夏希の体験入部3.5
日の入りが近づき、つい先ほどまで見えていた太陽はもう山の陰に隠れていた。
部活が終わり帰宅する夏希は寒さを感じ身震いを一つした。海水で濡れた身体はまだ暑い日差しの下では涼しく感じ良かったが、拭いたとはいえ身体は冷えてしまっているようだった。
風でながれる髪はまだ水分を含みいつもより少しだけ重たく感じる。風になびく髪を手繰り嗅いでみるとほのかに潮の香りがした。
「なんか海くさい」
その声に反応した冬里が顔を寄せ夏希の髪に鼻を近づけるすんすんと嗅いでくる。
「おお、ホントだ! まだ海のにおいがするね!」
「まあ水道で流しただけだからね」
「やっぱりシャワーも借りとけばよかったかな?」
「そうだね。ちょっとベタベタもするし素直に言葉に甘えるべきだったかもね」
夏希はしっとりと額に張り付く髪を払うと同時にベタつく身体に不快感を感じた。
本日、夏希たちははカヌー部に体験入部に行ってきた。
今日のカヌー部の体験入部も冬里が行こうと言い出し、それに夏希がついて行った形だ。あくまで夏希のための体験入部なのだが、なぜか付き添いの冬里が部活を全制覇すると意気込んでいる。
これといって特に入りたい部活がない夏希にとって、今日行く部活を勝手に決めてくれる冬里がいてくれる方が助かってはいるので文句はない。
そのカヌー部だけれど今日乗ったのはひとり乗りのカヤックだった。
波はなく穏やかであったが、海に浮かぶカヤックは揺れ動きバランスがとりづらく不安定だった。先にカヤックに乗り込りこんだ際には冬里がバランスを崩して海に落ちてしまっていたので、不安だっだがなんとか転覆することなく夏希は乗ることができた。
パドル操作の方法を顧問の先生に教わりゆったりと漕いで進む。最初は真っ直ぐに進まず右へ左へと曲がってしまっていた。アドバイスを受けて練習をするにつれ進みたいコースからズレて微調整が必要になってしまう事はあるが、なんとか前方へ進むこともできるようになった。
操作に慣れてくると夏希と冬里で競争をしたり、ボールつかったミニゲームをした。
顧問がカヌー部員へ指示のため離れていったところで冬里がふざけだし海水をかけててきたので夏希も応戦した。再び顧問が夏希たちの元に帰って来た時には二人ともずぶ濡れになっていた。
部活動の終わる時間が近づくと海から上がり、顧問の指示に従いカヤックを水で海水を洗い流し倉庫に戻した。
一人乗りから十数人は乗れそうな色々な種類の船が並ぶカヌー部の倉庫にはシャワールームが併設されていて、浴びてから帰るかと聞かれたのだが冬里が答える前に夏希がいち早く断った。部活が始まる前に制服から体操服に着替えた更衣室で、ちらりと見えたりシャワールームは個室ではなく左右を衝立で仕切られたただけの簡素な作りだったためだ。
カヤックを洗うときにも夏希たちは水をかけあって遊んでいたため注意されたが、そのお陰でだいぶ海水は洗い流せたと思うので結果オーライだ。
更衣室ではシャワーに向かう女子生徒を視界に納めないように、冬里が持っていたタオルで二人は身体の水気を拭き取り制服に着替えた。親切な先輩がくれたビニール袋に濡れた体操服を入れカバンに仕舞うと帰宅することにした。
「もー。なっちゃんが悪ふざけするからパンツまで濡れたちゃったよ!」
「それはこっちのセリフなんですけど。てゆーか冬里の場合カヌーに乗る前に海に落ちてたでじよ」
「そうだった!」
濡れた体操服から制服に着替えたものの、下着の変えはないのでそのまま身に付けていた。一度パンツを脱いで絞ろうかと思ったが、周りに人がいる中で下半身を晒す勇気よりも羞恥心が勝った。そのためまだ濡れたままの下着は肌にピッタリと張りつき不快だった。
元々男性であった頃から夏希はぴっちりとした下着が苦手なのでずっと締め付けの少ないトランクス派だった。
青葉が用意した下着にはもちろんトランクスなどはなく、女性用の面積が少なめの肌に隙間なくぴっちりと覆うスタンダードなものしかなかった。
女性用の下着など夏希は調べたことなどないため、勝手にスタンダードと判断したがこれ以外に種類はあるのだろうか。もしかしたらデザインは別として男性用の下着の方が種類が豊富だったのかもしれない。
「帰ったらすぐにお風呂入らないとだね!」
「そうだね。冬里が先でいいよ。でも早めに上がってね」
「それは確約しかねるな! お風呂はゆっくり入るものだからね!」
「だったらわたしが先に入るね。一時間も待ってられないよ」
「あ、それなら私にいい考えがあるよ! 一緒に入れば解決だ! なっちゃん今日こそ一緒入ろ!」
「いや」
「たはー、いやかー!」
お風呂のお誘いを夏希が断ると、大袈裟なリアクションをして冬里は残念がる。冬里からここ連日お風呂に誘われるのだが夏希は当然断る。
変な気を起こすに起こさないが、念の為というよりかは夏希の心の平穏のためだ。そもそも家族で同性だからだといって中学生にもなって一緒に入りたいものだろうか。少なくとも夏希には理解できない心情だ。
一緒に入る選択肢はない。だからどちらが先に入るかとなるが、冬里がお風呂に入ると一時間近くは出てこない。それをこの一週間で夏希は把握していた。
時間に追われることのない学生に戻ったので、待たされても夏希は長いなぁくらいにしか思わず気にしていなかったが、今日のようなケースは別だ。
「いっつもお風呂で何してるの。なんでそんなに時間かかるの?」
「なっちゃん。それは乙女のひ・み・つ」
「ふん」
「あー! いま鼻で笑ったな!」
「気のせい気のせい」
「ゆるさーん!」
「きゃ!」
じゃれついてくる冬里から逃げるように夏希は走り出した。それを冬里が追い駆け、そのまま登校時と同じく走って帰ることになった。
割と本気で夏希は走って逃げていたにも関わらず冬里はやすやすと後を追ってきている感じであった。なので香月家に着くころには夏希のシャツには汗でにじんでいた。
「ただいま! おっふろー!」
冬里は家に入るなり玄関で靴を脱ぎ散らし二階へ続く階段をドタバタと昇って行ってしまった。お風呂と言っていたあたり着替えを取りに部屋に行ったのだろう。冬里の靴を揃えてから夏希も家に上がる。
「おかえり。あれ、夏希ちゃんだけ? 冬里の声が聞こえた気がしたけど」
リビングから子供たちを出迎えるために青葉が出てくるが、声が聞こえたはずの冬里の姿はなかった。
「ただいま。冬里なら二階に行ったよ。ちょっ、なに!?」
「おっ! よしよし。偉いぞ。ちゃんとただいまって言えたね」
「青葉がそう言えっていたんじゃん」
「そうだけど、やっぱり夏希ちゃん自ら言ってくれるのとは違うからさ」
「もお、撫でんな! いま汗かいてるから、手汚れるから」
「大丈夫。そんなこと気にする親なんかいないよ。いまは私が夏希ちゃんを褒めたいから褒める」
自身の頭を撫でる手が汚れるからやめるように夏希は言うが、お構いなしに青葉は額に浮かぶ汗を指で拭い撫で回す。
ここはもう夏希の家なのだからお邪魔しますではなく、ただいまだと青葉は言った。それを夏希は守ったにすぎない。
あの言葉は夏希がこの家の一員なのだと思ってほしいと考えての事だったが、こちらの気持ちを一方的に強制してしまっていたのでは青葉は少なからず心配していた。
いま先程おかえりと言うと夏希は自然な感じでただいまと言ってくれた。それを青葉が嬉しくないはずがなかった。
「お母さんただいま! わお。何してるの。私も撫でろー!」
「冬里もおかえり。今更ダメって言っても撫でるのやめてやらないぞ」
「きゃー!」
二階から降りてきた冬里が玄関で青葉と青葉に撫でまわされている夏希を発見する。冬里の視点からだと自分抜きでなにやら楽しいことをしているように見え、その輪に加わろうと青葉に抱き着いた。
「んん? なんだか冬里も髪が濡れてるみたいだね」
「走って帰って来たからね!」
飛びついてきた冬里を青葉は受け止め望み道理にその頭をわしゃわしゃと撫でまわす。触れた冬里の髪も夏希と同じくしっとりとした感触があった。
「なんだい二人ともそんなにお母さんが恋しかったのかな」
「うん。恋しかったぁ! あと今日はね、なっちゃんとカヌー部に遊びに行ったんだよ。そこで私たち海に落っこちちゃった!」
「なるほど。それでかぁ」
「わたしは違うよ。落ちたのも冬里だけだから」
走って帰ってきたと言う冬里の言葉を、なかなか面白い拡大解釈をする青葉に夏希は呆れた。
「もー、恥ずかしがるなよ。カヌーは楽しかった? お、たしかに二人から海水の匂いがするね」
「うん。面白かった!」
「まあまあかな」
夏希と冬里の頭を抱き寄せて青葉が匂いを嗅ぐと二人の髪からはほのかに海水の匂いがした。
「すると二人はお風呂に行く途中だったのかな。邪魔したね。早く行ってきな」
「はーい!」
「ほら、夏希ちゃんも着替え取ってきて」
「え? そんなに急がなくても冬里はまだまだ出てこないでしょ」
「一緒に入らないの?」
「入んないよ!」
現在はこんななりだが少し前までは三十を過ぎた成人男性だったのだ。
青葉も男性だった頃の姿を見ているはずなのに、なぜ娘の冬里と一緒にお風呂に入れるという選択肢がでるのか夏希は不思議でならない。
「ダメダメ! まだ暖かいからって油断して濡れたままでいると風邪ひいてしまうかもしれないから冬里と一緒にお風呂に入ってきなさい!」
「いや、ほんと、大丈夫だから! 自分の娘が大事じゃないのか!」
「そうだよ! 自分の娘が大事だから言ってるんじゃないか! ワガママ言わないの!」
「やめろー!」
大事な娘の冬里が中身三十過ぎのおじさんの目に晒されてしまっていいのかと夏希は問う。対して青葉は大事な娘の夏希が風邪をひいてしまわないか心配なのだと応えた。
夏希は抵抗したものの青葉の大人の力にかなわず、小脇に抱えられると脱衣所に連行されてしまう。
「冬里。夏希ちゃんも一緒に入れてあげてもいい?」
「おお? もちろんいいよー!」
「よくなーい!」
夏希の叫びは聞き入れられず、無情にも脱衣所の引き戸が青葉によって開けられる。
中にいた冬里は幸いにもまだ制服のシャツのボタンを外している途中だった。なかほどまでボタンが外れたシャツからは肌が覗いていた。夏希は視界に納めないように目を逸らす。
「ちょっと、まずいって!」
「なにがまずいの?」
「あー、いや。その、そう! 着替え持ってきてないから取りに行かなきゃ!」
「大丈夫。夏希ちゃんが入ってる間に私が持ってきておくから、はやく温まってきな」
「ああぁ」
抱えていた夏希を脱衣所に放り込むと青葉は素早く戸を閉めて退路を断つと、夏希の着替えを用意しに向かってしまった。
閉められた脱衣所の戸と夏希は睨めっこしながら思案する。
このまま脱衣所から出ていくのが正解なのだが、背後に冬里の期待に満ちた視線をひしひし感じる。
これまで冬里はほぼ毎日、背中を流してあげるや髪洗ってあげると言って、お風呂に一緒に入ろうと夏希を誘っていた。それがやっと実を結び夏希が一緒に入る気になったのだと思っているのだ。
期待されると大抵断れない夏希は腹を括り、これからの計画を立てる。
そうだ。冬里に先に入って身体を洗ってもらい湯船に浸かってもらえばいい。その間に夏希もささっと洗いすぐにお風呂場から離脱すれば問題ない。完璧だ。
最適解が見つかったと夏希は思った。すぐに伝えよう。大丈夫だ。まだ冬里は服を着ていた。大事なところはまだ隠れて見えていなかった。今のうちにお互い被害を最小限に留めるため冬里に話しかける。
「冬里。先に入ってて、ぇえ!?」
小さく深呼吸をしたあと夏希は意を決して振り向く。
振り向いた先の冬里は半分まで脱いだシャツをそのままにスカートを脱いでしまっているところだった。
「え、ちょっ。冬里? 下着は!?」
「濡れててなんか気持ち悪いからカヌー部のとこで全部脱いできたよ!」
シャツの裾からは丸みを帯びだしたつるりとしたシルエットの臀部が覗いていた。
今朝、寝ぼけた冬里の着替えを手伝いシャツを着せたとき着けてスポーツブラは濡れたからとカヌー部の更衣室で脱いでいたのを夏希は知っていた。
同じく夏希も濡れたという理由でキャミソールのインナーは脱いで帰っていていた。だがしかし濡れて張りつき気持が悪かったがパンツは履いて帰ってきた。それは男女関係なく人として尊厳を守るための超えられないラインだからだ。
それなのにパンツまで脱いでいようとは思わなかった。
「じゃお先に入ってるね!」
「うん…。」
まさかずっと隣を歩いてた少女が平然とノーパンで下校していたことに夏希は驚きを通り越して言葉がそれ以上出てこなかった。
サブタイトルの3.5は間違えじゃないです。3はない!




