『田舎のネズミと都会のネズミとプレスマン』
田舎のネズミのもとに、都会のネズミが遊びに来ました。夏休みなどにありがちな出来事です。田舎のネズミは、都会のネズミを穀物倉庫に案内し、大麦と小麦を食べ放題に食べさせました。田舎のネズミは、都会のネズミがさぞ喜んでくれただろうと思っていたのですが、どうもそうではないようでした。
「田舎はいいね。広いし、空気がおいしいし、食べ物も食べ放題だ。でもさ、同じものばかり食べていると飽きないかい。イクラが好きだからといって、ずっとイクラ軍艦ばかり食べると飽きるだろう。幾ら好きでも」
「…僕は、大丈夫だよ。むしろ、望むところだ」
「なるほど。こういう環境でこういう生活をしていると、そういう考え方になってしまうんだね。それじゃ、こうしよう。一度僕の家にも遊びに来たまえ。精いっぱいのおもてなしをさせてもらうよ」
と、まあ、こんな感じで、田舎のネズミが都会のネズミの家へ遊びに行くことになりました。
「やれやれ、大変だったよ。都会というのは、広いわけじゃないのに、目指すところになかなかたどり着けないね。馬より大きなやつが、目をぎらぎらさせながら恐ろしいスピードで走り回っているし」
「ま、それはいいじゃないか。こうして会えたわけだし。疲れていなければ、早速食事会にお連れしたいんだけど。それとも後にするかい」
「そうだね、都会の食べ物を楽しみにしてきたので、疲れてはいるけれど、先に食事をしてから休ませてもらおうかな」
「そうこなくちゃ。和食と洋食と中華と東南アジアとアフリカと南米と、どれがいい」
「中華かな、チューっていう音に親近感を感じるから」
「中南米って言えば迷ってもらえたかな。中央アフリカとか」
「都会のジョークは洗練され過ぎていて、僕にはわからないや。中華を頼むよ」
「よしわかった、じゃ、出かけよう」
「出かけるのかい」
「料理のほうから歩いてくるわけじゃないからね」
二匹は、三軒ほど離れたビルにある中華料理屋に行きました。田舎のネズミは、きっと、都会のネズミの友達か誰かが、ここに住んでいて、中華料理を振る舞ってくれるものと思ったのですが、そういうわけではありませんでした。
「さ、着いたよ。好きなものを好きなだけ食べてくれたまえ」
「ごちそうはどこにあるんだい」
「その、青い、ポリエチレン製のたるみたいなものの中に、たくさん入っているんだよ。ふたは、きっちり閉まっていないから、するっと入っていくといい」
「おや、君は行かないのかい」
「僕は食べ飽きているからね。焼き餃子もエビチリも、全部君のものだ」
「その二つ、本当の中華料理じゃないって聞いたことあるよ」
「ちぇっ、知っていたのか。じゃ、パイナップル入りの酢豚と天津飯を食べるがいい」
「それも違うよね。やめてくれよ、逆にそういうのが食べたくなっちゃうじゃないか」
「ごめんごめん。さ、行ってきなよ」
田舎のネズミは、中華料理屋の青いポリエチレン製のたるのようなものに入って、とりあえず、しなちくをかじりました。なかなかいい味です。さて、次は…、田舎のネズミがひくひく鼻を動かして、次のごちをうを探そうとしたとき、
「おいおい、ゆっくりしている暇はないよ、早く出てこい、逃げるんだ」
と、都会のネズミがせかします。田舎のネズミは、急いで青いポリエチレン製のたるのようなものから抜け出して、都会のネズミと一緒に逃げました。
「一体何があったんだい。僕はまだ、しなちくを一かじりしかしていないよ」
「従業員の足音が聞こえたんだ。捕まったら最後だからね」
「こんなにお腹が空いていちゃ、寝られないよ」
「じゃ、次に行こう」
「中央アフリカ料理なんて知らないし、中南米のものって、辛そうだから、別のがいいな」
「せっかくだから、チューがつく地域がおもしろそうだね」
「チューリッヒ」
「そんな料理は知らない。スイス料理だって、どんなものか知らない」
「中京」
「味噌カツ、ひつまぶし、きしめん、かな。でも、中京料理なんて言わないよ」
「いいよ、ちょっとでもチューに絡んでいるなら」
「よし、じゃ、行こう」
二匹は、さらに五軒ほど離れた、名古屋名物のお店に行きました。
「さ、行ってくるがいい。エビフリャーも君のものだ」
「名古屋の人、本当はエビフリャーって言わないって聞いたけど」
「まあまあ、細きゃーことは言いっこなし」
「実は、ばかにしているんじゃないかい」
「そんなことはないよ。あくまで…、おい、逃げよう」
「え?今度は、食べる前に?」
二匹は、逃げて逃げて、もとの部屋に戻りました。
「都会って、おいしそうな臭いに満ちているけど、意外と食べられないんだね」
「そうだね、僕たちは嫌われているから、見つかったら殺されちゃうんで、ちょっと食べたら逃げる、ちょっと食べたら逃げる、っていう感じだね。出かける前より帰ってきた後のほうがお腹が空いているなんて、よくあることだよ」
「君はどうしてこのビルに住んでいるんだい」
「このビルの周りには、おいしいお店がいっぱいあってね、でも、このビルには、食べ物屋さんはないんだ」
「食べ物屋さんがあるビルに移ろうとは思わないのかい」
「このビルには、食べ物屋さんがないから、ネズミに寛容なんだよ」
「このビルには、何屋さんがあるんだい」
「文房具屋さんだね。主にプレスマンとか扱っているよ」
「主にプレスマン?」
「速記シャープのことさ」
「いや、それは知っているよ。主に速記シャープを扱うってどういうこと。もうかりそうにないけど」
「うーん、でも、都会には、速記をやっている人、結構いるからね」
「田舎には一人もいないよ」
「ちょっと待っていてくれたまえ」
都会のネズミは、一本のプレスマンを持って、戻ってきました。
「ほら、これがプレスマンだ。お土産に持っていくといい」
「ありがとう。僕はもう帰るよ」
「え、もうかい。泊まっていきなよ。まだしなちくを一かじりしかしていないじゃないか」
「うん、僕には都会は向いていないみたいだ。びくびくおびえながらおいしいものを探すより、毎日同じものを悠々と食べるほうが性に合っているよ。でも、プレスマンはいいね。田舎にも速記があるといいな」
教訓:田舎には人口と活気はありませんが、速記もありません