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これは犯罪じゃない!

青葉を風呂に向かわせた後、朝食を食べるために夏希はリビングにいた。

五枚切りの食パンを袋から一枚取り出すとトースターに入れる。焼き上がるのを待つ間に冷蔵庫から牛乳をコップに注ぎ、一緒に取り出したマーガリンを持ってテーブルに着く。


焼き上がりまでの残り時間、手持ち無沙汰になった夏希はテーブルに置いてあったリモコンを手に取るとテレビを付けた。

画面に映し出されたのは子供向けアニメだった。

夏希が夏希となる前から続くシリーズものだ。まだ続いていることは知っていたが、こうして視聴したのは実に二十年ぶりのことだろうか。


小さな子供でも分かるように内容は簡潔なものだ。空白の期間があったとしても、話の途中からでも充分に楽しめる。

トースターの鳴る音を聞くまでの少しの間、つい懐かしくもあり夏希はつい見入ってしまっていた。


「ふいー。さっぱりしたよ」

「そっか。服着なよ」

「着てるじゃない」


どうやら夏希と青葉では服の定義に差があるようだ。

風呂から上がった青葉はシャツと下着の姿でリビングにやってきた。

エアコンの冷風が当たる位置を青葉は陣取ると、風呂上がりの熱った身体をクールダウンしだす。そこは夏希の座る場所からテレビを眺めるとばっちり視界に入る位置だった。


「随分と短い時間だったけどちゃんと洗ったの」

「もちろんさ。これでお手伝いをしてくれたお利口さんを撫でてもいいのかな」


青葉が入浴する前の出来事で、洗濯物を干す手伝いのご褒美にと夏希の頭を撫でようとした。

しかし不潔な手で触るなと拒否されていた。

払い除けられた手はそのままに、逃げてく夏希を見送った青葉はすぐさま風呂場に駆け込んだのだ。


「だめ」

「でも残念。聞き入れられませーん」

「むー。やめろぉ」


しっかりこってりマーガリンを塗りたくるのが、トーストを食べるときの夏希のこだわりだ。

マーガリンが染み込んだトーストを噛み締め、じんわりと滲み出る味わいが好きなのだ。

だから理想のトーストに仕上げるには刻一刻と冷めゆくトーストに、いかに無駄なくマーガリンを溶かし、また満遍なく塗りたくらないといけない。


頭に乗せられた青葉の手のせいでマーガリンを塗る夏希の手がぶれるなか、その手を止めることは決してなかった。

夏希が避けることも払いのけることも出来ない、このタイミングを狙ってくるとは大人はなんて卑怯なのだろうか。


「あ、そうだ。このあとお風呂掃除しようか?」

「お、気が利くね。でもいま風呂に入ったときに掃除も一緒にしてきたから大丈夫だよ」


次の手伝い先が見つかったと夏希は思った。けれども風呂掃除はすでに青葉が済ませていたようで空振りでおわった。

あの短い時間で終わらせたとなると、掃除か洗体洗髪のどちらかが疎かになるのではないだろうか。むしろ両方の可能性もある。

いましがた撫でられた髪を気にしつつ夏希は深く考えないようにすることにした。


「それじゃあさ。なにか家の掃除とか、わたしにして欲しい事とかない?」


夏希はトーストをもそもそと食べつつ、何か他にできることはないか模索する。

自主的になにかできればいいのだが、いかんせん家事などしてこなかった夏希には思い付かない。


勝手にやってみた結果、実は余計なことをして迷惑をかけていた。なんてことになれば目も当てられない。

夏希にはまだ香月家を把握しきれていない。それならいっそのこと聞いてみることにした。


「んー。掃除はこの前トメ子ちゃんがしてくれてたから、まだいいかな」

「えっと。じゃあ他には?」

「夏希ちゃん」

「あ、はい」


いつになく真剣な声色で名前を呼ばれたもので夏希は驚き背筋を正してしまう。

青葉は髪を乾かしていたドライヤーを切ると、イスに座る夏希のもとへやってくる。そのまましゃがみこむと夏希と目線を合わせしゃべりだす。


「あのね。べつに私は夏希ちゃんに遠慮してるわけじゃないの。うちの子たちは何もしてないように見えるでしょ。事実何もしてないんだけどね。それでも夏希ちゃんが来てからは、いいところを見せようと少しずつだけど頑張ってる。他の家の人からみたら取るに足らない微々たる努力かも知れないけど、あの子たちも少しずつ成長している」

「えっと。そうなんですね」

「ええ、そうなんです。子供たちが自分で考えて動いてくれるのを待ってるなんて贅沢なことは言わないわ。この家で大人は私一人だもの。私一人では駄目な時で助けが必要な時は私から声をかけて手伝いをしてもらうこともある。でも幸いトメ子ちゃんみたいに手伝ってくれる人たちが周りにいるから多少余裕もある。夏希ちゃんの心意気はうれしいよ。それが何かしなきゃって不安から来るものであることも知ってる。はっきり言わせてもらうと夏希ちゃんにやってもらわないと手が回らないほど私は弱くない。頼りなく見えるかもしれないけど、これでも十数年とあの子たちの母親をやってきたんですもの。貴方一人増えたところでどうってことない」


ひと息に言い終えた青葉に、気押され理解が追いつかない夏希は目を丸くする。ただただ青葉の目を見返すしか出来なかった。


「そういうことで。子供は子供らしく遊んでたらいいのよ」


青葉はおもむろに廊下に続く扉を開けると、息を吸いこむと大きな声をあげる。


「冬里! 夏希ちゃんが遊んで欲しいって言ってるよ!」


一拍置いて二階からドタバタと床を蹴る音が聞こえたと思うと、その足音はどんどんリビングへと近づいて来る。


「頼れるなっちゃんのお姉ちゃん参上だよ!」


青葉に呼ばれ駆けつけた冬里はものの十秒程で夏希のもとへ駆けつけた。

ぼさぼさの髪に、まだ開ききっていない目。明らかにいまの今まで寝ていましたという装いだ。


「さあ何して遊ぶ!? お外で鬼ごっこ、かくれんぼ? それともお家の中で絵本読んであげようか。あ、おままごとがいい? お人形さん遊びもいいけど、それだと愛理ちゃんちに借りに行かなきゃだし」

「ストップストップ! ちょっと落ち着こう」


鬼気迫る勢いで問いかけてくる冬里に夏希は後ずさる。

なぜ未就学児レベルの遊びばかりを夏希相手に提示してくるのかと、問いただしたい気持ちはなくはない。

だがそれより先に冬里の誤解を解かなくてはならなかった。


「えっとね。いまのはわたしじゃなくて、青葉さんが勝手に言ってるだけで」

「ええー、そうだっけー? さっき冬里と遊びたいけど恥ずかしくて誘えないって私に相談してたじゃん」

「言ってない!」


突如ありもしないエピソードが語られだす。それに夏希は抗議の声を上げるも、ぼけたような返事を青葉は返すばかりだ。

ムキになった夏希もつい強い口調で返してしまう。


「そっかー。ちがうのかぁ」


起き抜けダッシュでうっきうきで降りてきた冬里は、ウソと分かると脱力しソファーに倒れ込んで動かなくなる。

その哀愁漂うその背に、飼い猫のおとーさんが飛び乗るとそのまま座った。


「ちょっと、どうするの? ショックで動かなくなっちゃったじゃない冬里」

「知らないよ」

「夏希ちゃんは初めてでしょうけど。こうなった冬里を立ち直らせるのは一筋縄ではいかないんだよ」

「だから知らんて。そっちがまいた種でしょ。自分で何とかしなよ」


クッションに顔を埋めて沈黙する冬里を前に、ひそひそと声を潜め夏希と青葉は拗ねてしまった冬里をどうしたものかと話し合う。


「ほーら、冬里。起きたなら着替えて朝ごはん食べちゃいなさい」

「……。」


青葉が喋りかけるも冬里からの反応はない。

慰めるのを早々に諦め青葉は踵を返し、バトンタッチすべく夏希のもとまで戻ってきた。


「はい次、夏希ちゃんの番ね!」

「はあ! ちょ、諦めるのはやくない!」


青葉に背中を押され夏希はつんのめるように、ソファーに倒れ伏す冬里の前までやって来た。


「おーい。冬里」


とりあえず名前を呼んで身体を揺する。反応はない。

口を開いたはいいものの、夏希は何と声を掛けたらいいものか分からず口籠る。


「えーっと」


未婚だったのでこのような状態の子供と夏希は接したことなど未だかつてない。だからどうしたものか思い悩む。

一体いま冬里は、どういう感情なのだろうか。拗ねているのは分かった。あとは悲しい。裏切られた。などだろうか。しかし分かったからどうなのだという話だ。


昔の夏希はいまの冬里のように殻に閉じこもったことはある。

過去の記憶を参考に探ってみる。たしか周りが優しく声を掛けてくれるか、放っておかれるの二択だったはずだ。


「ねえ冬里、起きて。顔上げてお話しよう」


こういう場面では面と向かって話した方がいいと思った。

不本意ながら一応は夏希が原因なので放っておくのは大人としてどうだろうか。だからといって口下手の夏希が優しく適切な言葉を選べるとは思えない。

だから少し強引な手段に打って出ることにした。


冬里が顔を隠しているクッションを夏希が全力で引っ張る。

ただまあ。小さくなった夏希の力では敵うはずがなかった。

早々に諦めた青葉のように夏希も諦めてしまおうかとクッションを掴む手を離そうとしたその時。思わぬ援軍が夏希に駆けつけた。


遊んでいると勘違いしたのか、猫のおとーさんがクッションの端を口にくわえると引っ張り出したのだ。

それは夏希よりも遥かにパワフルで、それでいて野生を感じさす狩るものの動きだった。


この機を逃すまいと夏希はクッションをとられぬように掴む冬里の指を引きはがしにかかる。

決して夏希は猫より力が弱いと認めたわけではない。仕事は分担するものなのだ。適材適所なのだ。


「んぶっ」

「やった!」


クッションが勢いよく引き抜かれたため冬里はソファーに顔が埋まる。

なんとか冬里からクッションを引きはがすことに夏希は成功した。続いてそのまま冬里の身体を持ち上げると、半回転させ仰向けにする。

そうして夏希は目を白黒させる冬里と目が合う。


「重くない?」

「だいじょうぶ」


不意を突いてひっくり返すことまではできた。しかしまた元の体勢に戻られてしまったら、もう夏希はなすすべがなくなってしまう。

だから夏希は動けないようにするため冬里に馬乗りすることにした。


構図としては女子中学生に馬乗りする成人男性。

しかし青葉が構えたスマホには中学生の女の子同士が健全に映っているだけだ。

証拠はばっちり撮られているものの、誰がどう見てもまさか犯罪現場とは思うまい。


一方で一仕事を終えたおとーさんはというと。

日当たりのいい窓際まで移動し獲得したクッションの上で丸くなった。


「遊ぼう! ううん。一緒に遊んでほしい!」

「でも。お母さんが勝手に言っただけって」


夏希に見下ろされる冬里は目線を合わせず、片手で鼻さすり言葉を返す。


「うっ。あれは、その。えっと。は、恥ずかしかったから、つい言い訳しちゃっただけで」

「つまり、なっちゃんはお姉ちゃんと遊びたいんだね!」

「いや、そんなことは」


青葉がついた嘘を正しいものだったとするのには抵抗を感じる。

しかしこのまま嘘にしてしまい、また冬里を落ち込ませてしまうのと天秤にかけた結果。


「ぁ、あそんでほしぃです」

「私は大好きなお姉ちゃんと遊びたいです! りぴーとあふたーみー!」

「わ、わたしは大好きなお姉ちゃんと遊びたいですぅ!」


これで冬里の機嫌が直るならと噓を重ねたうえで、恥辱に耐え忍びながら夏希は消え入りそうな声で答える。


「もうもうもーう! そういう事ならしょうがないか! さあ、なっちゃん。そんなところで寝転がってないで準備して! 早くしないと一日が終わっちゃう!」

「心配しなくても、まだ始まったばかりだよ」


急に起き上がった冬里に押され、今度は夏希が寝ころぶ番だった。


「よーし行くぞう!」

「ダーメ。冬里は先に朝ごはん食べちゃいな」

「はーい! すぐ食べちゃうから待っててね、なっちゃん!」

「うん」


なぜ年下の母親の尻拭いをさせられ、一回り以上も年の離れた中学生をお姉ちゃんと呼ばねばならぬのか。

おとーさんが使うかとばかりに先程の戦利品のクッションをくわえ夏希の前までやってきた。

しばらくの間、夏希は心を無にして顔をクッションに埋めるのだった。

いつも誤字脱字を報告いただきありがとうございます。

また最近の投稿で立て続けに感想いただき大変嬉しです。

今後ともよろしくお願いします。

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