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虎姫異譚

 春日神社の祭日には参道に賑やかな市が立った。食物屋台から香ばしい匂いが漂い姦しい売り子の声が響く。都の文物を扱う屋台では物珍し品々が所狭しと並べられている。大道芸人が笛や太鼓を打ち鳴らし美貌の女性がしなやかに舞を披露して大勢の人間が楽しんでいる。そんな参道の一画に射的を行っている場所があった。もちろん本物の弓矢である。参道沿いに端から端までおよそ60間(約110メートル)離れたマトを射貫けば、春日神社の境内に大きく張り出され大いに名を挙げることが出来る。春日山城から祭りに繰り出した若武者たちが先ほどから次々に通し矢を試みているがさすがにこの距離である(有名な京都三十三間堂の通し矢は約120メートル)的を射貫くことのできるものは現れていなかった。そこへ一人の少年が進み出た。年の頃は十代初めだろうか。上質な小袖に袴姿だが顔は頭巾で覆っていてよく見えない。

「なんだ坊主、やるのか?」

 射的の親方が尋ねると無言で頷く。

「やめとけ。やめとけ」「坊主にゃ、むりだ」

 周りで若武者たちが囃し立てた。少年が受け取った弓は少年の背丈には大きすぎてまともに引くことも出来そうになかった。それでもかまわず少年は矢をつがえ、身体全体を使って弓を引き結ぶと無造作に矢を放った。

「はあ?」

 次の瞬間、若武者たちが驚愕する。矢は綺麗な放物線を描いて空を切り、ものの見事に的を射貫いた。

「なんと!」「うそだろ?!」

 みんな呆気にとられている。

「あんた、ただもんじゃねえな」

 親方はころりと態度を改めると恭しく少年に尋ねた。

「神社に掲げねえといけねえからな、あんた、名前は?」

「え? 名前?」

 まだ声変わりする前なのだろう少女のように美しい響きだった。

「あ、いや、それは」

 少年は困ったように首を振ると後ずさってその場を離れようとする。その時である。祭りで賑わう参道を人を押しのけるようにしてやってくる老武士がいる。ひどく焦った様子でキョロキョロと誰かを捜している。その瞳が少年を捉えた。

「まずい!」

 少年が脱兎の如く走り出す。気づいた老武士が声を上げた。

「おられましたな!」

 少年は繋いでいた馬にひらりと飛び乗った。

「お待ちください。すぐに城にお戻りを!」

 少年は馬上、背中でその声を聞く。

「一大事でございます。すぐにお戻りを! 虎千代様!……姫様!」

 その時、少年の顔を覆っていた頭巾がはらりとほどける。豊かな黒髪が流れ落ちた。それと共に隠れていた面も露わになる。美しいうりざね型の顔立ちにスッと通った鼻梁と愛嬌のある口元、意志の強さを宿す切れ長の瞳を持つ少女の顔だった。彼女の名は長尾虎千代。当年13才。後の上杉謙信である。


 虎千代がその後もしばらく祭りを楽しんでから春日山城に帰るとなにやら慌ただしい雰囲気だった。

「なにごとなのじゃ?」

「ああ、姫様、どこにおいででしたか? 大変にございます」

「?」

「ご隠居様がお亡くなりにございます」

「なんじゃと!」

 ご隠居、長尾為景は虎千代の父である。数年前に家督を兄晴景に譲って隠居していたが、近頃体調が思わしくないとぼやいていた矢先のことだった。

兄様あにさまは?」

「寝所にござります」

 虎千代は急いで兄の元に向かった。

「申し訳ありませぬ、兄上。遅くなりました…」

「ああ、虎、来たか」

 兄は寝所で半身を起こし家臣になにやら指示していた。家臣は虎千代に礼をして足早に出て行く。

「兄様、父上が…」

「ああ、私も先ほど聞いて、今、隠居所から寺へ父上を運ぶように手配したところだ」

 兄がゴホゴホと咳き込む。

「兄様、お加減は?」

「大事ない。いつものことだ」

 そう言って弱く笑う。虎千代は胸が詰まった。彼女より一回り以上年上の彼は優しくて博識で大好きな兄だったが、昔から身体が弱く病がちで床に臥せっていることも多かった。自分は小さい頃からお転婆で守役を困らせるほどだったので(それは今もあまり変わらない)自分の元気を分けてあげたいと常々思っていた。

「それよりも父上がお亡くなりになったことで我が家を軽んじるものがでるのではないかとそれが案じられるよ」

「その様なもの、蹴散らしておしまいになればいいのじゃ」

「はは、そなたの言う通りだが、この病弱な身の私ではなかなか難しかろうよ」

 兄が難しい顔をする。彼女はそれがいやだった。

「ならば兄様。兄様はお城でデンと構えて指図だけされておればええ。敵は妾が蹴散らしますゆえ」

「なにを馬鹿なことを……」

 晴景は一笑に付そうとしてふと言葉を途切れさせる。そして虎千代をまじまじと見つめた。

「どうなさいました? 妾に戦は不安でござろうか?」

「いや、うむ、まあ、もちろん、おなごのそなたが戦などと本当なら不承知なのだが……」

 その時、寝所に家臣が駆け込んでくる。

「殿、近隣の豪族たちに不穏な動きが見られまする」

「なに?」

「頻りに兵を集め合戦の準備を進めている模様」

「父の死を知ってこの機に乗じようてか。急ぎ、こちらも兵を整えよ」

「は!」

「兄様、父上の御移送は?」

 晴景はハッとして彼女を振り返る。隠居所から寺への移送を先ほど指示したばかりだが、そこを攻め込まれたらひとたまりもない。移送先を城へ変えるべきだがその道中を狙われる可能性もある。しかし城の守りを考えるとそれほど多くの兵を割くわけにもいかなかった。

「兄様、妾が行きます」

「しかし、虎…」

 晴景は妹の瞳に強い光が浮かぶのを見た。迷いはうそのように消えた。

「良し、わかった。汝に任せる」

「はい!」

 彼女は勢いよく寝所を飛び出していく。それが運命の分かれ道だったと後に晴景は思った。

 この時、虎千代は自ら甲冑を身につけ剣をかざして父為景の棺を守り、わずかな兵を率いて城まで護送に成功したのだった。その姿を付き従った兵たちのみならず、城中のものまでがあっぱれな姫様だとほめそやしたのだった。



 虎千代の名は彼女の生まれ年、享禄3年(1530年)が寅年だったことに由来している。幼い頃からおのこ顔負けのお転婆で城の庭を走り回り、木刀で剣術のまねごとをして遊ぶような姫様だった。父親の為景は最初のうちこそ面白がっていたが、さすがにこれではまずいと思ったのか、彼女を城下の林泉寺の名僧 天室光育てんしつこういく禅師のもとで学ばせた。しかしこれが裏目に出た。禅寺の僧兵たちが才気煥発な姫を面白がって剣や弓矢など武芸百般を教え込んだためメキメキと腕を上げ、また光育禅師もその才能を見込んだのか秘中の軍略を授けるにおよんで、わずか12歳にして城中に姫の声望が立った。これには彼女の兄晴景が病がちであることも影響している。いくさが絶えない戦国の世にあって強さは正義であり安心であり希望なのだ。家中の者たちは彼女が男であればとひそかに噂しあった。

 天文13年(1544年)春。父為景がなくなって一年余り。跡を継いで守護代となった兄晴景を侮って越後の豪族が謀反を起こし栃尾城に攻め寄せた。この時、虎千代はまさに栃尾城に居た。栃尾城は彼女の母、虎御前の実家であり虎千代は一年ほど前からこの城に住まわっていたのだ。春日山城と栃尾城との間は100キロ余り。すぐに援軍が駆けつけることは期待できない。敵もそのことをよくわかっているのだろう。加えてこの城に晴景の親族がいることも栃尾城に攻め寄せた理由の一つかもしれない。戦とは敵の弱みを突くものだからだ。城下を埋め尽くす敵に城中が籠城か降伏かで混乱する中、城の物見から敵を見下ろした虎千代は声を上げた。

「これは妾の出番じゃな!」

 すぐさま甲冑を身に着けると軍議の場に乗り込んだ。

「皆の者、よく聞くのじゃ!」

「姫さま?」「虎千代様、何を?」

「妾はこれより敵を打つ」

「は?」「なにを仰せで?」

「春日山城からの援軍は当面来ない。敵もそう思って城を取り巻いているのじゃ。籠城は危うい。ならば敵を欺いて打って出る」

「無茶でございます、姫様」「われらは寡兵。ここはやはり籠城が常道かと」

「いや、妾に策がある」

 一同は顔を見合わせた。そもそもこのような幼い姫が軍議に口を挟むなど本来言語道断のことである。しかし城内の者はその常識を忘れた。この一年、城中における姫の行動を皆知っていたからである。誰にでも明るく接して皆に可愛がられながら、武芸稽古に参加しては家臣を寄せ付けない圧倒的な強さを見せつけ、まるで古の巴御前の様だと皆噂した。

「して、どのような策で?」

「まずは妾の元服を行う」

「は?」

 女の身で元服とは破天荒にも程がある。皆があっけにとられて目を丸くする。

「そう驚くな。敵を驚かす方便じゃ。女子供と侮っている敵をまずは驚かせてやろう」

「それは……愉快でありますな」

「そうじゃろう? これより妾は元服し、景虎と名乗ることにする」

「景虎様…なにやら強そうな」

「しかして、その後の策はこうじゃ……」

 虎千代改め景虎はそのまま軍議を主導した。

 彼女は陣中のこともあり略式での元服を済ませ、景虎と名乗ることで敵兵への威嚇とした。そののち城中の兵を二手に分け、一隊に敵本陣の背後を急襲させた。混乱する敵軍に対し、さらに城内から本隊を突撃させることで壊滅させることに成功。この時、景虎15才。並外れた指揮官としての才能を見せ謀反を鎮圧することで初陣を飾ったのだった。



「まったく。なんでこんなことになるんじゃ?」

 景虎は深く溜息をついた。陣幕から見えるのは春日山城。それを取り囲むように味方の軍勢が陣を敷いていた。

「どうしたらいいんじゃろうなあ?」

 景虎は心ならずも兄晴景と対峙するはめになっていた。彼女が初陣を飾ってから早4年。その間に起こった数々の戦に兄に代わって出陣し功績を挙げた景虎を周囲が放って置かなかった。病がちな兄に代わって彼女を担ぎ上げようと母の実家である栖吉城主・長尾景信や与板城主・直江実綱、三条城主・山吉行盛らが結託し、景虎の知らぬ間に春日山城に実力行使に及んだ。それを止めようと乗り込んだ景虎だったが叔父である景信や母虎御前からの請願書(泣き脅しとも言う)を受けてどうにも抑えることが出来ず、ぐずぐずと陣中にある内に春日山城との対峙は10日を過ぎた。陣中ではいっそ力押しで城に討ち掛かろうという声が大きくなっていた。

「まったく。叔父上の頑固頭め、余計なことをしてくれる」

 景虎は兄のことを想って気が重くなる。自分のことで迷惑を掛けて申し訳なく、そのことでまた体調を崩したりしてないだろうか? 陣幕の間から春日山城を仰ぎ見ていた景虎はひとつ息を吐くと「よし、きめた」と小さく呟いたのだった。

 もちろん春日山城は彼女が生まれ育った城であり、隅々まで諳んじている。加えて彼女の身体能力は常人を凌駕していた。まるで都の軽業師の如く2メートルを超える壁を軽々と乗り越えることが出来たし、夜でも昼の如く辺りを見通すことが出来た。その夜、夜陰に紛れて景虎は城へ忍び込んだ。警護のものにまったく気づかれることなく難なく城の奥深くーーー兄の寝所へと忍び込んだ。

「なにやつ!」

 戸板の開く微かな音に気づいて晴景が声を上げた。景虎は恐る恐る顔を出す。

「兄様…」

「虎!?」

 兄は一瞬驚いた表情を浮かべたがすぐさま苦笑を浮かべる。

「なんだ、こんなところまで。そなた、私を殺しに来たか?」

「まさか!」

 景虎は慌てて首を横に振る。

「しからば、夜這いか?」

「え?」

「いくら母違いとは言え、我らは兄妹ぞ」

「も、もちろん、違い申す」

「そうか、それは残念」

「は?」

 兄は先ほどとはうって変わって可笑しそうに笑っている。

「兄様、妾をからかうのもそこまでにしてくだされ」

 景虎はぷうと頬を膨らます。まるでわらべの頃に戻ったような仕草だった。

「いや、すまぬ。して、このような時分に汝が来た理由を訊こうか」

 その顔はもう笑ってはいなかった。景虎は思いの丈を語る。

「兄様、このような仕儀になりあいすみませぬ。もちろん妾に兄様に取って代わる気など毛頭ありませぬ。なんとか叔父上連中を思いとどまらせますのでご安心くだされ。兄様にはこれからもこの城で存分に差配をふるっていただいて妾は戦大将として兄様の手足となって働くのが本望でございます」

「昔から、そなたはそう言ってくれていたなあ」

 晴景は懐かしそうに眼を細める。それから深く息を吐くと景虎を見つめ

「じゃが、どうにもそれは難しいようじゃ」

「なぜでございます?」

「そなたが龍であるからだ」

「え?」

 景虎は困惑する。言われている意味がわからなかった。

「あるいは軍神の化身かもしれぬ」

 それで兄の言わんとすることが少し理解できた。

「まさか、妾にそんな力はございませぬ」

「それは人がどう見るかということだ」

「ですが…」

 兄は妹の言葉を手を振って遮る。

「よいか虎。もはや汝の声望の大きさは天にも匹敵する。片や私はこの身体ゆえ戦場での戦の差配もまともには出来ぬ。誰がこんな病弱ものを主にと望むだろうか?」

「そんな!」

 景虎は激しく首を振って

「ならば、妾は出家いたします! そうすれば兄様以外、主はございません」

「そうなれば、誰ぞが謀反を起こして私を廃そうとするだろうよ」

「そんな馬鹿な!」

 景虎は胸が詰まった。大好きな兄の窮状をなんとかしたいのに自分には出来ることがない。自分はどうすればいいのだろうか? その時、兄の厳かな声が聞こえた。

「虎、主になれ」

「え?」

「私に代わって春日山城の主と守護代の職を継ぐのだ」

「そんな、無理でございます」

「無理ではない。出来る。いや、そなたにしか出来ぬのことだ」

 兄の瞳が射抜くように景虎を見つめている。身体が震えそうになった。兄が自分に求めている。自分にも兄のために出来ることがある。息が詰まりそうになりながら彼女は言葉を発した。

「妾に本当に出来ましょうか?」

「ああ、この兄が請け合おう」

 それでもまだ事の重大さに景虎が逡巡していると

「私も汝の治世に力を尽くすと約束しよう」

 兄がそう言って笑顔を見せる。それで景虎の心は決まった。

「わかりました、兄様」


 翌朝、春日山城の物見櫓の上に晴景と景虎が揃って現れた時には城の内外に集う敵味方双方から驚きの響めきが起こった。なぜ景虎が城内から出てくるのか? 集まった者たちにはまったく謎である。そこで晴景が高らかに宣言した。

「我、長尾晴景、家督をここなる景虎に譲り隠居するものなり。今日こんにちより春日山城の主、および守護代の職は長尾景虎が引き継ぐ。皆の者、心せよ!」

 その宣言にいっそう大きな響めきが起こったのは言うまでもなかった。こうして景虎は越後守護代長尾家の当主となった。景虎19才の事である。



 その後、領内に多少のいざこざはあったが景虎の素早い対応で越後は収まった。そんな折、相模の北条氏康によって領国を追われた関東管領・上杉憲政が越後まで逃げてきた。景虎は隠居した兄晴景とも諮って彼を鄭重に迎え入れ、新たに御館を築造しそこに住まわせた。憲政はその対応にいたく感激した旨、将軍足利義輝に伝えたらしく、間もなくすると都から文が届いた。そこには上杉憲政に対する景虎の行いを賞賛し、ぜひ会いたいので上洛されたしとの文言が記されていたのだ。

「のう、実綱。都とはどのような所じゃろうか? やはり花のような場所であろうかのう?」

 景虎23才、初上洛である。京が近付くにつれていやが上にもワクワクした気持ちが湧き上がってきていた。越後は遠国である。社寺の祭りや市の場でたまに都下りの華やかな装飾品や都の芸人たちを目にする事はあるが、都のことは噂で聞くぐらいしかわからなかった。そこには武家の棟梁たる足利将軍があり、また畏くも尊い天子様が居ます御所があるはずだった。

「殿、くれぐれも粗相の無いようにお振る舞いにはお気を付けください」

「わかっておる、実綱」

 景虎は苦い顔で傍らの武者を睨む。その者の名は直江実綱。景虎の父為景、兄晴景にも仕えた宿老で、景虎が春日山城主になってからお目付役として遣わされていた。景虎より20才ほど年長でこの時男盛りの40半ば、非常に頭が切れて優秀なのだが、その分なにかと意見されることも多く景虎には少々煙たかった。ともあれ都に入ればそんなことも忘れてしまうほどの華やかさに景虎はたちまち上機嫌になった。領国では見たこともない大勢の人が都の往来を行き来している。市でもないのに物売りの声が姦しい。

「なんじゃ、今日は祭りでもあるのか?」

 店先に広げられた文物の珍しさについ目移りしてしまう。

「ほれ、あれはなんじゃ? 何を売っておる?」

 そして訪れた足利将軍室町第(花の御所)の壮麗さに思わず感嘆の声が漏れた。

「おー、これが花の御所か……」

 

「これはこれはよく参られた、長尾殿」

「あ、はい。わら…いや私が越後守護代長尾景虎にございます」

 景虎はそこで初めて将軍足利義輝に拝謁した。剣の免許皆伝を持つ剣豪としても知られる義輝はさすがに豪放磊落な性格で景虎は好ましく思った。一方、景虎を間近に見た義輝はその相貌に驚きを覚えた。なぜなら匂い立つような美男子だったからだ。もちろん領国では景虎が女性であることは皆公然の秘密であったが外には男子として通していた。そのため景虎は上洛に当たり男装していた。謁見用の儀礼服を纏った男装の景虎はまさに京好みの色男だった。続けて参内した天子様の御所では後奈良天皇に拝謁し御剣と天盃を下賜されたのだが、その折り、宮中の官女たちが景虎を見て色めき立った。彼女たちは都の情報発信源である。たちまち洛中に長尾景虎の噂が広まった。

「なんだか、見張られておるようで、うっとうしいな」

 景虎が洛中に繰り出すと彼(彼女)を見ようとたちまち人だかりが出来て身動きが取れなくなる。噂の景虎とお近づきになりたい公卿や武将からの誘いがひっきりなしにあり、都で交友関係を築くことは重要であるという実綱の勧めもあり景虎はできる限り誘いに応じて出かけていった。元来和歌や音曲よりも剣術武術が好きな景虎だったが都での交友によりこれ以後、和歌や漢詩にも力を入れるようになった。またこの時、ある公卿から贈られた源氏物語は彼女の愛読書となったのである。


「いやあ、良き上洛じゃったな」

「御屋形様、少しはお顔を引き締めなされませ」

 直江実綱が渋い顔で言ってくる。けれど景虎は少しも気にならなかった。越後に向かう帰りの道中である。景虎は今回の初上洛を思い起こしてニコニコと頬を緩ませていたのだ。京での滞在の後、足を伸ばして堺を訪問し珍しき南蛮渡りの品を購い、また高野山を詣でたりした。ちなみに将軍足利義輝に面会した際、景虎は「御屋形号」を許されており、これ以後「御屋形様」と呼ばれることが多くなった。

 そんな景虎が上機嫌で春日山城に戻った頃、甲斐の武田の脅威が領国に迫りつつあった。




 天文22年(1553年)武田軍が北信濃へ侵攻を開始した。北信濃の国人衆からの救援依頼を受けて景虎は支援の兵5000を送った。国人衆と武田軍との間にいくつかの勝敗があり、景虎は出陣するが到着前に武田軍は引き上げていた。

 翌年、冬2月。景虎の兄晴景が病のため世を去った。

「兄様、逝ってはなりませぬ。兄様!」

 いつも病がちの兄であったがこの冬の寒さに数日前から体調を悪化させ、ついには帰らぬ人となった。兄の容態を心配して頻繁に見舞いに訪れる景虎に病の床から

「虎よ。そのように頻繁に来ずともよい。そなたが不在ではまつりごとが滞るだろう」

「兄様は、そのようなこと心配せずともよい」

 けれど死期を悟ったのだろう兄は

「よいか虎。いつも領民を慈しむのだぞ」

「わかっておりまする」

「他国との関係は義を重んじよ」

「わかっておりまする」

「天地神明に恥ず事なき公明正大を心がけよ。しからば(勝ち)運は我らにあり」

「わかっておりまする」

「これをもって私の遺言とする」

「兄様!」

 民を慈しみ妹を愛し、国のために自らをわきまえ、道を示した長尾晴景、41才の若すぎる生涯だった。景虎は大好きな兄の死に悲嘆にくれた。しばらくまつりごとはおろか、好きだった遠乗りや鷹狩もする気が起きなかった。鬱々とした日々を過ごすこと二月ふたつき、武田軍が再び信濃に侵攻したとの報が入った。

「ええい、このようなときに忌々しい武田め。ひと思いに踏み潰してくれようぞ」

 景虎は早速軍を率いて信濃に向かった。


 出陣した景虎は信濃の川中島で犀川を挟んで武田軍と対峙した。到着早々、犀川を渡河して攻勢をかけてみたものの軽くいなされて本陣に近づくことができない。巧妙な伏兵が進路を塞いだのだ。ならばと武田軍の布陣する旭山城と川を挟んで葛山城を築いて牽制し城から誘い出そうとするが乗ってこない。小競り合いはあるものの互いに決め手を欠き、双方の睨み合いは5か月に及ぼうとしていた。そうなって漸う漸う景虎は対峙している相手がこれまで戦った敵と全く異なっていることを悟った。この5か月間、武田軍は全く緩みも見せず隙も見せなかった。こんな敵は初めてだった。景虎はむしろ相手の武田晴信という男に興味を持った。一体どんな男なのだろうか? 噂では父親を追放して甲斐国主に登った悪辣な男と聞く。けれどそんな男がこれほど軍を纏めることができようか? 景虎はひと目、相手の顔を見てやりたくなった。景虎は人並外れて目がよかった。加えて持ち前の身体能力である。武田方の旭山城周辺の木々の梢上を軽々と跳び渡って城内を見渡せる場所まで誰にも気づかれず侵入した。陣幕の中で武将が集まっているのが遠目に見えた。その中心にいるのはーーーえ? ドクンと心の臓が高鳴る音が聞こえて景虎は自分自身に驚いた。なんじゃ? これは? そこに見えたのは年の頃、三十路半ばだろうか、意外と小柄な武将だった。けれど精悍な顔つきに瞳が爛々と輝いている。それは野心だろうか? それとも功名心か? なんだか一度、話がしてみたくなる様な男振りだった。

 長い対峙は将軍足利義輝の命を受けた駿河の今川義元の仲介で和睦となり双方兵を引いた。結果的にこの戦が景虎に兄晴景の死の悲しみをまぎらわせてくれることとなった。



 景虎が切れた。

「ええい! もう、知らん! そんなに妾のやり方が不満なら勝手にすればいいんじゃ! 妾は出家する!」

 言うが早いか景虎はさっと駆け出し部屋を飛び出していく。

「なにを仰います、殿!」「待たれよ、御屋形様!」「誰か、殿を止めよ! 早く!」

 たちまち城中に大騒ぎが起こった。景虎はそれに見向きもせず愛馬に跨がると憤然と城門から走り出した。家臣たちはそれを呆然と見送った。なぜこんなことが起こったかというとそれはーーー

 景虎が春日山城の主になった時から遠回しにではあるが婿養子を娶るように勧められることがあった。けれど景虎は我関せずと聞き流していた。それがおよそ一年前、兄晴景が亡くなった事で露骨に跡継ぎ問題を言い出すものが家中に増えた。特にお目付役の直江実綱などはことある事に早く婿養子をとうるさかった。景虎としては兄より託された越後守護代としての責務を考えると婿などもらっている暇もなく、またもらうとしても自分より弱い男子おのこなどまっぴらだった。

「妾より強い者でなければ婿になどせぬ」

 と家中に宣言した。そうしたらなにを勘違いしたのか、家中の腕に覚えのある若者たちが、我も我もと彼女に勝負を申し込んできた。勝てば領主の婿になれるのである。破格の条件である。その騒動を面白がって一対一の勝負を受けた景虎は弓でも槍でも刀でも、腕自慢の相手を軽く打ち負かした。その内面倒になって「皆、まとめて掛かってこい」と一度に多人数を相手にしてもまったく危なげなく全て打ち破ってしまった。それで家中では景虎は軍神の生まれ変わりではないかという噂が流れた。軍神に勝てる道理もなく騒動は収まり、婿養子問題も直江実綱は渋い顔をしていたが、一旦、棚上げにされた。しからば漸う漸うまつりごとに精を出すことが出来ると景虎は勢い込んだのだが、家臣同士の領地争いの裁定を行えば、その裁定に文句を言って従わず勝手に小競り合いを繰り返す。国衆の紛争も日常茶飯事のようにあちこちで頻発する。どうしたものかと実綱など側近に尋ねれば「それは御屋形様のお考え次第に」となんの助言にもならないことを言うばかり。今までは兄晴景に相談できたがそれもできなくなり、周りからも先代様が生きていらっしゃったらと聞こえよがしに言われる始末。景虎はほとほと嫌になった。そして切れた。その結果がーーー妾は出家する宣言である。

「お待ちください、御屋形様!」「殿!」「姫様!」

 慌てた家臣たちが景虎の後を追ったが疾風迅雷が信条の景虎である、容易に追いつくことなどできなかった。悪いことにその間に再び武田方が策謀し家臣の一人が武田と内通し謀反を起こした。その知らせを持ってようやく直江実綱が景虎に追いついたのは高野山に向かう途中の大和の国、葛城山山麓だった。

「御屋形様、どうかお戻り下さい」

 実綱は景虎の馬の轡を掴んで必死に押しとどめる。

「知らん。妾は戻らぬ。出家し心安らかに過ごすのじゃ」

「越後をお見捨てになると?」

「どうせ妾がおってもかわらぬ。妾の差配などだれも従わぬじゃろ?」

「その様なことございませぬ。御屋形様がおらぬでは越後はすぐに武田晴信めの支配下に置かれましょう」

 晴信の名を聞いて景虎の眉がぴくりと動いた。

「譜代の大熊朝秀が武田の調略を受けて寝返りましてございます。このままでは越後は内部から切り崩されてしまいましょう。御屋形様でなくてはとても武田を抑えきれませぬ。どうか、お戻り下さり、越後をお救いください」

 馬上の景虎は数瞬考えていたが

「武田と合戦か? ならば妾が差配しようぞ。その他の諸事は全て実綱、なんじに任せる。奉行となり万事、総裁せよ。ただし婿養子のことは一切聞かぬ。妾の目に叶うものは妾が決める。おらねば何処かより養子を取れば良かろう。よいか」

「は。御屋形様の仰せのままに」

 家臣一同平伏して誓った。そうして越後に戻った景虎はすぐさま謀反した大熊朝秀を討った。


 武田方の本格的な進攻は翌年冬二月、景虎たちが雪に閉ざされ出兵できないことを嘲笑うように信越国境まで進攻し国境の城を攻め立てた。その用意周到さに景虎はあらためて武田晴信という男の底の知れなさを感じた。待ち焦がれた雪解けとともに出兵。溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように破竹の勢いで奪われた城を奪い返し、逆に武田領内深くまで進攻した。早く出てこい、晴信。妾と勝負しろ。けれど晴信は景虎との直接対決を避ける様に軍を動かしてくる。直接戦うことをある意味楽しみにしていた景虎は裏切られた気分になった。思っていたほど強者ツワモノではなかったか。妾の見込み違いであったか。ならば一気に押し潰してくれよう。と思った時、注進が入る。

「殿、武田方別働隊が我らの背後小谷城を強襲し落城間近とのこと。このままでは我ら退路を絶たれ前後から武田方に挟まれます」

 一気に肝が冷えた。けれどそれとは別に笑い出したくなるような快感も湧き出してくる。ははは、そうよな。それでこそ妾が見た武田晴信。そうでなくては困る。動揺する諸将の前で景虎は告げる。

「狼狽えるな。小谷城はそう簡単に落ちはせぬ。速やかに兵を纏めよ。飯山城まで後退する。皆の者、ついてまいれ」

 少しも動揺を感じさせぬ景虎の下知に諸将が落ち着きを取り戻した。その後は互いに小競り合いがあったがそれぞれ領国へ引き上げた。


 永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで今川義元が討死。関東東海における諸将の均衡が破れた。景虎は北条に追われた上杉憲政の要請もあり北条氏康討伐のため関東に出兵した。たちまち北条方の諸城を落とし小田原に侵攻する。同時に憲政から上杉家の家督と関東管領職を譲られ上杉政虎と名を改めた。この年、政虎31才。関東管領となった政虎が関東の諸将に号令を発すると諸将は続々と参陣し、およそ10万の軍勢が小田原城を取り囲んだ。しかし北条方は固く城を守って打って出ず、膠着状態のまま戦陣は長引き、関東侵攻10ヶ月に及ぼうとしていた。

「ああ、退屈じゃ。退屈じゃあ」

 政虎はさすがに飽いていた。氏康は亀のように閉じこもって城を出てこず、小田原城はさすがに天下の名城と謳われるだけあって城攻めも効果が薄かった。

「氏康の臆病者め。いっそ、妾が一人で城に忍び込んで、そのクビ獲ってきてやろうか」

 などと物騒なことを考えていた。それにそろそろ背後が気になっていた。

「我らが小田原に足止めされている間にあやつが何もせずおとなしくしているはずがない」

 そう思っていた矢先、知らせは来た。

「武田信玄、信濃を侵せり!」

 来たか! さもありなん!

「みな、この退屈な戦陣から引き上げようぞ!」

 待ってろ晴信。いや今は信玄か。こんどこそそなたの顔をしかと拝んでやる!

 政虎が小田原に引きつけられている間、武田信玄(前年に晴信から改名)は北条氏の要請もあり、政虎の背後、信濃に侵攻。海津城を築城し政虎方の割ヶ嶽城を攻め落とした。

 この知らせを聞いた政虎はすぐに兵を率いて関東を後にした。


 川中島の妻女山さいじょさんに陣を敷いた政虎は遅れて海津城に入った信玄とにらみ合う形となった。対陣十日。連日の軍議では如何にして海津城を攻略するか議論が交わされた。珍しく政虎は意見を言わない。ただこれまでもあったように武田方は決戦を避けのらりくらり時を過ごすのではないかという意見には

「いや、此度は妾がそうはさせぬ」

 その言葉に部下の諸将は政虎の本気を感じた。

「それにそろそろ武田も本気の決戦を仕掛けてくる頃合じゃ。今川義元亡き後の駿河攻略に背後の我らが不安じゃろうからな」

 妻女山から海津城まで約2キロ。人並み外れた視力を持つ政虎には城内の様子が手に取るように分かった。あそこに信玄がいる、と思うと胸に高ぶるものを覚えた。どうかすると目を凝らして信玄を探してしまう。

 その夕も海津城を眺めていると何かが気に触った。すでに日は暮れかかっていてはっきりと城内が見えるわけではない。慌ただしくなにかが動いている気配もしない。それでも何かが気に掛かったのは…はっとして顔を上げる。そうか! 炊飯の煙がこれまでより遥かに多く立ち昇っていたのだ。ついに来るか。

「諸将を呼べ!」

 すぐに集まった諸将に政虎が告げる。

「武田方は夜明けと共に攻めてくるぞ」

 夕餉を厚くするは夜襲朝駆けのしるしだ。その言葉に諸将が緊張する。

「じゃが信玄めのことだ単純な力攻めはすまい? おそらく兵を二つに別け、この妻女山からわれらを追い落とすと共に麓の八幡原で決戦に及ぼうと考えておるじゃろう」

「ならば、どうなされます?」

「城を出てくるならこちらには好都合。八幡原の本陣を一気に衝く。そのために夜陰に紛れて山から降り八幡原に布陣する。あやつの目と鼻の先に布陣してやるわ。よいか、決して物音を立てるな。馬には板を噛ませよ。決戦じゃ」

 政虎は秘かに胸躍らせていた。信玄の驚く顔をはやく見てやりたい。


 翌朝、川中島一帯は深い霧に包まれた。予見していたわけでは無かったが、こちらの動きを隠すには好都合だった。けれどさすがに霧の中で戦闘を始めることは出来ない。じりじりしながら霧の晴れるのを待っていると背後で遠く合戦の雄叫びが聞こえる。政虎はニヤリとした。やはり妻女山を攻めてきたな。今頃もぬけの殻に驚いているだろう。その時、ようやく霧が晴れてきた。思った通り、目と鼻の先に武田の主力が陣を張っている。我らを見つけて驚き慌てているのが手に取るように分かった。

「いざよ! 掛かれ!」

 政虎の号令で法螺貝が吹き鳴らされる。兵が一気に駆け出す。いよいよ合戦が始まったのだ。諸将の兵がおもしろいように武田方を蹴散らしていく。騎馬が戦場を駆け回り、兵達が槍を揃えて前進する。兵の消耗を防ぐために考案した車懸りの戦術が敵兵を容赦なくなぎ払っていく。半時(1時間)が過ぎた頃には武田方の陣形はちりぢりになり、至る所に穴が広がっていた。そんな中、戦場をずっと眺めていた政虎はすっくと立ち上がるとひらりと愛馬に跨がった。

「御屋形様、何を?」

「妾も出る」

「え?」

 言うが早いか政虎は馬を蹴って駆けさせた。

「あああ、殿! お待ちを!」

「いけませぬ殿!」

 見る見るうちに戦場に分け入っていく。

「ええい、みなのもの、早く殿を追いかけるのじゃ! お一人で行かせるでない!」

 左右の者が政虎を追いかけようと駆け出した時には既にその姿は戦場の彼方に消えていた。

 政虎は兵の隙間を巧みに駆け抜けた。向かった先はただひとつ。武田信玄の帷幕だ。


「武田信繁様、お討死!」「山本勘助殿、諸角虎定殿も討死にございます!」

 信玄は帷幕の中、床几に腰掛け伝令役の報告を受けていた。傍らに控える兵に

「お前たちも行け」

「しかし、我らはお館さまの守り…」

「わしのことは良い。敵を蹴散らして参れ」

「はっ!」

 帷幕の中にただ一人になると信玄はふっと苦笑した。やられたわ。上杉政虎、越後の龍か。ほんに厄介なやつばらじゃ。とは言え、ここで負けるわけにはいかん。妻女山に行った別働隊が帰ってくるまで持ち堪えれば勝ちは我が方よ。だがはたして、それまで持つか…。その時、蹄の音が近付いてきて帷幕が蹴散らされる。見事な馬に乗った若武者がぬっと距離を詰めてきた。

「なにやつ!?」

 その若武者は歓喜の表情を浮かべた。敵将武田信玄を討てると喜んでいるのだろう。だがこんな女のような若武者ごときに遅れをとるわしではないぞ。その時、馬上の若武者が名乗りを上げた。

「妾は越後の領主にして関東管領たる上杉政虎なり。信玄公にひと言申すこと有り、御前にまかり申した」

「は?」

 信玄は一瞬、戦場であることを忘れた。目の前の若武者が上杉政虎? しかもこの声、女ではないのか? 知らず声に出ていたのか、武者が応える。

「いかにも妾は女にて候。それでは、そなたは不満か?」

 信じられなかった。越後の龍と怖れられる相手がこのような妙齢の女であったとは。しかも相手は戦場だというのに馬上で不敵に笑っているのだ。信玄は気を取り直して問うた。

「してその話が本当だとして、わしに申したき事とはなんぞ?」

 政虎はすっと刀を抜く。信玄も腰の刀に手をかけた。

「妾との勝負を所望する」

「なるほど一騎打ちで勝敗をつけようというのだな」

 政虎は頷くと

「妾が勝ったら、そなた、妾の婿養子になれ」

「はああ?」

 今度こそ、なにを言われたのか分からなかった。婿養子? わしが? 越後の龍の? いやいや、あり得ない。信玄の混乱をよそに政虎は続ける。

「妾が負けたら、そなたの嫁になる」

「は? いや、それは同じ事では?」

「違う。妾が勝てば、妾は甲斐一国を手にし関東の北条を討ち、関東管領の責務を果たす事が出来る。そなたが勝てば越後はそなたのものとなり後顧の憂いなく駿河を手にすることも容易になろう」

 確かにこやつの言う通りなのだが、こんな話、信じられるか?

「うけるか、信玄?」

 馬上の政虎は期待に満ちた眼差しを向けていた。おもしろい。信玄の胸に不意に思わぬ感情が湧いてきた。まったくおもしろい。上杉政虎が女だったことも含め、近頃なきおもしろき出来事だ。

「わかった、その申し出受けようぞ。だが、本当によいのか、そちはおなごでわしは男ぞ」

「フン。百も承知。おなごだからといって手を抜いたら後悔するのはそちじゃ。いざ、参る」

 馬上の政虎が刀を振りかぶる。信玄も抜刀して政虎の振り下ろした刃を受けた。キンという高い音が響き渡る。馬上の利を活かして政虎が二太刀目を振り下ろす。信玄は巧に馬体の影に回り込む。今度は信玄が横薙ぎに刀を奔らせた。政虎はとっさに馬を蹴って躱すがわずかに馬の腹に信玄の刃が擦り馬が跳ねた。あっ。とっさに政虎は馬からひらりと飛び降りた。目の前に信玄の刃。首を振って躱すと同時に自らの太刀を振るう。が手首を掴まれて刀が止まる。互いに腕を掴んで押し合う形になった。至近距離で目が合う。不意に信玄が笑い出した。

「ふははは」

「なんじゃ?」

「そなた強いな。相当なお転婆姫であったろう」

 そう言われて政虎は急に頬が熱くなる。

「わるいか」

「いや、それでこそ越後の龍だと、いま確信した」

「そなたも妾が相手した中では一番じゃ」

「ふむ。それは光栄」

「じゃが、勝負はべつじゃ」

「もちろん」

「しからば」

 バッと二人は離れて再び対峙する。その時、ばさばさと帷幕が捲られ武者が政虎に駆け寄ってくる。

「殿、ご無事で!?」

 政虎を追って駆けつけた上杉方の兵だった。一方その後ろから武田方の兵も乱入し

「お館様を守れ! 守れ!」

 たちまち二人はそれぞれの武者の後ろに引き離されていく。政虎は信玄の後ろ姿に声を掛けた。

「約定、忘れるなかれ!」

 信玄からは「おう!」と声が返った気がした。

 その後、武田の別働隊が戻ってきてからは政虎側が劣勢に回ることになった。夕方まで続いた合戦で互いに多くの犠牲を払い、それぞれが勝ち鬨を上げて引き返すこととなった。



 武田との合戦の後、政虎は将軍足利義輝の一時を授かり輝虎と名を改めた。あいかわらず関東の情勢は安定せず、北条方の侵攻で関東に出陣すること暇もなかった。けれど関東に信玄ほど輝虎の心を沸き立たせる武将はおらず、はやく信玄といくさがしたくてウズウズしていた。

 3年後の永禄7年(1564年)信玄が飛騨へ侵攻したため輝虎は出陣した。二ヶ月にわたって対陣することになる。この間、小競り合い程度で互いに決戦を避けた。しかし実は輝虎と信玄は連日の如く戦いを繰り広げていたのだった。信玄の籠もる塩崎城。その寝所に夜になると侵入者がいた。誰あろう、輝虎だ。彼女にとってこんな小城の警備を躱して忍び込むことなど朝飯前。どうと言うことはなかった。寝所に堂々と現れた輝虎に信玄は呆れ声で言った。

「なんだ、今度はわしを殺しに来たのか? それとも夜這いか?」

「ちがう」

 輝虎は、兄様と同じ事を言うやつだなとなんだか嬉しくなった。

「約定を果たしに来た」

「なに、ここで殺し合いか?」

「違う、勝負だ」

「それは…」

「なんじもあの時の続きがしたいじゃろう?」

 輝虎は持っていた木刀をタンと叩いた。

「おうよ」

 信玄も不敵に応じた。二人は秘かに城を抜け出し麓の長谷寺の境内で対峙した。

「しからば」

「勝負!」

 二人の戦いは輝虎が素早い動きで切り込めば信玄が不動の構えで剣先をいなし切り返す。いわば動の輝虎、静の信玄。

「どうした、攻めてこぬのか?」

「なんじこそそれではいつまで保つかな?」

 二人の力は拮抗していた。何十合とやり合い、次第に空が明るくなってくる。

「これは剣では決着つかんな」

 信玄が言うと

「ならば、明日は弓で勝負じゃ」

「よかろう」

 そう約束して二人は別れた。翌日も夜中に落ち合い弓勝負を繰り広げるがやはり勝負はつかず、次の夜は槍、その次は馬掛け、その次は囲碁、そして将棋、果ては双六まで持ち出す始末。

「良いのか、虎姫殿? そんなもので己と国の行末を決めて?」

 輝虎は巷で越後の龍と呼ばれているがそれをもじっていつの間にか信玄は輝虎のことを越後の虎姫と呼ぶようになっていた。

「あなどるなよ、信玄」

 しかしさしもの武勇自慢の輝虎も将棋辺りから形勢が悪くなり、負けが先行するようになる。もちろんもう一番、さらに一番と勝負を続けるのだが……。

 うむ、楽しい。愉しいぞ。輝虎はもうとっくに信玄との勝負が楽しくて仕方なくなっていた。初めて自分と対等に戦える相手に出逢った。これが嬉しくなくてなんだろうか。遊技盤をはさんで対峙しながらお互い過去の戦いの軍略を批判し合う。自分ならばあそこはこうした、こう攻めて、こう勝っていたと。それがまた愉しい。このままずーっと勝負していたかった。

 やがてわずかに信玄の方が勝ちが勝った。

「では妾が嫁に行こう」

 輝虎は約束通りあっさり宣言する。

「良いのか? それでは越後が困るであろう?」

 信玄が少し驚いた顔で返す。

「なに、妾は養子を取った(後の景勝)あとは任せればよいだろうよ」

 信玄は考える風だったが

「ふむ、それもありだが、関東管領、越後の虎姫を嫁にもらうには今のわしはちと役不足ではあるな」

「は?」

「わしも天下に名を轟かせたいものじゃ。さてこそさすが甲斐の武田は越後の虎姫を嫁にするだけのことはあると言わせてみたい。それまで待ってはもらえるか?」

 思いがけない提案に輝虎は一瞬答えに詰まる。

「まあ、そなたがそう言うなら」

「ならばわしは天下を取ろう。天下を取ってそなたを迎えに行くこととする」

「わかった」

 この時輝虎34才、信玄43才だった。翌日、上杉、武田両軍は対峙を解いて領国に帰っていった。



 輝虎に天下を取ると告げた信玄だが、北条、今川に挟まれてなかなか動き出すことが出来なかった。永禄10年(1567年)には今川氏との関係が悪化し塩止めを受けている。輝虎はこの行いを「卑怯な行為」と批判し「妾は正々堂々戦いで決着をつける」といって信玄に塩を送った。

 輝虎は天下を取るという約束をなかなか果たさない信玄に抗議の手紙を送った。

「早くしないと妾は行かず後家になってしまうぞ」

 実際、輝虎は元亀元年(1570年)41歳の時、法号「不識庵謙信」を受け、以降上杉謙信と名乗るようになる。

 元亀3年(1572年)北条氏康が死去し後継者の北条氏政が信玄と和睦。信玄はいよいよ上洛に向けて兵を挙げる。

「さてこれ以上待たせては虎姫殿に殺されかねん。天下を取って虎姫を迎えにゆこうぞ」

 徳川家康を三方原で一蹴し浜名湖畔で織田軍と対峙。けれどそこで思いがけず病を得て信玄は病没する。臨終の床で信玄は

「よいか、わしの死を3年の間は隠せ。遺骸は諏訪湖に沈めよ」

 また息子の勝頼に対して

「なにかあらば越後の上杉謙信を頼れ」と遺言した。


「なんじゃと?」

 信玄死去の報は食事中に謙信に届いた。箸が知らず指からこぼれ落ちる。それと共に胸の中からも何かがこぼれ落ちていくような気がした。

「妾に敵うただ一人の相手じゃったのに」

 頬を涙が流れ落ちる。

「世にこれほどの英雄はおらなんだに」

 謙信は席を立って自室に籠もった。妾との約定も果たさず、信玄の愚か者め。あやつ、ほんに妾を行かず後家にしおった。もっと早ように天下取りすればよいものを。繰り言は次から次へと湧いてくるが、涙も止まることを知らず湧いてきた。その夜、謙信は3日間城下の音楽を禁止し喪に服すことを発した。


 信玄の死で謙信は胸にポッカリ穴が空いたように感じた。けれどその後も、越中一向一揆との争いや新たに進出してきた織田方の武将との戦いがあり、次第に気力を回復していった。それと共に秘かに信玄の弔いを行うことを心に決めた。妾が上洛しあやつの代わりに天下を取るのじゃ。相手は信玄が最後に対峙した織田信長である。謙信は信長に文を送った。「翌春、京にて挨拶つかまつる」公明正大を重んじる謙信の真骨頂である。その文を受け取った信長は恐怖した。

 天正6年(1578年)大動員令を発し3月15日に遠征を開始する旨を告げる。しかし、その6日前である3月9日、謙信は春日山城内で倒れ昏睡状態に陥った。その後意識が回復しないまま3月13日未の刻(午後2時)に死去した。享年49才。これが越後の龍、軍神と呼ばれた虎姫の生涯である。


追記

上杉謙信が女性であったという説は古くからあり、特に近年小説家の八切止夫氏が読売新聞夕刊に小説『上杉謙信は男か女か』の連載を行ったことで世に広く知られることになった。主な根拠として次のようなものが挙げられる。


①「生涯不犯」という誓いをたて結婚しなかったのは女性だったから

②毎月決まった日に腹痛があり、戦の最中でも部屋に引き籠っていた事実から女性の月経だったと考えられる

③スペインのゴンザレスという人物が日本についての調査報告書を国王フェリペ2世宛てに送ったなかに「会津の上杉はその叔母(tia)が佐渡を開発して得た黄金をたくさん持っている」とあったという。会津の上杉とは謙信の養子の上杉景勝のことであり「叔母」は謙信のことであると考えられる

④越後の民謡である瞽女唄ごぜうたの中に「男もおよばぬ怪力無双」と上杉謙信のことを歌った物がある

⑤筆跡も女性らしい綺麗な字であり、源氏物語など恋愛小説を好んで読んでいた

⑥上杉謙信の肖像画は髭がやたら目立ち勇ましく描かれているが、女性であることを隠すためにあえて男性らしさを表現する肖像画を描いたのではと推測される


真偽の程は未だ確定していない。


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