ケンカするほど仲がいい兄妹
今日の夏希のために案内をしようと言い出したのは冬里である。その案について春樹も夏希にこの町を知ってもらいたかったし賛成した。
先日、夏希は両親を亡くしたことで天涯孤独となった。産まれてから春樹は親戚とは会ったことがなく居ないものだと思っていた。それが突然母親が親戚の子だと連れきた、自分たちと同い年とは思えない小さな少女と初めて顔を合わせることとなる。
しかし春樹と夏希との出会いは最悪だった。
親戚とはいえこれまで一度の交流もなく、知らない家で暮らすことになった夏希は同性の母親の青葉や冬里とは仲良さそうに話しているが、春樹と夏希が会話する機会は少なかった。
分からなくもない。正直言って夏希からしたら春樹たちは他人みたいなもの。血縁としては親戚なのかもしれないが、年頃のしかも異性と一緒に暮らすとなれば戸惑もすることだろう。
しかも偶然とはいえこの短い間に三度も夏希のあられもない姿を目撃してしまった。そのためか春樹は夏希に警戒されている気がするのだ。
そう春樹は考えているようだが実はそんなことはない。
警戒しているように見えるのは夏希が人見知りのせいで。話しかけてもらえば答えるが、親しくない相手には必要がなければ自分から話しかけるのは有り得ない。今までの経験から会話が続かず気まずい空気になるのが分かりきっているから。
青葉と冬里と話しているのはあちらから語りかけてくるから会話が成立している。しかし春樹は先の経緯から、夏希は人見知りからお互い話しかけるのを躊躇しているため会話がない。むしろ夏希としては心理的に異性である青葉と冬里よりも同性の春樹と話す方が楽だったりするのだが。
ともあれ、この機会に夏希との距離を縮めればと春樹は思って
友人と遊ぶ約束をキャンセルしてここにいる。
そんな考えはあったものの、この浜那美町の案内の発案からすべてが冬里もので、案内ルートは彼女の頭の中にしかない。
二人に追いついた春樹は自転車から降りて、行き先を告げずに先に出て行った冬里に詰め寄り愚痴を言った。
「ごめんごめーん! なっちゃんはハルくんに任せた! うわっ、サドル高っ!」
「あ、おい!」
はじめて経験した自転車の二人乗りが想像していた以上に体力を使うものだったと知った冬里は、このままずっと自転車に夏希を乗せて走るのは無理だと悟り春樹が乗ってきた自転車を奪って走り出した。
「おーい! 早く来ないと置いていっちゃうよー!」
相変わらずマイペースな冬里に、残された夏希と春樹は顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。
「春樹くんが後ろに乗る?」
「ばっか。俺が前で夏希が後ろに決まってるだろ」
「ありがと。疲れたら代わるからいつでも言ってね」
「サッカーで鍛えた俺の脚力を冬里と一緒にすんな。夏希をひとりやふたり乗せて走ったところで何も変わるもんか。一日中だって走ってやるよ」
「流石男の子。頼もしいね」
「言ってろ。いくぞ、捕まってろよ」
「でも、わたしたちの行き先がよく分かったね。やっぱり兄妹だから?」
「そんなわけないだろ。でっかい悲鳴を追ってきたんだよ。誰かさんの」
「……。だれだろうね」
ゆっくりと進みだした自転車の後ろで人知れず夏希は顔を赤くしていた。
「そんなに声大きかった?」
「ああ。家まではっきり届いてたぞ」
「おっそいよ。二人とも!」
先に進んでいた冬里のところまではすぐに追いついた。目的地は一ノ瀬酒造から数十秒のところだった。
そこには駐輪場があり春樹と冬里は自転車を停めに行った。駐輪場には多くの自転車が止められている割に閑散としていた。
先に降ろされた夏希は車道の向こう側に広がる収穫が終わったのか何もない畑と鮮やかな緑が等間隔に並ぶ畑をぼうっと眺め待っていた。
いまいる駐輪場は山の斜面にあるためこの時間はまだ日が遮られているが、向こう側の畑は燦々と日差しが降り注いでいた。
あと少しで暦は十月に差し掛かろうとしているが日差しのある所はまだ汗が浮かぶ。この残暑がいつまで続くのか、早く秋の季節に変わらないものかと夏希は嫌気がさしていた。
「おーい! なっちゃんコッチおいでー!」
夏希が振り返ると山へと続く道で冬里たちが呼んでいた。小走りで向かいながら、まさかこれから山登りが始まるのだろうかと考える。せめて前もって言っておいてほしかった。夏希は今日サンダルを選んだことに後悔した。
「これ。どれくらい登るの?」
「すぐそこだよ」
坂道の途中にも駐輪場と石碑が立っており、春樹の言った通り坂道の終点はすぐに見えてきた。
「ここが家から一番近い最寄り駅だよ!」
「和良川駅だ」
そこは駅員もいなければ改札もない、屋根付きの小さな待合があるだけのこぢんまりとした無人駅だった。
山の斜面に沿うように線路が続き、線路を挟んだすぐ先には深い緑が生い茂る。
「あっち方面に乗ったら中学校がある久那浜の駅に着くよ!」
「へー。ここって無人駅だよね。切符とかってどうするの?」
「乗ったときに整理券を取って降りるときに車掌に料金を払うんだよ」
「それか他の駅で定期券を買うかだね!」
「それってキセルとかできちゃいそうだね」
「キセル? なにそれ?」
春樹と冬里は同時に首を傾げたのでキセル乗車に付いて二人に夏希が説明すると。
「うっわ。悪いこと考えるな」
「なっちゃん。警察行こう。一緒について行ってあげるから」
「まって。わたしが実際にやった訳じゃないからね」
夏希はただ疑問を口にしただけなのに、割と本気で春樹たちに引かれてしまった。
まだまだ純粋な春樹と冬里には汚い大人のような思考はないようだった。余計な知識を教えてしまったと夏希は反省する。
「ここは場所だけ知っとけばいいよ。俺たちが使うことはほとんどないからな」
「そだね。この駅って高校生の人たちが通学に使ってるイメージだよね!」
「だな」
和良川駅から自転車で数分のところに浜那美高等学校があり、ほかの町からそこへの通う通学の足として、先程坂の下で見た駐輪場の自転車は浜那美高等学校に通う学生のものだと春樹が説明した。逆に和良川駅周辺に住む学生が他の町の高校に通うにはこの駅を利用する。
そのため学生が利用する駅というイメージが春樹と冬里にはあった。
普段から春樹たち中学生以下の子供たちの移動は自転車か徒歩で、離れた町に買い物に行く際は親が運転する車で移動するため和良川駅の印象は薄いモノであった。
「それとこのおっきい石なんだけどね。さっき行った一ノ瀬酒造のご先祖がこの駅を作ったんだって。すごいよね!」
「駅って個人で作れるものなんだ。いくらかかるんだろうね」
「わっかんない! こんど愛理ちゃんに会ったら聞いてみよ!」
「たぶん一ノ瀬も知らないんじゃないか」
滞在時間は一分ほど、これ以上話すこともないと早々に和良川駅から引き返す。
坂の途中にあった石碑は駅が設置された記念に建てられたようだ。
石碑には文字が刻まれているようだったが、大きく書かれた一ノ瀬という字は読めたものの他の文字は妙に達筆で刻まれており遠目では夏希に読み取ることはできなかった。
「いよーし。次は浜那美の方に移動だ!」
「おい冬里。俺の自転車返せよ」
「おーおー。なんだいハルくん? まさかこの距離でなっちゃんを乗せて走るのに疲れたのかい? それならしょうがない代わってやろうじゃないかね!」
「なっ、ちげーし! 座る位置が低すぎて自転車が漕ぎにくいって言いたいだけだ」
「だれがチビだとー!」
「言ってねーよ!」
また春樹と冬里の口喧嘩が始まってしまった。初日はやいやい言い争う二人に戸惑いおろおろしていた夏希もこう毎日目にしていたら慣れてしまった。
「ハルくんだってそんなに背高くないのに、サドル高すぎるんじゃない?」
「そんなことねーよ。まあ、背の低い冬里にはわからないだろうな」
「あー! はっきり言ったな! ハルくんなんて愛理ちゃんと身長変わらないくせに!」
「マジで!? あいつそんな背伸びてんのかよ!」
ここに来た時よりも高くのぼった太陽の光がじりじりと駐輪場まで飲み込もうとしていた。このまま陽の光にあぶられ二人の喧嘩が終わるのを待っていたらこんがりと焼けてしまいそうだと夏希はしょうがなく静止することにした。
「あのさ。サドルの位置調節したらいいんじゃないかな」
「たしかに! この見栄っ張りサドルを元の状態にもどしてやらー!」
「帰ったら元の位置に戻せよな」
「ハルくんもなー!」
夏希の言葉に春樹と冬里は少し考えたあとそれぞれ乗る自転車のサドルの位置を調整し始めた。二人の自転車は同じタイプなので座る位置さえ変えてしまえばいい。ちなにに夏希の買った自転車も同じものなので、近く香月家には同じタイプの自転車が三台になる。
実は夏希が取り付けたクッションを春樹の自転車に付け替えるが一番もめない解決方法だったのだけれど、もう一度取り付け直すのは夏希が面倒だったので二人を動かす方向に誘導した。
「おい冬里。次はどこ行くんだ?」
「ないしょー。着いてからのお楽しみだよー!」
春樹が前を走る冬里に向けて聞こえるように大きな声で問いかける。
湾沿いを通る道を自転車で進む。道幅は広くないので少々危険で、冬里が先頭で先導しその裏に春樹が一列になって走る。
車が来ていなくても並列走行しないのは青葉の教育がよく効いているのか。しかし二人乗りはOKのようだが。
「春樹くん大丈夫? 疲れてない?」
「全然っ。言ったろ一日中だって走ってやるよ。それに夏希に漕がして俺が後ろに乗ってたなんて母さんに知られたらシバかれる」
「あはは。なにそれ、さすがにシバかれはしないでしょ」
「いや、夏希はまだ母さんの恐ろしさを知らないんだ」
負けん気の強い春樹と冬里は昔からよくケンカをしていた。いまと違い取っ組み合いのケンカも茶飯事だった。小学生の中頃まではイーブンだった力関係はいつしか春樹に傾き、ケンカで春樹が負けることは無くなった。
些細なことをきっかけに起きたケンカで、いつも通り冬里を泣かすことで春樹が勝った。しかしその日までは口で注意するだけだった青葉がついに動いた。相変わらず口喧嘩は絶えないが、その日以来香月家で殴り合いのケンカは起きていない。
あの日、春樹は青葉にこっぴどく怒られた。
春樹はお兄ちゃんなんだから妹を守りなさい。そう青葉は言って怒り春樹は渋々頷き約束をした。
青葉の言う守るの意味が春樹にはいまだに理解できないでいる。守ってやるほど冬里は弱くない。口喧嘩だけになったいまはほぼ春樹が言い負かされていた。
それでもいつになく真剣な顔をした母親と交わした約束は覚えている。
最近になって春樹には妹がひとり増えた。
その夏希を見ていて春樹は青葉の言うことが少し解った気がした。
春樹たちの学年の誰よりも小さく、病的に白い肌は見ているだけで心配になる。だから解った。この目を離したら消えてしましそうな夏希という少女は守るべき対象なのだと。
きっと春樹が代わってと言えば、素直に春樹を裏に乗せて夏希は自転車を漕ぐのだろう。
それを見たら母親は怒るだろうか。そこに確かな理由があったとしても、おそらく青葉は春樹を叱るのだろう。
生意気な妹は放っておいても逞しく生きていくだろうが、新しくできた小さな妹は違う。
春樹の腰に回された腕は折れてしまいそうに細く、青葉に言われずとも守ってやらねばと思ってしまう。
「そっちの乗り心地はどうなんだ? 悲鳴が聞こえてこないけど」
「悲鳴が何のことかわからないけど、乗り心地はいいよ。揺れてないし」
その夏希を気遣って話しかけてみると面白い返事が聞けた。
二人分の重みで進みづらくなった自転車を進めるため、冬里は一生懸命ペダルを漕ぐため自転車が左右に揺れてしまい夏希は重心が定まらずにいた。
春樹の運転は力強く揺れも少ないため、冬里には申し訳ないが乗り心地で言えば春樹に軍配が上がる。
「ははっ! おい、冬里!」
「なーにー?」
春樹のうれしそうな呼びかけに冬里に振り向かずに答える。
「夏希がお前の運転下手だから俺の方がいいってさ!」
「なんだとー! ちょっとハルくん運転代わって! 私の方がいいってなっちゃんに教えてあげるから!」
「きゃあ!」
「おいバカ! 危ないだろ!」
前を行く冬里は急ブレーキをかけて春樹の自転車に並ぶと降りるように要求する。しかし春樹の自転車は止まらないので、冬里は実力行使に出て春樹をバシバシと叩いた。
「とばすぞ! しっかり捕まってろよ!」
「まって! いやぁあああ!」
「おいこら! またんかーい!」
冬里を振り切ろうと春樹はスピードをあげる。そうすると当然自転車のバランスは崩れるわけで、夏希は落ちないように春樹にしがみついた。
そのまま浜那美町内に入るまでこの競争は続いた。




