夏希の体験入部2
ゲームの終わりを告げるアラームが鳴りとともに夏希は体育館の床にへたれ込んだ。
「はぁはぁ。先輩、すいません。わたしのせいで」
「いいのいいの! ただのゲームなんだから楽しまなきゃだよ!」
「そうだよ香月さん! むしろあなたのおかげで久しぶりにバスケが出来て楽しかったよ。ありがとうね!」
突如、旗田の思いつきで始まったバスケットボール部のミニゲームは夏希のチームの負けで終わった。
夏希しかシュートを打てないという無茶苦茶なルールのため一年生チームが圧倒的に有利かと思われたが、新旧エースコンビの川口茅那と青木穂乃花のおかげで点数的には十五対十四と接戦となった。
試合中ほとんどの時間ボールを夏希のチームが保持していたためシュート数でいえばダントツで多かった。しかし夏希が何度もゴールを外したため一年生チームの勝利となった。
「おっしゃー! 勝ったどー!」
「勝った? あれ、キャプテンたちに勝ったてことは次のキャプテンは私たちのだれか? 下剋上?」
「辛勝だったけどね。あと弥生、それは違うと思うよ」
勝利した一年生チームは冬里がはしゃぎ回っているが他二人は疲れた様子だった。
一年生チームはゲーム中相手チームの川口と青木の先輩たちの活躍で、ボールを追い走り回っただけでほとんどボールを触ることができていなかった。
「ほらほら、いつまで座ってるんだ。さっさとコートから出ろ。次のチーム入れー。はいスタート」
女子バスケットボール部顧問の旗田が夏希たちをコートから追い出すと、またしても出場する生徒の名前を呼ぶと生徒たちがビブスすら着用する前の準備が出来ていない状態でボールをコートに投げ込みスタートを宣言する。
その暴挙に生徒たちからブーイングが上がるが旗田はどこ吹く風の様子だった。
「大活躍だったな夏希。どうだったバスケ部は?」
「大活躍? 久しぶりにスポーツしたのですごく楽しかったです。でも体力、というか筋力が足りてなくて先輩たちの足を引っ張てしまいました」
「まあ、夏希の場合は仕方ないさ。病み上がりなんだからな」
シュートが夏希しかてきないルール上、常にボールがまわってきた。練習では散々な結果だったが試合で夏希は七本のゴールを決めた。もっとも外したシュートはその何倍も多かったが。
ゲームの後半ではシュートを打とうにも疲労で夏希の細腕は上がらなくなっていた。
体力的にダメだったという評価をしたことに旗田は病み上がりだから仕方がないと言った。それを言われるまで病み上がりだという設定を夏希は忘れていた。
試合中に夏希は普通に走っていたがもっと病弱アピールした方がいいのだろうか。確か完治した設定だっただろうか。いまだに自分の背景設定を把握し出来ていないので身の振り方に悩まされる。
「しばし休んでいろ。これが終わったらもう一試合」
「ありませんよ。バスケットボール部の体験入部の時間は終わりです」
もう一試合あるからと旗田が言おうとしたところにバレーボール部顧問の工藤京菜が遮った。
「なんだ工藤先生?」
「なんだじゃありません。もう約束の時間を過ぎているんですよ」
「少しぐらいいいだろ。やっと体が温まってきてこれから楽しくなるって時に水を差して。なあ、夏希」
「勝手なことを言わないでください。旗田先生が強引に引き留めてるから香月さんが困ってしまっているじゃないですか。ほら、香月さん。旗田先生の言うことなんて気にしないでバレーボール部にいきましょう」
「あ、はい。体験入部させていただきありがとうございました」
これ以上話すことはないとばかりに工藤がパシャリと話を終わらせる。それにこれ以上粘っても無駄と悟った旗田は頭を下げる夏希にひらひらと手を振り、試合をしている生徒に指示を飛ばした。
バレーボール部の練習に合流するため反対側のコートまで歩いている途中で体育館の壁にある時計を夏希が見上げると工藤の言う通り、すでに当初の取り決めていた時刻を過ぎていた。
バスケットボール部の体験入部の終了の時間が過ぎた頃、まだ続いている練習に多少はと思い工藤は目をつぶっていた。それなのに予定時間を過ぎてから旗田が部内で練習試合を始めたのを見て工藤は目を見張った。
始まった試合でシュートを決めて嬉しそうにしている夏希を見ると止めに入るに入らなく、結局試合が終わるまで工藤は声を掛けられなかった。
「さてではバレーボール部の体験入部を始めましょうか」
「はい、工藤先生。よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす!」
工藤が体験入部を開始すると言うと二人分の返事が帰ってきてきた。
「どうしてお姉さんの方もいるかしら」
「担任の先生と顧問の先生には許可貰ってます!」
「ああ、そう…。もういいわ。時間もないし始めましょうか」
先ほどのバスケットボール部の練習で冬里がいたことに工藤は何ら疑問はなかった。いつもバレーボール部の隣で部活をしているのだ。冬里がバスケットボール部の部員であることを工藤は知っているのだから。しかし、いざ夏希のためのバレーボール部の体験入部を始めると香月姉妹が目の前に立っているではないか。
どうしてこうもあの教師たちは、こうもいい加減なのだろうか。夏希の体験入部の件は事前に聞いていた。少々特殊な事情の転校生のため体験入部の提案があの桃山から職員会議で上がったとき工藤は感心したものだ。
それなのに桃山はなにを考えて姉妹共々体験入部の許可を出したのか工藤は不思議でならなかった。
愚痴をこぼしそうになったが目の前の生徒に言ったところで意味はないし、当初の予定時間を過ぎたせいで下校時間まで残された時間が少なかったため工藤は考えるのを辞めることにした。
「ではパスの練習をしましょうか。一人ずつ教えるには時間ぎ足りないから。そうね、佐々木さん! 申し訳ないのですが手伝ってもらえるかしら?」
バレーボール部の顧問である工藤はバレー経験者で、学生時代はそれなりのバレーボール強豪校に在学していたこともあり自ら部活を熱心に指導していた。
そのため夏希にバレーボールの面白さを知ってもらおうとマンツーマンで指導しようと考えていたのだが、教える相手が一人増えてしまっていた。本当ならば一人ずつ丁寧に教えて行きたいが、どこかの誰かのせいで時間は押していたため手伝いを呼ぶことにした。
「あなた達と同じ一年生の佐々木さんです。ごめんなさい、佐々木さん。二人の練習を手伝ってください」
「二組の佐々木奈緒子よ。よろしくね香月さん」
「練習のお邪魔してすいません。よろしくお願いします。佐々木さん」
工藤に呼ばれてやって来たのは眼鏡をかけた女子生徒だった。
自ら佐々木が二組と名乗ってくれて夏希は助かった。
まだぼんやりともクラスメイトたちの顔を覚えられていないものだから、佐々木と話す時にクラスメイトとして会話するかしないかで迷うところだった。
「まずはオーバーハンドパスの練習をしましょう。まず私と佐々木さんでお手本を見せます。親指と人差し指で三角を作り、そのまま手を掲げて向かってきたボールを相手に返えす」
夏希と冬里に見えるように工藤はパスの構えを見せると、少し離れたところから佐々木が打ち上げたボールを打ち返した。そのまま二人は同じ位置を維持したままパスを続けた。
「はい。ではいまのを二人一組でしてみましょう。香月さん。あー、夏希さんは先生としましょうか」
「わかりました」
「じゃー、私は佐々木さんとだね! よろしくね!」
「ええ。よろしく」
初心者同士ではあらぬ方向にボールが飛んでいってしまい練習にならないため、それぞれに経験者を付けようと工藤は考え佐々木を呼んだ。
工藤が考えていた通り冬里は空振りしたり佐々木が取れないパスを連発していた。
「夏希さん上手ね。もしかして経験者だったりしますか?」
「え? ああ、えっと。何となくやってるだけなんですが上手くいってるみたいで良かったです。ビギナーズラックって奴でしょうか。あはは」
主に冬里のせいでボールを追って走り回っている冬里と佐々木ペアと違い、夏希のパスがややズレて工藤がパスを拾いに動くことはあるが安定した練習ができていた。
中学生、高校と体育の授業でバレーボールもバスケットボールもやったこともあった。この二つの種目なら夏希はどちらかというとバレーボールが得意な方だった。
バスケットボールの授業はバスケ部の連中が活躍するのが当たり前だ。まともに相手をしたところでボールは奪えないし、ボールはとられるしでバスケ部員に敵うはずがなく活躍出来ないのでやる気がなかった。あと授業でイキるバスケ部員が嫌いだったこともある。
かつて夏希が在籍した中学、高校もどちらもバレーボール部はなかった。
スポーツ万能とまでは言わないがそれなりに運動には自信があった夏希は、とびぬけて実力があるような生徒は居ないスポーツの授業ならそれなりに活躍して楽しめたのも大きい。
仲間内でも昼休みにバレーボールをして遊んでいたこともあるため、パスくらいであれば夏希はそれなりに自信があった。
だがそれを工藤に言えるはずもなく夏希はたまたまだと言って笑って誤魔化した。
「よし。オーバーハンドパスの練習はこのくらいにして、次はアンダーハンドパスの練習をしましょう。佐々木さんボールを出してください」
腕の構えかたや膝を軽く曲げ重心を低く姿勢を取るなど説明を交え実演して見せた。
「お姉さんと違って香月さんはバレー上手ね」
「そうですか。たまたまだと思うんですが、ありがとうございます」
先ほどのペアとは交代し夏希は佐々木と組むことになった。
というよりかは冬里がなかなかの無茶をするために工藤が佐々木と変わってあげたというのが正しい。いまも、とりゃー! と雄たけびを上げてパスの練習と言っているのに体育館の天井までボールを打ち上げる冬里を視界の端で夏希は捉えていた。
「佐々木さんもバレーボール上手なんですね」
最初は佐々木からアドバイスをいくつか言ってきてくれて、そのアドバイスのおかげか安定してパスを続けていた。佐々木も夏希と同じくおしゃべりな方ではないため無言でパス練習が続き、耐えきれなくなった夏希が無難な話題を振る。
「それほどでもないわ。私なんてまだまだよ」
「でも先生がわたし達の相手を任せるくらいには実力を信頼されてるのでは?」
「一応昔からお母さんに付いてママさんバレーに行って少し参加させてもらってたから、一年生の中ではまだ私がマシだっただけよ」
ママさんバレー。また懐かしいワードを聞いたなと夏希は懐かしくなった。
小学生のころ夏希の母親もやっていた時期があり、佐々木と同じくついて行ったこともあった。基本的に学校の体育館で夜にやっていたため、夜の学校に行って遊ぶのが楽しくて付いて行っていた。
同じように子供を連れてくる親は多く男女も学年もバラバラだったが、小学生の頃はそんなの関係なく遊んでいた記憶がある。
高学年になるにつれ行く機会も減ったし、今夜ママさんバレーで集まって遊ぼうと友達と約束したのに友達が来なかったのをきっかけに以降行かなくなったっけ。
「大丈夫? 顔色がよくない気がするけど、少し休む?」
佐々木はボールを拾って戻って来ると夏希の顔を覗き込んでそう言った。
「ううん。大丈夫」
「そう? 無理はしないでね」
嫌な記憶を掘り返してしまって夏希は少し気分が落ち込んだ。それが顔に表れていたようで心配されてしまった。
昔のことだ。さっさと忘れてパス練習に集中しようと夏希はボールを打ち返すが手元が狂い佐々木を大きく超えるボールを返えしてしまった。
その約束の次の日学校で友達が謝ってくれた。習い事があったことを忘れていたそうだ。まだ小学生の頃なのでメールやらで気軽に連絡が取れるような時期でもないし、友達も悪気があったわけじゃないと分かっている。そう理解している筈なのに夏希は裏切られた気持ちになってしまった。
「それでは残りの時間で、いま教えたパスを使って四人でボールを落とさず連続五十回パス回しをしてみましょう」
かつての夏希は自分は簡単に人を裏切るくせに、人に少し裏切られただけで簡単に傷付いていた。いつも強がって自分を強く見せようとしていた。
「香月さん。どうでしたかバレーボール部は? 二十六」
「試合したかったですっ! 二十七ぁ!」
「わたし達の実力じゃまだ試合はむずかしいんじゃないかな。っと。二十八」
工藤に感想を求められ返事をしようと夏希が口を開くより冬里が試合をしたかったと言った。同時に冬里は飛んできたボールを夏希にパスをするが、ボールはパスの輪から大きく逸れたところに飛んでいってしまったがギリギリのところで夏希は拾い次に繋ぐことができた。
「ナイス香月さん! 二十九!」
「なっちゃん、ごめーん! 三十!」
夏希が繋いだボールを佐々木が拾い工藤にパスを回す。ボールを拾うため輪から外れた夏希が元の位置に戻るまで残りの三人でパスを回していた。
夏希がパスをもらうためには元の場所に戻らなければいけない。
あの輪の中に戻りたい。みんなと一緒に頑張りたい。そう思っているのにいつも夏希の足は自分からは動かない。いつも誰かが誘ってくれたいいなと指をくわえて待っている。
傷付きたくないから。
輪の外から見ていればラクだった。夏希は何もしなくていい。五十回のパスの目標に怯えなくてもいいから。起きてもいない自分のミスに怯えなくていいから。
そうやって自分の可能性を潰して来た結果が、なにも目標もなく、やりたくもない仕事をして無気力に生きていた夏希だ。
何度も変えようと思った。変えよう考えた。変わることに怯えて、その変わる過程が怖くて引き返してしまった。いつもと同じように逃げたんだ。
そんな夏希を諭してくれる人はいなかった。いるはずもない。だって夏希の周りにいた人はみな自分から遠ざけてしまったのだから。
「香月さん? もしかしてどこか怪我でもしましたか? 三十九!」
一向に戻ってもない夏希を心配した工藤がボールを拾ったときにどこかケガしたのではないかと心配になり声をかける。
その言葉に返事するよりも早く、またしても冬里が反応した。
「え、ホントに! なっちゃん大丈夫!?」
「ちょっと香月さん! 四十一」
冬里は向かってきたボールを雑にはじき返すと夏希の元に走り寄ろうと足を踏みだした。
「来ないで!」
「え? なっちゃん?」
「大丈夫だよ。怪我をしたわけじゃないから。自分の足で戻るから」
駆け寄ろうとした冬里に精一杯の笑顔を浮かべて遮る。
佐々木と話をしてちょっと嫌な昔話を思い出しただけで、負の感情が止まらないナイーブな弱い心の自分が嫌いだ。
自分を変えたい。変えなきゃいけない。誰かに手を差し伸べられるのではなく、自分から変わらなきゃいけないんだ。だってわたしは自分を変えるために人生をやり直している途中だから。
逃げるのは挑戦してからでも遅くない。
たかが五十回のパス回し如きにわたしは何をビビっているんだ。
「戻って冬里! 最後はわたしたちでフィニッシュだよ!」
「おお? おーけー! 了解だよ!」
パス回しの輪に駆け出したわたしを見て冬里は一足先に戻って行った。
「センセー! パスちょーだい! ヘイヘイ、パース!」
「わかりました。いきますよ! 四十八」
「なっちゃんいくよ!」
「うん! うん?」
「四十九ッ!」
夏希はラストに間に合わせようと走った。その夏希に向けて冬里は工藤のオーバーハンドパスからもらった緩やかに飛んできたボールに右手を振りぬいた。
「ちょっ! ごじゅぅッ!」
冬里の至近距離からの強烈なパスを。いや、むしろスパイクを夏希は顔面で受け止めた。
「ご、五十一? 大丈夫香月さん?」
「わわっ、ごめん! えっとナイス顔面レシーブだよ? なっちゃん!」
つーんと響くように痛む鼻を夏希は押さえ、元凶の冬里を恨めしそうに非難めいた目線を送る。
ただ目標の五十回のパス回しの挑戦は一応成功したのだった。




