秘伝⭐︎香月家掃除のテクニック
中学生のときの遊びとはどんなものだっただろうか。
特別でも何でもない日々で、そしてもう昔のこと過ぎてすぐには思い出すことができない霞みがかった記憶。
中学生のお小遣いではできることもそう多くない。
だから友達の家に集まってゲームをしていた。あとは自分の持っていない漫画がありそれを読んだり、学校であったことや他愛もない話題で盛り上がったりした気もする。
あの頃はまだ時々家の外で遊ぶこともあった。あてもなく自転車に乗って走ることもあった。
三年生になるころには携帯電話に夢中になっていた。友達と会わなくてもやり取りできるし、ネットは娯楽に溢れていた。
ネット上の離れた見知らぬ人と交流をしたり、趣味の会う人とコミュニティを作って盛り上がったりもあった。
これはあくまで夏希が過去に男子中学生として経験した内容である。
なのでこれがスタンダードでないことは十分理解している。生まれた年代が違えば、生まれた地域が、ましてや性別が違えば大きく変わることだろう。
それに遊びの定義だって人それぞれだ。それに文句は言うまい。
「きゃー! かわいい! はい。次これね」
文句は言わないが、疑問を持つことは許されるだろう。
無心でクッションに顔を埋めることで、精神力を回復した夏希は着替えるために自室に戻った。
そしていつも通りタンスの前でどの服を着るかを時間をかけて悩んでいた。
「これもいいけど、さっきのも捨てがたい。うーん。迷うなぁ」
すると朝食と着替えを終えた冬里がいつも通りノックもなく夏希の部屋にやって来た。
自分よりも早く部屋に戻ったはずの夏希がパジャマのまま、難しい表情で佇んでいたものだからどうしたのかと冬里が問いかけた。
夏希はどれを着ようか迷っているということを伝える。それならば私が選ぶと冬里が言ったので夏希は任せることにした。
タンスだけではなくクローゼットの中にもある大量の服。一度も着ずに捨てるのは忍びないので、すべて一度だけでも着てみせると夏希は決めていた。
それにも拘らず、すでにワンパターン化してきていた。
だから訳あって今は同世代にあたる冬里の意見を取り入れようと頼んでみたわけだ。
しかしこれがいけなかった。
「ああ、でもこっちも似合いそう。これにこれを合わせれば。うわっ、眩しいっ! 完璧美少女だ!」
かれこれ時計の長針が一周分もの時間を夏希は着ては脱ぐ作業を繰り返していた。
もしかしたら今日中に全ての服を着るという夏希が掲げた目標をクリアしてしまうかもしれない。
傍らには脱ぎ捨てられた服が山となり積みあがっている。その服を掘り進めたら下の方には畳まれた服もあるが、途中から夏希も面倒くさくなって雑に脱ぎ捨てていた。
意外と冬里のファッションセンスは悪くない。
選んでもらった服を身に纏う自身の姿を鏡越しに見て、本当に可愛いのではないかと夏希が錯覚してしまうほどだ。
こういうのを馬子にも衣装と言うのだろう。今後のファッションの参考にする分には冬里に頼んで正解だったのかもしれない。
「つぎはこれに。えっとえっと、あった! このスカートを合わせてみよう! ほらほら早く脱いで!」
床に積みあがった服の山を冬里がかき分けていく。目当てのスカートを掘り当てたようで、再び夏希に着るように要求する。
もはや床一面に散らばってしまった服を尻目に夏希は言われた通り素直に着替えていく。
夏希は知らなかった。着替えるだけでもこんなに体力が必要なのだと。もう声を出す労力すらも惜しいのだ。
そもそも夏希は遊ぼうと冬里に言っていたのではなかったか。
最初これを夏希は遊びに行くために服を選んでいると思っていた。しかしふたを開けてみれば冬服まで引っ張り出してきているではないか。
この地域でこの時期にコートを着て外出する風習がないのならば、外に遊びに行く線は消えているといっていい。
楽しいとこれっぽっちも感じない夏希と違い、冬里はとても楽しそうにしている。
そしてようやく思い至った。冬里にとって夏希に服を着せ替えさせることが遊びなのだと。
つまりこれは等身大のお人形遊びのようなもので、夏希をお人形に見立てて冬里は遊んでいるのだ。
「冬里! 私この服が気に入った! だから今日はこれで過ごすね!」
この着せ替えごっこを早急に終わられるため、夏希は今着ている服が気に入ったことにする。だからもう着替えたくないのだと主張した。
「ほほう。なっちゃんはこーゆーのが好みなんだね! だったらこれとか羽織ったらいいかも!」
「あ。いや」
「おお! 賢いお姉さんっぽくなったよ! あと、メガネとか似合いそうだよね! それとそれと、おっきな本とか持ったりしたりしたら絵になりそう」
しかし冬里は止まらなかった。
服以外にもカスタム要素が残っていたようだ。オシャレなどしてこなかった夏希には盲点であった。
「このメガネどこから持ってきたの?」
冬里にかけさせられた度の入っていないメガネを持ち上げ夏希は問いかける。
「小物類はタンスの上からの二段目の右側だよ。それとクローゼットにも入ってる」
なぜ夏希の部屋なのに夏希の知らない物を冬里が知っているのだろうか。
その件のタンスの二段目は引き出しが三つある。一つが下着、一つが女性用の用品が収納されている。そして残る謎の引き出しには小物類が入っていたようだ。
タンスの二段目を開けるのは入浴後の着替えを用意する時に下着の引き出しを一瞬だけ。
それ以外は夏希の精神衛生上のため、知らず知らずのうちに視界に入れないようにしていた。
そのうち慣れるつもりでいるが、でもいまはその時ではないと拒否しているゾーンだ。
「ちょっと待っててね。部屋から辞書とって来るから!」
「あ。わたしも冬里の部屋行きたいな」
夏希に装備させる辞書を取りに部屋を出ていこうとする冬里について行こうと夏希も続く。
きっかけがあれば一度冬里の部屋に行ってみたいと夏希は思っていた。その機会を慎重に伺い、ついに訪れたチャンスだった。
「ダメ」
しかし、そう一言だけ残し冬里は部屋を出て行った。
まさか拒否されるとは思ってもみなかった夏希は、冬里が去ったドアを呆然と見つめたまま固まった。
おかしい。こんな筈ではなかった。事前に夏希が行った脳内シミュレーションでは、あの冬里のことなので快諾しすぐさま夏希を部屋に連れ込むはずだった。
それなのに現実はたった一言で拒絶された。
「あぁ。ウッ」
気の抜けた声を夏希は発すると、ふらりと真後ろに倒れる。
脱ぎ散らかした服がクッションになり、多少軽減されたとはいえ衝撃でうめき声が漏れた。
短い期間だったとはいえ、けっこう冬里とは仲良くやっていた気がしていた。けれどそれも夏希の勘違いだったようだ。
あれはガチトーンの拒否だった。それだけ冬里は夏希を自身の部屋に入れたくないのだろう。
子供の、ひいては女の子の考えなんて夏希には理解ができない。それでも正解ではないにしろ失敗とは言われない程度には装って過ごしていたつもりだった。
それが一体どこで失敗したのだろうかと顔を覆って悩む。
さっきの一言で冬里の気を害してしまったかもしれない。このまま出て行ったきり帰ってこなかったらと考えると胸にチクリと痛みが走った。
それ以上のことを夏希は考えるのをやめて心を無にして天井を見つめる。しばらくして落ち込んだ気持ちは幾ばくか回復した。
エアコンをつけているはずなのに妙な暑さを感じ夏希は部屋の中を見回す。
するといつの間にかやって来ていた猫のおとーさんが夏希の隣で散らかった服を咥えて遊んでいた。
おとーさんの侵入で半開きになったドアを閉めるため、夏希は重い身体を起こす。
起き上がったときに身体に引っかかった服が動きを阻害するが、取り除くのも億劫で夏希はそのまま引きずり進む。
引きずる服におとーさんが飛びついてきて更に歩みが重くなった。
ドアノブに手をかけたところで誰かが階段を上ってくる足跡が夏希の耳に届いた。
「冬里いる?」
「なーにー!」
「相変わらず汚い部屋ね。お母さんが掃除してあげようか?」
「失礼な! ちょっと散らかってるだけだよ!」
「足の踏み場もない汚部屋をちょっと散らかってるで済ますとは、さすが我が娘」
「お母さんの部屋ほどじゃないよ! それに掃除はいまやってるとこ!」
「そんなに変わらないと思うけど。あと物をクローゼットに詰め込むだけを掃除とは言わないからね」
「そんなとこいないで早くお母さんも手伝って! このままだとなっちゃんをお部屋に招待できないよ!」
「ふっふん。いいでしょう。お母さんがどれだけ多くの物を効率的にクローゼットに詰め込むか。そのすべを伝授してあげよう」
冬里の部屋のドアが締まる音を聞き、夏希もそっとドアを閉めた。そのままベッドに飛び込む。後を追ってきたおとーさんを捕まえるとぎゅっと胸に抱きしめた。
夏希が来ることを拒否した理由が部屋が汚かったからだと分かると安心して笑みがこぼれてくる。
いまの話からして冬里の部屋もなかなかに汚いようだ。それなら掃除した後の方が夏希も嬉しいので喜んで掃除が終わるのを待つことにしよう。
結局クローゼットに詰め込もうとする母と娘の会話を思い出し、夏希は馬鹿らしくてまた笑ってしまった。
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