それなら行動で示そう
「早かったね。さ、ここに座りな」
「わわっ」
夏希がリビングに帰ってくると待ち構えていたトメ子に言われるがまま椅子に座らされた。
「お腹が空いただろう。どれでも好きなものをお食べ」
そう言ってトメ子は目の前のテーブルに用意されたものをどんどん夏希の方に向かって寄せてくる。
チョコレートにキャラメル、おせんべいにおかき。プリンにゼリー。豆菓子。昔懐かしいマーブルの飴とゼリービーンズ。お饅頭、どら焼き、奇麗な和菓子。缶に入った色んな形をしたクッキー。カステラと鈴カステラ。シュークリームにケーキ類。ポテトチップスなどスナック菓子。
湯気をあげたカップには緑茶と紅茶がそれぞれ。空のコップが一つとオレンジ、アップル、グレープジュースのペットボトルが一本ずつ。お中元で見かける瓶に入った希釈したりしなくてもいい飲料も数本並ぶ。
いまテーブルの上はどこを切り取っても昔懐かしさを感じさせる食べ物たちが所狭しと置かれていた。
「おまえさんがどんなものが好きか分からないから色々と用意してみたよ。私ら老人には多いが、若い子ならこれぐらいぺろりと食べるだろう」
「ワ、ワーィ。ウレシーナー」
正気かと疑いたくなるお菓子の数々をまえに夏希は声を絞り出すように返事をした。
盗み見るようにちらりと見上げたトメ子は夏希を見て優しげに微笑んでいるではないか。
なんだろうかこの久しぶりに会う孫の喜ぶ顔がみたいからと、色々とお菓子を用意して世話焼きをする祖父母と孫のような構図に夏希は戸惑うばかりだ。
テーブルのお菓子は多すぎてどれから手を付けたらいいのかわからない。むしろ本当にこれに手を付けなければならないのだろうか。
これはやりすぎだ。量がおかしい。あきらかに学校終わりの子供に食べさせる量を超えている。夜ご飯が食べれないとかの騒ぎではないだろう。
やっぱり部屋に閉じこもっておいた方がよかったのかもしれないと夏希は後悔した。
「さあ遠慮せずにたんとお食べ」
夏希は孫の喜ぶ顔が見たい祖父母の様とトメ子を例えたが、実はそれは的を得ていた。
トメ子は青葉が子供の頃から知っている。その子供である春樹と冬里にいたって、まだふたりがずっと幼い頃、それこそおむつを付けていた頃からの付き合いである。
青葉に仕事がある時は代わりにトメ子が子守をしていた。
春樹と冬里の保育園の送り迎えをすることだってあった。小学生の低学年の頃はこの家で帰ってくるふたりを迎えていた。高学年になるにつれてそれも減っていき、中学生になる頃にはもう来ることはなくなった。
べつに誰かにもう来ないでくれと言われたわけではない。トメ子なりに考えた結果だ。
トメ子が成長を見守ってきたのは春樹と冬里だけではない。同時に青葉も大きく成長していった。本を片手に調べながら恐る恐る育児していた青葉はもう立派な母親になっていた。
早くに家族を亡くしたトメ子にとって、香月家は本当の家族のような存在だ。そしてその逆も然り。
それに香月家に全く行かなくなったという事でもなく、度々お裾分けを持って顔を出し青葉と話したりしている。時々冬里がトメ子の家に遊びに来ることだってある。
少し前に諸事情で新しい娘ができた。そう青葉からトメ子は報告を受けていた。
その子が香月家に迎い入れるまでの経緯も聴いていた。新しい家族と紡ぐ時間を邪魔しないようにトメ子はしばらく香月家に出入りしないように決めていたのだ。
だがしかしトメ子は新しい孫の顔をはやく見たくて堪らなかった。
学校帰りにさりげなく横を通り過ぎて、その顔を見れないかと下校時間に家の近所をうろついた事もあった。近所のオヤジについに徘徊が始まったかと言われたのでやめた。
次に自宅から双眼鏡で覗いてみたこともあった。また近所のオヤジに怪しまれたのでバードウォッチングにハマっていると答えた。そのかいあって一度だけ小さな後ろ姿を目撃することができた。
振り返っていると年甲斐もなく待ち遠しく落ち着きがない日々だった。
そして今日のお昼に青葉から連絡が入りやっとその機会が訪れた。トメ子は急いで準備に取り掛かった。
まずどうすれば喜ぶ顔が見れるかと考えた。身近な春樹と冬里をモデルとして考え、一番手っ取り早く喜ぶのがお菓子を与えた時かお小遣いをあげた時だ。
いきなりお小遣いを渡すのはなんか違う気がする。なのでトメ子はふたりが過去に美味しいと言ったお菓子をスーパーに置いてあったすべての種類を片っ端から買ってきた。
これだけ用意しておけば好き嫌いがあってもカバーできるはずと万全を期して香月家に乗り込んだ。
すべては新たな孫の喜ぶ顔を見るために。
「えっと、あの。トメ子さんも食べられますか」
「いいや、私は大丈夫だよ。夏希が全部食べてしまいな」
いや全部は無理だろう。そう心の中で全力のツッコミを夏希は入れる。
さっきの言葉も一緒に食べてもらえないかという夏希なりのSOSだったのだがトメ子に伝わることはなかった。
とりあえず日持ちしなさそうな生菓子系から手を付ける。
ところがシュークリームと続くケーキを食べただけで、もうすでに夏希の小さな胃袋は限界に近付きつつあった。
たっぷりの生クリームといった甘いものをたくさん食べたが、いまだ胸焼けがやってこないのがこの若い身体のすごいところだ。
以前の身体は気付いたら好きなものが好きなだけ食べられなくなっていた。
夏希は甘いものは昔からの好きだった。ある日、クリームたっぷりのスイーツを複数購入して口にしたときにそれは起きた。食べきるよりも前に吐き気が先にやってきた。
ほかにも主食と言っていい肉の話だが、お高めの舌でとろけるような脂の霜降り肉。その肉を食べたとき脂がきた時はショックだった。
「あの。えっと、その」
「ん。どうしたんだい」
初対面のトメ子となにを話していいのか分からず、目の前のお菓子に夢中という体で夏希は会話をしないようにしていた。
それに向かいの席に座ったトメ子も話しかけてくるわけでもなく、ただお菓子に手を伸ばす夏希をただ眺めてくるだけであった。
それはそれでとても気まずかったが、会話をするよりかは幾分かマシだった。
しかし夏希の胃袋はすでに限界を迎え、これ以上はもう食べれないと身体が訴えている。
「その料理の方は大丈夫なのかなって。わたしのせいでお邪魔してたら悪いなと」
「あらかた準備は終えているからね。あとはそんなに時間はかからないから少しぐらいどうってことはない」
「そうですか」
残念ながら夏希はお邪魔ではないようだ。
お菓子に夢中だから話しかけないでね作戦が使えなくなったので、続くわたしの相手は大丈夫だから夕飯の準備に戻ったら作戦を実行するも失敗に終わった。
「えっとなにを作ってたんですか」
「あら。もう夕食が気になるのかい」
お菓子を食べているのに、ちらちらと台所が気になってしょうがない夏希の様子をトメ子は可笑しそうに笑う。
夏希の気など知らないトメ子は食いしん坊と思っているのかもしれない。
「さっきは魚の煮付けを作っていたところだよ。この後には肉じゃがとお浸しを作ろうかね。若い子の口に合うか分からないが」
「いえ、そんなことは」
「嫌いなものがあれば春樹の皿に入れときな、あの子は好き嫌いせずなんでも食べるからね」
それは好き嫌いの多い夏希にとってそれはとても魅力的な情報だ。
夏希になる前、嫌いなものは家では残していたし、学生であった頃の昼食は友人に食べてもらっていた。
いまの新しい環境で嫌いなものがあっても残すや他の人に食べてもらうという選択肢を獲れるほど夏希の神経が図太くはない。
夕食であれば作ってくれた青葉に忍びない気持ちが勝っている。中学校の昼食であればまだ気心の知れた間柄ではないと思うので、そういう嫌われるようなことはしないようにしている。
目下の目標として代わりに苦手なものを食べてくれる人を夏希は捜索中だ。
「煮付けなんて久しぶりなのでちょっと楽しみです」
一人暮らしをしていた頃の夏希の食事は調理のいらない麺類や弁当が多かった。外食の時はもともと洋食を好んでいたこともあり、和食のメニューがあっても選ぶことはなかった。
和食自体というよりかは野菜が苦手なので、魚の煮付けであればおいしく頂けそうだ。
「そうかいそうかい。煮付けは作り置きにして今晩を肉じゃがにするつもりだったが、そういうことなら今晩の食事に移そうか」
「あ、いや。そういうつもりじゃ」
「いいんだよ。私が勝手に考えていただけだからね。食べたい物を食べたらいい。実はたまには青葉ちゃんも休ませてあげようかなとおもってね、数日分の作り置きを作っておいたんだ。順番は好きにきめたらいいからね」
「えっと。わたし肉じゃがも好きです」
「おおそうかい。そういうことなら張り切って続きを作ろうか」
そう言ってトメ子は腰を上げた。そのまま調理の続き戻るのだろう。
トメ子は台所に戻ると手を洗い終う。濡れた手を拭うと冷蔵庫から食材と取り出し始めた。その冷蔵庫の中には今朝まではなかった、作り置きを入れたタッパーがいくつも入っているのを夏希は見つけた。
あの口ぶりからして夏希が帰ってくるずいぶん前からトメ子は台所に立っていたのかもしれない。
考えてみれば青葉は仕事を終えて帰ってきて子供らの食事を作っている。当然他の家事もしているはずだ。
昔の子供の頃の夏希であればそれに何の疑問も思はなかった。
親が食事の用意や身の回り事をしてくれるのが当たり前で、それが普通だと思って疑問に思うこともなく育ってきた。
当り前じゃないと気づいてそのありがたみを思い知ったのは高校を卒業して一人暮らしをはじめてしばらくたってから。
最初は張り切って家事をしていた。当時は楽しいとさえ思っていたかもしれない。でもそれも本当に最初だけ。すぐに飽きてしまった。
何を食べるか自分で決め、商品の値札を見て財布と相談して食材を買う。
ネットでレシピを参考に見よう見まねで調理し、出来上がった料理は想像していたよりずっと美味しくはなかった。ただそれは単に夏希の腕前が悪かっただかかもしれない。
たった一品作るのにも苦労した。白米を炊くだけでも手間と時間がかかる。
それだけでも大変だったのに、加えて洗濯や掃除などもひとりでしないといけない。すぐに飽きて疎かになった。
時間のあった学生生活でこれだったのに、仕事をするようになってからはもっとダメだった。
今回の人生も食事の用意も洗濯物もお風呂の準備も、その他諸々の家事を親だから青葉がやってくれている。
それを忘れていたつもりはなかった。急な環境の変化の中で夏希は自分のことばかりで、そのことを考えもしなかった。
短い付き合いでしかないが青葉は嫌々仕方なくでなく、夏希のことを本当の家族として扱ってくれていることは分かる。
それに夏希は甘えていたのだと気付いてしまった。
席を立つと夏希は部屋にあるモノを取りに駆け込んだ。
この部屋も部屋の中にある物も全部青葉が用意してくれた。少女趣味溢れる部屋模様に言いたいことがないと言えば嘘になる。
けれど感謝はしている。夏希がいちから用意しようと思ったらどれほど時間を要したことか。それに加えて女の子として生活するすべなど皆無と言っていい。
青葉がサポートしてくれているから、こうして夏希として過ごせているのだ。
「トメ子さん!」
「ん? どうしたんだい」
そもそもこの状況になったのは青葉のせいだ。
いまさらそれを蒸し返して恨みぶしをぶつける気はさらさらない。
ただ一言言っておきたいと思った。でもそれを口にするのは恥ずかしくて躊躇われるけれど。それならせめて行動で示そう。
「わたしにも手伝わせてください!」
自室より取ってきたエプロンを片手に夏希はそう言った。




