第十八話
新たに旅の仲間としてエルフの少女、 ウルを迎えたエイン。
彼女はウルからベリスタの首都、 フィーレイにて行われる闘技大会の話を聞き、 賞金の魅力と好奇心に抗えず参加する事を決める。
そして現在……
三人は草一つ生えていない荒れ地の谷を歩いていた。
地面も岩肌も全て黒や灰色、 恐らく大昔は火山地帯だった場所だ。
「師匠……ここは危険なのでは……周囲は高い岩壁で囲まれていますし、 何が出るかも分かりませんよ? 」
「近道がしてぇんだったらここを通る他ないぜ、 俺が知る限りではな……」
一早くフィーレイに向かいたいと焦るエインにウルはこの道を教えたのだ。
ガルンは周囲を警戒するも、 エインとウルは何も躊躇う事無く歩みを進めていく。
二人にとって谷での魔物の遭遇はさほど脅威ではない、 それより懸念すべきなのは……
「……待って」
「おっ、 流石ぁ~……」
どんどん先へ進もうとしたエインは何かを感じ、 後ろに続く二人を止めた。
ウルは谷に何があるのかを知っていたのか、 エインを褒める。
……別に何も無いように見えるが……師匠……また何か見えているのか……?
ガルンには何が起きているのかさっぱりだった。
すると、 エインは辺りの匂いを嗅ぎ始めた。
……この匂い……前にも嗅いだことある……パパはこの匂いがしたら危険な場所が近いから気を付けろって言ってたけ……
父の教えを思い出すエイン。
エインが嗅いだ匂いは腐乱臭、 そう、 硫化水素の匂いである。
「ここ、 毒ガスが充満してたりする? 」
「えっ! ? 」
エインはウルに聞く。
「毒ガスって事も分かるってのも流石だな……そうだ、 ここら辺には生き物を殺す毒ガスが溜まってる場所がある」
「どうして先に言わないんだ! 」
「危険なら俺が先に止めるつもりだったさぁ、 けどエインの方が危険感知能力は高かったからよ」
そう言うが、 ウルは明らかにエインの事を試していたようだ。
「まぁ心配すんな、 ここはよく行商人も通るルートなんだ。 匂いはするが危険は無ぇよ……ただしゃがんだりするのはやめた方がいいかもなぁ……♪ 」
そう言ってウルはガルンの不安を煽るような事を言う。
ガルンはふざけるなと言わんばかりにウルの肩を掴んで揺さぶる。
すると、 エインは突然しゃがみ匂いを嗅いだ。
二人はその行動に驚く。
しばらくしてエインは立ち上がり
「うん、 何ともないから大丈夫だよ♪ 」
いつもの様子でそう言った。
「し、 師匠……! 」
「はは……全く命知らずなんだかただのバカなんだか……」
そんな事をしつつ三人は先を進んだ。
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しばらく谷を進んでいると、 目の前にクレーターのような巨大な窪地が現れた。
その下は若干霧がかっているが、 何軒か建物が見える。
それを見て人が住んでいる村があるのかと思った三人は窪地の底へ降りて行った。
「……おかしいですね、 見た感じ建物は結構最近建てられたものなのに誰もいない……」
「一休み出来ると思ったんだけどなぁ」
人っ子一人もいない村。
辺りは霧がかっていて視界が悪い。
そんな奇妙な様子にウルは何か感じていた。
……これ……明らかに普通じゃないな……最近まで人がいた痕跡は見えるが、 肝心の人は影も形も無い……
そう思ったウルは二人にここから離れようと言おうとした次の瞬間
「……ッ! 」
『キェェェェェッ……! 』
エインがウルを抱きかかえその場から素早く離れた。
ウルが立っていた場所には湯気を立たせる不気味な緑の液体がまき散らされていた。
そして三人の視界に飛び込んできたのは……
「し……師匠……あれは……」
「あっちゃ~……ここ、 この子達の縄張りだったんだねぇ」
エインの三倍の大きさはある巨大な蜘蛛と、 同じ種類の一回り小さい蜘蛛の大軍だ。
「やべぇ……あれはロヌエラスだ! 逃げろ! 」
死霧蜘蛛、 別名 霧の死神と呼ばれる蜘蛛の魔物である。
幼体から生態に変わると脚が白くなるのが特徴であり、 雌に限るも、 その体長は最大で以前エインとガルンが遭遇した熊の魔物 エラキウォスの二倍にもなる。
雄はある時期から体の成長は止まり、 獲物を狩る為に毒嚢と牙が活性化した形態に変化し、 雌はより多くの卵を産むために巨大な体に成長し、 卵を外敵から守る為に毒液と霧を吐く能力を獲得するという生態を持つ。
主に霧が溜まりやすい窪地を縄張りとする事が多く、 縄張りに入った獲物や外敵から身を隠しながら毒液で仕留めるという。
脚が白いのは霧に紛れる為だと考えられているが、 その詳しい理由は分かっていない。
以上の事から言えるのは
絶対にその縄張りには入ってはいけない生物だということだ。
『ウヒェアァァァァァァ! ! ! 』
三人は変な声を上げながら必死に蜘蛛の大軍から逃走した。
…………
追われながら窪地から這い上がって来た三人。
振り返ると霧の中から無数の光る目がこちらをじっと見ていた。
どうやら縄張りの外までは追ってこないようだ。
「はぁ……とんだ災難だった……」
「恐らくあの建物には最近までこの辺で炭鉱夫をしていた者か地質の調査をしていた者かが住んでいたんだろう……それで縄張りを移動してきたあの蜘蛛達に襲われたんだ」
「あんなおっきなクモは初めて見たなぁ……もっと調べてみたいなぁ……」
ウルとガルンが安堵したのもつかの間、 エインはロヌエラスに興味津々の様子。
……あ……このパターンは
エインとしばらく共にしていたガルンは嫌な予感がした。
するとその予感は的中、 エインは霧の方へ戻ろうとしたのだ。
当然慌てて止めようとするウル。
しかし、 ガルンは何となく結果は見えているのか、 さほど焦る様子は見せなかった。
そしてウルの静止も空しく、 エインは窪地の奥へ戻ってしまった。
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数分後……
霧の中からエインが戻って来た。
その手には無惨に分解されたロヌエラスの死骸があった。
「モドッタヨォ~♪ 」
舌が回らないのか、 何故かカタコトで喋るエイン。
「何事……? 」
「ドクをシラベようとオモッテね……ナメタらシタがシビレチャッタ……」
……あ……こいつ命知らずじゃなくてただのバカだ……
度重なるエインの不可思議な行動にウルはその答えに至った。
その晩、 旧火山地帯を抜けた三人は森の適当な場所で野宿をすることにした。
「~♪ 」
焚火を囲いながら食事をしている中、 エインは何かの本に書き込んでいた。
気になったウルは彼女の背後に回って本を覗き込む。
そこには昼間に遭遇したロヌエラスのスケッチと生態のメモがびっしり書かれていた。
スケッチはまるで写真かと見間違える程に完成度が高く、 特徴的な脚部分もしっかり表現されている。
「すっげぇ~、 エインって絵が上手いんだな……一度しか見てないモノをここまで再現できるなんてよ」
「えへへぇ♪ 旅に出るずっと前から色んな生き物の絵を描いてたからね、 記憶力と画力には自信があるんだ♪ 」
そう言ってエインはパラパラと今まで描いた生き物のスケッチとメモを見せる。
その数は百を優に超えている。
中には納まりきらない解説メモを別の紙に書き、 貼り付けられているページもある。
そんなエインの手記帳にガルンもいつの間にか興味を惹かれ見に来ていた。
……こんなにびっしりと……これが師匠の魔物に対する理解度の高さの秘密という訳か……
そんな事を考えながらめくられていくページを見ていると
「……ん? 師匠、 これは……」
「あぁこれ? パパだよ♪ 」
無数の魔物や動物の絵が描かれている中、 一人の男の絵が描かれているページがあるのに気付く。
そのページには文字の一つも書かれておらず、 ただこちらに振り向いている男の絵一つだけだ。
男の顔は口元しか描かれておらず、 エインの帽子を深く被っていてどのような顔なのかは分からない。
「どうして顔は描かれてないんだ? 思い出にするにせよ顔は大事だろ」
気になったウルはつい口に出す。
するとエインは微笑みながら言う。
「この本は一度しか見れないかもって思ったものを記録する為の物だからね……パパはそんな記録に残さなくても、 ちゃんと顔も声も覚えてるから♪ 」
「……師匠は本当に父に愛されて育ったのですね……」
「うん♪ 」
……そう……初めて出会った頃から……パパはずっと私を愛してくれてた……ずっと……
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昔、 エインが父と出会ったばかりの頃……
父のマントに包まりながら彼女はじっと焚火を見つめている。
その表情には生気が無く、 目は虚ろだった。
父が出した食事にも手を出さず、 生きたいのか死にたいのか……そんな思考性まで感じられない程に活力が無いように感じた。
「……まだ恐いか」
「……」
父の問いにエインは首を縦に振る。
「何が恐い……身の回りを取り巻く未知が恐いのか……」
「……」
エインは首を縦に振る。
彼女にとって、 何も知らない自分が恐かった。
自分が何者なのかすらも分からない、 このままでは自分という存在そのものが消えてしまうのではないか……その感覚が彼女の恐怖を掻き立てていた。
そんなエインに父は徐にバッグから一冊の本を取り出し、 それを差し出した。
「なら、 これに未知だと感じたものを記録しろ……それが生物でも、 食物でも、 または自分自身でも……未知なりに見つけたその答えをそこに書いていけ……それがお前の中にある恐怖を一つずつ消していってくれる……」
そう言われるとエインは本を受け取る。
しばらく彼女はその本を開かずに見つめているだけだった。
すると父は
「……人間というのは、 時として自分の所有物に名前を刻んで、 それが自分の物だと分かるようにする……その本はもうお前の物だ、 まずは名前を書いてみろ……」
そう言ってペンを彼女に手渡す。
名前……当時の彼女にはそんなモノは無かった。
かと言って、 自分で決めれる程の思考力は当時の彼女には無かった。
そんなエインに父は彼女の頬に手を添える。
「……エイン……今日からそれがお前の名前だ……」
「……エイ……ン……」
それを聞いた彼女は、 父につづりを教えてもらいながら本の表紙の端に自分の名前を刻む。
そうして刻まれた自分の名前をしばらく見ていたエイン。
するとその内、 彼女の中で何かが動き始めた。
……知りたい……もっと知りたい……この世界の全てを……私を取り巻く、 全ての未知に対する答えを……
それは彼女が初めて感じた感情、 『好奇心』だった。
それに気付いた時、 彼女は目に光が灯っていた。
「……もっと……色んなこと……教えて……」
パパ……
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気付けばそんな思い出に浸りながら、 エインは本の表紙に刻まれている自分の名前を見つめていた。
「……」
「師匠? どうかしました? 」
「んぇ? あぁ、 うぅん何でもないよ♪ ただパパとの思い出が蘇っただけ」
するとウルはふとエインに聞いた。
『エイン』という名前にどのような意味があるのか、と。
それを聞かれた彼女は父からは聞いた事が無かったのか、 考え込む仕草を見せた。
「わっかんなぁい! そんなに自分の名前を深く考えた事なんてないからさ」
「……エイン……ねぇ……実は俺達エルフの中で古くから伝わる言葉の中にそれに似たようなのがあるんだ……」
「えっ! なになに! ? 」
「確かぁ……『英雄の魂』……だったか……『エインヘリャル』っていう言葉がそういう意味を持つんだ……伝説では何でも、 別の世界から降りてきた神が伝えた言葉だとかなんとか言ってたな……」
……エインヘリャル……そんな言葉があるんだ……パパはそんな意味を込めて私に名前を付けたのかな……?
話を聞いたエインは名前を付けた当時の父の思いを考察した。
「まっ、 世の中探せば似たような言葉なんていくらでもあるからよ! 適当言ってみただけだ」
「もし師匠の父がその言葉を乗っ取って名付けをされたなら……俺はいい名前を授けてくれたと思います」
「英雄の魂……かぁ……なんかカッコイイね! 」
「本当にそんな意味を込めたのかは知らねぇがな~」
そんな会話をしながら三人の夜は更けていくのだった。
…………
ベリスタ帝国首都、 フィーレイにて……
街で一番大きい闘技場の前に、 顔に傷を負ったあの青年が佇んでいた。
彼もまた、 フィーレイの闘技大会に参加するつもりだ。
その目的は賞金か、 または名誉か……
ただ、 青年は相変わらず誰に向けているかも分からない殺意の込もった目つきをしていた。
「……待っていろ、 『ミドガ』……必ず俺がその首を刎ねてやる……」
青年の発した『ミドガ』という人物とは誰なのか……
果たして、 青年の目的とは……
続く……