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第3章 -4話

その日の午後。

二人は、レギィネイラに呼び出されていた。

昼食は取っていない。どういう理屈かは分からないが、魔人になるとあまり腹が減らないので、

慣例的に一日1食から2食しか取らないということだった。

鐘楼の隣にあった、小さな二階建ての赤い屋根の家に、ミハイルに連れられて訪れる。


「ここがレギィの研究室よ。一階が図書室で、二階が研究室。地下は魔法の実験室だっけ?

 レギィったら、部屋じゃなくてだいたいここの二階で寝てるのよねえ」


ミハイルはそう言って扉をノックすると、返事も待たずに開けた。


「レギィ? 二人を連れて来たわよ」

「ああ、ご苦労。ここだ」


奥の方から、魔女のやや低い声がした。

ミハイルに促され、中に入る。まず右手奥からずらりと書架が並んでいた。

左手には二階に上がる階段と、その奥にも書架。声はその向こうからしたようだ。


「あの奥にいるわ、行ってごらんなさい。じゃ、また後でね!」


ミハイルはそう言って笑顔で手を振り、ぱたんと扉が閉まる。

魔女と、クララと、自分だけ。妙な緊張感がある。

クララと顔を見合わせ、ハインは先に立って書架の奥へと進んだ。

するとそこに小さなスペースが設けられ、机と椅子が二人分並べられていた。

前の壁には黒板が掛かっている。いわゆる学校のような、講義を受けるための場所のようだ。

窓から日差しが入り、ここだけ光が当たって明るい。光の中にきらきらと舞う埃が見える。


レギィネイラはタンクトップにぴったりとしたズボン、そして白衣を羽織った格好で、

黒板の前の椅子に足を組んで座っていた。二人が入ってくると、ニヤッと笑う。


「やあ、おはよう君たち。よく眠れたかな?」

「……もう午後ですけど」

「はっはっは。まあ掛けたまえ」


ハインの言葉など気にするそぶりもなく、レギィネイラは椅子を勧めてくる。

机の上にはノートと鉛筆一式がすでに置いてあった。

とりあえずハインが窓側に、その隣の席にクララが座る。


「君たちを鍛えるとは言ったが、傷が塞がって体が安定しないことには始められんからな。

 そこで今日からまず座学を中心に、知識を吸収してもらおうと思っている。

 教師となるのは私やマリー、そしてミハイルだ」


否も応もなく、二人は頷く。反論など今はしたくともできない立場だ。

知識を身につけさせてもらえるなら、この場合逆にありがたいと思うべきかもしれない。


「よろしい。ではまず今日は、自分たちのことを知ってもらうぞ。

 すなわち魔人とは何たるか、ということだ。大事な話だから、適時メモは取っておけよ」


レギィネイラが椅子を立って黒板の前に進み出ると、白いチョークを手に、

『魔人』と『魔族』という言葉を黒板に並べて書いた。


「魔人とは、創世神教会が人類を脅かす魔族と戦うため生み出した、対魔族用戦闘兵士の総称だ。

 ……というのが公式見解だがね。実際に作っていたのはこの私だ。もう過去の話だがね。

 魔族は存在そのものが魔法と呼ばれるくらい、人智を超えた強さを持つ連中だ。

 そんな奴らと対峙するには、奴らと同じくらい強く、強靭で壊れにくく、

 壊れてもすぐに再生できる力が必要になる。

 つまりは魔族を模して人の体を作り変えた者、それが魔人なのだよ」


コンコンと、自分で書いた魔人という言葉を指でノックする。


「ゆえに強く、強靭で壊れにくく、高い再生力を持たせている。

 そして魔族と同じように永遠のような命をね。

 まあ永遠というのは今のところ、ほぼ永遠と言うべきかもな。

 とはいえ、間違いなく人よりは遥かに長く生きる。君たちはまだ実感はないだろうがね」


当然、魔人となって日が浅いゆえに、実感などというものはありえない。

ただ以前とは己の体が違っていることは分かるので、明らかな嘘ではないだろう。

どのくらいの時を生きることになるのかというのは、考えるだに恐ろしいことではあるが。


固唾を吞む二人を後目に、魔女はさっさと文字を消すと、次に何か絵を描き始めた。

まったく迷いのない動きで、見る間に人体が描かれていく。

それも内臓などの人体構造、いわゆる簡単な解剖図というやつだ。しかもやたらと上手い。

何も見ないでさらさらと描き終えると、二人を振り返る。


「こういう解剖図を見たことはあるか? どれくらい人体構造の把握をしている?」

「学校の授業で、一通りは」

「わたしも、一応は……」

「ふむ。ならば一から説明する必要はあるまいな。人の体内はおおむねこのような構造だが、

 魔人は全く違っている。詳細は説明しても理解できんだろうから省くが……」


そう言ってレギィネイラは、黒板消しで内臓の一部を消し去った。

前から見た図だったので体の裏側のことは分からないが、胃や腸が消された形だ。

そして胃のあった場所と腸のあった場所に、大雑把に丸を描きこむ。


「ま、とても乱暴に言ってしまうと、消化器官はほぼない。

 魔法科学的・錬金術的な要素を体内に詰め込むためには、どうしたって内臓を減らす必要がある。

 つまり排泄という機能は失われる。まあさすがに気づいていただろ?」


そうなのだ。実はこの体になってからというもの、一度も排泄を催さないのである。

おかしいとは思っていた。実際この島にも、トイレは一つもないし……。

それだけでなくハインはあの、レギィネイラに無理矢理彼女の記憶を見せられた時、

クララが手術を受ける様子をある程度だが見せられている。思い出すだけで背筋が凍るような記憶だ。

だから、ある意味では、この結果を予想できていた。


「でも食べることはできる。なぜか?

 それは胃の代わりにここにある、魔力炉の働きによるものだ」

「魔力炉……?」

「摂取した食べ物などはここに入り、そのまま魔力エネルギーとして変換される仕組みだ。

 極端な話、有機物であればなんでもエネルギーにできる。調理も本当はいらない。

 だが味覚を残している分、せっかくだから味わった方が楽しいだろう?

 ゆえに私は食事をすることを推奨している。が、人体よりエネルギー効率がいいから量はいらない。

 本当は一日一食でもいいし、数日食べなくても平気だ。そういうふうに作っている。

 まあ今は君たちの体の回復を優先して、朝夕の二食を食べさせているがね」


なんだか至極まっとうなことを言われている気になるが、話の内容はぜんぜんまともじゃない。

唖然とすることばかりで、メモを取れと言われても度々手が止まってしまう。


「ここからは大事なことだ、しっかり覚えておけ。

 この魔力炉を破壊されると、魔人といえど死に至るぞ。

 炉には何重にも防護魔法をかけてあるし、身体の深奥で守られているが、気を付けることだ。

 魔力炉の損傷は自己修復できないし、私でないと直せないからな。分かったか?」


レギィネイラの水色の目が、珍しく真剣な色味を帯びて冷たく光る。

気圧されて、二人は黙って頷いていた。


「逆に魔力炉が無事なら、肉体の損傷は自己修復可能だ。脳でも心臓でもな。

 手足がもがれても適当にくっつけとけばちゃんと元に戻るぞ」

「……もし、もがれた部分が跡形も無くなってしまった場合は?」

「完全に無くなっても時間はかかるが自己再生可能だ。筋肉より骨の再生はやや時間を要する」


その回答に今さらだが、ほぼ化け物じゃないかと頭を抱えたくなる。

ふと隣を見ると、クララが真っ青な顔をしていた。

それも当然だろう。手足がもがれるなどと想像もしたくないことではある。

そんな二人に気付いたのか、レギィネイラがニヤリと笑った。


「もがれたら痛いぞ? 私は痛覚はそのまま残すタイプだからな。

 なんせ痛みと快楽は紙一重だ、取っ払ってしまったら人生の楽しみが減ってしまうだろう?」

「楽しみ……?」

「そうとも。一番分かりやすいのはそうだな、セックスだろうな」

「え」

「まあ魔人として体が馴染むまでの数年間は、第二次性徴が遅れたり、性欲が薄い状態が続くかもしれないが、

 成長とともに回復していくことを見込んでいる。魔人というものは生殖機能も性欲もないのが常なんだが、

 君たちからそれを奪ってしまうのはありえないことだ。愛とセックスを切り離すなどと馬鹿げている!

 とはいえ子供を持つのは難しいかもしれないが……ん? どうした黙り込んで?」

「え、いや、その」

「はっはは! そうか、君たちの年頃には刺激の強い話だったかな!?」


話題が話題だけに赤くなって気まずくなっている二人を見て、魔女が実に楽しそうに笑う。

絶対わざとやってるだろ、この魔女……!

レギィネイラは腕組みをして二人を見下ろし、実に人の悪い笑みでニヤニヤしていた。


「話が脱線したな。ま、そういうわけで痛覚は大事ということだ」

「その……痛覚がないタイプとか、あるんですか」

「もちろんある。そういう魔人もいるぞ。私は作らないがね」

「他にも魔人を作る人が?」

「はっは。その話はまた、別の機会にしてやろう。長くなる」


そう言って、レギィネイラはつと右目の眼帯に触れた。

それも一瞬のことで、顔に落ちかかる髪をかき上げると、黒板消しで絵を消し始める。


「再生能力に関しては、力が体に馴染むほどに向上していく。再生速度も上がっていくだろう。

 そうそう、食事もだが睡眠もそんなに取らなくても動けるようになるぞ。

 が、まあ休めるときには休んでおけ。体より精神を休めるためにな」


レギィネイラは言いながら、今度は黒板に『愛』という文字を書いた。

くるりと向き直り、チョークでその文字を小突く。


「さて、大事なことがもう一つ。これは君たちだけに与えたもの……いや残したものだ」

「あ、愛?」

「然り。通常、魔人というものはな、人でなくなった瞬間から愛を失う。

 ミハイルやマリーは君たちに家族のような親愛を示してくれたと思うが、あれとて稀有な例だ。特にミハイルはな。

 魔人のほとんどは作られる過程で、愛どころか概して感情を失いがちなのだよ。

 まあだからこそ大事な局面で人より冷徹になれるし、迷うことがないとも言えるが……」


そこまで言ってレギィネイラは一息つくと、チョークを置いて二人の前に仁王立ちになった。

そうして不遜に腕を組むと、二人の顔を順に見てくる。


「だが君たちは違う。君たちからはいかなる感情も損なわれることがないよう、今までになく苦心した。

 だから君たちは人と同じように怒り、悲しみ、喜び、恐怖し、迷う。

 通常の魔人が持ちえない感情の揺らぎを持った魔人なのだ。そうでなくてはならない。なぜか分かるか」

「……いえ」

「私は君たち二人の愛が見たい。愛と言っても色々あるが、恋愛・相愛・愛欲、そういった愛のことだ。

 私が探究したくてたまらない人の持つ愛の一つだが、さっきも言ったように魔人には一番持たせにくい感情でね。

 だが愛には、人の持つすべての感情が不可欠だ。ゆえにいかなる感情も損なうわけにはいかなかったのだよ。

 どうだね、ちゃんとそのままだろう? だって君たち、お互いのことが大好きだもんな?」

「なっ……」

「……!?」


レギィネイラの言葉に思わず、ちらりとお互いの顔を見てしまった。

お互いに顔が赤くなる。慌ててお互いに目を逸らす。

そんな二人を見て、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべるレギィネイラ。

この人のこういう人を食ったようなところ、本当になんというか……苦手だ。


「悪趣味すぎる……」

「ふはは。だがその悪趣味のお陰で君たちは今こうしていられるわけだからな?」


それはその通りだが、だからって人の恋愛事情を面白がっていい理由にはならないと思う。

しかし黙って睨むハインなどどこ吹く風で、レギィネイラは喉を鳴らして笑う。


「ま、とりあえずはこんな感じだな。君たちの体が回復し次第、それぞれの教師に師事してもらうぞ。

 ハイン君はマリーとミハイル、リシャから、体術・剣術・銃器などの戦い方を学べ」

「分かりました」

「そしてクララ、君は私が教える」

「あなたが……?」


クララが驚いたように目を丸くする。ハインも同じだった。

レギィネイラが直々に教えるというのも驚きだったが、それ以上に、

クララに戦い方を教えるなどと言うとは、あまり想像がつかなかったせいもある。

クララ自身もそう思ったのだろう、疑問をそのまま口にした。


「わたしに何を教えてくださるの?」

「忘れたか? 君の父は魔法使いだ。“人のレベルとしては”だが、あれはなかなか大した魔法使いだよ。

 つまり君には父譲りの魔法の才がある。だから私が直々に、君に魔法を教え込んでやろう」

「わ、わたしに魔法を?」

「そうだ。だから私は君を兵士型ではなく、魔法特化型に作ってある。

 なので体は只人よりは強靭だが、身体能力はちょっと運動神経がいいくらいなものだな。

 ともかく今の君には、魔力炉から供給される膨大な魔力があるのだ、使わない手はあるまい?

 ああ、無論ハイン君にもな。ただ君は私の見たところ、魔法使いの素養はまったくない。

 なので魔力の使い方はまた違ったものになる。それもいずれ学んでもらうぞ」


今までの自分には縁のない、考えたこともないことを次々に聞かされ、二人は唖然となる。

なんでもやるとは決めたものの、本当にできるのだろうかと不安になるほどだ。

レギィネイラは手についたチョークをはたき、そんな二人に向かって不意に言った。


「それから、最後に言っておくぞ。

 私は君たちにあれこれ指示はするが、君たちは自分の頭で考えることを決してやめるな。

 私の言うことに頭の中で反駁しろ。自分はどうしたいのかを常に問え。

 心の中まで従うな、魂は常に自由でいろ。そうでなければつまらんからな。以上だ」


思いもよらない言葉に、面食らった。

どうして急にそんなことを言うのか、まったく意図が読めない。

意図などなく、ただ本当につまらないからと思っている可能性すらあるが。

そんなふうに人を混乱の中に叩き落としておいて、レギィネイラは実に楽し気にニヤリと笑った。


「傷が癒えて体が落ち着くまでひと月というところかな?

 経過が良ければ、訓練に入れるだろう。楽しみにしていたまえ」

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