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0章10節 紅白の花束を

 僕らの通う応秀院高等学校の文化祭は燦燦祭(さんさんさい)という(いくらか不恰好な)名で呼ばれ、例年十月末の土日を使って開催される。今年は二十八日、二十九日になる。その二週間前の月曜日、つまり今日、十六日からは文化祭準備期間として、授業が午前の三時間分で終わる。また一週間前からは午前の授業も無くなり、終日文化祭の準備に充てられる。

 僕らのクラス、一年B組は、教室を使って『メイドカフェ』を出店することに決定した。分類上は模擬店という形を取ることになる。学級委員の東至真は「それはもはや前時代的だろ」と嘆いて、染衣雪野は隣で困ったような笑みを見せるばかりだった。東至真曰く「このクラスの女子はレベルが高い」らしく、それを活かさない手はないと、コンセプトカフェという方針には納得していた。しかしメイドカフェという選択肢に対する男子の熱量には、いささか難色を示していた。このクラスは男子の方が多い。多数決で男子票が集まれば、当然ながらそれが自ずと多数派になってしまう。この決定は男女の間に確かな不和を生み、大いに時間を掛けて妥協点と折衷案を探る羽目となった。それは東至真と染衣雪野という二つのカリスマを軸に、今にも崩れそうな危うい橋を架けるようなもので、ボヤ騒ぎのような対立のあとのくすぶりや煙のにおいは長く尾を引いた。しかしそれも時間とともに消えていき、今では個々がどこか気持ちの落としどころを見つけているように見える。浮き立った想いの一つ一つが、自然と団結に向けて一か所に歩み寄っている。まるでひとしきり雨が降ったあと、散り散りの水滴が人工的な窪みの中心に向かって滑らかに流れていくように。


「水季、お前はメイド服着るのは大丈夫か?」昼休み、東至真が所定の位置で僕に話しかける。

「嫌だと言っても男子は全員着なきゃならないんだろ」

「いや、お前はメイドカフェに票入れてなかったろ。票入れてない男子は一応拒否権があってもいいかなって思ってるから」

 僕は一瞬だけ考えてから答える。「着るよ。着ない方が浮くし。別に減るもんでもない」

「減るもんでもない?」

「何かを失うわけじゃないだろ」

 彼は僕の顔を覗き込んで笑う。「尊厳はいくらか失いそうだ」

「失う人は失う」

「そりゃあいい」彼はいっそう楽しげに笑う。「なんというかお前も、肝が据わってるよな」

「僕『も』?」

「雪野さんもずいぶんと抵抗感が無いようだったから」

「ああ……」

 染衣雪野ならそうだろうな、と僕は自然に思う。そんな様子を覗き込んで彼はにやりと口角を上げる。

「知ってた、って反応だ。雪野さんのことをよく知ってるような反応」

「別にそんなことはない」

「俺は勘繰るぜ。すごく勘繰る。あることないこと吹聴しちゃうかもな」

「君はそんなことしない」

「ああ。俺はそんなことしない」

 僕は彼を一瞥し、ため息を飲み込む。それが少しきまりの悪い間を生み出し、僕は彼に向けた視線を空に戻す。清々しい快晴が人々を見下ろしている。

「別にたいそうなことはないよ、本当に。縁あって少し話す機会があって、なんとなく人となりが見えたってだけ」

「ふうん」彼は含みを持った笑みを見せる。「俺は雪野さんとそれなりに話すことはあるけど、人となりなんて全然見えないぞ」

「君が遠慮してるだけなんじゃないのか」

「お前は遠慮してないのか?」

「別に僕は染衣さんを神格化してるわけじゃない」

「俺も特別扱いしてるつもりはないよ」彼は少し間を置いて続ける。「でも雪野さんの考えてることはよくわからない」

 これはマジでね、と言い、彼はどこか仄暗く笑う。それは彼自身に対する嘲笑にも似ていて、その心象を明け透けに暴いている。つかの間だけ思索的に見えた表情が、次の瞬間にはいつもの何かしら含みを思わせる柔らかな笑みで包まれる。教室中のそわそわとした喧騒が少しだけ挟まると、彼はゆっくりと口を開く。

「お前が本当に雪野さんのことを理解できるって言うなら、そりゃ特別不思議な話だ。俺からしてみればね」

「理解してるかどうかは、また別の話だよ」

「それもそうだな」彼は僕を見て笑う。「水季、お前はわかりやすくて助かるよ」

「それはいい。君ほどじゃないだろうけど」

「言うね」

 彼は気持ちのいい笑いを挟んで、窓際の手がかりから滑らかに降りる。それは明確な会話終了のルーティーンだった。彼は最後に僕に向き直って言う。

「メイド服についてはお前にはいくらか相談があるかもだから、そのつもりでよろしく」

 彼はその場を去った。この飄々とした旅人は、次はどこへ向かうのだろうか。


 午後には出し物の方針についての話し合いがクラスで行われた。メニューはコーヒーといくつかの種類の紅茶を用意し、食べ物に関しては市販のクッキーなどを提供することで意見が一致した。火器こそ使えないが、ホットサンドメーカーなどの簡易的な調理器具は使えるため、食事もある程度こだわろうと思えば気の利いたものを提供することは可能らしい。しかしコンセプトを鑑みたとき、回転率とサービスを重視すべきだという意見が大半だった。そのサービスの具体的な内容は今後細かく意見を募るとして、大まかな方針はそれで完結した。

 目玉となるであろうメイド服はその日のうちに披露された。露出が多めなミニスカタイプと、格式ばった丈の長いクラシックタイプ。前者が男子用、後者が女子用。基本的に着回すのは同性間のみとしつつ、状況や客の反応を見てある程度は入れ替える可能性もあることを東至真の口から説明された。とあるクラスメートの男子(早川と言う。下の名前は忘れた)の姉の友人に有名なコスプレイヤーがいるらしく、そのつてをたどって必要分、どころか予備分まで多めに集めることができたらしい。それぞれその細部にいくらか差異はあれど、おおむね想像通りのメイド服がところ狭しと並べられた。染衣雪野から慎重に扱うようにという注意が再三なされたが、早川(もとい、彼の姉、もしくはその友人)曰く「簡単な設計で直すのも大した手間ではないからあまり気にしなくてもいい」とのことだった。その大盤振る舞いの見返りは「かわいい女子高生のメイド服姿の写真」らしい。それは法律的には大丈夫なのだろうか?

 メイド服の他にも執事服のような衣装が数セット用意されていた。どうやら気を利かせて、男子用のまともなコスチュームも集めてくれたらしい。それを東至真、染衣雪野が囲んでいて、その場にはなぜか僕が連れてこられていた。

「これは雪野さんの提案だけどね」東至真はそう注釈を添えて言う。「せっかく男子用にもちゃんとしたコスプレももらったことだし、これ着て接客する時間帯もあってもいいよな、って話になったんだ」

「このままでは男の子全員がおふざけになってしまいますから。なのでこの執事服も使えたらいいなと思っています。コンセプトはちょっと揺らいでしまいますが、こういう路線も需要がありそうですし」

「そうか。それはいいね」僕は言う。「で、なんで僕がここにいるんだ?」

 染衣雪野が答える。「あくまで趣旨はメイドカフェですので、執事服を使う場合は時間帯を絞ることになると思います。それこそ、一日一回程度の特別なイベントのような扱いで。時間帯を絞るということは、人数を絞るということでもあります。誰が着るかは今後話し合いで決めることになると思いますが、わたしは夏目くんと東至くんを推薦するつもりです。そういうわけなので、事前に知らせておこうと思って」

「僕を?不思議な話だ」

「雪野さんが推すってことは、すなわちそれはもう決定事項ってことだ」

 染衣雪野は困ったように微笑む。「誤解のないように言いますけど、わたしはちゃんと大げさだと言いましたからね」

「まあそういうつもりでいてくれ、ってだけの話だよ、水季。たぶん、シフト多くなって忙しくなると思うけど」

「別にそれは構わないけど、接客とかは期待するなよ」

「大丈夫大丈夫。実はこういうのは無愛想な方がウケが良かったりするんだぜ」

 東至真は僕の肩をぽんと叩いて笑う。染衣雪野もただ静かに微笑んでいる。なんとも居心地の悪い空間だ。僕はため息を一つ零して、ごまかすように話を逸らす。

「例のメイド服の写真はどうするんだ?」

 東至真が答える。「ああ、その話もしなきゃな。俺は雪野さんがいいかなって思ったんだけど、雪野さん的には各務の方がいいらしくてさ」

「わたしが嫌というわけではないんですけど、被写体としてはプロの各務さんの方が間違いなく映えますから。ただ……」

「ただ?」僕は問う。

「わたしも東至くんも、各務さんに頼むのはちょっと……ばつが悪いと言いますか」染衣雪野は言いにくそうに眉を傾げる。

「つまり僕に頼めと?」

「水季なら各務も警戒はしないだろ。まああいつ学校ではそういう話したがらないっぽいし、ダメ元ではあるんだけど……一応頼めないか?」

「まあそれは別にいいんだけど。染衣さんと各務さんが二人で撮るのはダメなのか?」

 僕がそう言うと、示し合わせたように目の前の二人が顔を見合わせる。驚きと困惑を絶妙な割合でブレンドした、とてもわかりやすい表情だ。二人の間に潜んでいた無言のままの秩序を、恐らく僕は歪ませている。この二人だからこそ決して変化しない、ほとんど完全な停滞を。

「まあそれは理想ではあるけどさ」東至真は声のトーンを落とす。「水季、さっきは濁したけど、雪野さんと各務って実はあまり仲が良くなくて」

「僕もそこまで鈍感じゃないよ。それを込みで言ってる。メイド服の方は明確に二種類あって、最適な被写体も二人いる。二人でそれぞれを着て撮るのが一番収まりがいいのに、それをこっちの事情でやらない、というのもきまりの悪い話だ、と思っただけ」

「いやそうなんだけど、それはもうその通りなんだけど」東至真は具合が悪そうに頭を掻く。「……雪野さんは、どうなんだ?」

「わたしは……」染衣雪野は一度逡巡したのち、明確な決意を持って答える。「やります。むしろやりたいです。各務さんには、二人で撮りたいと伝えてください」

 東至真は驚いたふうの表情を見せる。「いいのか?」

「もちろん、各務さんの同意あってこそですが」

「……そっか」

 そのタイミングで誰かが染衣雪野の名を呼び、彼女は「じゃあお願いします」と一言残してその場を後にする。その後ろ姿を、僕らは二人で手持ち無沙汰に眺めていた。

「なあ水季」東至真は呆れたような笑みを見せて、すんと肩を落とす。「お前、無茶苦茶だよ」


 短いホームルームを挟み、放課後はシームレスに迎えられた。半数以上の者は教室に残り、いくつかの会議の輪を形成していた。複雑な化学反応のようにそれは次々と形を変え、方程式に沿って熱を発生させながら、恐らく意味のあるものを生み出している。僕はその整然とした無秩序を静かに抜け出し、教室のドアに手を掛ける。

「あ、ちょっと待って、夏目!」各務優理の活発でよく通る声が僕を呼び止める。「図書委員の会議でしょ?一緒に行こ」

 そう言うと、彼女は僕の返事を待たずに横に並ぶ。どうやら僕に拒否権は無いらしい。

 文化祭に向けた活動はどの教室でも精力的に行われていて、廊下を歩いているだけで伝わる熱量に奇妙な浮遊感を覚えるほど、あちこちで多彩な賑わいを見せていた。僕らは人々の往来をゆっくりと潜り抜けていく。その中から、いくつかの視線が物珍しそうに僕らを捉えた。

 各務優理はその華麗な佇まいから、言わばオーラのようなものを常に拡散している。非日常的な違和感すらそこにはある。太陽と比喩しても決して大げさにはならないほど、彼女は優雅で輝かしい生徒なのだ。しかし今日はその隣に、冷えた空気を引きずる新月のように暗い人間がいた。その組み合わせはいささか特異に見えるだろう。太陽と新月。彼女と彼らの間に、暗澹の象徴として僕は存在していた。

「ねえ、楽しみね、メイドカフェ」

 そんな奇異な視線には慣れているのか、彼女は特に気に掛けてはいないようだ。それか単に気付いていないだけなのかもしれない。検分するような視線を向けられているのはもっぱら僕の方なのだから。

「あたし最初はあんま乗り気じゃなかったんだけど、いざ文化祭が近づいてくると、なんだかワクワクしてきちゃった」

 早くメイド服着てみたいなあ、と彼女は言う。その瞳にはサンタクロースを待つ子供のような真新しい煌めきが含まれている。その光は彼女の内奥にある根源から、ぴったりと重なったいくつものスリットを通して外に溢れているように見える。

「つかぬ事を聞くけど、どうして読者モデルになろうと思ったの?」僕は聞く。

「ん……あれ?あたし夏目に読モやってること教えてたっけ?」

「君からは教えてもらってないけど、別に君も取り立てて隠してるわけじゃないんだろ」

 彼女は困ったふうに頭を掻く。「んー、まあ一応、大っぴらにしてるつもりもないんだけど」

「誰に教わったか言っておいた方がいい?」

「ん-ん、別にいいよ。どうせ東至でしょ。あんたが東至以外と話してるとこ、ほとんど見たことないし」

「東至以外とも話してるかもしれない」

「もしそうならお手上げね」彼女はからっとした乾いた笑いを見せる。「読んだの?『PriMA』」

「読んだよ。君が載ってるのも見た。嫌だった?」

「いや、見られるためのものなんだから嫌ってわけじゃないけど……なんだか、不思議な感覚だなって思って」

「そういう話はあまりしないの?」

「女の子の友達とは普通にするよ。今月の良かったよ~とか言ってくれたりする。でもあんたはそういうのとは違うというか……」

「まあ確かに」僕は顎を擦るしぐさをする。「僕と君はそういうのとは違う」

「別にキモいとか言ってるわけじゃないからね!普通に嬉しいから!ただちょっと、なんでだろう、って気になっただけで、別に他意はないというか」彼女は慌てたふうに両手のひらを見せる。

「まあ、僕もふと気になっただけだよ。君の仕事ぶりはどんなもんなんだろうって思っただけ。特に理由とかはないよ」

「そっか、そっか。まあそうよね」彼女は両手でほのかに赤らんだ頬を隠す。「うぅ、なんかあたしの方がキモい感じになっちゃった」

「君はいつも勝手に一人で暴走するね」

 彼女は指の隙間からむっとした表情を僕に見せる。「ちょっと、何その言い草」

「そしていつも勝手に一人で解決する」

「褒められてるんだか、けなされてるんだか」

「どっちでもないよ」

 でも君はそうあるべきなんだろう、と声に出さずに言う。


 図書室に着いてほどなくすると、一年生の図書委員を囲んで会議が行われた。会議といっても、単に担任の女性教師(東海林先生と言う。『東海林』は特殊な読み方の苗字の一例としてよく挙げられるが、彼女のそれはそのまま素直に『とうかいりん』と読むらしい。しかし生徒が『しょうじ』先生と呼ぶのを、彼女は特段咎めることもない)から図書委員の出し物の概要を説明されただけだった。曰く、どうやら文化祭期間中に『詩歌大会』が開催されるらしい。生徒から詩歌を募り、図書委員が選出して、図書室に掲載する。例年行われている伝統行事のようなものなのだそうだ。ただし一年生は詩歌の審査には参加せず、掲載の作業だけをすればよい、とのことだった。さっぱりとした説明だけ伝えられ、会議は数分足らずで解散となった。文化祭準備期間中は毎日東海林先生が受付を担うため、本来は今日受付担当である各務優理も、そのままともに図書室を後にした。

「二年生は見本的な感じで自分らでも詩書かなきゃいけないみたいね」各務優理は言う。「あたしも来年書かなきゃなのかあ。よくわからないのよね、詩って」

「来年も図書委員になるつもりなの?」

 彼女は少し考えるようなしぐさをする。「来年になってわざわざ別の委員会に変えたりはしないんじゃないかしら。もうある程度勝手もわかってるし」

「そういうものか」

「多分ね。どうせあんたもそうでしょ?」

「そうかもね」

 僕がそう言うと、彼女は脈絡もなく「そうだ」と言い、スカートのポケットからスマートフォンを取り出す。

「連絡先。交換しよ?」

 薄いマゼンタのシンプルな手帳型のスマホケースを開き、彼女は仰々しくその画面を僕に見せた。そこには未読のままのトークに埋め尽くされた連絡アプリが映し出されていて、彼女の色鮮やかな人間関係を手のひらの中に凝縮していた。連絡先の交換、僕はその理由を問おうとしてやめる。他人の行動一つ一つに意味を見出そうとするのは僕の悪い癖なのかもしれない。互いの連絡先を持っていることが至極自然な人付き合いの前提条件の一つであることは僕でも理解しているし、当然そこに拒否する理由もない。だから僕は一言「いいけど」と言い、ポケットから取り出したスマートフォンのロックを解除して彼女に手渡した。勝手にどうぞ、と声に出さずに言いながら。

「……ああ、はいはい、勝手にどうぞってことね」

 彼女は時間を掛けてその意図を読み取り、やれやれと言わんばかりの呆れたような表情でそれを受け取る。そしてスマートフォンの画面を数回タップすると、息を呑む声とともにその表情はがらりと色を変え、少しの間、驚き、困惑、疑問にぴたりと張り付いた。まぶたを見開いたまま左右に泳ぐ視線がやがて我に返ったように僕を見ると、彼女は不調をきたしたエンジンのように絶え絶えの言葉を繋げ始めた。

「ねえ、これ……なんで、あんたが、染衣さんの連絡先持ってるの……?」

「そういうこともあるだろ」

「ないわよ!」

 彼女の静かな怒号が広がる。それが不自然に乱反射して僕らの耳に届くと、彼女ははっとあたりを見渡す。図書室へ続く廊下に人影は二つしかない。それを確認すると彼女は再び、半ば睨むような視線を僕に向ける。

「ねえ、なんであたしたちのクラスグループが男女で分かれてるのか、知らないの?」

「さあ」

「染衣さんの連絡先をやすやすと男子に渡さないためよ!」彼女がずいと身を乗り出す。「ねえ、あんた一体これどこで手に入れたのよ?また東至?」

 僕は身を引いて答える。「そんな闇取引みたいなことはしてないよ。普通に本人と交換しただけ」

「……嘘でしょ?」彼女は心底、信じられないという感情をありのままその表情に映し出している。「あんた、染衣さんとそんな仲良かったの?」

「別に、仲良くはないよ。たまたま家が近かったことがこの前わかって、少し話をして、そのときに連絡先も交換した。それだけ」

「……それだけ?だって、あんたが連絡先交換しようなんて言い出すわけないし、それってつまり染衣さんからってことでしょ?本当にそれだけで、染衣さんがあんたにそこまで気を許したっていうの?」

「それだけだよ」僕にとっては。「君らは少し染衣さんを神格化しすぎてる。実際には、ちゃんと等身大の女の子だよ。連絡先くらい普通に交換する」

 彼女は神妙な面持ちで僕を見つめながら言う。「……ねえ、それってさ。あんたの前では等身大でいれる、ってことなんじゃないの?」

「君にはそう見えないってこと?」

「そういうわけじゃないけど……なんか想像できないというか」

「君も染衣さんと仲がいいわけじゃないんだろ。君の知らない一面くらいあって当然だ」

「……そういうものなのかしら」

「そういうものだよ」

 彼女がゆっくりとスマートフォンを僕に返すと、僕らは少しの煮え切らない気持ちとともに、再び教室へ向けて歩き出した。彼女との会話は果てのない奔放な旅路のようで、目的地や終着点もなければ、決まったルールのようなものも存在しない。まるでつけっぱなしのラジオのように、刹那的なテーマをただ流れるままにやり取りするだけ。それは記憶を切り離し、記憶から切り離され、気付けば連続性を見失っていた。

 つかの間の沈黙が訪れてから、僕は彼女に話すべきことを思い出した。僕が「ところで」と切り出すと、まるで砂漠の真ん中にぽつねんと佇む標識のように、ひどく心許ない秩序が少しだけ僕らの間にもたらされた。

「メイド服の写真を撮るって話、聞いた?」

「なにそれ、あたしが?聞いてないけど」

「メイド服を貸してくれた人に、お礼として写真を送ろうって話」僕はこの突拍子もない話を、嘘のない範囲でいくらかほぐして彼女に伝える。「元々君か染衣さん、どっちがやるかって話だったんだけど、メイド服は二種類あるしどうせなら二人で撮ろうって話になってる。君がよければ、だけど」

 彼女は足を止める。「……あたしと染衣さんが、一緒に撮る、ってこと?」

「別々でもいいんだけど、染衣さんは君と一緒に撮りたいらしいよ。どうする?」

「……そんな、急にどうする、って言われても」彼女は再び両手で頬を覆う。「……本当に、染衣さんがそう言ったの?」

「僕がそんなすぐバレる嘘つくと思う?」

「……つかない」彼女の両手が、ゆっくりと胸の前にうずくまっていく。「時間、ほしいかも。考える時間」

「そうか。多分急ぐ必要もないと思うから、ゆっくり考えるといい。決まったら東至か染衣さんに連絡すればいいから。僕にでもいいけど」

 そのまま僕らは再び人いきれに身を投げた。相変わらず好奇の視線が僕の全身をくまなく検分し、隣の少女は俯いたまま漠然と上靴を鳴らしていた。まるで月のない夜の繁華街のようだ、と僕は思う。浮き立ったネオンの光がコマ送りに移ろい、次の瞬間には水彩のように滲んで他人事になっていく。どれだけ街灯りと溶け合っても、太陽の眩しさも月の静けさも、人々は決して忘れることはないのだ。

 僕はそんな耳なじみのない比喩から視線を逸らした。かき混ぜられた喧騒が、僕らの輪郭を確かに形作った。いくらか二人の意図とは異なる形に。

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