帰り道のハプニング
一年一組の帰りのホームルームが終わり、クラスメートたちが各々の部活動に向かうなか、夏希は担任の桃山に職員室に来るように呼ばれた。
転校初日から問題を起こしたから呼び出されたということではない。もともと朝の段階で説明しきれていなかった事項を放課後に話すと桃山に言われていた。
それを知らない冬里は、さっそく呼び出しをくらったと夏希を笑ってからかった。もちろん学校にいる間ずっとふたりは一緒に居たので、本気でからかっているのではなくじゃれ合いみたいなやり取りだった。
桃山の後に続き教室を出て職員室の隣にある生徒指導室に夏希は通された。
まず転校初日の感想を桃山に聞かれ、その後は朝に話しきれなかった学校の説明が三十分ほどかけてされた。
「それとうちの中学校は全員が部活動に入ることになっているのよ。香月さんはなにか入りたい部活動ってある?」
どうりで先ほどのホームルームの後にカバンを持って帰宅する生徒が少なかったわけだと夏希は合点がいった。
「えっと、どういった部活があるんでしょうか?」
「あ、ごめんなさい。そうよね、なんの部活があるかもわからないよね」
桃山が忘れていたとばかりにあわてて、女子生徒が入れる部活を夏希に説明する。
運動部は陸上部、ソフトテニス部、カヌー部、バスケットボール部、バレーボール部。文化部が吹奏楽部、美術部、情報科学部。
一度目の中学生のとき夏希はソフトテニス部に入っていた。無難に同じ部活に入ろうかと思ったが、折角の機会なので他の部活に入るのもいいかもしれないと思った。
「少し考えさせてもらってもよろしいですか?」
「ええ、もちろんよ。今週はさすがに早いから、来週中には決めてほしいかな」
「わかりました。ちなみに先生のおすすめの部活はありますか」
「うーん。そうね。好きな部活に入るのが一番だと思うけど。たとえばカヌー部は全国大会にも出場したことがある強豪なの。バレー部の顧問の先生は中々めんどっ、熱血な先生でメキメキと実力をあげてるそうよ。ちなみに私はソフトテニス部の顧問をしているわ。私自身がテニスの経験がないから指導とかは出来ないから生徒に任せてるんだけど」
部活動でカヌー部というのは珍しい。海に面したこの地ならではの部活なのだろう。桃山が言った全国大会に出場するほどの実力があるカヌー部というのに、夏希は少し興味が湧いた。
メジャーな部活に入部してもいい成績を残せる可能性はかなり低い。ましてや大会に出場するとなるとレギュラーを勝ち取れるかどうかも怪しいかもしれない。もし自分がいる代での部活が全国大会に出場することがあれば、たとえ自分が出場していなくとも受験や就活の時の話題にできそうだ。
小さな大会でもなんらかの結果が残せるのが一番いいが、いまの夏樹の身体つきではスポーツは不利ではないかと感じた。なぜなら本日クラスメイトを確認した限り、学年全体はまだ不明だが一組で夏希は一番背が低いようだったからだ。
「あの。例えばなんですが、部活見学とかはできないでしょうか?」
「たしかにそうね。四月入学の子たちだって体験入部の期間があったんだし。わかったわ。私から各顧問の先生に話を通しておくわ」
「ありがとうございます。先生」
「いいのよ。せっかく香月さんも元気になったんだもの、部活にしてもなんにしてもこれから楽しんでもらいたいもの」
試しに入部前に見学できないかという夏希の相談に桃山はあっさりと承諾してくれた。
というのも夏希がおすすめの部活を聞いた時に桃山からバレー部の顧問に対して不穏なワードが飛び出してきたので自分の目で確かめておきたいと思ったからだ。上下関係が厳しい系や熱血系の部活は正直なところ遠慮したい。
部活が将来に関係するほどに熱中するタイプではないので、ゆるーく息抜き程度に頑張りたいと夏希は考えている。
「長々と話してしまったわね。久ぶりの学校で疲れたでしょう。これからみんなと一緒に学業励んで、たくさん思い出を作りましょうね。なにか困ったことがあったらいつでも相談してね。先生も協力するから」
「はい。その時はよろしくお願いします」
「それじゃあこれで終わりにしましょう。さようなら。気をつけて帰ってね」
「さようなら先生。失礼します」
話が終わると夏希は一礼して生徒指導室から退出した。
人気のない廊下を夏希はひとりで歩く。廊下にはしんと静まり返った雰囲気が漂いつつも、離れたところから運動部の賑やかな掛け声や吹奏楽部の楽器の音が耳に届く。
その静かな喧騒に懐かしさを覚え、夏希はしばしその音に耳を傾けた。
思い出の中の光景と違えど、学校の風景すべてが夏希の目には懐かしく思えた。
自分の半分も生きていない少年少女と教室で話して勉強してお昼を食べて。直前まで青葉にあんなに嫌がって見せていたのに、それも悪くないと思ってしまった。
もちろん楽しい事だけじゃなく、これから嫌な出来事も苦しい事も沢山あるだろう。それでも今度は逃げるのではく挑戦してみよう。
何もわからなくて何もしなかったあの頃とはもう違う。失敗と言えば両親に申し訳ないが、間違えてきたことを正していこう。誰も自分を知らないこの環境で、誰も自分に期待しない。恥ずかしがることはない。言い訳をしないで精一杯努力をしよう。
ぼんやりとした夢が夢のまま終わり、夢を見ることもいつしかやめてしまった。三十余年生きても、まだ本当に自分のやりたいのかも分からないダメな人間だ。
けれどダメな自分を捨てて、自分だけの夢を見つけたいと思う。
考える時間はできた。また大人になるまでの六年間。多いように見えて少ないこの時間の間に答えを出せるように。今度こそ自分に目を背けて生きることのないように。決意を密かに秘めて廊下を進んだ。
誰もいない教室からカバンを回収した夏希は、玄関のロッカーで上履きから靴に履き替える。おろしたてのローファーは固く履くのに手間取った。
用意された制服も靴もサイズはピッタリだった。夏希が起きてから身体のサイズを図られた覚えはないので、寝ているときに青葉が測定していたのだろう。一日二日で用意したには手際が良すぎる気もしないでもないが、用意してもらった身としてはありがたいことだ。
玄関を出ると日が傾き始めているが日差しはまだ強く、感じる暑さに夏希は軽く顔をしかめた。
外に出ると運動部の掛け声などが一層大きく聞こえた。こんな環境の中で真面目に部活を頑張る学生に敬意すら感じる。夏でも冬でも空調により快適な環境で仕事をしてきた夏希に、再び彼らのよう暑さにも負けずに走り回るには時間がかかりそうだ。
校門からは左右の道に別れた下り坂がある。山の側面に建つこの中学校に行くには少し急な坂を上る必要がある。帰るときは少し急な下り坂に変わる。
この坂道を使って運動部がランニングや坂道ダッシュをしているようで、夏希が迂回したさらに勾配が急な方の坂道ではジャージを着た学生が走っていた。
履きなれないローファーの靴底の頼りない滑り止めに戦々恐々しながら、夏希は慎重に坂道を下っていく。
その前方からランニングをする生徒がやって来る。ちらりとその人物と目が合うが、すぐに不安な足元に目線を戻す。
「あれ? 夏希ちゃん今帰り?」
「え? きゃあ!」
いま走ってきた人物の顔に夏希は見覚えがなかったため、すぐに意識を外したのだが相手は違ったようだった。意識外からの呼びかけに顔を上げた夏希は足元の注意が疎かになり足を滑らしてしまった。
「おっと、大丈夫?」
前方に倒れる夏希の腕を、話しかけてきた男子生徒が掴んだことにより転倒をまぬがれた。
倒れそうになった夏希は自らを支えてくれた男子生徒の腕にしがみつくように捕まった。
遅れて顔が熱くなる。先ほど驚いてあげた、なんとも女の子らしい自らの悲鳴を思い出して赤面してしまった。
「すいません。ありがとうございます。助かりました」
夏希は崩れた体勢から立ち戻ると、助けてくれた男子生徒を見上げる。
その男子生徒は驚くほどにイケメンだった。テレビでみるイケメン俳優のように整った顔をして夏希に笑いかけていた。
夏希が見た目通りの年頃の女の子だったなら、きっと一目惚れしていた事だろう。もちろん先日まで三十路に足を踏み入れた成人男性であった夏希には有り得ない話なのだが。
一昔前なら顔のいい同性を目の敵にしていたかもしれないが、いまとなっては精一杯オシャレしている中学生の姿に可愛らしいとすら思えてしまう。
「驚かせちゃったみたいでごめんね。夏希ちゃんに挨拶しておこうと思ってさ」
「はあ?」
訂正。やはりイケメンはイヤな生き物だった。
正直いまの自分の容姿はなかなか可愛い。転校生というのを抜きにしても夏希への男子からの目線は多かった。しかし転校初日にナンパに遭うとは思わなかった。
いくらイケメンだろうと男のお前が私を落とせると思うなよ。そう夏希が考え、思い上がった自意識過剰な若造に物申してやる。もちろんそんな勇気はないので夏希は睨みつけるだけにとどまったのだが。
「ごめんごめん。そんなに警戒しないで。俺は春樹の友達で近見謙吾って言うんだ。転校生の夏希ちゃんが春樹の従妹って聞いたから挨拶をって思ってね」
「ごめんなさい。そうだったんですね。わたしは香月夏希です。よろしくお願いします。近見さん」
「ははは。そんなかしこまらないでよ。俺たち同級生なんだし仲良くしよう」
自意識過剰だったのが自分だと知って夏希は顔が熱くなった。穴があったら入りたいというのは、こう言う状況を言うのか。謙吾から顔を逸らしたが、白い肌の夏希が顔を赤くしたら周りからはさぞ分かりやすいだろう。
「どうした謙吾。こんな所で立ち止まって?」
そこに遅れて息を切らして走ってきた春樹がふたりの所へやって来た。
丁度いい壁役を見つけてその背に隠れるように夏希は移動した。
「なんだ夏希と話してたのか。今帰りか?」
「うん。そう」
ふたりに合流したとたん自分の背に隠れるように移動した夏希に春樹が不思議そうに声を掛けた。
「ごめんね夏希ちゃん。怖がらせようとしたわけじゃないんだ」
「謙吾おまえ、夏希に何かしたのか?」
「いやいや、誤解だって!」
「違うの。ただ近見さんはわたしに挨拶してくれただけで」
謙吾の発言を聞き、春樹は夏希を隠すように立つと訝しげに謙吾を見る。その声がやや硬く。勘違いさせてしまったかと思い、夏希はあわてて状況を説明した。
「まあ、謙吾が何かするような奴じゃない事は知ってるけど。悪いな。こいつは病気であまり学校行けてなかったみたいで、人付き合いが苦手みたいなんだ」
「その割には春樹の目が本気だったけどね。あー、こわいこわい」
「顔が赤いみたいだけど大丈夫か? 体調が悪いようだったら俺も一緒に帰ろうか?」
「ううん。ひとりで帰れるから大丈夫だよ。少し暑さにやられただけだと思うから」
「そうか? 辛かったらいつでも言えよ」
「うん。ありがと春樹くん。部活頑張って」
顔が赤いのは夏樹が思い違いで自爆したせいで、病気というのもただの設定なのだが。それを知らない春樹は本気で夏希を心配してくれているようだった。
それと人見知りというのをいい感じに解釈して、謙吾に説明してくれた。これで赤面したのを誤魔化せたら僥倖だ。
「おう。気をつけて帰えろよ」
「夏希ちゃん。じゃあね、また明日」
「さようなら。近見さんも頑張ってください」
別れの挨拶が済むとふたりはランニングに戻る。謙吾は見えなくなるまで夏希に手を振っていた。
走り去るふたりに小さく手を振って見送ると、新しい自宅へ帰宅するため夏希は再び歩き始めた。




