第1章 -9話
時は流れ、空が青く澄み渡る秋の季節が巡ってきた。
湖畔を渡る風は少し冷たく、朝晩は上着が欠かせないようになっている。
木々は紅葉で黄色や橙色に色づき、風が吹くとはらはらと舞い落ちていた。
学校も夏季休暇が終わり、新学年が始まっている。
休み中のように時間の融通はきかないため、ハインがクララと会うのはもっぱら週末のみになっていた。
土曜日の午後。今日も二人は湖畔のベンチに座り、お喋りに興じていた。
着ているものは二人とも長袖になり、季節の移ろいを感じさせる。
ハインはスタンドカラーの白い長袖シャツにベスト、吊りズボンも長ズボンに替わっている。
クララは生成り色の長袖ワンピースにブーツ、赤基調のチェックのショールを肩に掛けていた。
「クララ、これ借りてた本。面白かったよ、ありがとう」
「そうでしょう? わたし、このシリーズが大好きなの。主人公の魔女さんがとっても素敵!
かわいくてお茶目で賢くて、どんな事件も解決してしまうの!」
「うん、すごい。最後どうなるのかハラハラしたけど、魔女さんはさすがだったね。
あとあんまり魔法を使わないところも面白いなって」
「ね! 使い魔の猫さんがいつもとっても大変なの! それがまたおかしくって」
「あはは。いつも振り回されて、ちょっとかわいそうだけどね。僕は使い魔の猫が一番好きだな」
「ふふっ、わたしも。使い魔の猫さんが大好き!」
会ったばかりの頃からは考えられないくらい、二人は屈託なく話せるようになっていた。
会えばとても楽しかったし、いつも時間があっという間に過ぎてしまう。
レッスンに行くときはいつも手を振り合うようになっていたし、毎日が楽しかった。
母に『毎日ご飯を作ってくれてありがとう』などと言えるようになったのも、クララの影響だと思う。
母は目を丸くしていたけれど。
「そうだわハイン。今ね、本邸の庭園で秋薔薇が咲いているの。見に行かない?」
「いいよ。薔薇って秋とか夏とか種類があるの?」
「ふふっ、夏には咲かないの。あのね、春にだけ咲く薔薇と、秋にも咲く薔薇があるのよ」
「そうなんだ。知らなかったな」
今まで、そこまで花に興味を持ったことはなかった。祖父が庭を手入れしていて、
四季折々にいつも美しい花が咲いていたけれど、そういえば名前も知らないものが多い。
クララは花が好きらしく、折に触れては本邸や別邸の花をハインに見せたがった。
「マリー! 本邸の薔薇を見に行きたいの、いいかしら?」
「かしこまりました、お嬢様」
ベンチを降り、自動車の傍に控えているハイデマリーの所までクララが駆けていく。
バイオリンや本など荷物をまとめて、ハインもその後を追った。
本邸まではそう大した距離があるわけではないが、ハイデマリーがクララを歩かせるはずもなく、
二人とも自動車に乗せられて本邸の正面入り口に到着した。
荷物は車内に置いて、クララの手を取ってエスコートし、車を降りる。
入り口には警備の男性たちがいるが、城全体として警備はあまり厳重というわけではない。
城内へ通されると、先ほどまでの森の中よりも暗く、空気が冷え冷えとしていた。
ハイデマリーの先導で城内を進み、裏庭へと出る。
城内の暗さと外の明るさ、明暗の差で一瞬目が眩んだ。
その後に広がってくるのは、植え込みやトピアリーが整然と並ぶ庭園だ。
ここに来るのは初めてではないのだが、家の庭とは違いすぎていてやはり何度見ても慣れない。
「お嬢様、私は少し執事と話してまいります。薔薇園でお待ちください」
「分かったわ、あとでね」
クララに一礼し、ハイデマリーはふたたび薄暗い城内に戻っていった。
それを見送り、庭へと続く階段を二人で降りていく。
「薔薇は少し奥の方なの。ね、ついてきて」
「あ、うん」
笑顔でぱっと手を握られ、心拍数が跳ね上がる。
この頃はだいぶ彼女の前でも上がらなくなったと思っていたけど、まだダメみたいだ。
どうしてダメなのかが、自分でもよく分からないのだけれど……。
迷路のような植え込みのある小径を行くと、やがて鉄柵に仕切られた別の庭園の入り口が見えてきた。
アーチ型に仕立てられた入り口のトレリスには、黄色い蔓薔薇がいっぱいに咲いている。
そこをくぐると、薔薇園が広がっていた。
森に囲まれた小さな薔薇園といった風情で、そんなに大きな規模ではないのだが、
黄色、ピンク、赤、白、一重に八重……様々な色や形の薔薇が、競うように咲き誇っている。
丸い屋根の小さなガゼボがあり、奥には可愛らしい木造りのガーデンブランコも見えた。
「おお、これはお嬢様」
ハンチング帽を被った庭師のおじいさんが、帽子を取ってクララに目礼をする。
「ごきげんよう! ハイン、この方は庭師のベルクマンさん。
ずっとここの庭園のお世話をしてくれているのですって」
「こんにちは。僕はハイン・ノールといいます」
「ああ、おまえさんが噂のお友達か。礼儀正しい子だね」
ベルクマン氏はそう言って、にこにこと笑った。
笑顔から穏やかで優しそうな人柄が伝わってくる。
「ちょうど今が見頃ですよ。お散歩なさるなら席を外しましょう」
「いいの、お世話をしてあげてね」
園芸の道具が乗った手押し車を動かそうとするベルクマン氏に、クララが首を振る。
木製の手押し車には、スコップや熊手や土ふるいなどが乗っていた。
それでは失礼して……と、ベルクマン氏は鋏を手に薔薇の手入れを再開する。
咲き終わった花を一つ一つ、手で摘み取ったりしているようだ。
「すごくきれいだね」
「そうでしょう? きっとベルクマンさんたち庭師さんが、
いつも心を込めてお世話をしてくれているからだわ」
まるで自分のことを褒められたように、嬉しそうにクララが微笑む。
そうして二人は、ゆっくりと歩きながら薔薇園を見て回った。
「あのね、薔薇は咲いた後にああして、花がらを摘み取らないといけないものもあるの。
それから切り戻しって言って、茎を少し切ったりね」
「ふうん、どうして?」
「次のお花をきれいに咲かせるためなんですって」
「そうなんだ。こんなにたくさん咲いてるのに、大変だね」
「そうなの。ね、わたしたちでお手伝いできないかしら?」
「え、でも危ないよ、棘があるし。クララが怪我でもしたらハイデマリーさんが倒れちゃうよ」
「あら、手袋をすれば平気だわ。ね、少し、だけ――――……」
ハインより少し前を歩いていたクララが、振り向いてそう言った瞬間、その笑顔がこわばった。
訝る間もなく、クララはその胸を押さえてフラフラとその場にへたり込む。
「クララ!?」
「っ……は……」
驚いて駆け寄り、今にも倒れそうな体を支える。
胸の辺りの服を両手でぎゅっと掴むようにしていて、息がうまくできないのか呼吸が乱れていた。
その表情はとても苦しそうで、みるみる顔色が失せ、その額に冷や汗が滲んでくる。
様子がおかしいのは明らかで、ハインはすぐに声を上げて近くにいるベルクマン氏を呼んだ。
「どうしたね?」
「ベルクマンさん、クララが急に……!」
「ああ、これはいかん、いつもの発作だ」
「発作……!?」
「ここにいなさい、わしは人を呼んでくる!」
ベルクマン氏があたふたと走って薔薇園を出ていく。
その間にもクララは押し殺した苦鳴を上げ、胸を押さえて苦しんでいた。
座ってもいられないのか、その体はくの字に折り曲げられ、小径の上にくずおれるように横たわる。
「クララ……!」
何もしてやることができず、無力感がハインを苛む。
ただ少しでも苦しみが和らぐように、背をさすってやることくらいしかできない。
発作って、いつものって、どういうことだ?
いつもあんなに元気そうだった彼女が、本当は大変な病を患っているのか?
今考えたってしようがないのに、焦りと混乱で頭の中がぐちゃぐちゃになりかけた、その時。
にわかに、城の方が騒がしくなったことに気が付いた。
クララのことが伝わったのだろうかと思ったのも束の間、突然城の方からドン、ドンという
連続した重い衝撃音と人々の悲鳴、叫び声が聞こえてくる。
いったい何事かとハインが見やった時、
――――ガシャアアアアアン!!!
まるで何かが爆発したような音と衝撃。
二階の窓ガラスと石壁を突き破った何かが、森の中に落下するのが見えた。
よくは見えなかったが、何か青いような銀色のような色をした毛むくじゃらのもの。
それは落下するや否や音を立てて木々を薙ぎ倒しながら、逃げるようにこちらに向かって走ってきたが、
ハインたちに気付くと急制動をかけて立ち止まった。
鉄柵に囲まれた薔薇園の外、森の中の薄闇の中、怪しく光る三つの眼光と目が合う。
なんだと思う間もなく、それは颶風となって鉄柵を押し倒し、いきなりハインたちの眼前に飛び出してきた。
グルルルルゥッ!!
柵の壊れるけたたましい音とともに、獣の唸りが耳を聾する。
ビリビリッと空気が震え、腹の底まで響いてきた。
それは狼のようだったが、大きな眼窩は縦に裂けていて、左右とそして額の三つの目があった。
体毛は見たこともないような青い銀色で、三本もある尻尾が不機嫌そうに毛羽立っている。
薔薇を蹂躙する四本の脚にはそれぞれ鋭い爪を備えていた。
何よりハインが驚いたのは、その獣の腹が裂けていて、こぼれた内臓から青い血が滴っていることだ。
青い血……すなわち魔獣だということくらい、ハインのような子供でも知っている。
魔獣の血走った眼が、ハインとクララを捉えている。
身体は痩せ衰え、よく見ると息が荒くてフラフラで、相当に弱っているようだ。
彼我の距離は十数メートル前後といったところか。
鋭い牙がぞろりと生え揃った口からは青い舌が見え、涎が滴り落ちていた。
餓えているのが分かる。餌として認識されているのは明らかだった。
このままじゃ二人とも食べられる。
逃げられるかどうかに関わらず今すぐここから逃げるべきだ。
本能が警鐘を鳴らす中、ハインは素早く辺りに視線を走らせた。
すぐ傍に休憩用の白いアイアンのベンチがあり、そこに油かすの入った袋と、
大きな剣型のショベルが立てかけてあるのが目に入る。
迷っている暇はなかった。
重いショベルを掴み、倒れているクララの前に出る。
そこから魔獣と睨み合うという、地獄のような時間が始まった。
遠くの方で人が騒いでいるような声が聞こえたけれど、人がここに駆けつけて来るのと、
魔獣が自分たちを食い殺すのとではどっちが早いだろうか?
頭の中は妙に冷静だったが、冷や汗が止まらない。
じりっと魔獣が動き、反射的にびくっとしてしまう。
グオオオオオッ!!
ハインの怯懦を見抜いた魔獣が、威嚇の叫びをあげる。
心臓が押し潰されそうな迫力に足が竦んで、実際は逃げ出したいほど恐ろしくてたまらない。
だけどクララを置いて逃げるという選択肢は浮かばなかった。
威嚇に耐え、震えながらでもシャベルをあらん限りの力で振り上げてアイアンのベンチに叩きつける。
ガァン!!と大きな音がした。
「あっちへ行けッ!!」
音とともに声を張り上げると、魔獣も驚いたように右脚を引いた。
一瞬、確かに怯んだ。けれども一瞬だ。
それだけで餓えた魔獣を完全に怯ませることなんてできない。
唸りを上げて、魔獣がじりじりと彼我の距離を詰め始める。
まずいと思った次の瞬間には、咆哮を上げて魔獣が飛びかかってきた。
その瞬間ハインにできたのは、後ろにいるクララに覆い被さるようにして庇うことだけだ。
――――ドンッ!!
その瞬間、銃声が轟いた。
それも一度や二度ではない。数えきれないほどの連続した銃声。
横っ腹からの苛烈極まる銃撃を受け、頭を撃ち抜かれた魔獣がすぐ眼前にどおっと倒れてきて、
ハインの手を離れていたシャベルが衝撃で地面を跳ねた。
薔薇の垣根を飛び越えてきた誰かがそのシャベルを掴むと、魔獣の体めがけて力任せに突き刺す。
骨の砕ける音とともに、青い血飛沫が飛び散った。
魔獣が断末魔の悲鳴を上げ、ぴくぴくと痙攣して、ついには動かなくなる。
「お二人とも、ご無事ですか!?」
ハインの視界に映ったのは、硝煙を上げる拳銃を握ったハイデマリーの姿だった。
珍しく取り乱した表情のその頬にも、白いエプロンにも、青い返り血が飛び散っている。
彼女が魔獣を斃してくれたのか? 信じられなくてただ呆然と見上げることしかできない。
シャベルの突き刺さった獣の死骸に目をやると、戦慄で今頃震えが来る。
だが、まだ安心している場合じゃない。ハインは震えながらも彼女に訴えた。
「ハイデマリーさん、クララが……!」
「分かっています。すぐに処置を」
足で踏んで魔獣の生死を確かめていたハイデマリーは、すでにもう冷静だった。
安全装置をかけた拳銃を地面に置くと、クララを抱き上げる。
連射で熱を持った銃身が、湿った土の上で一瞬ジュッと音を立てた。
クララは息も絶え絶えで、それでもまだ意識を失ってはいない。
かすかな吐息のような声でハインの名前を呼ぶのが聞こえたが、
ハインにはただ運ばれていく彼女を見ていることしかできなかった。
・・・ + ・・・ + ・・・ + ・・・
一時間以上が過ぎただろうか。
クララが運び込まれた部屋には入ることが許されず、ハインはただその部屋の前で立ち尽くしていた。
最初のうちは医師やメイドたちの切迫した声が飛び交っていたが、今はすっかり静かだ。
廊下の窓から入ってくる光が、陽が傾きかけていることを教えている。
その時、部屋の扉が開いた。出てきたのは壮年の男性だ。
濃緑のスーツの上に白衣を羽織り、金色の髪をオールバックに撫でつけ、やや伸ばした髪を後ろで結んでいる。
気難し気にひそめられた眉、厳しい冬の空を思わせる青い瞳。
クララの父であるエーデルシュタイン伯爵だということは、大人たちの態度から察していた。
顔を伏せるハインのことなど目もくれず、足早に廊下の奥へと消えてしまう。
そう言えば、入ってくるときも平然と歩いていてまったく取り乱した様子がなかった気がするが、
あの人はいつもああなのだろうか? 娘が倒れたら血相を変えて駆けつけるものじゃないんだろうか……?
そんなことを考えていると、続いてハイデマリーが部屋を出てきた。
彼女はハインの姿を目にすると、軽く目を瞠る。
「ずっと待っていてくださったのですか。申し訳ありません」
「クララの事が気になって……大丈夫なんですか?」
「ひとまず大丈夫です。今は薬を飲んで眠っておられます」
今は医師とメイドが付いているらしい。
それだけ説明し、ハイデマリーは場所を変えましょうとハインを促した。
城内は警備兵やメイドが忙しく行き交っていた。
あちこち絨毯やカーテンが破れたり、花瓶や置物が割れたりしていて、
床には青い血の飛沫が点々と続いている。
あの魔獣が城内を走り回ったのだろうことは、子供にも容易に想像がついた。
城内を歩きエントランスホールを抜け、城の入り口まで戻ってくると、
車に置いてあった鞄とバイオリンケースをハイデマリーから受け取った。
もう陽は傾きかけており、おそらくそろそろ門限近い時間だと感じられる。
遠くの方ではさかんに声がしていた。おそらく、あの薔薇園の方だろう。
ここでクララと車を降りたのはほんの二時間ほど前のことなのに、ずいぶん前のことのようだ。
「まずはお嬢様を守ってくださり、ありがとうございました。
まさかこんな事態になるとは……君も怖かったでしょうに」
「いえ……僕は何もできなくて」
「君が行動を起こしてくれなければ、お二人ともあっさり食い殺されていたかもしれません。
私がお嬢様のお傍を離れなければ……いえ、こんなことなら……の時、あれを……しておけば……」
ブツブツと何か呟いているが、後半はよく聞き取れなかった。
分かるのは、ハイデマリーはひどく悔いている様子だということだけだ。
「あの、さっきのあれは、魔獣ですよね?」
「そうですね」
「僕には城の中から出てきたように見えました。怪我をしていたみたいだったけど……」
「それは……」
それは当然の疑問だったが、何かハイデマリーが言い淀むような気配がある。
とその時、開けっ放しの入り口から若い警備兵が出てきて、ハイデマリーに声をかけた。
「よう、これ。あんたのだろう?」
詰襟の警備兵の制服を着た彼が差し出したのは、あのとき薔薇園に置き去りにした拳銃だ。
ハイデマリーはぺこりと一礼し、銃を受け取る。
「すごいな、あんな魔獣を一人で仕留めちまうなんて」
「いえ。恥ずかしながら、前職は魔獣狩りを生業としていたもので」
「へえ、元傭兵とかかい? 驚いたなあ、なんでメイドなんてやってるんだ?
ぜひ今度ご教授願いたいね、魔獣の倒し方とかさ」
とりあえず今はあのデカブツを片付けないとなあ、と若い警備兵は薔薇園の方角を見て嘆息する。
「まったく旦那様の酔狂にも困ったもんだよな。魔法だか錬金術の研究だか知らんが、
あんなのを地下室で……あ、いや。まあとにかく命がいくつあっても足りねえよ。
転職考えた方がいいかもな」
軽口を言っていた警備兵は、ハインがいることに今頃気づいたのか慌てて言葉を濁すと、立ち去った。
だがはっきり聞こえてしまった。伯爵が錬金術医と呼ばれる魔法使いなのは知っていたが、
『あんなのを地下室で』って? 地下室にあの魔獣を閉じ込めていたってことなのか? なんのために?
「申し訳ありませんが、あれについては何もお答えすることはできません」
「えっ」
思考を断ち切るハイデマリーの言葉に、どきっとした。
見上げると、ハイデマリーのヘーゼルナッツのような色をした鋭い瞳が、じっとハインを見つめている。
「あんな目に遭わせておきながら申し訳ありません。ですが、一切他言無用でお願いします。
理不尽に感じるでしょう。もう少しで死ぬところだったのですから当然です。
あなたを巻き込んだことはお詫びのしようもない。ですが、ここはそういう場所なのです。
……もう関わりたくないと思われても仕方ありません。その場合は私からお嬢様にお伝えしますので」
いっぺんにそこまで言われて、ぽかんとするしかなかった。
あれだけのことがあって、まだどこか現実感がない状態なのもあり、頭がうまく働かない。
ハイデマリーも頭痛でもするかのようにこめかみを押さえ、困ったように嘆息する。
その形のいい眉がひそめられ、彼女はどこか諦念したようにふたたび口を開いた。
「それから……今からお話しすることは、私の一存であることをご承知おきください。
お嬢様は、心臓の病を抱えていらっしゃいます。時折ああして発作が出て苦しまれるのです。
医師の話では、成人するまで生きられるかどうかも分からないと」
「え……!?」
衝撃が雷のようにハインの体を貫いた。
ハイデマリーの言葉は、想像していたよりもずっと重い現実だった。
「これまで黙っていて申し訳ありません。君の気持ちを考えず、お嬢様の願いを叶えようと
強引に友人関係の話を進めたことも、申し訳ありませんでした。
もしこの先のことを……考えて、つらくなるなら、もう会わない方がいいかと思います。
まだ子供のあなたに勝手なことを言いますが、よく考えてください」
ハイデマリーの言葉が、ずっしりした石のように心に積み上がっていくようだ。
彼女の言うことは、最もなのかもしれない。
積み上がる石を前にそう思う、どこか冷静な自分がいる。
だけど……。
「僕は……、」
口を開きかける。
だが、きゅっと唇を引き結んで、ハインは続く言葉を飲み込んだ。
「彼女が目を覚ましたら、ゆっくり休んでと伝えてください」
失礼しますと会釈して踵を返す。
呼び止められたが振り返らず、ハインは駆け出していた。