新しい自分がはじまった
窓から見える空は雲一つない晴れ模様。九月も終わりに近づきうだる暑さも多少はマシにはなったものの、空調の効かない廊下に立たされている夏希の額には汗が浮かぶ。
青葉が用意した制服のポケットにはハンカチが用意されていたことを思い出し、ハンカチを取り出し額をぬぐう。
扉を一枚挟んだ先には年若い男女の驚きの声が騒がしく聞こえてきた。
その声に空を眺めて現実逃避をしていた夏希は現実に引き戻された。果たして今拭った額に浮かぶ汗は高い気温からの発汗なのだろうか。いや、分かっている。この思考すらも現実逃避なのだ。
「静かにー! 隣のクラスに迷惑でしょうが静かにしなさい! ああもう、いいわ。香月さん入ってきてちょうだい」
なぜならいま夏希は暑さを微塵も感じていない。これは緊張からくる冷や汗だ。
本日から夏希は転校生として二度目の中学生生活が始まる。
担任に呼ばれ扉を開けて教室に入ると、騒がしかった教室が静まり返り三十人ほどの生徒の視線が一斉に夏希に向けられた。壇上の担任に手招きされるがまま進む。
はたしていま自分はきちんと歩けているのだろうか。緊張で足元が覚束ない、もしかしたら手足が同時に出ているかもしれない。少なくとも視線は前に進んでいるので歩けているようだ。
「はじめして香月夏希と言います。本日からよろしくお願いします」
なんとか何度も頭の中で練習したセリフを絞り出した。
黙っていた生徒たちからわっと声が上がる。どこからきたのだの。小っちゃいくて可愛いだの。思い思いに声を上げ教室が再び騒ぎ立つ。
転校生などをするのは今回が初めての経験なのだ。何が正解か分からない。いや、正解なんてないのだろう。しかしいまは誰でもいいので模範解答を教えてほしかった。
「はいはい! 静かに! 香月さんの席はそこよ」
だれも座っていない席を担任は指差し着席するよう促される。夏希が席に着くまでも一挙手一投足を注目され生きた心地がしなかった。
自分の席に着席しようやく一息付けた。筆記用具と白紙のノートしか入っていないカバンを机横のフックに掛ける。
今週の連絡事項が話されたあと、ほどなくしてホームルームの時間も終わり。夏希の挨拶もそこそこに授業に入るようだ。生徒からのブーイングを担任は軽く受け流していた。
「香月さんはまだ教科書が届いていないのよね。となりの香月さん、じゃあ分からないわね。えーと、香月冬里さんに見せてもらってください」
その言葉を聞いて夏希ははじめて隣席を確認した。
「よろしくねっ! なっちゃん!」
「冬里」
今朝と変わらない笑顔を見せ席をくっつけてくる冬里の顔を見ると、幾分か緊張が和らぎ思わず声が漏れた。
いたずらっぽく笑う冬里の小さく指さす先に目を向けると春樹の姿もあり、思わず目が合うと逸らされてしまった。
きっと学校側の配慮なのだろう、冬里と春樹と同じクラスなのは夏希はありがたかった。
たとえ冬里と春樹との関係が一日二日の関係であっても、知っている顔を見つけると不思議と安心できるものだった。