意識は簡単には変わらない
自室に駆け込んだ夏希はお役御免になった猫のおとーさんを放すと、中身を把握しきれていない自身のタンスを漁り着替えのパジャマを探す。下着は引き出しから適当に一枚取り出し、青葉の手で脱がされた制服のシャツを拾い部屋をでる。
リビングから連れてきたおとーさんは部屋の主の夏希よりも一足早く未使用のベッドの上で丸くなっていたので、部屋の扉をおとーさんが出入りできるくらい開けておいた。
脱衣所に着いた夏希は服を脱ぐ。といっても着ているのは下着一枚だけなので早いものだった。しかしその下着にお試しで生理用品を付けていたことを脱いでから思い出した。いつのまにか付けていたことを忘れてしまっていた。これの処分をどうしたものか迷ったが手早く丸めてゴミ箱に放り込んだ。
脱いだ下着と部屋から持って来た制服のシャツを洗濯籠に入れる。
「なっちゃん」
「わっ!」
夏希を呼ぶ声とともに脱衣所の引き戸が開き冬里が顔をのぞかせた。
「一緒に入ろ? 背中流したげる!」
「いやっ!」
「拒否された!?」
冬里の誘いを断ると夏希は一目散に浴室の中に逃げ込んだ。
見た目は問題ないが中身が三十路の男性である夏希には女子中学生の冬里と一緒にお風呂に入るという選択肢は存在しないのだ。仲良くなろうと色々と世話を焼いてくれる冬里には悪いが夏希は犯罪者になるつもりはないので断固拒否した。
娘の身を守るためにも母親の青葉ももっと危機感を持つべきだと夏希はそう思ったのだが、当人の青葉の中では夏希も冬里と同列の大切な愛娘なので、ふたりが一緒に入浴しようが何も問題ない。
幸いにも冬里からの追撃はないく、そのままおとなしく退散してくれたようだった。
教室の中は空調がしっかりと効いていて夏希には少し肌寒いくらいだった。さすがに学校への行き帰りでは汗をかいてしまった。ひとさまの家のお風呂を汚すわけにはいかないので念入りに身体を洗い汗を流す。
いま考えたことを青葉に聞かれたら怒られそうだなと夏希はひとり苦笑を浮かべ、身体の泡をシャワーで洗い流した。
髪も洗い終えた夏希は湯船に浸かる。足を畳むことなくゆったりと足を伸ばせた湯船に、この身体も悪いことだけじゃないとはじめて思った。
浴槽の縁に頭を置き目をつむり湯に浮かんでいると、再び脱衣場の戸が開かれる音がした。
諦めていなかった冬里が一緒に入るために時間を置いて戻って来たのかと夏希は警戒した。もし浴室に入って来ることがあれば、入れ替わるように出ていこうと身構えた。
しかし浴室の戸が開くことはなく脱衣所からは水音が聞こえてくる。どうやら冬里は脱衣所にある洗面台に手を洗いに来ただけのようだ。それに安心した夏希はまた湯に身体を沈めた。
「おい冬里。ちゃんと身体洗ってから風呂入ってるかー? それにシャツは裏返しておけって、いつも母さんに言われてるだろ」
てっきり冬里がきたものだと夏希は思っていたが、聞こえてきたのは春樹の声だった。
学校から帰宅して手を洗いに来た春樹は、風呂に入っているのが冬里だと思い込んでドア越しに話しかけていた。ごそごそと脱衣所から布を擦る音がすることから夏希が着ていたシャツを春樹が裏返してくれているようだ。
「ごめんね、明日からちゃんとするから」
「お前は毎回そう言ってしないだろ。夏希に家のこと教えるってきの、う?」
「おかえりなさい、春樹くん。身体はしっかり洗ったからお風呂に入ったから安心して」
「……」
浴室の扉を少し開きそこから夏希が顔をのぞかせる。春樹は夏希と目が合うと手にシャツを持ったまま固まってしまった。
「夏希?」
「ん、なに?」
「わ、悪い! 俺はてっきり冬里が入ってるものだと!」
「ううん。大丈夫だよ。シャツ、代わりにしてくれてありがと」
「え、うん。あ!」
春樹は手に持ったシャツとこちらを覗く夏希を何度か視線を彷徨わせる。ほどなく自身が手にしているシャツが冬里のものではなく夏希のシャツだと気づいた春樹は慌ててそれを洗濯籠に戻した。
「ああー! ハルくんがなっちゃんのお風呂覗いてるー!」
「いや、ちが!」
「お母さーん! ハルくんがー!」
「おい待て冬里! これは違う! 誤解だ!」
手を洗うために脱衣所に入ってきた際、戸は開きっぱなしにしになっていたため、浴室の中の夏希と見つめ合っていた春樹を通りかかった冬里に目撃されてしまった。夏希自ら浴室の戸を開けたのだかが、そのことを知らない冬里はリビングにいるであろう青葉に春樹の覗きを報告すべく走り去った。春樹は誤解を解くためにその後を慌てて追っていった。
そんな二人を見送った夏希は戸を閉めると再び湯船につかり今の出来事について反省した。
現在の夏希は女の子なのでいまの行動は浅はかなものだった。普通に戸を開けて春樹と同性感覚で話をしていた。浴槽から身を乗り出して顔を出していて、おそらく春樹からの目線では夏希の裸体はほとんど隠れ、見えていたのはせいぜい肩ぐらいだったはずだ。
今回は相手が家族の男性だったから良かったが、もし相手が春樹でない男だったら勘違いさせてしまい襲われてしまう。なんてことが起こったかもしれない。それは想像しただけでぞっとして身の毛がよだつ思いだった。万が一そんなことが起きれば夏希は自ら命を絶つ自信がある。
これから夏希は身持ちの固い女性として振舞うと決めた。しっかり反省した夏希は風呂から上がることにした。身体を拭いて部屋から持ってきたパジャマに着替えると、風呂から上がったことを伝えるためにリビングに向かった。
リビングに入るとクーラーが効いており、風呂上がりで火照った夏希の身体をひんやりとした空気が包みこみ気持ちよかった。
そのリビングの中では青葉と冬里が床に正座した春樹を取り囲むように立っていた。
その光景を目にした夏希はすぐに状況を理解した。自分のせいで折檻を受けている春樹を助けるべく間に割って入った。




