お味はいかが?
自分の部屋を物色するというのはおかしな話だが、現在夏希の部屋は青葉が用意して整えたものである。したがって部屋の主たる夏希が認知していないものがまだ多数存在している。
もともと夏希はファッションには疎かった。
それなのに女の子の、それも子供の装いなと専門外もいいところだ。
だからといって無頓着という訳でいいはずはない。外出しないといけないときは青葉に服を選んでもらうようにしている。
けれど毎回青葉の手を煩わせるのも忍びないので、部屋着くらいは自分で見繕おうと考えた。
そして意を決してクローゼットをはじめて夏希自らの手で開けることとなったのがついこの間の話だった。
ひとつひとつ確認していく服は小さく可愛らしく実に女の子らしい服ばかりだった。夏希は自分の服を手に取っているだけなのに、なんというか背徳感が半端なかった。
そうして精神をゴリゴリ削りつつクローゼットの中を物色していた時に見つけたのが、いま夏希が身につけているエプロンである。
「少し硬いから勢い余って指を切らないように気を付けるんだよ」
「はい。わかりました」
エプロンを装備した夏希はトメ子の指示のもと肉じゃが作りに専念している。
いままでほぼ自炊をしていなかったと言えるが、包丁が使えないなんてことはない。むしろ昔から手先は器用だと夏希は自負している。
夏希は野菜の皮を剝こうと張り切って包丁を手にしたのだがトメ子からストップがはいった。
そして夏希は包丁を取り上げられ、代わりに渡されたピーラーで野菜の皮を剝いた。安全に剥けるしじゃがいもの芽も危なげなく取れるしで、ピーラー改めてすごいと感じた夏希だ。
皮を剝いたあとはジャガイモと人参たちを食べやすいサイズに切っていく。
ごつごつして歪で丸いジャガイモ、円形のたまねぎや円錐形のにんじんは半分に切るときが危ないとトメ子が半分にし、切りやすくしてから包丁が夏希へと渡された。
「切り終わったのはこの皿にいれるんだ」
味付け用の調味料を用意しつつ注意深く夏希を見守るトメ子は、まな板の上がいっぱいになる頃にボウルを差し出す。切った野菜たちはいったんそちらに移された。
「上手に切れているね」
「ほんとですか?」
「ああ、本当だよ。将来はいい料理人になれそうだね」
おだてられているのだろうけれど、褒められたと夏希は得意な気分になった。調子をあげた夏希はどんどん野菜を切っていく。
「できました!」
最後の玉ねぎをボウルに移し終える。夏希は野菜を切り終えたことをトメ子に報告した。
一人暮らしで自炊はしていなかった夏希は包丁を使う機会がなかったので久々のちゃんとした調理に楽しさを感じている。
正直まだ切り足りないくらいだが、残念ながら食材がなくなってしまった。
「よくできたね。次は肉を炒めようか」
鍋を火にかけるとトメ子は冷蔵庫から豚肉を取り出す。
「油が跳ねるかもしれないから気を付けるんだよ」
「わかりました」
「いや、ちょっと待ちな」
油を敷かれた鍋が温まってくると菜箸が夏希に渡される。いよいよ肉を鍋に投入するかと思われた直前にトメ子は火を一旦停めると、なぜかそのままリビングを出て行ってしまった。
待てをかけられた夏希は菜箸と肉のトレーを手に持ったまま何事かとトメ子が出ていったドアを眺める。
「あったあった。炒めるときはこれに乗りな」
しばらくしてトメ子はイスを片手に持ち台所へ帰ってきた。
小さな子供が座るようなイスをコンロの前の床に置くと夏希にそのうえに乗るようにとトメ子が言う。
言われるがまま夏希はイスに上がる。
鍋の底が何とか見えるかという感じだったのが、イスの上に立つと目線が上がっただけでなく、腕の位置も高くなったので先ほどよりもずっと調理しやすそうだ。
「ありがとうございます。こっちの方がやりやすいです」
「そうだろう。あのままだと鍋の縁で腕がやけどしそうでね。その奇麗な肌にやけどの跡が残ってしまったら青葉ちゃんに顔向けできないよ」
このイスの踏み台がなくとも何とかならなくはないが、あった方がずっとやりやすい。
小さくなった身体はなんだかんだで普段の生活でそこまで不便に感じることはないと思っていた。せいぜい目線が低くなって世界が少し大きく感じるくらいか。
しかし背が低くなった弊害がこんなところにあったとは思わなかった。以前の感覚でしていたらトメ子の言う通り危うく火傷するところだったかもしれない。
でもそんな背の低いことを夏希は気にしていない。
きっと夏希の成長期はこれからだ。そのうち時間が解決してくれるはずだ。たぶん。いや絶対に。
「そろそろ温まったから入れていいよ」
「はい。よいしょっ」
再度温めなおした鍋の中に豚肉を投入し菜箸を使いほぐしていく。
まだ豚肉の色が変わっていない部分があるにもかかわらず、トメ子は野菜を入れたボウルを手にする。
「野菜を入れるから油が跳ねるかもしれないから離れときな」
「もう入れちゃうんですか?」
「どうせこの後に煮るから大丈夫だよ」
言われてみれば肉じゃがには煮る工程があるため、そこまでしっかり火を通さなくてもいいのかもしれないと夏希は納得した。
それにこのまま野菜を入れて一緒に炒めるのならば、野菜に火が通るころにはいい具合かもしれない。
夏希がイスから降りて鍋から離れるとトメ子は野菜を入れていく。
入れてすぐはぱちぱちと油が跳ねる音が聞こえていた。それもしばらくすると聞こえなくなる。
再びイスに上がりトメ子と交代した夏希は焦げないように鍋の中の具材をかき混ぜていく。
「それくらいでいいよ。あとは水と調味料を入れるんだ。最後に落し蓋をしてひと煮立ちさせれば完成さ」
水の入った計量カップとあらかじめトメ子が用意していた調味料を鍋の中に入れていく。すべて入れ終えたら軽く鍋の中をかき混ぜ、そのあとにキッチンペーパーで作った落し蓋をする。
肉じゃがの出来上がりを待つ間に、料理に使った調理器具や食器類の後片付けをしていく。
トメ子が手際よく洗い物をしていき、そのとなりで夏希が受け取ると泡を洗い流して水切りラックに置いていく。
「手伝ってくれて助かったよ。ありがとうね」
「いえそんな。むしろ邪魔しちゃったんじゃないかって」
洗い物を終え濡れた手をトメ子は手拭いで拭いながら言う。
二つ返事で承諾してくれたものの料理の経験などないに等しい夏希が、突然手伝わせてくれと言ってきて迷惑をかけているのではないかと心配だった。
「そんなことはない。後片付けも含めてとても手際もよくて上出来だったよ」
不安そうな表情で尋ねてくる夏希の頭に手を置くとトメ子はそう伝えた。
その言葉を聞いた夏希はつい年甲斐にもなく顔をほころばせて素直に喜びを表した。
「えへへ。よかったです」
それはお手伝いをした子供に対する褒め言葉だったのかもしれない。
夏希はもう額面通りに受け取るほど純粋ではない。けれど年を取るにつれ、正面から人に褒められることはめっきり減る。
だから久しぶりに言われたその言葉を、言葉のまま受け取ってしまった。
以前のひねくれていた夏希ならその言葉の意味や思惑やらを勘ぐってしまっていたかもしれない。
でもいまは素直に受け入れることができた。
「たまにはだれかと一緒に作るのも悪くないね」
「じゃあまた今度ほかの料理も教えてくださいね」
「ああ。もちろんさ」
片付けが終わるころには肉じゃがの方も出来上がった。
トメ子は煮詰めていた火を止めてジャガイモに菜箸をさして火の通りを確認していた。
十数年ぶり作った料理らしい料理が完成した。
もちろん大半をトメ子がサポートしてくれていて、夏希がしたことは本当にお手伝い程度だった。それでも達成感があった。
思い返しても調理中に夏希はミスらしいミスもなかったし上出来だったのではないかと自画自賛する。
あえて言うなら背中で結ぶエプロンの紐に手間取ってトメ子の手を煩わせたくらいだろうか。それ以外は順調だったといえる。
「たっだいまー!」
肉じゃがを保存のためにタッパーに移そうというときに冬里の声が玄関の方から聞こえてきた。
「うわっ、なんだこの大量のお菓子は! このお菓子のチョイス。そしてこのお料理の匂い。そう。犯人はトメ子おばあちゃんだ!」
リビングに入ってきた冬里はテーブルを埋め尽くすお菓子に驚きの声をあげる。
その後なにやらわざとらしく考える素振りをみせると、現場の状況から犯人を導き出すと犯人の名前を叫び台所を指さした。
「よく分かったね」
「ふっふん。私の目は誤魔化せないよ。痕跡を残しすぎたね! お菓子食べてもいいかな!」
「ああ。いいけど夜ご飯もきちんと食べるんだよ。あと手を洗ってからだからね」
「はーい! おや、なっちゃん」
許しを得る前にお菓子に手を伸ばした。
しかし手を洗ってからと言うトメ子の言葉にしたがって、手を洗いに台所に来た。そこで冬里は夏希も一緒にいることに気付いた。
「うん。いいね! エプロン姿も素敵だぜ!」
「あ、うん。ありがと」
可愛らしいエプロンをかけた夏希を冬里は上から下までじっくり眺めたあと褒め称えた。
女の子として喜ぶところなのかもしれないが、エプロンが似合うと言われ夏希は少し複雑な気分だった。
「でもなんでエプロンなんてしてんの」
「さっきまで料理の手伝いをしてくれていたんだよ」
「おお、なんと! なっちゃんお料理できるんだ!」
「わたしはトメ子さんの言う通りにしただけだけどね」
「んでんで、なに作ったのかな!」
湯気をあげる鍋を冬里はのぞき込む。出来立ての肉じゃがの匂いに冬里は食欲をかき立てられる。
「わおっ、おいしそー! なっちゃん。味見してもいい?」
「えっと。いいけど。熱いから気を付けて」
「大丈夫。なっちゃんがふーふーしてくれれば問題なっしだよ!」
味見をしたいと言い出した冬里に、どうしたものかと夏希がトメ子に目線を送ると頷きが返ってくる。
つい先ほどまで加熱していたので、口をやけどしないようにと夏希は注意したつもりだった。
それに対しての冬里の返答は、ニュアンス的に夏希の手ずから食べさせろと言うことなのだろう。すでに冬里は口を開けて待ちの体勢だ。
仕方なく夏希は鍋の中から比較的小さなじゃがいもを菜箸で摘まみあげる。そして要望通りに息を吹きかけ冷ましてから冬里の口に運んでやった。
「ど、どうかな?」
目を閉じて味わう様に咀嚼している冬里の反応を固唾を呑んで見守る。
冬里は食べていたものを飲み込むと、少し間を開けて親指を立てて夏希に向ってそう言った。
「うんまい!」
「ふふ。よかったね」
「はい!」
上々な冬里の反応に夏希は安心して嬉しそうに再びトメ子を見上げる。
味付けに関しては全く夏希は関わっていないとはいえ、自分が作ったものを美味しいと言ってもらえるのは嬉しいものだ。
「この分だと将来はいいお嫁さんになるね」
「あ、ははは……。貰い手がいてくれたらかな」
そのトメ子の言葉を聞いて夏希は笑顔を硬直させた。引きつる喉で何とか返事を紡ぐ。
きっとトメ子は褒めてくれていたのだろう。だが夏希は自分のその姿を想像してしまった。
万が一お嫁さんなるものに夏希がなったとして、その隣にいるのは男性と言うことになる。ゾッとする光景を思い浮かべてしまう。その悍ましい想像を打ち消すようにかぶりを振る。
「大丈夫だよ、なっちゃん! 私たちが結婚できる歳になったらすぐに私がもらい受けるから!」
「あはは。冬里が安定した収入を得られるようになったら考えるよ」
「まかせろ!」
冬里からのプロポーズを夏希はやんわりと断った。
謙遜したつもりはなく、最初から女性として産まれていたとしても夏希のような人間と結婚してくれる、そんな奇特な人はいないと確信しているから出た言葉だった。
まあでも。冬里と暮らすとなると喧しくはあるだろうが、退屈することはなさそうだ。
その後すぐに春樹が帰宅してきた。リビングに来るとテーブルのお菓子を見て驚きつつ若干引いていた。
青葉の帰りをお菓子を摘まみつつ、みんなでおしゃべりやテレビを見つつ待っていた。
しばらく経ってタイヤが砂利を擦る音が聞こえてきた。春樹や冬里はその音で青葉が帰って来たと分かったようで夏希に教えてくれた。
迎えに行こうと言う冬里に面倒だと答えた春樹の手を、夏希と冬里で引いて行くと丁度玄関が開くところだった。
出迎えてくれた子供たちに青葉は感激してまず冬里が捕まり抱きしめられた。当然残る二人の子供もその対象であった。
それを察知した夏希と春樹は逃げ出し、家中を逃げ回ったがすぐ青葉に捕獲されてしまった。
「トメ子おばあちゃんも食べていけばよかったのにね」
青葉が帰宅してほどなく、挨拶もそこそこにトメ子は帰ってしまった。
「え! この肉じゃが、夏希ちゃんが作ったの!」
「うん。らしいよ。トメさんが言ってた」
絶対に今日食べるんだという冬里の要望で夕食はトメ子の予定通り肉じゃがになった。
煮付けについては明日へと持ち越しだ。
「はあ。幸せだわ。仕事終わりに子供たちに出迎えられて、我が子が作ったご飯が用意してあるなんて。突然午後から会議なんて言われて施設爆破してやろうかと思ったけど思いとどまってよかったわ」
本日会議があると知った青葉はいつも通りブッチして帰ろうとしていたところを、同僚の堂前琴音に捕まり泣く泣く参加することになった。
久しぶりに留守をトメ子に頼もうと連絡を入れると急なお願いにトメ子は応えてくれた。
過去トメ子に留守をお願いした日は必ず夕飯を用意してくれていた。だから今日も用意してくれていることを青葉は分かっていた。
でもまさか夏希がその手伝いをしてくれていたのには夢にも思わなかった。
「ああ。美味しい。うちの子料理の天才だわ!」
「大袈裟だよ。わたしはただ野菜を切って炒めたくらいだし」
「もー。謙遜しちゃって! 過程じゃなくて、なっちゃんが作ってくれたことが重要なんだよ! ね。お母さん!」
うまいうまいと言って食べてくれる青葉と冬里。言葉に出すことはないが春樹もおかわりをしていた。
買ってきた方が早いし片づけもしなくていい。失敗することもないし味もある程度保証されている。これまではそういった理由をつけて夏希は料理をすることはなかった。
しかしこうして料理をして食べてくれる人がいると、料理も悪くないと思えてしまう。
ひねくれた性格の夏希では感謝の気持ちを口にすることは難しいけれど。こうしてたまに行動で示すことくらいはしてもバチは当たらないはずだ。




