運転免許証は身分証明だけできればいい
青葉の運転する車の助手席に座り夏希は緑が生い茂る山道を窓から退屈に眺める。車から見える外の景色は山と畑、たまに民家。
狭く曲がりくねった古びた道もあれば、比較的新しく道幅の広い道路は近年できた道だ。このような田舎の山道でもまだ開発がされるものなのだと、道幅を広げるため片側車線を制限している工事現場の信号待ちをしている車内で夏希は思った。
日曜日ということもあり工事自体は休みのようで辺りに人影は見られない。また数分の赤信号の待ち時間で反対車線からやって来る車は一台もいなかった。
夏希の本当の父親だったなら十数秒前を示す赤信号を前に構わずアクセルを踏んでいた事だろう。曰く反対車線の信号も余裕をもって赤信号に変わるので、これくらいなら発進しても大丈夫とのことだ。
青信号に変わり走り出した車は薄暗いトンネルをくぐり抜けてまた山道を下る。
「夏希ちゃん大丈夫? 静かだけど酔ったりとかしてない?」
「うん。わたし酔わないタイプだから。そっちこそずっと険しい顔だけどどうしたの?」
「ああ、やっぱりそう見える? 私はいつまで経っても運転には慣れなくてね。集中してしまい無言になってしまうんだ」
本日は夏希が夏希になってしまった原因を作り出した研究施設とやらがある隣町まで行くためにこうして車で移動している。
人見知りの夏希にとって車という密室に二人きりとなる空間は好まないので避けたかったがこればかりは仕方がない。それに青葉は自分から話す方なので、そろって無言になり気不味いことにはならないから大丈夫だろうと思っていた。
しかし車が発進した瞬間から先ほどの会話まで青葉が一言も発することはなかった。
「車の運転ってのはね慣れたと思っても、片時も油断したらいけないんだよ。考え事をしてぼーっと運転していると、あれ? さっきの信号青だったっけ。てなる事がよくあるんだ」
「わかる。わたしも免許持ってたけど、そういう事あるから極力乗らないようにしてた。ぶっちゃけ信号無視何度もしてる」
「だよね!」
今までたまたま事故しなかった、警察に見つからなくてよかったね、とダメなところで共感しあう二人。
高校の卒業前に運転免許をとったはいいものの、車を運転する機会もなくペーパードライバー歴の長い夏希にはとても共感できる内容だった。
都会の道などもってのほか初見殺しもいいところ。走っていたら突然車線変更しないといけないレーンにいつの間にか変わり、まっすぐ進みたいのに強制車線変更とか。その事を話すと標識なりに書いてあるからよく見て運転しろと高度な要求をしてくる。
カーナビを頼ろうにも新しい道に対応していない、指示が遅い、走っている道がズレているなど肝心な時に使えないなんてこともあった。いまはもう車には乗らないので現在の事情などは分からないが、当時はただ頼りないなという記憶がある。
夏希たちは都会での車の運転について愚痴を言い合い盛り上がった。
ひとしきり話し終えると今度は田舎道の愚痴が始まる。たとえば先ほどの通った集落を別けるように通る道路には歩道と呼べる場所などなく二車線がギリギリやっと、そんな道を走る時はいつ人が飛び出してくるのかとハラハラしているなど。
「ああ。娘と運転の話しができるだなんて感慨深いよ。大きくなったね、夏希ちゃん」
「いや、むしろ青葉のせいで小さくなったんだが。いまどの夏希ちゃんの話しをされてます?」
「もう今日死んでも悔いはない」
「まだ冬里たちのために生きてあげてよ。てか、ハンドルから手離すな! まえ見て! 反対車線にはみ出してるし対向車も来てるから!」
夏希の知らない夏希ちゃんの話しを青葉がしだしたと思ったら、青葉はハンドルから手を離し熱くなった目頭を押さえだしてしまった。なんとかそのハンドルを助手席から乗り出した夏希が操作して対向車にぶつかることなく事なきを得た。
そんなこともあり目的地に到着するまで運転に集中してもらうために、それっきり青葉に話しかけられても夏希は生返事で冷たく返した。
折角人生を再出発しだしたばかりだというのに、こんなつまらない事で失いたくはなかった。
やはり運転に自信のないドライバーは運転中は集中してもらわないといけないと夏希は痛感した。
ずっと山道を走っていた車はいつの間にか町の中に入っていた。
青葉が働いている研究施設は町中に建っており、言われなければそれが研究施設だと夏希は気付きもしなかっただろう。
その施設に隣接する駐車場でバックで車を切り返すこと数十回。やや斜めに曲がっているがやっとのこと駐車できると青葉はドヤ顔を向けてきたので夏希は拍手を送った。
「おはようございまーす。大野さん。この子うちの子だから。ドア開けてよ」
施設に入ってすぐにある小窓に向かい青葉が話しかける。その窓が開くと白髪交じりの男性が顔を覗かせて答えてきた。
「おはよう青葉ちゃん。青葉ちゃんのことだから大丈夫なんだろうけど、ちゃんと手続きしてくれないとオジサンが怒られちゃうから」
「そっかー。そういう事ならしょうがない」
「そうなの。オジサンのためを思って、この書類に記入お願いね」
小窓から突き出たカウンターに入館手続きの書類が挟まれたバインダーを警備員の大野が差し出す。それを青葉が受け取って記入する。書類を記入している様子を夏希はカウンターに捕まりつま先立ちで顔をのぞかせ見ていた。
A4の用紙に氏名住所と始まり入館理由などを記入する欄があり夏希に代わって青葉がさらさらと書いていく。
夏希は自分で書けると言おうとしたが、よくよく思えばいま住んでいる香月家の住所も電話番号も覚えていない。それに学校で名前を書く時も意識していないと夏希は以前の名前を書いてしまいそうになるくらいだ。ここはおとなしく青葉に書いてもらうのがよさそうだと口は開かなかった。
帰ったら住所など最低限の情報は覚えようと夏希は書類から目を離すと、小窓の方から視線を感じそちらに顔を向けると警備員の大野と目が合った。
「おはよう」
「あっ。お、おはようございます…」
大野は柔和な笑みを浮かべ言う。その挨拶に夏希はカウンターにゆっくりと顔を引っ込め言葉を返した。
「ちょっと大野さん。うちの子いじめないでよ」
「ははは。そのつもりはないんだけど驚かせてしまったかな。ごめんよ。ほら、お詫びにこれをあげよう」
「えっと、ありがと」
失礼な態度を取った夏希に気を悪くすることもなく大野は笑ってみせた。それどころか自分が驚かしてしまったと謝ると警備室の奥から棒付きのキャンディを持ってくると差し出してくる。それを恐る恐る受け取り夏希はお礼を言った。
「よし書けたよ。よかったね夏希ちゃん。それにしてもかわいい物持ってたね」
「パチンコの景品だよ。ふむ、書類に不備はないようだね。どうぞ通っていいよ」
「じゃあ行こうか。それと館内ではこれを首からぶら下げておいてね」
「うん。わかった」
「いってらっしゃい」
書類を確認すると大野は入館許可証を発行し青葉に渡した。青葉は入館許可証を夏希の首にかけると手を引いて施設に入っていく。施設内に入っていく二人を手を振って見送っている大野に夏希も小さく手を振り返した。
夏希には人と話すとき相手から目をそらして話す癖がある。
人見知りの夏希は人と話すことはもちろん、目を合わせるのも苦手だった。それが親しくない人、初めて出会った人となれば尚更だ。学校では癖が出ないように気を付けていたが昨日一日休日を挟んだせいで気が抜けてた。
先程は恥ずかしくて夏希は顔を隠してしまったと大野は思ったことだろう。事実その通りなのだけれど、この幼くなった姿だったからよかったが、大人ままの夏希が初対面であれだったら印象かなり悪かっただろう。
また直さないといけない自分の一面を夏希は再認識した。
入館手続きを終えた二人は施設の廊下を進む。休日だからかそれとも普段もそうなのか館内は静かなものだった。また人の気配のないせいで急に不気味に思えてきた夏希は青葉の手を少し強く握り返した。
「こっちは表向きの研究施設で、この扉の向こう側がヤバイ方の研究するとこだよ」
「ヤバイって、わたしをこんな姿にした薬とか?」
「んー。それはまだまだ序の口だね」
「なんだろ急に行きたくなくなったんだけど」
「大丈夫大丈夫。管理はしっかりしてるから。ここに社員証をかざしてパスワードを入力したら開くんだよ。ちなみにパスワードは『79745963』だよ」
「それ、わたしに聞かせていいの」
「いーのいーの。ほら押していいよ。子供ってこういうの好きだろう?」
「子供扱いすんな」
素っ気ない態度をしつつ夏希は漫画などでみる近代的な防犯システムを目の前にワクワクしているのだった。
青葉は夏希の脇に手を入れ持ち上げ壁のパネルの前まで来ると聞いたパスワードを入力する。確定ボタンを押すとガチャリと電子錠が外れ扉のロックが解除された。
はじめて物理的な錠前以外を使った扉の開閉に感動しつつ、なるべく早くパスワード忘れてしまおうと夏希は思った。しかし暗証番号の語呂合わせが『泣くなよご苦労さん』で仕事始める前から慰められてる研究者たちがツボすぎてしばらく忘れなさそうだった。
扉の向こう側は番号が書かれたプレートが貼られた扉が並び、窓のない廊下を蛍光灯の明かりが照らしていた。
廊下を歩きながら観察しているとそれぞれの扉の数字は順番に並んでいるわけではないようだ。一桁の部屋もあれば何行もの数字が羅列されている部屋もあり統一性はなくバラバラだった。
「この通路は個人の研究室や資料室とかが並んでるんだ。上の階が実験室とか色々。それでここが私の部屋だよ」
『1031』のプレートの扉の前で青葉が立ち止まると、ドアノブに社員証をかざしロックを解除すると中に夏希を招き入れる。
「おおう…」
「まあ、適当に座っててよ」
香月家の青葉の自室からある程度予想出来ていたが、この研究室もひどい有様であった。
本や散らかった書類が床に積み上がり床が見えなくなっており、なかでも一際高く積みあがっているところが机だろうか。
青葉から座ってと言われ夏希は座れる場所を探すがそんなところは見当たらない。
「座れって言われても、これのどこに座れば?」
「どこでもいいよ。そこの本を積んでその上でもいいしイスがいいなら。イスはどこだったか、よいしょっと。さあどうぞ」
部屋の中に踏み込んだ青葉はこんもりと盛り上がった所へ移動すると、積みあがった本を雑に崩していくとイスが姿を現した。
部屋の中には本来土足で上がるはずなのに躊躇してしまうが、夏希も部屋の主に倣い覚悟を決めて靴を履いたまま踏み入れた。
「もしもし私。着いたから迎え来て」
埋もれた電話機を引っ張り出して青葉はどこかに内線をかけはじめた。
夏希は近くにあった一冊の本を開いてみる。内容は全て英語で書かれており、いくつかの単語は読めるが文として読み取ることは出来なかった。パラパラとめくってみたがびっしりと書かれた英単語によく分からない解説の図が書かれているだけでまったく理解出来なかった。静かに閉じて元の本の山にそっと返しておいた。
その本を置いたことにより絶妙なバランスで積みあがっていた本の山が音をたてて崩れ落ちてしまった。本の雪崩が足元に襲いかかってきたため夏希は目を丸くした。
崩してしまったことを謝ろうと青葉に視線を向けるが、気にた風もなく本を積み上げて作った本のイスに腰かけているところだった。
「ねえ青葉。部屋片付けようよ」
「えー? まだ入り口から普通に入れるし天井に頭ぶつけないから大丈夫だよ」
「いやいや、例えがおかしい。危ないよ。いつか絶対ケガするって」
「その子の言う通りよ青葉ちゃん。いい加減部屋の掃除をしなさい」
青葉ではない別の女性の声が部屋の入り口から聞こえ夏希が振り返ると、白衣を着た長髪の女性が立っていた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
こうやって書いてますが私は文章書くのとかとても苦手で、一応見直しているのですが恥ずかしながら毎回ダメダメなので誤字報告とても助かっております。
これからもどしどしお願いします!




