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夏希の体験入部1

「週末も気温が高くなるそうなので、みんなも気を付けて下さいね」


一年一組の担任の桃山由香が帰りのホームルームで挨拶を終えると、生徒たちは立ち上がり各々の部活動へ向かっていく。

転校してきて間もない夏希はまだ部活に所属していないため、帰宅しようとカバンを手に取ったところで桃山が話しかけてきた。


「香月さん。ちょっといいかしら」

「はい」

「はーい!」


桃山が呼び止めたのは夏希の方だったのだが、このクラスには香月が三人もいる。夏希が転校する前までは春樹が香月君で冬里が香月さんとすみわけが出来ていた。それが夏希が転校してきたことにより香月さんがふたりになってしまった。

今週の授業でも何度もどの香月を呼んでいるか問題が起きていた。呼び捨てで呼ぶ教師の場合は三人の返事が返ってくるので大変だった。


「ああ、ごめんなさい。呼んだのは夏希さんよ」

「よかったー。私、何かしたのかと思ってドキッとしちゃったよ!」


呼ばれた夏希は桃山の立つ教壇へ歩いて行く。


「なんでしょうか?」

「せんせー! なんの話ですかー?」

「えっと。さっき言ったけど冬里さんのことを呼んだわけじゃないのよ」

「まあまあ。細かいことは気にせずにー」

「聞かれて困るようなことでもないからいいわ。部活の体験入部の件だけど職員会議で話しておいたから今日から好きな部活に行っても大丈夫よ」


夏希の希望を聞いた桃山は職員会議でそのことを議題に挙げ各部活動の担当の教師から了承を得ていた。


「先生。無理を言ってすいません。ありがとうございます」

「いいのよこれくらい。さあ、いってらっしゃい。運動部の体験入部に行くときは体操着に着替えてから行くのよ」

「え? 体験入部ですか?」

「ええ。体験入部よ」


夏希は聞き間違えかと聞き返すと桃山はたしかに体験入部と言った。

桃山と話したとき夏希は部活見学がしたいと言ったはずなのだが、それがいつの間にか体験入部になっているではないか。夏希はただ部活の雰囲気をみて決めたかっただけなのだ。規律重視の厳しい部活じゃなくて、ゆるい部活に入りたいが故の提案だった。

しかも各部活の教師に話が回っているという。これではすべての部活に体験入部しに行かなければ角が立つのではないか。人間関係を苦手とする夏希はいつも悪い方に深読みしてしまう。

体験入部などしたくないので体調不良を理由に帰ろうかさえ思った。事実、桃山の話を聞いてから夏希のお腹は痛みを訴えていた。


「なにそれ面白そうー! ねえ、先生。私もなっちゃんに付いてっていいですか!」

「そんなのダメに」

「先生! 部活のやっている場所がわからないので、冬里に案内してもらいますね! いこう冬里!」

「ほいきた! れっつらごー!」

「ごー!」


当初の予定では離れたところから隠れてひっそりと部活を見学しようと計画していた夏希には思わぬ事態となっていた。

初見のお店に一人で入るのですら夏希は一世一代の勇気が必要になる。つまり二人。知り合いと一緒ならば幾分か気分はマシになる。

普通に考えて冬里が夏希の体験入部に同行できるはずがない。これが他人事であれば何を馬鹿な事をと呆れたことだろう。

しかし夏希からしたら渡りに船。冬里の理解不能な発言に光明が差す思いだった。

桃山が否定する前に夏希が言葉を遮るように重ねて、言い終わる頃には冬里の手を引いて教室から出ていた。


「え? えぇ!? ちょっと二人とも待ちなさい! そんなのダメに決まってるでしょ! 待って。やめて。止まってくらないと、また職員会議で私が怒られちゃうからぁ!」


桃山の悲痛の叫びは廊下を駆ける少女たちの耳に届くことはなかった。

校舎の二階にある女子更衣室に夏希と冬里はやって来た。遅れてきた更衣室の中ではちらほらまだ着替えている生徒はみられた。

ここの女子更衣室にはロッカーのようなものはなく、壁際の三面にいくつものボックスが設けられている。冬里の説明では好きなところを使っていいそだ。

ボックスを見る限り大半の生徒たちはもう着替えて部活に向かっているようだった。


「ね、なっちゃん! どの部活からいこっか?」


冬里がシャツのボタンを外しながら夏希に話しかける。

その姿を極力視界に入れぬように努めながら夏希を体操服に着替える。


「うーん。とくに考えてなかったけど、まずはバスケ部に行こうかな。冬里が休むっての伝わってないでしょ?」

「そうだった! じゃあまずはバスケ部に体験入部だね。そのまま入部してもいいんだぜ!」

「頑張ってわたしをその気にさせてみて」

「言ったなー! その言葉覚えてろよー!」


夏希も脱いだシャツを畳み体操着に着替える。スカートを履いたままハーフパンツを履くとスカートを脱ぐ。こちらの畳み方は分からないため適当に折りたたんだ。

夏希が体操着に着替える頃には先に着替え終えていた冬里がいまかいまかと待ち構えた。


「そんじゃ第一回体験入部いってみよー!」

「おー?」


冬里が夏希の背を押して女子更衣室を出ると、そのまま廊下を小走りで進む。

幸いにも冬里という同行者がいることによって夏希は精神的にいくらか余裕ができたものの、これから向かう先で他クラスまたは他学年の知らない生徒と接することを考えるとまたお腹が痛くなってきた。


「よく来たな。桃山先生から話は聞いているぞ」


体育館の入り口で待ち構えるように教師に夏希たちは捕まった。


「あ、えっと。よろしくお願いします」

「体験入部者二名。ただいま到着しましたー!」

「お前はもうバスケ部だろうが」

「いたっ! ほんとだもん。桃山先生には許可貰ってるんですぅ!」


冬里がふざけて自分も体験入部に来たと言ったものと思い、軽く小突いたのは女子バスケットボール部の顧問の旗田恵美だ。

顧問の旗田にホームルーム後の教室で担任の桃山に夏希の案内役を任されたと冬里は説明した。

冬里の中ではあのやり取りで任されたになるらしく、夏希には不思議でしかなかった。


「よく分からんが、わかった。妹の体験入部に付いて行ってバスケ部以外に入部するのを妨害するってことだな。よし、私も冬里が同行することを許可しようじゃないか!」

「うん? はい。そうでーす!」


冬里の説明を分からないと言いつつ旗田はなかなか豪快な方向で解釈し、冬里もまた夏希の体験入部について行ってもいいと許可が出たことだけは理解したので元気よく返事をした。

双方ともに疎通がうまく取れていないが、偶然にもお互い利害が一致していた。


「ようこそバスケ部へ。バスケ部はお前の入部を歓迎するぞ!」

「え、なっちゃんバスケ部入るの? やったー!」

「いえまだ体験入部に来ただけです」


どうも旗田は是非とも夏希にバスケ部に入部してほしいようだ。というよりも彼女の中ではすでに入部が決定しているもののようにすら聞こえた。

歓迎ムードのふたりに両サイドから肩組みされ、まだ入部を決めたわけではないと言い出せない夏希は苦笑いを浮かべる。


「ちょっと待ってください!」


そこに遮るように体育館の反対の面から声がした。


「なんだ工藤か。どうしたなにか用か?」

「なんだじゃありません。旗田先生が入部を強要してるようで生徒が困っていたので止めに来たんですよ。ねえ、香月さん」

「はい」

「はい?」


赤いジャージに眼鏡をかけたバレーボール部の顧問の工藤京菜の問いかけに香月さんふたりが反応した。話の流れ的に明らかに夏希に対してだっただろうに、なぜ冬里も反応したのか謎だ。


「ああ、えっと妹さんの方ですよ」

「あ、なっちゃんの方だったんですね! ごめんなさい!」


そして何故みんな妹の方を夏希と考えるのだろうか。先ほど旗田もナチュラルに妹と呼んでいたし、誕生日的に考えて夏希の方がお姉さんと知っているはずの冬里もさも姉のように振舞うし。やはり身長なのだろうか。人間、目に見た情報が優先されるのだろう。

自分の方が誕生日が先と訂正するのも面倒なので夏希は口を開かなかった。


「お前こそ何言っているんだ工藤。私は強制などしていない、進んでバスケ部に入部しようとしているじゃないか。現に一番にうちの部に来たのが証拠だ。なあ、夏希?」

「あの。色んな部活を体験してから決めようかな。って思っています。はい」

「ほら。夏希さんもこう言ってるではありませんか!」

「なに、そうだったのか!? こうしちゃいられん。さっそく練習を始めるぞ!」

「ちょ、ちょっと旗田先生! まだ夏希さんはバスケットボール部に体験入部に来たとは言っていませんよ!」

「何を言ってる。バスケ部に来たんだろう?」

「いえ! バレーボール部に体験入部に来たんですよね?」

「ええっと。あの」


にじり寄る二人の教師の迫力に思わず夏希は後退る。


「どちらの部活もすごく気になるので半分づつがいいかなあ。なんて」


バスケ部とバレー部をどちらを選ぶのかとの両部活の顧問の問いかけに対して、夏希は下校までの時間を半々で両方の部活に行く事を提案した。


「じゃあ香月さん。まずはドリブルの練習してみようか。私の真似をしてみて」

「わかりました」


夏希の提案は採用されまずバスケ部に来ていた。

バスケ部の練習するコートの隅で夏希は三年生の先輩の川口茅那に基礎から教わっていた。女子バスケ部は大会に勝ち残っていないので、すでに三年生は引退しているはずなのだが今日の夏希の体験入部のためだけに川口は旗田に呼び出された。引退した川口を呼ぶ当たり旗田の本気度が伺えた。


まだどの部活に入るか夏希は決めていない。この特別メニューで他のバスケ部員に入部を期待させている様で嫌だった。

それなら他のバスケ部員と同じ練習メニューに参加する方がマシだが、しかしそれだと足を引っ張ってしまい邪魔をしてしまいそうで、それはそれで嫌だなと難儀な感情が夏希に渦巻いていた。

もやもやした気持ちのまま練習は進み、立ったままのドリブルからゆっくり歩きながら、続いて走りながらと段階を踏んで練習が進んだ。


「次は手元を見ないでその場でドリブルやってみて。そうそう上手いよ」


夏希は言われた通り立ち止まり手元を見ないでドリブルをする。一度目の学生生活ではバスケットボールはあまり得意ではなかったが、思いのほかうまくドリブルができたので実は才能があったのではと夏希は思った。


「じゃあそれを歩きながらやってみようか」

「はい。うわっと」


そう思ったのも束の間で歩きながらのドリブルになった途端に二歩目でボールを蹴飛ばしてがあらぬ方来に飛んで行ってしまった。


「手元みえてないと難しいよね。私も最初の頃はドリブル苦手だったんだ」

「動かなかったらまだ出来ないこともないんですけど。先輩、なにかコツとかありますか?」

「んー。慣れ?」


ドリブルしようとした手が空ぶったり、ボールを蹴ってしまったりと何度やっても上手くいかないので夏希はアドバイスを川口先輩へ求めたが返ってきたのは慣れろだった。


「まあそのうち時間が解決してくれるよ。慣れだよ。慣れ。よし、次はシュートの練習行ってみよ」


練習していた女子バスケ部員が休憩でコートを出て行った隙にシュート練習となった。


「シュートフォームは手首のスナップを意識して、こう! 真似してみて。そーそうそう。本番行ってみよう」

「は、はい」


やや練習のペースが早い気がしなくもないが、指示通りゴールに向かってフリースローラインからシュートを放つ。夏希の手を離れたボールは弧を描きゴールに触れることなく体育館の床に吸い込まれていった。


「ほいもう一回」

「はい。うりゃ!」


先ほどのシュート感覚で男だったときであれば入ることはなくともゴールまで届いていたはずだった。少女の身体になって筋力も落ちたのは予想していたがここまで違うとは想像できていなかった。

今度こそはと力を調整して、むしろ全力で夏希はシュートを放つ。


「うん、大丈夫大丈夫。最初はみんな出来ないから。理想はワンハンドなんだけど、香月さんにはまだ難しそうだからツーハンドにしようか。両手で持って、こう打つんだよ。頑張って!」

「はい! 今度こそ!」


両手で持って放ったシュートは遂にゴールまで届くもリングにはじかれてしまう。


「とうっ! で、これがリバウンド。味方が外したボールを取ったり、逆に敵が外したボールを奪うの」


夏希とは違い背の高い川口ははじかれたボールをジャンプして掴み取ると、宙に浮いたままシュートを放ち見事ゴールを決めた。


「おー。すごい」

「よーし香月さん。どんどん行くよ。時間がないからね」


そのままほかの女子バスケ部員の休憩が終わるまでの間、ドリブルしながらのシュート練習からリバウンドの練習を夏希たちは行った。

結局この練習の間に夏希のシュートがゴールネットを揺らすことはなかった。


「やっほ。夏希ちゃん!」

「あ、栞さん」


休憩が終わりバスケ部員たちがコートに戻って来た。

皆が夏希のことを物珍しそうに遠巻きに見るなか、クラスメイトの花村栞が声をかけてきた。


「いまのシュート惜しかったね」

「ありがと。難しいねバスケって。全然ゴール入んないよ」

「そだねー。毎日練習してる私だってシュート入らないことの方が多いから気にしない、気にしない」

「いや! 私には分かるよ。なっちゃんにはバスケの才能に溢れている! 私たちと一緒に全国を目指そうぜ!」

「一回もゴール決めれない事が才能って言うなら、そうなんだろうね」

「ちょっと先生っ!? 先生が言えって言うから言ったら、なっちゃん落ち込んじゃったじゃないですかー!」

「あーん? 私そんなこと言ったっけか?」

「このー裏切ったなー!」


冬里の目は節穴なのだろうか。先程の練習をみて夏希にバスケットボールの才能があるなどとどの口が言うのだろう。一度もシュートを成功させてない夏希からしたら煽られているとしか思えなかった。

もっとも冬里は目に見えて落ち込んでいる夏希を元気づけるためにはこう言えと新規バスケ部員獲得に意欲的な旗田に唆されたのだった。

夏希はちょっとバスケットボールと冬里のことが嫌いになった。


「よーし、ミニゲームするぞ。半面の三対三の試合だ。まず冬里、栞、弥生。コートに入れ」

「よしきたー! なっちゃんに良いとこ見せるぞ!」


割と本気で良かれと思って冬里に吹き込んだ言葉が不発に終わり、夏希のバスケットボールへの関心が薄れたのを感じ取った旗田は急遽試合をすることにした。

その試合に指名された冬里は言葉の通り夏希にいい姿をを見ようとばかりに張り切る。


「もう一チームは茅那、穂乃花、夏希」

「よろしくね。がんばろう香月さん」

「はい。よろしくお願いします。青木先輩」

「ええ! 無理じゃん」

「先生ぇ! それじゃ試合にならないですよ」


次に呼ばれたチームは夏希とバスケの指導をしてくれた川口と二年生で女子バスケ部の部長の青木穂乃果だった。

旗田に呼ばれ夏希は足を引っ張り邪魔してしまうのではと顔を強張らせた。その夏希に川口はビブスを手渡すと優しい笑い勇気付けた。

どうにか夏希をよいしょしようと考えた旗田は、何事も勝った方が嬉しいはずと女子バスケ新旧エースを当てがうことで勝たせようした。

しかし先に呼んだ冬里たち一年生チームから猛烈な批判があがる。


「ちなみに茅那と穂乃花はシュート禁止だから」

「ええっ!」


流石に一年生のみのチーム相手に川口と青木ペアはやりすぎたと感じた旗田はルールを付け足し、今度は川口と青木が驚く番だった。


「はいはーい。それじゃ準備いいな。スタート」


準備も何も誰もコートに入ってすらいないのに、旗田がボールをコートに投げ込みスタート宣言をする。その行為にみな啞然とする中、川口がいち早く反応しボールを拾いに走る。


「いくよ香月さん! 勝とう!」

「はい!」


川口に背中を叩かれ我に返った夏希はその後を追いかけた。一年生チームは反応が遅れて完全フリーで川口からパスを受けた夏希は絶好の位置からシュートを放った。


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