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わたしの成長期はこれからです

「お、琴音さん早かったね。てか扉どうやって開けたんだい?」

「不用心ね。扉に本が挟まって締まってなかったわよ」

「たまにそういう事もあるよね」

「ないわよ」


琴音と呼ばれた女性は扉に挟まっていた本で青葉の頭を軽くたたく。


「これまで何度も言っているけど部屋の整理整頓をしなさい。青葉ちゃんの部屋を掃除するために全職員の研究二日間ストップさせたの忘れたの?」

「あー。うん。そんなこともあったような、なかったような?」

「あったのよ」

「いったあぃ!」

「うわっ」


とぼける青葉にまた本が振り下ろされると部屋に悲鳴があがった。青葉が頭を叩かれた鈍い音と、その時の惨状を想像した夏希は呆れて思わず声がもれた。

施設の全職員の仕事を青葉は部屋の掃除のためだけに停止させた。それも二日間。

先ほど部屋に入った際に青葉が口にした入り口から入れるとか天井に頭をぶつけないは例え話ではない。最初は青葉の部屋の惨状をみかねた数人の同僚が強制的に掃除を始めたが、終わりの見えない作業に他の職員にヘルプを要請し、その職員がまたヘルプを重ねていきついに全職員を巻き込んだ大掃除にまで発展した。

部屋を埋め尽くす物は大半が青葉の私物ではあったが、中には施設の資料室から持ち出された重要な資料も多数含まめていたため作業が難航し掃除が終わったのは二日目の夜だった。

部屋に呼ばれてやってきた長髪の女性の注意をしっかり聞きつつも時折りとぼけて頭を叩かれる青葉は、いつもは春樹と冬里を注意する姿を見ているだけに怒られている青葉の姿が夏希には新鮮に映った。


「そんなぽこぽこ本で叩いて私の頭がおかしくなったらどうするんだい」

「あらそれは大変。でも安心してこれ以上おかしくなることはないでしょう」

「ヒドイ! 聞いた夏希ちゃん。この女、私に向かって頭おかしいとか言ったよ!」

「この女という悪い口はここかなー?」

「ひゃめろぉ!」


初対面の相手に野外で突然首に注射器ぶっ射してくる人物は充分頭のおかしい人間だ。と夏希は咄嗟に言いかけたがなんとか言葉を飲み込んだ。


「それで、この例の子なのね」

「そうそう。うちのかわいい娘の夏希ちゃんだよ」

「はじめまして夏希さん。私は堂前琴音。よろしく」

「よろしくお願いしま、す。えっと。あのー?」


引っ張っていた青葉の頬から手を離すと堂前は夏希の前までやってくると簡潔に自己紹介をすると返事を待たずして夏希の身体をまさぐり始めた。

無言で眼球を覗いて見られたり、口をこじ開けられ口腔内を見たりとしたため、触診的な観察が始まったのかと思い夏希はじっと耐えていた。

座っていた椅子から脇を抱えられ立たされた夏希の身体をぽんぽんと軽く叩かれる。それも終わると堂前は顎に手をやり何やら考える仕草を始める。


「うひゃあっ!」

「ちょっと! なにうちの子にセクハラしてくれてんの!」


やっと終わったのかと夏希が気を抜いたのも束の間。何を思ったか堂前は夏希のスカートを捲りあげると股間を鷲掴みしたのだ。


「なに。彼が本当に女の子になったのかを確認しただけよ」

「確認しなくても報告書で知ってるでしょうが!」

「いや驚いた。あなたは以前は男性だったのでしょう? 若返っただけじゃなくて本当に性転換までしていただなんて、実際に目の前にしても信じがたいわね」


我が子を目の前でセクハラして見せたことに対して非難する青葉を無視して堂前はまた考え事をはじめた。

もう既に凍結されたプロジェクトで作られた薬が青葉の手で使用され実験が成功したことを知る人物は少ない。このラボにおいても秘匿研究されていた件でもあり、またそれに携わっていた限られた研究者たちでもこのことを知っているのは数人程度。

それを堂前琴音も知る立場であった。先日青葉が提出してきた報告書にはもちろん目を通している。にわかに信じがたい内容であった。


プロジェクトが立ち上がり研究段階から堂前は不可能だと信じて疑わなかった。それでも研究に取り組み続けプロジェクトが凍結されるまでここに席を置いていたのは恩師からの紹介で参加したからであった。

医学科学面等からみて不可能だと解っていたが堂前は終始真面目に研究に取り組んだ。

それでも完成するはずかないと思っていた研究が、まさか臨床試験まで辿り着くとは堂前は思いもしなかった。

しかし遂に臨床試験の厳しい選考条件を突破するものは現れず。発案の政治家の後任がプロジェクトの内容に尻込みし凍結に追いやられることになる。


正直なところ堂前はほっとしていた。たとえあのまま実験が成功してもあの薬は世に出ていいものではないからだ。万が一にでも成功してしまえば世界は大混迷の時代に突入してしまっていただろう。

プロジェクトが凍結されて研究のため集められた研究者たちは、この辺鄙な土地からそそくさと立ち去り元居た場所にもしくは新たな研究のためにラボを出ていった。

なぜこんな僻地でプロジェクトが行われたかと言えば、ひとえにキーマンである青葉がこの地でないと参加しないと言ったからだ。そんなわがままを通せるくらいに青葉は研究において重要であり、この研究に人一倍熱心であった。


プロジェクトの凍結が通達されてから青葉はこのラボにめっきり姿を見せなくなってしまった。ひどく落ち込んでいるのではと皆が心配していたが、研究員たちはプロジェクトの後始末に追われ話すタイミングを見失い散り散りとなり解散となった。

堂前もここを去るつもりでいた。しかし何年もこの地で過ごした娘が元の家には帰りたがらなかったので、娘の意見を尊重しここに留まることにした。それに堂前自身にも青葉という心残りがあったから。

これまでどんな困難な壁に阻まれだれもが諦めた時も青葉はひとり諦めずに研究を続けていた。その青葉がラボに姿を見せなくなって数か月が経った。かける言葉が見当たらずズルズルと時間だけが過ぎていくなか一通の報告書が所長から堂前の元へ届いた。


中身を確認して堂前は驚愕した。プロジェクトが凍結されたあと全て処分されたはずの薬を青葉が一般人に投与し実験が成功したという内容だった。

またこの研究所に残ったプロジェクトの元メンバーで被験者の経過を十数年もしくは数十年に渡り見守りサポートすると共に守秘義務を課すと一方的に告げられた。

それはよかったのだが、なぜ青葉がこの様な強硬手段に出たのかが堂前には分からなかった。

そんな頭を悩ませる堂前に件の青葉から連絡が入ったのは二日前の出来事。


「それじゃあ青葉ちゃん。夏希さんをしばらく借りるわね」

「え? あの、どういうことですか?」

「いまの流れで琴音さんに任せるとでも?」

「あっちには私か所長がいないと入れないわよ。私がダメなら所長に任せる? あの所長に?」

「うぐぐ。絶対に夏希ちゃんに手を出さないって約束できる?」

「あなたは私を何だと思っているの。さっきのはただの触診の一環よ。わかったならそこをどきなさい」

「夏希ちゃん! 身の危険を感じたら大きな声で近くの大人に助けを求めるんだよ!」

「だからっ。はぁ、まあいいわ。行きましょう。青葉ちゃん、私たちが戻るまで少しでも部屋の片づけでもしておきなさい」


数か月ぶりに会って話した青葉は相変わらずで元気そうだった。堂前は話したいことは沢山あるがまずは仕事だと気持ちを切り替える。

友人からの頼み事でもある被験者の状態を確認する。いまこれが出来るのはここに残ったプロジェクトメンバーでは、ヘンタイを除けば私だけなのだから。


「あの。わたしたちはどこに向かっているんですか?」


青葉の研究室から連れ出されまた施設の廊下を移動する夏希が堂前に尋ねる。


「まさかあの子から何も聞いていないの?」

「青葉からは研究所の人にお茶を入れればいいとしか」

「はぁ。また適当なことを。これから行くのは病院よ。そこでできる精密検査を行うの。まあ健康診断程度に思っておいてくれたらいいわ」


研究施設の隣には病院が立っており、そこで夏希の身体状態をチェックするのだと堂前は説明した。これから行く病院内では詳しく話せないからと説明を続ける。

元々のプロジェクトでも臨床試験の過程で被験者のチェックをするために、これから向かう病院施設を使用することになっていた。しかしプロジェクトが凍結したいま病院を堂々と利用することは出来なくなってしまった。

そこで堂前の出番だ。堂前は医師免許を持っており、研究とは別にこの病院で週に数度の診察をしている病院の医師でもある。今日はその立場を利用して夏希の検査を行う。


「でも勝手に病院の設備を使って怪しまれたりしないんですか?」

「それなりの年数を勤めてそれなりに偉い立場の医師になって尚且つ職員に顔を覚えてもらっていれば、普段通り自然に行動していればやる事なすことに疑問を持たれなくなるものよ。ちなみにあなたは私の娘の友達で、私と青葉ちゃんとはママ友という設定だから」


堂前に連れられて研究施設から出て敷地内を建物の壁に沿って歩くと病院の通用口に辿り着く。

病院は休日で通常診察は行われていないため院内で病院職員とも患者ともすれ違うことはなかった。

普段から使われていない診察室に入ると前日から堂前が集めた検査機器が並んでおり、すぐに身体測定、血圧、視力検査、聴力検査と簡単な検査から始まる。


「あなた中学校に通ってるのよね?」

「はい、そうです。えっと、それがなにか?」


身体測定時に堂前は怪訝な表情を浮かべ夏希に問いかけた。


「それにしては小さいと思っていたけど実際に数値を見てみるとね」

「何センチだったんですか」

「百三十一センチメートル。身長だけで言えば小学三年生程度かしら。あり得ないことではないけれど、これで中学生は少し苦しいわね」


夏希自身も周りのクラスメートと比べても小さいと思っていたが、こうして実際に身長を測って数値化してみると想像以上に低かった。


「これから伸びますよね」

「うーん。あなたの場合は特殊すぎるから。私もこればかりは解らないわね。いましばらくは経過を見守っていくしかないわね」

「そんな…」


夏希の質問に堂前は口ごもる。通常の子供が相手であればこれから成長するだろうと答える。しかし今回の夏希のケースは世界初の薬剤の投与による若返り。たしかに薬の効果は実証されたがこれからが未知数なのだ。

一応プロジェクトの想定では普通の子供と同じく再び成長すると考えられてはいるが、夏希には当初の想定にはなかった身体の性転換まで起きている。

先ほど研究施設で堂前が夏希の身体を軽く触診した限りでは男性器の消失は確認している。あとは体の中がどうなっているかも気になるところだった。


「詳しいことは帰ってから話しましょう。他の検査をするから着いて来て」


そう言って堂前は診察室から出て行った。そのあとを夏希は追い駆けていき堂前が足を止めたのはトイレの前だった。


「コップのこの線までは入れてきて」

「ああ、なるほど。わかりました」


唐突に紙コップを渡された夏希は一瞬なんのことか考え尿検査なのだと気付いた。


「手伝わなくていい?」

「だ、大丈夫ですっ!」


手伝いはいらないかとの堂前からの問いかけにひったくる様に紙コップを受け取り夏希はトイレへ逃げ込むように入っていく。

トイレに入り便器に腰かけ紙コップ片手に、これにどうやって入れるかを少し悩んだ。

夏希は普段するよりも足を大きく開くと紙コップを差し入れ股間近くまで持ってくる。今日まで気にしたこともなかったのでどういう角度で調整していいのか分からなかった。

男性だったころと違い紙コップに入れる難易度が上がった気がするが無事採り終えることができた。

夏希は汚れてしまった手を入念に洗い終えトイレから出ると紙コップを堂前に渡し元の診察室へと帰った。


次は心電図検査のようで上に着ている服を脱がされた夏希は上半身裸でベッドに横になる。随分と華奢な身体になったが凹凸は変わらぬ胸に堂前が電極を取り付けていく。

心電図が終わると今度は髪をかき分け頭部に電極を付けられ脳波検査が始まる。堂前の指示で目を開閉させたりと幾つかの動作をした後に唐突に寝ろと言われた。

夏希は寝つきは良くない方なので、この状況ではとても眠れるとは思えなかったが目を瞑り寝ようと努力した。眠らないにしても次第にウトウトしてきだし眠れそうと思った頃には検査は終わった。


「以前はアルコール消毒に問題はなかった?」

「はい。大丈夫でした」


次は採血のようで夏希は上腕部に駆血帯を巻かれ穿刺する血管を見つけた堂前が皮膚を消毒する前にアルコールアレルギーの有無を確認された。

患部を消毒後に注射器が取り出され針を保護するキャップを堂前が外す。それを見た夏希はびくりと小さくからだを震わせた。


「うっ」

「どうしたの?」

「あ、いえ。なんでもないです。気にせずにやっちゃってください」

「そう? しびれとかがあれば我慢せずに言ってちょうだい」


注射器が腕に近づき針が刺さる瞬間急に怖くなり夏希は目を瞑った。ちくりと痛みが走り針が抜かれるまで目を開けることはなかった。

夏希は幼い頃病気がちだったこともあり子供ながらに比較的早めに注射に慣れたと自負していた。今年の会社の健康診断の時もなにも問題なかったはずだった。なのになぜ今になって注射に恐怖を感じるのか。

思い当たる節があるとすれば青葉だろう。あの日夜の公園で起きた出来事。これがトラウマというものかと注射が終わるまで夏希は逃避していた。


「次は画像検査なんだけど、あれはこっちに機械を持ってくることができないからレントゲン室にいくことになる。基本的に技師とは私が話すわ。なにか聞かれても注意事項とかの質問以外は答えなくていいから黙っておいて。あと来る前に言った設定のこと覚えてるわね」


採取した血液をスピッツに移し替えながら堂前は次の検査に移る前に夏希にあらためて注意する。

堂前が口にした設定が一瞬なんのことかとわからず夏希は首を傾げたが、すぐに思い出して頷き返した。

放射線科にはポータブル撮影など特別なことがなければ技師が常駐している。一枚や二枚の撮影であればその不在を狙ってできなくもないが、今回の画像撮影は時間がかかるものなので堂前は素直に医師として放射線技師依頼することにした。


「お疲れさま。この子の撮影をお願いしたいのだけど」

「お疲れ様です堂前先生。先生がこちらまで来るなんて珍しいですね。それでどこを撮ります?」

「胸と腹部を一枚づつと全身のMRIをお願い」

「全身ですか?」

「この子。友人の子なんだけど少し前に倒れたらしくて相談されたのだけど、母親が病気じゃないかってうるさいのよ。おそらく貧血か何かだと思うのだけど納得してもらうために一応ね」

「なるほどそういう感じなんですね。まあわが子となれば親御さんも心配もしますよね」


堂前は夏希を連れてレントゲン室に着くと室内にいた放射線技師の男に話しかける。あらかじめ考えていたのか堂前はスラスラと嘘の情報を伝え放射線技師を納得させた。

怪しまれることもなく撮影室に通された夏希は羽織っている上着を脱ぐように言われレントゲン撮影がされた。そのまま別室に連れていかれると大型の機械に寝そべるように指示を受ける。


「ポケットに何か入れているようなら今のうちに全部出しておいてね。あと狭いところは大丈夫? 怖くない?」

「大丈夫です。ポケットにも何も入れてません」

「大体三十分程度の検査だよ。マイクを通してキミの声もこちらに聞こえるようになってるから辛くなったらすぐに言ってくれていいから。ちなみに先生、この子に人工物とかは」

「母親聞いた限りではないようよ。そうよね?」

「はい」

「それじゃあ今から始めるよ。体を動かさないようにじっとしておくのと、撮影中はうるさいからこのヘッドホンを付けさせてもらうね」


ヘッドホン越しに聞こえる指示とBGMを夏希は聴きいていた。


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