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第3章 -2話

オレンジ色の夕焼けを反射して輝く、美しい湖。

ハイデマリーが力強く一漕ぎするたびに、ボートは水面を滑るように進んだ。

すでに二十分ほどはこうしているかと思うが、相変わらず人の住めそうな島などは現れない。

ただ美しい夕焼けが、鏡のように湖に映っているばかりだ。


「そろそろだな」


ボートの真ん中に座らされているハインたちの後方に、一人座しているレギィネイラがふいに言った。

その時だ。突然、ぐらりと眩暈がした。いや、違う。本当に景色がぐにゃぐにゃと揺らいでいる。

なんだこれ、と思ったのも束の間だった。

急に、本当に突然に、目の前に島が現れたのだ。


「え……!?」


クララと二人して息を吞む。

それは海かと見紛うような広大な湖の中に、ぽつんと浮かんでいた。

いくつか建物の影が見え、そこそこの広さがある。

これが町から見えないなんてありえない、そういう大きさの島だ。


「この島全体に、認識を歪める魔法をかけてあるのだよ。

 常人には島の姿は見えず、音も聞こえず、近づくこともできないという魔法だ。

 半面、鳥や小動物、虫なんかは通すようにできている。そこそこ難しい魔法なんだぞ?」


レギィネイラが説明してくれるが、正直よく分からない。

そうこうしているうちに、島はどんどん近づいてくる。

緩やかな山なりの、おそらくは楕円のような形の島だと思われた。

木で覆われており、どうやら真ん中あたりに背の高い、教会の鐘楼のような物が建っている。

その周りには、壁が白くて屋根の赤い建物がいくつか見える。

夕陽の見え方から察するに、ボートは島の西側に向かっているようだ。

そこには桟橋があった。ボートを寄せ、桟橋の杭にロープでボートを係留する。


「さあ、ついてきたまえ」


島に降り立つと、そう言ってレギィネイラが先に立って歩き出した。

当然のように荷物などはハイデマリーに持たせている。

そのハイデマリーに促され、ハインたちも各々の荷物を手にボートを降りた。

が、荷物はそこそこ重いので、遠慮するクララの手から強引に受け取る。

そうして、クララとともに魔女の後に続いた。


すでに陽が落ちて夕焼けは残滓となり、空には星が輝きはじめている。

目の前に見えているのは、緩やかな勾配の坂道だった。

それを上っていくと、先ほどボートから見えていた建物群が見えてくる。


正面に大きな三階建ての、白壁に赤い屋根の家があった。

そのやや手前右に、吊り鐘のある背の高い鐘楼。その横に小さめの赤い屋根の家。

島は木で覆われているのかと思ったが、木で囲まれているようだ。

中は背の低い草が茂る草原になっていて、そこに建物が建っている感じだった。

正面の大きな三階建ての家の前辺りだけが、整備されて石畳の広場になっている。


「今日からここが君たちの家だぞ」


三階建ての家の前で立ち止まり振り返って、レギィネイラが言った。

大きな赤い三角屋根には整然と窓が並んでいるので、三階は屋根裏部屋なのだろう。

家の窓は、すべて木の格子窓になっている。

白い外壁には、一面を覆う薄黄色の蔓薔薇が、今が盛りと咲いていた。

そして一階の窓からは、明るい光が漏れているのが見える。

ランプにしては明るい気がするが、まさか電気なのか? こんな島で?

というか灯りが点いているということは、誰かいるのか?

などと考えるハインの横で、クララが目を瞠って感嘆の息を吐いた。


「まあ、木香薔薇がこんなに……」

「ほう。モッコウバラというのか、これは?」

「ご自分の家なのにご存知ないの?」

「花の名前などにはとんと興味がないものでね」


レギィネイラは肩をすくめてそう言うと、再びすたすたと歩き出した。

が、クララはまだ惚けたように家を見つめている。

ハインは大きな家だと思ったが、それでもクララが暮らしていたエーデルシュタイン家の別邸や、

本邸の古城などと比べると、小さいとさえ言える家だ。

それで驚いているのだろうかと思ったが。


「素敵なおうち……」


ぽつりとそう言っているのが聞こえる。

なんだかその感想が、久しぶりに実にクララらしい言葉だとハインは思った。

無理からぬことではあるが、彼女はここ最近ずっとどこか沈みがちなので……

ただその一言だけで、少しほっとする感じがした。


「おーい! 戻ったぞ」


ドンドン、と無遠慮に玄関の扉を叩くレギィネイラ。

すると奥からバタバタと足音が聞こえ、勢いよく扉が開く。

出てきたのは、ハインよりも背の高い、30歳くらいの成人男性だった。

フワフワした癖毛の金髪に、垂れ目気味の見事な碧眼という甘い風貌だ。

黒い詰襟の長袖シャツに、黒いスラックス姿で、均整の取れた筋肉のついた体をしている。

美丈夫という言葉がぴったりな……


「キャーッ! やだ、ほんとにレギィじゃないの! 元気だった!?」


その男性が妙に高い声で発したセリフに、ハインは内心ずっこけそうになった。

え、見た目とギャップがありすぎるだろ!?

ちらりとクララの方をうかがうと、彼女もまた、ぽかんとしていた。


「ただいまミハイル。お前たちも息災だったか?」

「アタシたちは元気よ! リシャもたぶんその辺にいるわ!

 知らない人を見るとすーぐ隠れちゃうのよねえ」

「相変わらず猫みたいだな」

「マリーも元気だった!?」

「お陰様で」

「もう、久しぶりなのに感激薄すぎない? 相変わらずねえ!」


一人で三人分くらいは明るい気がするその人は、そう言ってケラケラ笑った。

かと思うとその碧眼が、話の輪から少し離れて立っているハインたちの方を見る。

そして底抜けに明るくニコッと微笑みかけてきた。


「この子たちが雛鳥ちゃんたちね! 初めまして、アタシはミハイルよ。

 なりたてなのに長旅だったみたいね、大変だったでしょ? さ、入って入って!」

「では遠慮なく」

「レギィに言ってなーい! ん? どしたの、そんなぽかんとしちゃって」

「え、あ、いえ……」

「お二人とも、あなたに驚いているのですよミハイル」

「えーちょっと何それ! アタシなんか驚くようなことした?」

「さあお二人とも、ひとまず中へどうぞ」


ハイデマリーに促され、家の中へと入る。

玄関を入ってすぐに目に飛び込んでくるのは、大きな横長のダイニングテーブルだった。

大人数でいちどきに食事ができそうな大きさだ。

左手にはこれまた大きなかまどがあり、大小の鍋が鎖で吊るされている。

大きな平たい石の上に薪を置き、直接火をくべるタイプだ。

何か料理をしているのか、グツグツと湯気の上がっている鍋もあった。

そしてハインが想像したとおり、天井の照明器具には電気が灯っている。

祖国なら王都くらいでしかお目にかかれない最新設備が、こんな田舎の島になぜ……?


「ああ、電気? すごいでしょー、レギィがしてくれたのよ。

 水道もあるし、スチームボイラーもあるわ。なんでも叡智の都市の技術なんですって。

 あ、みんなお腹空いてる? 荷物はその辺に置いて、とりあえず掛けてちょうだいよ」


ぺらぺらとまくしたてて、彼……ミハイルは、かまどの鍋に向かう。

ハイデマリーが勝手知ったるという感じで、食器棚から皿を出し始める。

レギィネイラは何もする気がないのか、外套をその辺に脱ぎ捨ててさっさと着席した。


「ほら、君たちも座るがいい」


長いダイニングテーブルには、両側に背もたれのない長椅子が設えられている。

レギィネイラが中央にどっかと座って、自分の対面を指し示したので、クララと一瞬顔を見合わせたが、

荷物を部屋の端に置き、結局二人して示された場所に座ることにした。


「シチューしかないけどごめんねー」

「あ……ありがとうございます」


否応なくシチューを盛られた皿と、ガラスコップに入った水が目の前に置かれた。

パンを盛った籠がテーブルの真ん中に置かれ、いただきますも言わずに魔女がさっさと手に取る。

ワインをくれと注文をつけ、自分でおやりなさいとミハイルに怒られて、

結局ハイデマリーがワインボトルと銀杯をレギィネイラに出してやっていた。


「おいしい……」


隣に座っているクララが、いつ手を付けたのか気づかないうちにシチューを一口食べ、

感動したように口許を押さえて呟いていた。かと思うと、はっと動きを止める。


「いけない、わたしったら頂きますも言わずに……」

「いいのよー、お腹空いてたんでしょ? どんどん食べなさい。

 てかあなたずいぶん痩せてるわね? もっと食べないとだめよ、ほら!」

「え! あの、こんなには食べれな……」

「いいから、食べれるだけお食べなさいな。明日からはもっとおいしいもの作ってあげるからね」


素朴なパンを小皿に盛って置かれて、クララは困ったようにしていたが、

最後は勢いに押し切られる形で頷いていた。

ともあれ、ハインもシチューを食べてみる。ホワイトシチューで、人参と玉葱とジャガイモと肉が入っている。

ミルクは牛のものではないような気も……? 干し肉の塩気が利いていて、とてもおいしい。


「すごくおいしいです」

「それはよかったわ! 食べ盛りの子が二人も増えたら、明日からは作り甲斐があるわね」


にこにこしてミハイルがレギィネイラの横、ハインの対面に座る。

ハイデマリーは反対側、クララの対面だ。


「そうそう、まだ名前を聞いてなかったじゃないの。アタシはミハイル。

 ミハイル・イグナートフっていうの。もちろん、あなたたちと同じ魔人よ。よろしくね! 

 ホントはもう一人いるんだけど……まあ追々紹介するわね。

 で、あなたたちのお名前は? 歳はいくつ?」

「ハイン・ノールといいます。15歳です」

「クララ・エーデルシュタインと申します。14歳です」

「あら、ずいぶん礼儀正しい子たちね!」

「お二人とも、育ちがいいですから」

「でしょうね! 特にクララは、お嬢様だったんでしょ?

 ねえ、あなたは? 家事とかできる?」

「え?」


思ってもみない方向から唐突に話を振られ、ハインは少しびっくりした。

家事は将来独り暮らしをすることも見越して一通り母から仕込まれているので、

困らない程度にはこなせるが……。


「はい。一通りは……」

「ほんと? パンとか焼ける?」

「基本的なものなら」

「助かるー! 今度お願いしていい?」

「あ、はい」


なんか頷かされてしまった。とにかく会話の勢いたるや、テンポが速すぎる。

それを見ていたレギィネイラが、おかしそうにくっくと笑った。


「彼は存外器用な男だぞ。好きに使うといい」

「まあ……! 勝手なことをおっしゃらないでくださる?」

「そうよ。すぐに自分のものみたいに言うの、よくないわよ」


魔女の言い様にむっとするクララに、ミハイルが同調する。

すると魔女は、あのギザギザとした歯を見せて人の悪い笑みを浮かべ、さらに言った。


「いいじゃないか? お前たちは皆、私のものなんだからな。

 ということはお前たちのものも私のものということだ、ふはは」

「まあ、なんて人かしら……! あなたなんかにハインは絶対渡しませんから!」

「ちょ、クララ落ち着いて」

「おやおや、可愛いことを言うねえ。私に勝てるかな?」

「だから、からかうなって言ってるだろ……!」


スプーンを置いて立ち上がりかけるクララを押さえ、魔女を睨む。火に油を注ぐなと言うのに。

が、ハインがたしなめたところで、なおも二人は喧々諤々続いていた。

そもそもクララがこんなに怒るのも初めて見るので、どうするべきかと困ってしまう。

どうも魔女は、クララを怒らせたくてわざと言ってるんじゃないかという気がするのだが。

怒らせて、ただ面白がっているだけなのだろうか? 真意が読めない。


「ドクター、大人げないですよ」


黙々と食事をしていたハイデマリーがそう言って嘆息する。

まったくその通りだと思う。

しかし、やはりこの場はまだ収まりそうにもなかった。





・・・ + ・・・ + ・・・ + ・・・





騒がしい食事が終わると、お風呂の準備ができるまでの間に部屋に案内すると言われ、

ハインとクララはミハイルの後について階段を上っていた。

普通の階段ではなく、木製の螺旋階段である。それが三階まで家の中を貫いているようだ。

ちゃんと手すりはあるものの、階段の隙間から階下が見えるので、慣れないと少し怖さを感じる。


「男女でフロアを分けてるの。女性は二階、男性は三階よ。

 各フロアには五室ずつあって、そこの正面の部屋はハイデマリーの部屋ね。クララはその左隣でいい?」

「はい」

「あとまだ紹介はしてないけど、リシャの部屋はそっちね。

 まあ、あの子の部屋に行くことはたぶんないと思うけど、一応ね」


そっち、と向かって右手の部屋を指す。

階段の隣に位置する部屋で、どの部屋とも隣接していない角部屋だ。

まだ会ったこともないのに、どうやらあまり人の干渉を好まない雰囲気がしている。


ミハイルがクララに宛がわれた部屋の扉を開け、部屋の電気を点ける。

ベッドと、書き物をする机と椅子、クローゼットと本棚。あるのはそれだけで、とても簡素だった。

広さや家具に関しては、ハインの実家の部屋とほとんど変わりはない感じだ。


「ちょっと狭いかもだけど我慢してね。部屋の中は好きに飾っちゃっていいわよ。

 あなたの部屋だからね。あ、掃除はしておいたから、安心して休んで」

「ありがとうございます……」


ミハイルから部屋の鍵を渡され、クララが戸惑いながらも受け取っている。

どうやら一室ずつ、鍵はかかるようになっているようだ。


「クララ、荷物はここに置いておくから」

「ありがとう、ハイン」


革のトランクケースを、部屋を入ったところに置く。

二人とも、持ち出せたのは小さなトランク一つ分くらいの荷物しかない。

荷解きしても、すぐに終わってしまうだろう。


「じゃ、次はあなたね。クララ、あなたも一緒にいらっしゃい。

 彼がどの部屋にいるか分かった方が、あなたも安心でしょ」


そう言ってミハイルに連れられ、三人で三階へと上がる。

三階はいわゆる屋根裏部屋になっており、天井が屋根の三角の形そのままなので、斜めになっている。

ハインもだが、それ以上に背の高いミハイルなど、場所によっては頭をぶつけそうだ。


「狭いから気をつけて。はい、あなたの部屋はここね」


螺旋階段の左側にある、どの部屋とも隣接していない角部屋に案内される。

中に置いてある家具はクララとまったく同じで、違うのは天井が大きく斜めになっていることくらいだ。

その天井には天窓があり、あれを開ければ屋根の上に出られるのだろう。

ベッドに横になれば星が見えそうだ。


「まあ男性ってアタシとあなただけだから、三階は他は空き部屋でね。ほぼ物置なのよ」

「ずいぶんたくさん部屋があるんですね」

「そうなのよ。元々はこの島には教会があって、聖職者が住んでたんだけどね。

 かなり昔の戦争で放棄されてから使われてなかったのを、レギィが直して隠れ家にしたの」

「へえ……だから鐘楼があるんですか」

「そういうこと。教会自体はボロボロだったから解体しちゃったけどね。

 家の前の広場あるでしょ? あの辺りに建ってたの」


なるほど、あの石畳の広場はその名残というわけか。

あそこだけ整然としているのが不思議だったので、得心して頷く。


「朝はだいたい6時起床くらいで、夜は特に消灯時間とかはないけど。

 ご飯は基本食べたい人で作る感じね。畑とか掃除とかは、当番制にした方がいいかしらね?

 まあそういうことは追々決めていきましょう」

「分かりました」

「ちなみにアタシの部屋は、この部屋を出てすぐ前の部屋よ。

 二人とも、困ったことがあったらなんでも言ってね」

「はい。ありがとうございます」

「あっはは、硬いわねえ。そんなかしこまらなくていいのよ?

 って言ってもすぐには無理かしらね。どう? 他に質問はある?」

「いえ、今は特には……」

「そう。じゃ、アタシは先に戻るわね。これ部屋の鍵よ。お風呂の時は下から呼ぶから」


ニコッと人好きのする笑顔で言って、ミハイルは軽やかに階下へと降りて行く。

その足音が遠ざかり、あとに残されたクララとどちらからともなく顔を見合わせた瞬間、

クララの体がふらりと傾いた。反射的に駆け寄り、その体を支える。

どうやら足に力が入らないようだ。そのまま支えて歩き、ベッドにクララを座らせる。

その前にひざまずいて、彼女の額に手を当ててみる。熱はないようだが、血の気のない顔色をしていた。


「大丈夫?」

「ご、ごめんなさい、気が抜けてしまったのかしら」

「いいよ。少し休んでから降りよう」

「あの、ミハイルさん……優しそうな方ね。だから少しほっとしてしまったみたい」

「分かるよ。魔人って聞くと、なんとなくもっと怖い人が出てくるかと思ってたから」


実際、あんなに明るい人が出てくるだなんて思わなかった。

そもそも、ここで他の魔人の人と暮らすことになるなんて、思ってもみないことだったのだが。

首肯を巡らせて部屋の中を見ていたクララが、ぼんやりと呟いた。


「わたしたち、本当に今日からここで暮らすのね……」

「うん……なんだかまだ実感がわかないけど」

「そうね。それに、あなたと同じおうちに住むだなんて、なんだか不思議」

「そうだね」


お互い、小さな笑みをかわす。

けれどクララの表情は、またすぐに不安そうに翳ってしまう。

その瞳は、ハインを見ていない。どこか心ここに在らずという感じがした。

無理もないと思う。あの夜から今日まで、いろいろなことがありすぎた。まだ心の整理などつくはずもない。

それはハインとて同じだったが、彼女が心に抱えてしまった傷は、きっと想像以上のものだ。


だからクララのためにも、今は自分がくずおれるわけにはいかないと思っていた。

この先に何があろうと、いかなる弱音も吐かない。俺がクララを支える。

俯くクララを前にして、ハインはひとり心を決めていた。

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