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過去の自分を思い出す

まだ子供であった自分は主人公でなんでも出来てなんにでもなれる、将来は無限大に広がっているものだと思っていた。


自分は小学生のころはクラスの中心であった。人を笑わせるのが好きで、授業中だろうとふざけてクラスメートを笑わせるお調子者だった記憶がある。


周りの子より身体の成長が早く体格もよかったので体育や遊びで大体一番だった。負けず嫌いで負けるのが悔しくて、それが嫌で全力で走った。自分が一番じゃないと気に入らなかった。

勉強はお世辞にも出来る方ではなかった。授業も注意散漫で集中できず手遊びや漫画アニメを思い返して時間を潰した。一方で興味のひかれる授業は真面目に受けたしその時に限り成績は良かった。


目立つのが好きで行事ごとは先頭を切って参加した。六年生になった。委員会や運動会など役職があるものには全部なった。先生にはよく頑張っているねと褒められた。

一方で悪いこともいっぱいやった。小学生がやるいたずら程度のことだけどいっぱい迷惑をかけていたと思う。


この頃はなにか考えていた訳でもなく本当に勢いだけで全てを乗り切っていた。


中学生にあがった。世界が広がった。地域の複数の小学校が一つの中学校に集まり中学校生活が始まった。


仲の良かった友達とは違うクラスになり、その子は小学校からの習い事で一緒だった子とつるむようになった。登校の時は一緒に登校したし仲が悪くなったわけじゃない。けれど時間が経つにすれ登校も別々、話すこともなくなり卒業するころには他人になっていた。

クラスで友達ができた。仲のいいグループが出来上がりみんな気のいい奴らだった。グループから離れる人も一方で他のグループからこちらに来ることもあった。小学生のころは一クラスで生徒数も少なかった。みんな仲が良く友達だと思っていたしみんなもそう思っていただろう。だから離れていく人の気持ちが理解できなかったし寂しかった。


入学直後はなりを潜めていたけれど友達が出来てクラスにも馴染んできたことで自分の中のお調子者が返ってきた。しかし小学校の時のようにはならなかった。それぞれのコミュニティで育ちそれぞれの感性が育まれる。何も考えず勢いの感情で生きてきた自分を中心として六年間共にしたコミュニティとは違うのだ。いま思い返せば当然の結果であった思う。


すべてが全く通用しなかったわけではなかった。たまには受けたし、スポーツ系も活躍出来ていた。

しかし昔と違い常に一番を獲れることは次第に減っていった。答えは簡単で周りよりも成長が速かっただけ。入学時一番二番だった身長も追いつき追い越されていった。

勉強はできなかったけど運動には自信があった。負けず嫌いは変わらずで運動だけは頑張っていた。負けることもあるのは理解できた。なら負けない分野を頑張ることにした。

二年生の時、陸上の大会があって出場選手の候補に選ばれた。部活終わりの放課後に出場する人たちが集まって一時間ほど練習をした。そこには特別感があってとても興奮したのを覚えている。


でも陸上大会に向け頑張ったといっても当時の自分が思っていただけで、こちらも思い返せば何も頑張ってなどいなかった。家でトレーニングなり努力することもなく、みんなで集まって練習した一時間だけだったのだから。

それでも三年生の時地区の大会で入賞した。その年は学校も地区の陸上大会総合上位の大健闘だった。県大会に出場が決まった。

大会に泊りがけで遠征し出場した。結果は残せなかったが、仲のいい友達も他種目で出場していたので楽しい時間だった。

負けたのは正直悔しかった。でもしょうがない。ここに居る上位の連中は自分とは違いこれに掛けているのだから負けるのは当然だ。ろくに努力もしなかった負けず嫌いの自分はそう自己肯定した。


その頃からの自分に言い訳することが多くなった。


三年生。仲の良かったグループからハブられた。

主導した奴は元々横暴な性格のやつだった。いつの間にか同じグループにいてそこそこ仲もよくなっていた気でいた。けれど二人きりになれば話すこともなかった。

正直自分も横暴な性格であったことは理解していた。二人はそもそも馬が合わなかったんだろう。クラス替えで仲のいいグループと離れ離れになりそれでグループを乗っ取られてハブられた。ただそれだけ。


物を隠されたりなんてこともあったけど、別に学年全員から標的にされたわけではなかった。あくまで仲の良かったグループが自分を標的にしているだけ。クラスの正義感ある子は隠されたものを探してくれたしクラスの中では普通に過ごせた。大半の友達はいなくなったけど全員がいなくなったわけではない。


けれどとても悔しかったし悲しかった惨めだった。

一端は自分にもある事は分かっていたが認められなかった。自分が悪いんじゃない、全部あいつが悪いんだ。そう考え自分を肯定した。


この頃から逃げることを覚えた。


高校生になった。受験した高校は周辺で一番の底辺校だった。正直もっといい学校にいける自信はあった。入試問題を自己採点したら文系はあまりな結果だったが理系はそれをカバーできるくらいに高得点だった。でも仲のいい友達がそこを選んだから自分もそこにした。

部活で仲良くなった他校の友達とも一緒でクラスも同じになった。もちろん仲のいい友達とも同じクラスだった。嬉しかった。これで自分はひとりじゃない。


この頃から先頭を走ることはやめ、人の後を追いかけるようになった。


再び友達も増えていき、遠方から通う友達の家まで遊びに行ったりしたし、みんなで旅行にも行った。一昔前までは考えられないくらい行動範囲が広がり見える世界も広がった。

高校生活は普通の平凡な学生生活だったと思う。平穏で楽しかった。

三年生になって考えないようにしていた将来のことを考えないといけなくなった。周りの子も戸惑っていたと思う。小中高と社会に出ても大半が役に立たない勉強だけ教えられ急に、さあ来年は働くか大学なり専門学校に行けと言われても困る。


その中でもきちんと将来を考えている人たちももちろんいた。

家が料理店のなので将来店を継ぐために調理学校に行く。魚が好きだから漁師になる。友達の中にもしっかりとした意思を持った人もいた。

羨ましかった。自分には何もなかった。呆然としたものなら思い浮かべることができたが、それが本当になりたい者なのかと自問すれば否と返ってくる。それでも全員が全員なりたい職業に就くわけではないことは知っていた。だからその呆然とした夢に向かってみようとも思った。でも自分では無理かと逃げ出した。


この頃にはもう努力することをやめていた。


就職の募集一覧を友達と眺めていた。その中から友達は就職先をいち早く決めていた。行動力のある人だった。そのチェーン店の就職が決まると、たまたま近くにあったそのチェーン店で卒業までバイトを始めた。昔のままの自分だったらこれぐらい行動力があっただろうか。今となっては分からない。


将来について分からない自分は選択を先延ばしにするため、推薦入学で大学に行くことに決めた。別に調べたわけじゃない手ごろな実家からも近い大学を選んだ。学校の推薦入学の説明会を受けたとき周りは全員ではないだろうが、大半は自分の行く大学や専門学校を調べて将来を計画していたんだと思う。自分は何も調べることはなかった。ゲームや友達と遊び逃避した。


推薦書などを用意した。アピール欄を書くのが苦痛だった。

もはや自分には何も残っていなかった。何も考えず勢いにまかせ、はたまた人を追いかけ真似して、都合の悪いことから逃げてきた自分にアピールするポイントなんて見当たらなかった。


ずっと考えないようにしてきただけで本当は分かっていた。なんてつまらない人間なんだ。そう自覚してしまった。

しかし困った。書けることがない。だから調べた。調べれば色々な例文が出てきた。その中からなんとなく当てはまりそうな取り止めのない内容を引用し書いた。覚えていないが記入した内容は実に薄っぺらいものだったきがする。


無事に大学に受かった。


大学の近くに家を借り一人暮らしを始めた。実家は余裕がありバイトもせずに学校と家を悠々と行き来する毎日。いま考えると本当に恵まれていたんだろう。

もともと将来から逃げるためにきた大学だ。周りに知り合いもいない。

薄々気付いていたが自分は人付き合いが苦手だ。


違う。期待されるのが嫌いだ。

だって自分はその期待を必ず裏切ってしまうから。努力をやめ出来ないと理由をつくり、それを言い訳し逃げることを覚えてしまった自分は失望されるだけなのだから。

人付き合いを避けるようになった。次第に大学にもいかなくなった。


両親から振り込まれるお金でご飯を食べた。無駄遣いをしたり遊び惚けたことはなかった。流石に親が稼いだお金で遊ぶ気にはなれなかった。それに遊ぶ相手なんていない。

もちろん休み続けていたのだから大学からの両親に通知が送られた。

両親を伴い大学の先生と話した。こんな自分のためにこの席を用意してくれた先生は優しい人だったと思う。


自分なりに頑張った。そう言い訳を残して中退した。


両親からは怒られた。当然だ。それ相応のことをしたのだ。大学に入学するにもその間暮らすにも多くのお金がかかるのだ。そんなもの以上に期待を裏切ったのだろうと思う。

そんな自分に両親はチャンスをくれる。

すぐに来年に向け自分の代わりに色々調べて専門学校などの資料を取り寄せてくれた。きっと両親も分かっているのだろう。大学ではなく専門学校。専門学校で専門知識を身につけたほうが自分に合っていると。そのまま専門学校で学んだ内容で就職先を探せばいい。あとは自分が努力できるかどうかだ。

決していい関係ではなかったが両親は自分のことをよく知っていた。いや遠ざけていたのは自分だけで、両親は変わらず愛してくれていた。


もう一度頑張ろうと思った。


しかし思っただけだった。特に努力もなく両親が進めてくれた専門学校に受験をして、散々な受験結果にもかかわらず定数の数集めで合格だった。

専門学校に三年間通い学び、友達も一人できた。

これといってイベントもなく三年生になり就職先を決めないといけなくなった。記念に大手を記念受験してみた。ペラペラな自己アピールを書いたら面接までいけた。もちろん落ちてしまった。


先生が複数の生徒に特定の企業を紹介していた。条件は良くはなかった。おもに休日面がネックだったようでほかの生徒は断っていた。給料面はそれなり。まあその分働いているのだから当然だ。そこに決めた。

先生がここまで誘っていたのだ。受ければ受かる。そう確信めいていた。


予想通り受かった。郵送された通知を見逃して面接日を変えてもらったにもかかわらずだ。面接というよりは会社説明で、怒られることもなく。すんなりと就職が決まった。

会社での関係は良好。上司同僚共にプライベートまで関係を迫るようなこともなく、のらりくらり日々を過ごした。


日々は過ぎ去り気づいたら三十歳を過ぎていた。


何もなかった。結婚どころか彼女もいない。連絡は取っていないがトークアプリに登録されているアイコンや名前から結婚していることが分かる人も多くなった。

結構仲良かったと思う連中からも連絡もなく、だからといって自分から連絡する勇気もなくアプリ画面を極力見ないように過ごした。


就職後も何をするでもなく仕事に行って帰って寝る。休日や空き時間はソーシャルゲームをするくらい。不満などなかった。ゲームで知り合った顔も知らない仲間と集まって遊ぶのが気が楽だった。

それも数年の間の話。サービス開始当初は盛り上がったが、徐々にプレイ人口を減らした。もともと多くの課金が必要なゲームだったこともあり徐々に人が離れていった。そのゲームで集まった仲間が好きだった。一緒にプレイするのが好きだった。離れ離れになるのが嫌だった。このゲームをやめてしまえばもう話すこともないだろう。


だから自分から辞めることにした。そうした方がダメージが少ないから。


昔と変わらず将来の目標もない。生きることに意味を見いだせない。共に朝から晩まで働いていた両親も定年退職をして実家で余生を送っている。相変わらず自分は両親を遠ざけていたが退職を聞きはじめてプレゼントを贈ってみた。ネットで退職祝いと調べて出てきたグラスを実家宛てに贈っただけだったけれど、とても喜んでくれた。

ずっと素直になれていないが両親には感謝している。学生の時はうっとおしいと感じていた。ありがたみに気付いたのはつい最近だ。ずっと元気でいて欲しいと思う。けれど永遠ではない。


やっと自分が傷付きたくないがために全てから逃げていたことに気づいた。

気づいた頃には自分には何も残っていなかった。


こうして諦めることを覚えた。


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