下校?いえ自主練です。
放課後の教室。クラスメートたちが各々の部活へ向かっていく。
同じく夏希も部活に行くために体操服の入ったバッグとラケットを手にし、女子更衣室へ向かおうとしていた。
「夏希、夏希、夏希」
「双葉、双葉、双葉」
教室の後方のドアから双子の早道姉妹が、夏希と七穂の名前を連呼しながら入ってきた。
教室の裏の雑多としたロッカーに仕舞っているラケットを回収していた夏希を双子は見つける。
「速報、速報、速報だよ」
「朗報、朗報、朗報だよ。いえーい」
「い、いえい? えっと。どうしたの?」
夏希にハイタッチを要求してきた女子生徒。はたして彼女は早道美奈と早道美花のどちらだろうか。
目の前の少女も、夏希の周りを速報と言いながら飛び回る少女も二人ともそっくりの顔立ち。ただでさえ人の顔を覚えるのが苦手な夏希には同じ顔をした二人を見分けるのは困難を極める。
「ばんざーい。なんと今日の部活は自主練日だ」
「そして双葉。すぐに逃げたまえ」
「しゃッ。知らせてくれてありがとう。じゃね」
「バイバーイ。急げ急げ」
「また明日。走れ走れ」
双子の口から自主練日というワードを聞くやいなや七穂双葉はガッツポーズをとる。
それも一瞬のことですぐにラケットをロッカーに投げ込み、荷物をまとめると走って教室を飛び出していった。
意気揚々と帰って行った七穂の姿を見送った夏希は、部活は?と首をかしげる。
そもそも女子テニス部はとても自由。決まったトレーニングメニューもなく各自自己研鑽の日々。控えめに言って毎日が自主練のようなものだ。
顧問も顔を滅多に出さず、熱血で迷惑な先輩もいない。ずっと座って話していても誰にも怒られない。
生徒の自主性を重んじる部活動。それが浜那美中学校のソフトテニス部だ。
「おやおや。反応が悪いね」
「ああ。なるほどなるほど」
「なに? 分かったなら早く私にも教えるべき」
「夏希は知らないの。なぜなら今週入部したばかりだから!」
「は! それは盲点だった」
夏希が話を理解できていないと気付いた双子は自主練日の意味を教えてくれる。
「我らが部は日々過酷な練習を強いられており、そのせいで心身共にもうボロボロです」
「過酷?」
「だから我々後輩のために偉大なる先輩方が自主練日なるものをもうけ、各々のコンディションを整える日を作ったのです」
「はあ?」
仰々しく語り始める双子。どうやら彼女らと夏希の感性はひどく乖離しているようだ。
テニス部に入部してまだ数日しか経過していないが、夏希の感想は過酷とは正反対。双子が語る過酷な練習とやらは見る影もない。とてもゆるい部活だった。
「家に帰って調整をするもよし、学校に残って練習するもよし。個人の自由」
「ちなみに私たちは帰って自主練する派だよ」
「ちなみに自主練って何するの?」
「家までウォーキング?」
「入浴後にストレッチ?」
質問に対してなぜか疑問形で返事が帰ってきた。
入浴後のストレッチは分からなくもない。だが家までウォーキングというのは、世間一般的には下校という括りに当てはまるのではないかと思ったが夏希は口にはしなかった。
大体予想はついていたが、ようはサボり日のようだ。
「えっと。莉子ちゃんはどうするのか知ってる?」
「秒で帰ったよ」
「家でゲームが待ってるって」
「あはは。なんかその光景が目に浮かぶかも」
もはや隠そうともしない渡瀬莉子の姿はむしろ好感が持てる。
それに夏希が彼女らと同い年だったならば、迷わず同じ選択をしていただろう。
部活は楽しくはあった。でも毎日必ずしなければならないとなれば、やはりサボりたい日はやってくる。
普通に今日は部活の気分ではない。本日発売の週刊誌を早く読みたい、いまハマっているゲームがあるなど理由はさまざまだ。
そういう事はダメだということは分かっていても、それでもやってしまうことはある。
友達に唆され部活をサボって遊びに行ったことが夏希にもある。次の日に部活に行くとき先輩の目を気にしてビクビクしていた。幸い何も言われることはなかったが、あまりいい思い出ではないのは確かだ。
だからその日がそういった気分でなくとも、たまには息抜きできる日があるのはいいことだ。きっと先輩方もそういうことを考えての提案なのだろう。
「まあ部長か先輩の誰かがサボりたいときに使う体のいい口実だけどね」
「今回の理由は三好部長の彼氏が今日誕生日だから」
分かってた。
そんなくだらない理由だと夏希も思っていた。まだ学生だもの自分の感情に直球で行動する。
でも理由が思っていた以上に青春しすぎていて、ちょっとムカムカしてくる。三十年ほど生きて恋人の一人もできなかった夏希は、このやり場に困る気持ちはどうしたらいいのか分からない。
「双葉!」
体操服に着替えた一ノ瀬愛理が一組の教室にやってきた。
「居ないっ。夏希、美奈、美花。双葉はどこ!?」
「「しらなーい」」
帰ったと答えようとした夏希の口を、両サイドから伸びてきた双子の手によって塞がれた。
そして代わりに美奈と美花が口をそろえて答える。
「今日の部活は自主練らしいわ」
放課後になりクラスメートたちが教室で話に花を咲かせる中。一ノ瀬は真っ直ぐ女子更衣室へ向かった。
着替え終えた頃にテニス部のニ年生の大西と平井が着替えに更衣室に来た。そこで一ノ瀬は本日が自主練日ということを知った。
「わーお。そうなんだ」
「やった。教えてくれてありがとう」
「ええ。それで双葉がどこに行ったか本当に知らないの?」
「入れ違いで着替えに行ったのかも」
「それかトイレにでも行ってるのかも」
「あんたたち、なんかあやしいわね。冬里! 双葉どこに行ったか知らない!」
双子の様子がおかしいことに一ノ瀬は気付くと、周りを見渡し花村栞と話していた冬里を発見する。
七穂の所在を尋ねるべく声を上げた。
「やほ! 愛理ちゃん! 双葉ちゃんならさっきものっそい勢いで帰ってたよ!」
「あんたたち! やっぱりダマしていたのね!」
恨めしそうに睨みつける一ノ瀬を、妙に上手い口笛を奏でながら惚ける双子。
「夏希! 自主練日のことはそこの二人に聞きなさい! 双葉、逃がさないわ! 新人戦までもう一か月しかないのよ!」
夏の大会が終わり三年生が部活を引退した。
春と夏の大会では一年生が出場することができなかった。だが秋の大会からは一年生も参加することができるようになる。
一ノ瀬が目指す目標はもちろん優勝だ。
ただやっと練習でまともにラリーができるようになってきた彼女らでは優勝などできやしないだろう。
自主練日に出てくる部員は少ない。毎回顔を出しているのは先日夏希と試合をしていた二年生の大西と平井。それと一年生では一ノ瀬くらいだ。
その日は人がいないため一ノ瀬は先輩と一緒のコートで練習をさせてもらえる。先輩二人は遊び程度の練習だが、一ノ瀬からしたら実践的な練習ができるうえ、普段はないアドバイスをもらえるため自主練日はとても充実した日になる。
だから新人戦も控えているからこそ一緒に七穂も練習に出てほしいというのが一ノ瀬の願いだ。
「ちょいちょい双子! あんまり愛理ちゃんいじめないでよね!」
教室に残っていた冬里が近寄ってくると早道姉妹を咎める。
「それは違う。私たちは以前から愛理の足止めするように双葉から頼まれていた」
「そう。私たちは約束を守っただけ。もし愛理から先に頼まれていたら逆のことをしてた」
二人がいうことは確かである。
だいたい月に一、二回はある自主練日。最初のうちはどうしたらいいか分からず、一年生は全員部活に出ていた。
それを繰り返すこと数回。そうして後輩たちは先輩たちの行動から学ぶこととなる。
最初に渡瀬が自主練の素晴らしさに気付き、主に自宅でスマホを駆使した指のトレーニングに励むようになった。続き早道姉妹も自主練に勤しむようになる。そして七穂までもが自主練を開始した。
しかしこうなると困るのが真面目な一ノ瀬である。部活をサボるなんて以ての外、しかし共に練習する相手がいないときた。
なので次の自主練日から一ノ瀬は七穂が帰るのを阻止するようになった。
なんだかんだ言いつつも七穂は仕方なく練習に付き合ってあげていた。でもやっぱりたまには帰りたい。
だから七穂は早道姉妹に情報を掴んだ時はいち早く伝えてくれるように、また一ノ瀬が自分を追って来られないように足止めを頼んでいたのだった。
「いやー、テニス部はいいねー。うちの部だとそんなの絶対ありえないよ」
「あはは。たしかに女子バスケ部は旗田先生だもんね」
「そうそう旗田先生なんだよ。職員会議とか用事があろうと必ず一回は練習に顔を出すからサボるなんてムリムリ」
女子バスケ部顧問の旗田恵美。体育の授業の女子を担当しているため、その人柄は夏希もなんとなく把握している。
普通にいい先生ではあるが、サボり行為みたいなことは物凄い嫌いそうである。怒ると怖いと冬里から聞いているので夏希も怒られないように注意している。
しかしなぜ体育の先生っていうのはみなキビシめ性格なのだろうか。
キレた時とかマジで怖い。たぶん日本人が産まれて初めて殺気というものを感じとるのがこの時だと夏希は思っている。
もしかすると教員免許を取るまでの過程で、体育教師はそういった特殊な訓練を施されているのではないだろうか。
「それで夏希ちゃんはどうするの?」
「んー。わたしも今日は帰ろうかな」
「それならバスケ部に遊びにおいでよ。なっちゃん!」
「うん。遠慮しとくね」
なかなかハードルの高いことを冬里は提案してくる。
最上級生であったならまだしも、一年生がそんなことをしていたら上級生に悪い意味で目を付けられてしまう。
「そっかー。じゃあ気を付けて帰るんだよ! 信号を渡るときは右と左を二回確認して手を挙げながら渡ること! あとあと、知らない人に声をかけられても」
「はいはーい。部活行きますよー」
「やーん! やっぱり心配だから私も一緒帰るぅ!」
駄々をこね始めた冬里は花村に引っ張られながら部活に向かっていった。
毎度毎度。夏希に対して小さな子供を相手にするかのような心配の仕方を冬里はしてくる。
それが夏希をなんとも釈然としない気分にさせるのだった。




