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あれは良いものだ

夏希と渡瀬莉子はフェンスを背に休憩をしていた。

テニスコートを照らしていた陽の光はすでに山影に隠れた。火照る身体をクールダウンしながら夏希は先ほどの試合を思い出していた。

先週の体験入部で一ノ瀬愛理の実力は知っていた。今日は負けたら罰ゲームもあってか、前回よりもしぶとくボールに食らいついて来ていた。


夏希が体験入部でテニス部にきたときは七穂双葉はずっとボール拾いに徹していた。拾ったボールを誰かに渡す時に打っていたのを見たくらいだった。

七穂は一ノ瀬とペアを組んでいるときは前衛をしているということで、先ほど夏希と組んだときも前衛をしていた。


上手いというほどではない。普通にミスするし、真横を抜かれることもある。

ただ向かってくるボールを怖がる気配がない。目の前で打たれた一ノ瀬のショットをボレーで返したときは夏希も思わず声を上げた。

始まってすぐに七穂は一ノ瀬の嫌がることをすると言いネットについた。それ以外のすべてを夏希に任せるとも言い残した。そのかいあってか一ノ瀬も常に目の前に構える七穂にやりにくそうにしていた。


「やっぱりすごいや、夏希ちゃん。どうやったら強くなれるのかな」

「うーん。とりあえず練習あるのみかな」


実の所を言えばこの浜那美中学校で夏希よりも年上の生徒などいない。

だがしかし。たとえ相手が一回り以上も年下であろうが緊張して挙動不審になり、その上ぎこちない態度になってしまうのが人見知りというものだ。

それなのに部活始まりに挨拶させられ、それだけで限界なのにそのあと先輩との試合という公開処刑を夏希は受けた。


試合というミスをしてはいけない環境から思うように動かない身体。次の瞬間には失敗してしまうかもしれない言い知れぬ恐怖感。

プレッシャーから視界は狭まり、緊張で震える手を悟られないようにすることに


そんな状態ではミスをするのは必然の出来事。

一度ミスをしてしまったらあとは簡単だ。ミスをしてしまった重圧に押しつぶされてミスを連発する。それを何度も繰り返す負のループに陥るだけ。

そんな気持ちが沈んでしまった試合の結果はいつも負けと決まっていた。


だけれどそんな地獄のような時間を乗り切り、プレッシャーから解放された夏希はまた違った一面を見せる。

本来ならば顔合わせ二度目の双子や一ノ瀬。教室の席は隣だが頻繁に話すことのないクラスメートの七穂。友達の渡瀬だろうとまだ夏希に緊張を与えてくる対象である。


けれど極度の緊張の後であれば不思議とそれが薄まる。そして緊張の反動からくる開放感で調子が良くなる。

二年生との試合とは打って変わり思うようにボールがコントールでき、ミスというミスもなく終えることができた。

夏希は先ほど一年生だけでのテニスはめちゃくちゃ絶好調だった。


「ねぇ、キミ。さっきの試合、手加減してたでしょ」


だからこう言われても仕方がないと夏希も思う。

耳元で女子ソフトテニス部部長の三好寧々がささやくように夏希に言った。


「あー。いえ、その。えっとー。何と言いますか、あの。先ほどは本当に緊張してまして。そのー。はい」

「えー。ホントかなー。ホントにそんな理由?」

「ほんとれふ」

「でもそれって私たちのことが怖かった。ってことになるよねー」

「ごかいれふ」


三好は疑いの眼差しを夏希に向けながら、その頬を両手で挟むとこねくり回し問いだす。その行為を夏希は甘んじて受け入れるしかなかった。

だって疑われても仕方ないくらいには一年生で行った試合のとき夏希は絶好調だった。


「こら。いじめちゃダメだよ寧々ちゃん」


両頬をプレスをする三好を相方である赤羽茜が止め夏希を助け出す。


「違うよ茜。勘違いしないで。これはいじめじゃなくて後輩とのコミュニケーションだよ」

「またそんなこと言って。ほら、夏希ちゃんのほっぺが赤くなっちゃてるよ。大丈夫?」

「は、はい。大丈夫です」


解放された夏希はそのまま赤羽の腕に収まる。赤らんだ頬を心配するように赤羽が撫でつぶやいた。

ちなみに頬が赤いのは三好の手によって強く挟まれたわけではない。その原因はいま夏希の肩あたりに弾力ある大きなものが二つ押し当てられているからだ。


「いやぁ、ごめんごめん。ついうちの妹のノリでやっちゃった」

「あー。たしかに! だからか。乃々ちゃんとサイズ感が丁度同じで自然に抱きしめちゃう」

「わあ! 少し見ない間に乃々ちゃんこんなに大きくなったんですね! 卒業式から会えてないから会いたいなぁ」

「うん。いつでもおいでよ。私も乃々も莉子ならいつでも歓迎するから」

「ほんと! 約束だよ寧々ちゃん!」


三人はずいぶんと仲がよろしい様子で乃々という人物について話し始めた。

複数人で集まり自分だけが知らない話題で、こうも盛り上がられると強烈な疎外感を感じてしまうのは夏希だけだろうか。

だからトイレに行くなど適当な理由をつけてすぐにでもこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。


無言で離れられればそれが一番いい。けれどいま夏希は赤羽によって逃げられないようにガッチリとホールドされている。若干このままでいたい気持ちもありつつ、でもやっぱり離してほしい。

背後に集中していた神経を目の前の少女らに向け、会話に入るタイミングを伺う。しかし矢継ぎ早に行われる会話に切り出すタイミングが夏希には分からない。


夏希が会話に混ざらないまま時間だけが過ぎていく。

よくもまあ一つの話題でこれだけ喋れるよなとか。部活しろよなどと人知れず頭の中でぼやく。

昔から自分の知らない話題で盛り上がる人たちが嫌いだった。だってつまらないから。

夏希はいまも昔も自分というものがいるのに、自分抜きで盛り上がる奴らがおもしろくないのだ。


もし話している話題が気になることならば、混ざって根掘り葉掘り聞いていた。そうではないなら適当に相打ちをうつか話題を変える方にもっていく。

ただそれも面倒くさくなっていつの間にか、いまみたいに黙って傍観するだけになっていた。


人間ある程度歳を重ねるともう変わることはできないと夏希は考えている。

もちろん一時的に取り繕うことはできる。けれどそれを人は変わったとは言えないだろう。化けの皮はすぐに剝がれてしまう。

もし固定されてしまった性格を矯正できるとしたら死に物狂いの努力か外的要因だろう。


夏希となる以前の自分。彼は自分が好きではなかった。

己の生き様が気に入らなかった。もちろん変わろうと思ったことはある。でもそれはいつも一時的な感情でなんの努力することなく終わってしまったが。


けれど本当は怖かったのだ。他人に変わった自分を受け入れてもらえるか。そんな不安と恐怖にひとり駆られていた。

これまで自身が紡いできた自分という枷を外すことは並大抵の出来事ではできない。

それこそ生まれ変わるくらいしないと不可能だ。


だけどきっかけは出来た。文字通り生まれ変わったから。

いまは夏希という仮面を被るだけでもいい。

以前の自分が諦めてできなかったことも、いまなら出来る可能性がある。

そろそろ新しい自分に挑戦してみてもいい頃合いではないだろうか。

あとは必要なのは一歩踏み出す勇気だけ。


「あの。三好先輩の妹さんってどんな子なんですか」


言葉を発したあと、しんと世界が静まり返る様な気がした。

たった一言。たったそれだけの言葉を発するのに、どれだけ夏希の中で葛藤があったのか理解できる人はどれだけいるだろうか。

返事が返ってくるまでの時間はいったいどれくらいあっただろうか。とても、とても長く感じた。


「んー、と。今年で小学二年生になるんだけど普段はほんとに素直で可愛いんだ。たまにやんちゃすることがあるかな。でもそんな時はこうしてしかってやるんだ!」


返事が返ってきてホッとしたのも束の間。

三好はまた夏希の頬を手で挟む。頬をこねくり回され身体が揺れるたびに背後で当たるものが形を変える。

夏希はやめてほしい気持ちと、このままずっと続けてほしい気持ちの狭間で揺れる。


「あのね聞いてよ夏希ちゃん。去年小学校の登校班の班長を私してたんだけどね。乃々ちゃん登校に慣れるまで、ちょこちょこと一生懸命に私の後ろをぴったり着いて来てたの。それでね。私が他の子と話してると不安そうに服の端を握ったりするの。あれは可愛かったなあ。それとあとね」

「どうどう莉子。落ち着こう」


ものすごい勢いで三好乃々とのエピソードを語り始めた渡瀬を三好が宥める。しかし渡瀬は止まることなくしゃべり続けていた。


「どーしよう茜! 止まんないよコレ!」

「はーい、莉子ちゃん。戻ってこようね」


助けを呼ぶ声に赤羽はずっと抱きしめていた夏希をやっと離した。

夏希を見つめて語り続ける渡瀬に獲物を変えた赤羽は、その豊満な胸に渡瀬の頭を抱き寄せた。

くぐもった声が続くも、しばらくするとそれも止み。渡瀬はぐったりと身体を赤羽に預け動かなくなった。


「ちょっと話が逸れちゃったね。じゃあ改めて、夏希ちゃん。さっきごめんなさい」

「え、あの。なんのこと。それより莉子ちゃんは大丈夫なんですか?」


渡瀬の安否を夏希は気にするも赤羽にはスルーされる。


「大丈夫よ。莉子ちゃんはちょっと疲れちゃったみたい。それより寧々ちゃん」

「ああ、うん。そのさ、さっきはごめん。早く部に馴染めればいいと思って私なりに考えた結果だったんだけど。あの後、茜に言われて気が付いたんだ。入部してすぐに先輩と試合だなんてパワハラとかいじめと捉えられてもおかしくないって」


なにやら三好が言っているが、話している内容がどうしても夏希の頭には入ってこない。

こちらを微笑ましく見つめる赤羽と目が合う。すると赤羽はまるで人形遊びをするように、ぐったりした渡瀬の腕を取ると夏希に向かって渡瀬の手を振ってきた。

赤羽は三好に対して言っていることはまともなのに、自分がやってることがまともじゃなかった。


「でもこうやって仲を深めたことだし、どうだろうもう一回やる? ほら。いまのままだと不完全燃焼でしょ?」

「そうね。この4人でやってみるのもいいかもしれない。ね、莉子ちゃんもそう思うでしょ?」

「ウンウン。今度ハ、ワタシタチト一緒ニヤロウヨ!」


赤羽の問いかけにラケットを握らされた渡瀬がカクカクと力ない動きで腕を振ってやる気を示していた。

もちろん意識のない渡瀬の身体を赤羽が背後で動かしながら喋っているだけだ。

夏希も多少なりとも仲良くなれた気がしていた。しかし目の前の光景を見てそれが勘違いだったかもしれないと思い始める。いやむしろ溝が深まったようでならなかった。


「えっと。今日はもうご遠慮したいかなと」


たしかに三好たちとの試合で夏希は不完全燃焼なところはあった。

しかしその後で一年生同士の練習で多少なりとも発散できていた。なのでいまからまたやり直すほうがストレスだ。


「じゃあ明日だね!」

「あ、いや」

「寧々ちゃん。あんまり責付くのは良くないよ」

「そっか。それじゃあ先輩らしくドンと構えて香月からの挑戦を待っていようかな」

「あ、それなら二年後でお願いします」

「分かった。二年後だね!」

「寧々ちゃん。それだともう私たち卒業したあとだよ」

「え? あっ」

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