夏希の体験入部7
愛理は体勢を崩したままの体勢でコートにスマッシュが決まるのを見送った。
「すっごーい!」
夏希のスマッシュが決まると、一瞬の間しんと静まる。そして一拍置いて歓喜の声が夏希に届いた。
「すごいすごいすごいよ! 夏希ちゃん。いまズドンってなったよ!」
「あっと。莉子ちゃん?」
「あれ? でも、なんで夏希ちゃんがいるの? もしかしてテニス部に入部してくれたの!? うれしー!」
莉子は駆け寄って来るなり夏希の手を取るとぶんぶんと振り回す。その肩にはラケットケースをかけていることから莉子もテニス部員のようだ。
「本当にうれしい! 夏希ちゃんが入ってくれたから、これで私もペアを組めて新人戦に出られるよ。一緒に頑張ろうね!」
現在女子テニス部の一年生の部員数は五人。
十一月のはじめに控えている大会がある。これまでの大会では一年生は参加できなかったが、この大会より一年生枠が組まれ試合に出場することが可能となる。
ただし試合はダブルス形式のみでペア参加が必須となっている。そのため五人いる部員ではどうしても一人が余ってしまう。
中学校に入学以前からの知り合いだった愛理と双葉。仲良し双子の美奈と美花。とダブルスのペアは決まっていた。
それに五人の中で一番へたくそなのが莉子でもあるため、この組み分けは順当であると莉子自身も思っている。
あくまで試合のペアであり日々の練習では全員で代わる代わる、その日の気分で交代している。けれど仕方がないと分かっていても、試合に莉子だけが出られないのは残念でならなかった。
「あの。えっと、ごめんね。わたし正式に入部したんじゃなくて、今日は体験入部で来てるだけなんだ」
「あっ。そう、なんだ。ごめんね、なんか私はやとちりしちゃってた!」
莉子の話した内容からなんとなく事情が察した夏希はすぐに本当のことを打ち明ける。
それを聞いた途端に莉子はしゅんと落ち込んでみせる。事情を知らなかったとはいえ、ぬか喜びをさせてしまったようで夏希は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「心配しなくていい。香月はテニス部に入るから」
遅れてやってきた双葉が落ち込む莉子の肩に手をおくと慰めるようにそう言った。
「え?」
「だって香月は私と新人戦の優勝を狙っているから」
「ええ! そうだったの!? でも双葉ちゃんには愛理ちゃんが」
「愛理は用済み。莉子にあげる」
「ちょっと双葉! それはどういう意味!」
「やっぱり組むなら強い人とだよね」
「あら。その言い分だったら夏希が組むのは私になるけど。いいのかしら?」
「む」
突然のコンビ解消宣言をした双葉に愛理が詰め寄る。
悪びれる様子もなく双葉はストレートに言い放った。それに愛理も応戦しはじめる。
「たっだいまー!」
愛理と双葉の舌戦が始まるなか、山の中へ飛んで行ったボールを探しに行っていた冬里たちが戻ってきた。
探しに行ったボールはひとつだったはずだが、その手には二つのボールが握られていた。
「ボール見つけてきた! ミッションコンプリートだぜ!」
「大収穫。二つ見つけてきた」
「見つけたのはどっちも私だから。みんなは私を褒め称えるべき」
一学期にテニス部に入部してから一年生部員が冬里のように場外に打ってしまった回数は何十回とある。
その都度ボールを探しに行ってはいるものの見つからなかったことも多々あり、今回もその中のひとつが見つかったようだ。
ちなみに今回見つけたボールが冬里が打ったボールでない可能性すらあるくらいには歴代の部員はボールをなくしている。
「おや、莉子だ」
「遅かったね。どういう状況?」
三人がボールを見つけて帰ってくると愛理と双葉が言い争っており、今回はどういった理由なのかと美奈が莉子に説明を求める。
「どっちが夏希ちゃんと組むかって争ってるみたい」
「なにぃ! なっちゃんと組むのは姉であるこの私だー!」
それを聞いた冬里はなぜかバスケ部のくせに参戦しに行ってしまった。
莉子に伝えた通りそもそも体験入部に来ただけであり、まだ夏希はテニス部に入部するとは一言も言っていないのだ。
渦中の人物とはいえ、この状況に困惑するしかない。
どうしたものか夏希が思い悩むなか、勝手に借りてしまっていたラケットのことを思い出した。
「あ、勝手にラケット借りちゃってたから返すよ。えっと、美奈ちゃん?」
双子の先生たちに教えてもらっていた時に借りて使っていたラケットは美花のものだった。であるからして先程コートで夏希が使っていたラケットは美奈のもので間違いないはずだ。
二人はあまりにもそっくりな顔立ちのため自信がなくつい疑問形になってしまったがラケットを手にしていない方に話しかけた。
「残念。私は美花」
「そして私が美奈」
「あ! ごめんなさい」
案の定間違えてしまったようで、あわてて夏希は謝った。
思い返してみると双子たちの練習が終わるときに夏希から美花のラケットを持っていったのは美奈だったはずだ。
「うそうそ。正解だよ。私が美奈」
「私は美花。それと間違えても大丈夫。もう馴れっこだから」
「そ、そっか」
どうやら夏希はからかわれていたようだ。
混乱する頭を抱えながら少しくらい違いが見つかるかもしれないと美花と美奈を観察してみるが、出会って間もない夏希にはこれっぽちも分からなかった。
まじまじと女性を観察するのも失礼だろうと悟られる前に目線を外す。
そもそも夏希は人と目を合わせるのが苦手でこれまで人の顔をよく見てこなかった。だから相手の顔を覚えるのも苦手だった。
付き合いが長くなるようなことがあれば、いつかは夏希でも判別できるようになるかもしれない。
もしからこれから彼女らと仲良くなることがあればの話だが。
「てゆーかなんで夏希と組むかで愛理と双葉が揉めるわけ?」
「うんうん。今日のは体験入部でしょ」
「そうなんだけど。でもね、聞いてよ美奈ちゃん美花ちゃん! 夏希ちゃんったらほんとすごいんだよ! ズドンってスマッシュ決めて愛理ちゃんやっつけちゃったの!」
ボールを探しに行ってその場にいなかった双子たちに、先ほどの夏希の姿を再現をするかのように莉子はラケットを振り下ろしながら説明する。
「ほう。教えていないスマッシュまで習得しているとは、さすがわが弟子」
「ふふん。わたし達が育てました」
なぜか誇らしげに胸を張る双子。
彼女らは夏希にテニスの経験があったことは知らないので、ボールを探しに行く前に教えていた自分たちの教えのおかげたと本気で思っている。
その事情さえも知らない莉子は不思議そうに頭を傾けていた。
「それなら誰がなっちゃんの隣に相応しいか。それはなっちゃん自身に決めてもらおうじゃないか!」
「それならこの私を選ぶに決まってるじゃない」
「無様に負けておいてよく言える。可哀そうに」
「ぶ、無様じゃないわよ!?」
「さあ香月。ダブルス組むならだれがいい」
関わりたくないと遠目で見守っていたが、どうやらついに矛先が夏希に向いてしまったようだ。
本日はボール拾いに専念していたテニスの実力は未知数の双葉か。テニスの実力では軍配が上がるようだが、口では双葉の方が強かったようで若干涙目になっている愛理か。
いまかいまかと選ばれるのを待っている三人からの圧がすごかった。
いかに夏希が可愛いかと説きひとり話がかみ合っていなかったバスケ部の冬里は除外するとして、はたして夏希はこの問いに答えないといけないのだろうか。
助けを求めて隣に目配らせるが、なにが楽しいのかニヤニヤと笑みを浮かべる双子とはらはらと見守る莉子。
どうやら助け舟は期待できそうにない。これは答えないといけない雰囲気だと夏希は嫌でも察した。
同じ班でこれからお世話になるであろう双葉を選ぶか、ずっと周りからは散々な言われようで、ぽっと出の夏希に負けてしまった可哀想な愛理にするか。
「じゃあ、と」
「冬里って言って逃げるのはダメだから」
「……。」
いっそ自分が選ばれると信じてやまない期待を込めた眼差しでこちらを見つめてくる冬里を選んでしまおうと夏希は決めた。
しかしいざ冬里と答えようとする夏希が口を開くとすぐに双葉に遮られてしまった。
一番誰も傷付かない最適解でいていい逃げ道だと思ったが、そう甘くはなかったようだ。
選択肢から除外されてしまった冬里だったが、当人はそれでも満足の様で勝利の雄叫びをあげ走り去っていった。
もはや二択になってしまった選択肢は、どちらを選んでも今後の愛理、双葉ペアに遺恨が残りそうで夏希は選べない。
そもそも夏希はまだ入部していないのにどうしてそこまでして答えさせようというのか。
味方になり得そうな冬里は七面あるテニスコートの外周を半分いったところをスキップしている途中だ。どうやら彼女には羞恥心というものはないらしい。
その途中で視界に入った莉子はがんばってと、小さな声で夏希を応援してくれていた。
「えっと。あの。わたしは莉子ちゃんと組たいな!」
「うえぇ! わ、わたし!?」
「なっ」
「そうきたか」
愛理と双葉の二択だとみんなが勝手に思い込んでいた。でもダブルスを組むならだれがいいと双葉は言っていた。
そうなれば答えは簡単だった。ペアがいない莉子を選んでおけば良かったんだ。そうすれば角が立たない。
「自らいばらの道を征くか」
「なんていうか、莉子はほんとヘタだよ」
双子はなんとも気の毒そうな目で夏希を見る。
「そ、そんなことは! あるけれども…。で、でもこれから練習して上手くなるもん! 私がんばるからね。夏希ちゃん!」
また双子の冗談かと夏希は思っていたが、本人も認めるほどにはヘタクソのようだ。
「選ばれなかった、おーふたーりさーん。いまどんな気持ち? 折角なっちゃん大好きなお姉ちゃんの私が抜けてあげたのに選ばれなかったみたいだね! ザンネンだったね! ぷーくすくす」
「愛理。やってよし。私が許可する」
「言われなくとも!」
「あだだだ! ギブッギブ!」
双葉のゴーサインが出ると名前は知らないけれどプロレスで見たことあるような固め技を冬里は愛理からかけられてしまう。
技が変わるたびに冬里の顔の前に移動すると、いまどんな気持ちっと双葉が聞いているのは意趣返しも含まれているのだろうか。
「でもなんで夏希は莉子を選んだ?」
「そーそー。私なら愛理選んで浜中のてっぺんとるのに」
「それはその。えっと莉子ちゃんはその。と、ともだちだから」
双子からの質問に夏希は消え入りそうな声で答えた。
本人を前に友達と口にするのが恥ずかしかったのだ。それと久しく友達などいなかった夏希には本当に友達かと疑ってしまい反面もあった。
だって莉子とは昨日の昼休みにほんの少しだけゲームの話しをしただけだ、本人はああ言っていたが本当に友達と呼んでもいいのだろうかという迷いもあった。
「うん! 夏希ちゃんと私は友達だもんね!」
否定されたらと思うと怖くて相手を見れなかった夏希だったが、思わず惚れてしまいそうになる満面の笑みで莉子は手を取って肯定してくれた。
あと莉子は感極まると相手の手を取ってぶんぶんと振り回すようだ。
「へえ、意外。莉子と夏希が友達だったの」
「でもいつの間に知り合ったし。そんな隙は見なかったけど」
「昨日のお昼休みだよ」
「ああ、あの時か。ときどき莉子がよく姿をくらませるアレね」
「ちゃんと学校内にいたのね。私たちは莉子が魔法少女で隠れて世界救ってるんじゃないかと疑ってた」
「そんな風に思われてたの!?」
「へぇ。ときどき、ねぇ」
「へ? ああ! ちがうの信じて! 昨日のはね」
いまの会話で美奈は莉子がときどき居なくなると言っていた。あのとき莉子はスマホを学校に持ってきたのは初犯なので見逃してと言っていたはずだ。
やはり昨日の体育館裏の出来事は初犯ではない疑惑が浮上し夏希は疑わしそうな目で莉子を見上げる。
それらを踏まえると莉子が部活を遅れてきた理由も夏希は気になるところだ。
夏希がじっと見つめていると言い訳を考えているのか、あたふたとする莉子は見ていて楽しかった。
結局ソフトテニス部の体験入部は夏希と愛理のラリーを最後に下校の時刻を迎えた。
もともと体験入部に訪れる前に教室と更衣室で喋り倒して時間が押してしまい、夏希たちが来た時間が遅くなったのが原因の一つでもある。
部活の終わりを告げるチャイムが校舎から聞こえるとテニスボールをカゴに集め、練習後にテニスコートの整備は特にしないようで挨拶そこそこに男女ともども各自解散となった。
帰るために体操服から制服に着替えるために更衣室に戻るのだが。
この時間が地味に夏希は苦手だった。部活終わりは運動部に限定されるとはいえ、学年関係なく人でごった返す女子更衣室は夏希の目に毒だからだ。
あまったるい制汗剤の匂いを背にそそくさと着替えを終えた夏希は更衣室から早々に退散しようとした。
「あっ」
その時にスカートのポケットに触れた手にくしゃりと紙の感触が返ってきた。
あれだけ午前中にどうやって渡そうかと考えていたのに、もうこの紙のことをすっかり夏希は忘れていた。
振り返るとちょうど莉子は誰とも話しておらず、いまが絶好のチャンスではないか。
だが莉子の装いはスカートに履き替えているものの、上半身はシャツのボタンを留める前で羽織っているだけの状態。そのシャツの間から除くのは淡い色の布はスポブラというのだろうか。
先日青葉から教わったものの、夏希はまだ必要ないのと覚えるつもりがないので忘れてしまったが、それが見えているのがネックだった。
しかしこのタイミングを逃してしまうと、夏希はもうコレを莉子に渡せない気がした。
臆することはない。いまは夏希も立派な同じ女子なのだ。ここは女子更衣室だから下着が見えていようと当たり前の出来事。それを見てしまったからと言って罪に捕らわれるものか。
頭の中で色んな言い訳が交差するなか夏希は踏み出した。
「莉子ちゃん!」
「あっ、夏希ちゃん。おつかれー。もう帰り?」
「う、うん。おつかれ。これから帰るんだけど、その前にこれ」
極力莉子の方を見ないように折りたたんだメモ帳を差し出す。
「これわたしの連絡先。よかったら受け取って」
「ぇ、ええ! うれしい! 覚えててくれたんだ。もちろん受け取らせてもらうよ! ううん。受け取らせてください!」
「あ、うん。ど、どうぞ。じゃあ、そのわたしはこれで」
メモを渡すと夏希はすぐに踵を返す。極限の緊張が解けてふわふわした少しおぼつかない足取りで更衣室を出ていこうとする。
受け取ってもらえなかったらなどとあれだけ悩んでいたのに、あっさりと受け取ってもらえた。悩んでいた自分がバカらしくなるほどに気持ちが軽くなっていた。
「夏希ちゃん! ばいばい。また明日!」
名前を呼ばれ夏希が振り返ると、大事そうに片手にメモを抱いた莉子が手を振っていた。
「うん。また明日!」
それに夏希は小さく手を振り返した。
ずっと億劫だった翌日の学校への登校がほんの少しだけ楽しみに思てしまった。
読了時間 500分の作品がまだまだ少ない時代からなろうに住んでるので自分が投稿側で500分超えたのが感無量です。
でも文字数だけで全然話し進んでいない…