思ったが、ミハイルは両手を組んでぐぐっと伸びをすると、大きく息を吐く。


「……さあて! 明日も地獄の特訓は続くからね、そろそろ寝ましょ!」

「明日も地獄なの?」

「当然でしょ、この特訓で少しでも魔力の使い方なり収穫を得てもらわないと。

 もともと二週間の予定だからね、まだ地獄は半分残ってるんだから」

「……はい」

「うふふ。じゃ、あと一週間がんばりましょうね!」


一点の曇りもない微笑みにむしろ地獄を予期して、ハインは内心震えた。

あと一週間……果たして生きて帰れるのだろうか。





・・・ + ・・・ + ・・・ + ・・・





少しばかり、時は流れ。

ハインたちが特訓のために島を離れて、二週間が過ぎたころ。

島に残っているクララも、相変わらず魔法の練習に明け暮れていた。


レギィネイラの手解きで、これまでに契約を交わした精霊は二つ。

水の精霊と、風の精霊だ。


「元素魔法は魔法の基礎中の基礎だ。魔法使いの最初は、元素精霊と契約することから始まる。

 自身の魔力を精霊に渡して、己のイメージを具現化してもらう……というね。

 だが最終的には精霊に頼らず、己でイメージの具現化を成し遂げるレベルまで到達すること。

 それが魔女であり魔法使い、魔法の神髄だ」


いつもの、研究室の地下の魔法実験室。

お互い椅子に掛けて向かい合い、クララはレギィネイラの講釈を聞いていた。

今日はスクエアネックのサックスブルーのワンピース。五分袖のパフスリーブで、

町娘のように腰にエプロンを巻いている。髪は今は邪魔にならないよう、ゆるくおさげに結っていた。


「魔力があり、魔法使いとしての素質があれば、基本どの精霊とも契約はできるがね。

 やはり人それぞれ相性というものがあるのだよ。

 私の見たところ、君は気性の荒い精霊とも相性がよさそうだと思っている。

 見た目の柔和さに惑わされがちだが、君の心はそうじゃないからな」


対するレギィネイラは、今日は黒のスリップドレスに白衣をまとっている。

この人はいつも下着すら着けずにこういう格好でうろつくのが困りものだ。

ここしばらくは島に女性しかいないのも相まって、魔女はよけいにだらけがちだった。

そんな恰好で片足を膝に乗せて座り、その上に片頬杖をついている。

今日も眼帯はしておらず、あの魔法陣のある右目がクララを見ていた。


「君はたおやかに見えて芯が強い。素直そうに見えて強情だ。

 君の本質は光だが、同時に闇も抱えている。そういうところがきっと魅力的に映るだろう。

 だからまずは火精。火の精霊との契約に臨んでもらう」

「火?」


思わず聞き返すほどには、自分でも意外なものに聞こえた。

レギィネイラから聞いた精霊の元素魔法の属性は、全部で七つ。

火・水・風・土・雷・光・闇。

なんとなく、火や雷、闇といったものには恐ろしいイメージを抱いていたので、

そのうちの一つを相性のいいものと提示されたことに驚いたのだ。


「あの、本当に? 本当にわたしと相性がいいの?」

「それをこれから試すのだ」


そう言ってレギィネイラはニヤリと微笑み。

なんの心の準備もないまま、クララは火精との契約に臨むことになったのだった。

それが約十五分ほど前のこと。

クララは今、魔法書を手に地下実験室の中央に立っていた。

元々魔法の実験をする部屋だから、家具などはほとんどない。

壁際に本棚や戸棚があるが、それらを含めこの部屋全体に頑強な防護魔法をかけているらしく、

多少の魔法の暴発などではびくともしないから心配するなと魔女は言っていた。


「魔法陣の構築手順は頭に入ったか?」

「ええ、まあ……」

「ではやってみたまえ」


クララから少し離れ、腕組みして立つレギィネイラが顎で促してくる。

魔法書に視線を落とし、ごくりと唾を飲み込んだ。

本当にうまくいくだろうか。火なんてと、内心怖くてたまらないのに。

でも、自分ばかり怖がってなどいられない。

おそらくハインの方が、今もきっと苦しい目に遭っているはずだから。

意を決し、クララは顔を上げた。


「火精よ、すべてを焼き尽くすもの、生命を燃え立たせるもの、破壊と再生の申し子よ。

 我は汝との契約を望む者。我が声に応え、我が前にその姿を顕したまえ!」


魔法書の手引き通りの文言を唱える。

頭の中で火精を呼び出すための魔法陣を構築する。

果たしてそのイメージ通りに、足元に光の線が走った。

クララを中心にして丸く円を描き、その中に次々と図形が浮かんでいく。

すべての光の線が繋がった時、クララを取り巻くようにして渦を巻きながら炎が立ち上った。


「きゃっ!」


思わず悲鳴を上げてしまうが、その炎は不思議と熱さを感じなかった。

そしてクララの目の前で、炎が何かの形を成していく。

ずんぐりとした体と、長い尻尾。白く光る目。

それは蜥蜴のようでもあり、竜のようでもあった。

その竜のような炎は、光る目でじっとクララを見つめている。

これが、火精?


「おっと、これは……」


レギィネイラが驚いたように呟くのが聞こえる。

何に驚いているのか分からないうちに、頭の中に直接声が響いてきた。


《―――汝の中に迷いが見える》

「え……」

《今の汝の心では、我を受け容れることはできない。

 汝との契約を、我は拒絶する!》


その竜のような炎が、牙を剝くように大きく口を開ける。

え?と思ったその瞬間、炎は形を失い、渦を巻いて激しく燃え盛り、一気にクララを飲み込んだ。

熱い……! パニックになりかけたその時、ばっ!と音を立てて体が何かに包まれた。

と同時にパチン!と指を鳴らす音が聞こえ、炎が一瞬で霧散する。


「やれやれ、危なかったな」


足元で、焼け焦げた魔法陣がしゅうしゅうと煙を上げて燻っている。

気がつくとクララは、レギィネイラの白衣の内に包まれて守られていた。

茫然として自分を見上げるクララに気づき、魔女はニヤリと笑ってゆっくりと身を離した。


「いやはや、驚かせてくれる。いきなり上位の火精を出してくるとは」

「上位の火精……!?」

「そうだ。君が喚び出したんだぞ」

「そ、そんなつもりは……」

「だから言ったろう。相性はいいはずだと」


行儀悪くつっかけを引きずって歩き、魔法陣を検分するレギィネイラ。

床にも防護魔法はかかっていたはずだが、石床に黒い焦げ目ができていた。

それを爪先でこすりながら、こちらに背を向けた魔女が言う。


「火精は、水精や風精ほど優しくはないからな。契約に迷いなど許さない。

 まあ人は無意識に火を恐れるものだから、その点は無理もないが。

 だが今のは、そういう次元の話ではないな。自分でも分かっているだろう?」

「……分かりません」

「おや? そんなはずはないがな」


ぐるり、と魔女が首を巡らせてこちらを見た。

白衣の両ポケットに手を突っ込み、ニヤニヤとした人の悪い笑みを浮かべて歩み寄ってくる。

クララの目の前まで来ると、何もかも見透かすような目で見下ろしてきた。


「クララ。君はずっと自分を責めているだろう。

 ハイン君を巻き込んだのは自分だと、いつ何時でも罪の意識に苛まれているだろう。

 それはな、言わば火種だ。抱えれば抱えるほど心の内で埋火のように燃える火種だ。

 いずれは君を焼き尽くすだろう。分かるか? 君は自滅に向かっていると言っているんだ」

「それは……!」

「ああ、そうだとも。私が君たちにそれをさせた。それを見て楽しむためにね」

「……!!」


分かっていながらそんなことを言うのかと、怒りがわいてくる。

無言で怒るクララを、レギィネイラはうれしそうに見ていた。

思えばこの人は、なぜかいつも自分を怒らせようとしてくる気がする。


「だから聞く。君はそれでいいのか? 自分を責めるだけで?」

「……どういうこと?」

「まだ分からないか。育ちが良すぎるのも考えものだな」


やや顔を背け、やれやれと面倒くさそうに嘆息する。

かと思うと魔女はクララに向き直り、すっと背筋を伸ばした。

いつもはやや姿勢が悪いのだが、そうしているとクララより背が高いため、威圧感が出る。

魔女は鋭い視線を向けて、クララに一歩迫ってきた。

びくっとしてクララが一歩下がると、さらに一歩詰めてくる。

逃げて、詰める。それを繰り返すうちに、ついに背中が石壁に着いてしまった。

クララを追い詰めた魔女の手が、無遠慮にクララのおとがいを捕らえる。

無理やりグッと顔を上向かせ、あの魔法陣のある右目が、クララのアメジストの瞳を覗き込む。


「は、離して……!」

「クララ。己を責めるよりもっと楽になれる方法を教えてやろう」


言うや否や、右目の魔法陣が赤い燐光を放つ。

見てはいけないと本能が警鐘を鳴らしたがもう遅い。

まるで魅入られたように、その魔性の目から視線を逸らすことができない。

なぜか意識が遠のく。脱力したその腕から魔法書がばさりと落ちた。

ふらつくその体を魔女が支える。

耳元で、声がする。


「私を憎め、クララ」


レギィネイラの浮かべる微笑みがぼやけて見える。

その声を最後に、クララの意識は闇の中へと引き摺り込まれていった。

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