溶けないうちに
「おまちどうさま。焼肉定食にナポリタンと生姜焼き定食だ」
出来上がったばかりの料理を乗せたトレイを両手に持ってボブが夏希たちの待つテーブルまでやってきた。
「きたー!」
「夏希、箸とってくれ」
「はいどーぞ。冬里も」
「ありがとう!」
腹を空かせていまかいまかと待ちかねていた冬里がテーブルに料理が届くと手を挙げて喜んだ。春樹も夏希から割り箸を受け取るとすぐに掻き込むように食べ始めた。
「そういえば二人が注文した料理ってメニューには無かったよね?」
春樹たちがボブを探しに行っている間に夏希はメニュー表を読んでいたが、二人が注文した焼肉定食とナポリタンの名前はなかったはずだ。
「そだよー! スペシャルメニュー? 裏メニュー? なのさ!」
「メニューは一応用意しているが、それ以外の料理でも注文が入れば材料さえあればうちは要望通り何でも作る」
「すごい。何でもですか」
「食材の調達や調理に時間のかかるのは事前に言っておいてくれると助かるな。お前も食べたいものがあれば何でも言えばいい」
『ファーマーズキッチン』ではメニュー表を用意しているが、普段からここに来店するのはほぼ常連ばかり。
開店当初はメニュー表に載っている料理の提供しかしていなかった。しかし、その常連客たちは今日はアレが食べたいコレが食べたいとワガママな注文を繰り返していた。
律儀にボブはそれにも対応するために材料を買い足し調理法を調べていき、いつしか何でも注文を受け付ける店へと進化した。そのため開店当初より業務用冷蔵庫と冷凍庫が一台ずつ増えていた。
「ボブさん! 今日こそは粉チーズ用意してるよね!」
箸を受け取った冬里は箸を割って注文したナポリタンに手を付けようとして、粉チーズがない事に気が付いた。
「ああ、忘れていた」
「うわーん! この前あんなに言っておいたのにー!」
「噓だ。ちゃんと買っておいた」
「やたー! さっすがボブさん!」
冬里の指摘に忘れたとあっけらんと答えるも冗談だったようで、エプロンのポケットから彼女のために買い足した粉チーズの容器を取り出すとそれをテーブルに置いた。
前回冬里が『ファーマーズキッチン』を訪れた時に、この店ではじめてナポリタンが注文された。見事ボブはナポリタンそのものには対応して見せた。
今回も注文通りに提供できたことにボブが達成感を味わっているところに、冬里は粉チーズがないとナポリタンではないと言った。普段は粉チーズなどかけやしないのに。
ナポリタンそのものは完成したがトッピングまでは盲点だった。
その時はボブがスライスチーズをレンジで温め砕き代用したが、冬里は最後までちゃんとした粉チーズを欲しがっていた。
「ちなみに言い忘れていたが一振り十円だ」
「ぎゃー! 早く言ってよ。もう三十回はかけっちゃったよ!」
それを聞いた冬里は粉チーズをかけまくって表面が白く染まったナポリタンを見て悲鳴をあげる。
「冗談だ」
「んがー!」
隣で暴れだした冬里を横目に注文した生姜焼き定食に小さく手を合わして夏希は食べはじめた。
夏希は注文の際に少なめと頼んでおいた。その注文通りボブが運んできた生姜焼き定食は全体的に少なめによそわれていた。何も言っていないのに春樹の茶碗は山盛りになっているあたり二人はよくここに通っているのだろう。
「あ、おいしい」
生姜焼きをひと口食べるとあまりの美味しさに夏希の口から自然と感想がこぼれた。
長年ひとり暮らしをしていた夏希は時々自炊をしていた。意外と料理をするのは好きだったりする。
もっとも後片付けが面倒なので大それたものではなくフライパンで焼く程度のものだが。
スーパーで安い豚肉を買ってきて焼いて、市販の生姜焼きのタレをかけて完成。簡単で安上がりなのでよく食べていた。たまにタレを変えて味に飽きが来ないようにしていた。それで充分美味しかったし満足していた。
しかし、いましがた食べた生姜焼きは今まで夏希が食べた中で一番美味しかった。昼食前に間食を取ってしまい食べきれるかと心配もあったが、これはお腹がいっぱいでもご飯がすすむ味付けだった。
「あ! そーいえばなっちゃんはボブさんと会うの初めてだったよね。おーい、ボブさんちょっと来てー!」
冬里は食べ終わると思い出したように言う。
食べるごとに麵を一口サイズにまとめて追いチーズをしていていた冬里は完食までに時間がかかっていた。
「どうした? デザートか」
「ちがうよー。デザートは牧場の方に行くから大丈夫! そうじゃなくて。私の妹のなっちゃんだ! で、こっちがボブさん。お母さんの舎弟!」
「夏希です。訳あって香月家でお世話になっています。よろしくお願いします。えっと、ボブさんでよかったですか?」
冬里によるボブの説明に少し理解にくるしんだ夏希が自己紹介を終えるとボブの名前を確かめるように呼ぶ。
「こちらこそよろしく頼む。おまえのことは姐さんから聞いてる。あと呼び方はそれでいい。俺のことは皆そう呼ぶ」
「ボブさんは外国の方なんですか?」
「いや違う。だがこの目の感じ的に、もしかしたら先祖には異国の人がいたのかもしれないな」
冬里にボブと呼ばれるこの大男は、背が高く色黒な肌をしているが外国人といった風ではなかったからだ。訛りなく流暢に話しているため同じ日本人にしか見えなかった。しかしどこか違和感がありボブに直接確認してしまった。
その夏希の問いかけに対してボブは自身の瞳が夏希によく見えるように屈んだ。目線が同じになってやっと合点がいった。ボブの瞳は碧眼だったのだ。
「ボブさんの眼ってキレイだよね! いいなー。私も青い眼が良かったなぁ」
「ほんとキレーだね」
「こうやって話題にはなるが、周りと違うのはいい事ばかりでもないぞ」
夏希と並んで冬里もその瞳をのぞき込む。
碧眼を羨む冬里の頭に手を置いてボブはそう呟いて調理場に戻って行った。
「よし! じゃあそろそろ次の場所にいこうか! ボブさんありがとねー!」
「ごちそうさまでした」
「おう。また来い」
コップの水を飲み干すと冬里は立ち上がりボブに挨拶して出ていく。夏希も挨拶して後を追った。
「おーい、ハルくーん! いくよー!」
「いま行くー!」
店の外に出ると何か忘れているのではないかと夏希は頭をひねる。
食べ終わるなりどこかに行ってしまった春樹を一足先に出ていた冬里が呼んでいた。
「冬里! 支払いは!?」
「たぶんお母さんがしてくれてるから大丈夫!」
『ファーマーズキッチン』から自転車を走らせること数分、先程紹介された夢咲乳業が経営する牧場がある場所まで来た。
牧場に続くまでの道路沿いからも囲いの中で放牧された乳牛たちが見えていた。
牧場の敷地内を進むと牛舎などの建物とともにログハウス風のお店が見えてくる。
自転車を降りた夏希に牧場の匂いと開いた牛舎からはくぐもった牛の鳴き声が届いた。
ここには少ないながらも観光客がいるようで、家族連れの子供が身を乗り出し木の柵越しに物珍しそうに牛を眺めている。お店ではアイスクリームが販売されているようで、アイスクリームを手にしている人も見受けられる。
「ここが夢咲牧場なのさ! アイス売ってる!」
「アイスなんだ」
牧場なので牛がいるとかではなくアイスが売っていると冬里は言う。その発言が実に彼女らしいと夏希は笑ってしまった。
「おーい財布。早くこい」
「だれが財布じゃー!」
すでにログハウス風のお店に身体半分入っている春樹が冬里に手招きして早く来るよう呼んでいた。
牧場の方を眺めて一向にやってこない妹たちにしびれを切らした春樹は冬里を財布と呼んだ。アイスクリームを買おうにも支払いは青葉から本日の軍資金を預かっている冬里しかできないからだ。
店内に入ってすぐの目立つ場所にはアイスクリームが並んだケースがあり。その隣にはチーズなどの加工品が売られていた。すべてここの夢咲牧場の生乳から出来上がったものとポップに説明書きが書かれていた。
アイスクリームのケース前でどれを食べようかと悩んでいた春樹の脇腹を遅れてやってきた財布呼ばわりされた冬里が小突く。それがいいところに入ったのか悶絶する春樹を無視して冬里は自分のアイスクリームを注文した。
「なっちゃんはどれにする?」
「んー。じゃあソフトクリームで」
「はいはーい! おねーさんソフトクリームもひとつお願いしまーす! はい。ハルくんお財布渡しとくから自分で買ってね」
出来上がったソフトクリームを店員から受け取ると、冬里の財布を手に苦しむ春樹を残し夏希たちは店内のイートインスペースに座り食べはじめる。
夏希はソフトクリームの先をぱくりと口に含むと冷たさと甘さを舌に感じる。テレビの食リポのように濃厚な味わいが後味がなどは夏希にはよく分からないがただ美味しかった。
夏希の隣では冬里がカップに入ったチョコとイチゴ味のアイスを幸せそうな顔を浮かべてスプーンで掬い口に運んでいた。
「おいしい?」
「おいしー! なっちゃんにもお裾分けしたげるね!」
「ん、ありがと。お返しにわたしのも食べる?」
「食べるー!」
冬里はイチゴ味のアイスクリームが乗ったスプーンを夏希に差し出してくる。
これが初めての出来事ならば夏希も戸惑ったことだろう。しかし少し前に同じくアイスを散々食べさし合いしていたので夏希は素直に口を開きそのアイスを口の中に受け入れる。
お返しにとソフトクリームを差し出すと冬里は大口を開けてかぶりついてくるではないか。手に持ったスプーンで食べるものと思っていた夏希は苦笑するしかなかった。
「冬里返す。どうだ! アイス三段乗せだぞ!」
借りていた財布を冬里に返すと、春樹は自分の買ったアイスクリームを自慢するように二人に見せつける。
「春樹くん。落とさないようにしっかり持ってね」
「いや、落とさねーし」
「そだよハルくん。ムリしないで落とす前にこのカップに一個入れときなって」
「な、なんだよ二人して」
冷房の効いた店内だったが、春樹は自分を置いて先に行ってしまった二人を探してうろうろしているうちに、手に持ったアイスクリームは少し溶けていて一番上に乗ったアイスが傾いてしまっていた。
夏希たちの冷めた態度になんとなく春樹も危ないと察したのか、冬里が差し出した食べ終わって空になったカップにめずらしく素直にアイスクリームを避難させた。
「わお! このみかん味初めて食べたけどおいしい。なっちゃんも食べてみ!」
「ホントだ。おいしい」
「おまえら…。なんでナチュラルに俺のアイス食べてんだよ」
「え、私たちにくれたんじゃなかったの? ごめーん」
「あ、ごめんね。つい。わたしのソフトクリーム食べる?」
「い、いらねーよ!」
「あー、ハルくん顔あかーい! 間接キスに照れてんな!」
「うっせ! 違うわ!」
みかん味のアイスクリームは冬里が食べ進める。それを咎める春樹など気にした風もなく冬里はすべて食べてしまった。
よく食べるなとその様子を見ながら、夏希は溶けたソフトクリームでしっとりとしてしまったコーンを食べきる。
きっと外で食べていたら食べきる前に溶けてしまったソフトクリームで手が悲惨なことになっていたことだろう。
夏希たちは食べ終わると店を出て牧場の中を見て回った。
牧場には牛だけではなく羊や豚に兎といった他の動物も飼育されており。その動物とのふれあいコーナーも用意され、手で触れたりくず野菜を食べさせたりもできた。
ふれあいコーナーで冬里は兎を抱いて牧場の人からもらったスティック型に切られた人参を与えていた。
その抱き抱えられ、もそもそと口を世話しなく動かす兎を羨ましそうに見ていた夏希に、野良なのか飼っているのか牧場内をうろうろしている猫を春樹が捕まえてきて夏希に渡した。
ひと慣れているのか猫は暴れることなく夏希の腕の中におとなしく納まる。
一時間ほど動物たちと戯れると夏希たちは夢咲牧場を後にした。香月家のある和良川はそれほど広くはない。主だった場所は次の目的地で終わりだ。




