エピローグ-3 好きったら好き
お茶会の翌日、学校ではまたなんて事のない日を過ごした茉莉は、放課後になるとすぐに学校を後にして、琴音のいる病院へと向かった。今日は琴音に会いに行くことにしている。お茶会が終わった後すぐに茜にも連絡を取って、面会できることは確認済み。前回会ってから1か月以上が経過してしまっているので、早く会いたくて逸る気持ち半分、緊張して足取りが重くなるような気持ち半分の道のり。まず一言目は何を言おうか、そんなことを考えていたら、道の途中で花屋を見かけた。ふと思い立って、そこの花屋に足を踏み入れる。
「すいません、お見舞い用に花を買いたいんですけど……」
あまり勝手がわからなかったから、店員のおばあさんに予算と、目に入った明るい桃色の紫陽花を指さして、「このお花で」と指定した。
「それなら……」
おばあさんはまさに熟練の手つきで素早く小さなアレンジメントを作ってくれた。
「ありがとうございます、あたし、こういうの全然わかんなくて……」
「お見舞いするのはお友達?」
「そうなんです、最近会いにいけてなかったから、せめてお花を持っていこうかなって」
「いい子ね」
「いえ……」
風邪をひいて会いに行けなかった時間があるとは言え、その後自分勝手な理由で会いに行けていなかったことを思い返して、自責の念が沸く。
「こうやって花を飾ってあげようって思うだけでもいい子よ。はい、これ」
お金を払ってアレンジメントを受け取った。
「お花、頼んでいたよりちょっと多くないですか?」
アレンジメントをいろんな方向から見て、茉莉はふと不思議に思ったことを口にした。
「友達を想う気持ちに免じてちょっとサービス。その代わり……今度お花を買うときは、うちの店でね」
「……ありがとうございます!」
「ご家族にも宣伝しておいてね」とちゃっかりしている店員に頭を下げて、茉莉は病院へと向かう道に戻った。アレンジメントが崩れないように歩いていれば、病院はもうすぐ目の前だった。
病院の中に入って、琴音の病室の扉を開ける前に一度深呼吸。『心の穴』が空く前は、こんなに緊張することもなかったと過去を思い返しかけたけれど、今はそれどころではないと首を振って、ドアを軽くノックしてから開けた。
病室に入った茉莉は、あらかじめ用意していた言葉を発することをやめた。ベッドで片手に本を持っていた琴音は、半透明のカーテン越しに差し込む薄日に当てられながら、うたたねをしている最中だった。本を読んでいる最中に寝落ちしてしまったのだろう。片手に持っている本は、あらすじだけ見たことがある。確か飛べなくなった鳥と少年が歩いて世界を周る物語だったはずだ。冒険譚が好きな琴音にとってはこの上ない物語だろう。
どうしようか迷った茉莉は、まずアレンジメントを病室に飾ることにした。ちょうど病室の隅に飾れそうな場所があって、そこに音を立てないようにそっと置く。何かいたずらをしているような気分になった。それからどうしようか琴音を見ながら考えていた茉莉は、手紙を書いてまた時間か日を改めてお見舞いに行こうと病室をあとにしようとしたところで、琴音の目がゆっくりと開くのを見た。
「あ、ごめんね、起こしちゃった?」
「ううん……」
目をこすっていた琴音は、茉莉の声を聞いてその目を一気に輝かせた。
「茉莉さん!会えてうれしい!風邪は……えっと、日光のお話と、お花!そうだ、退院の話もしなきゃ」
今にもベッドから飛び出しそうな琴音を見ていたら、茉莉の緊張はどこかへ行ってしまった。
「大丈夫大丈夫、あたしは逃げないから。全部、ゆっくり話そう?今日は時間もたっぷりあるから」
琴音をなだめながら、茉莉は病室にある椅子に腰かけた。
「え、ええ。そうね。嬉しくって、つい」
「……って言っても、話すこといっぱいあるからどこから話そうか迷っちゃうね」
「そうよ、茉莉さんったら突然来なくなっちゃうんだもの。寂しかったわ」
「ごめんね、風邪とか……色々あって」
「ううん、私を想ってのことでしょう?あまり気にしないで。またたくさん会いに来てくれたら、それで満足よ」
「ありがと、ちょっと安心した。じゃあ、まずは日光の話から……でも、日光旅行はあんまりうまくいかなくて……聞いてて楽しいかな」
「どうして?茉莉さんの話ならなんでも楽しいのに」
それを聞いて茉莉は鎌倉のときに親友が言っていたことを思い出して、少し自分の口角が上がったのを感じた。彼女の言うとおりだったと思い返しながら。
「それじゃあ、日光の話からしようかな。あそこは行きの道中から大変で……」
これまで友達のみんなにしたように、琴音にも帰って風邪をひくまでの日光の話をした。改めて大変な道中ではあったけど、もうあの時のような嫌な気分はしない。
「大変だったのね。でも、一筋縄ではいかない冒険も好き。一番は海に行きたいけど……日光もいつか行ってみたいかも」
「もっと時期を選んで、泊まりで行ったらもっといい経験ができると思うよ。これから自由になったら、チャレンジしてみて」
「何言ってるの?茉莉さんも一緒に行くのよ!今度は私と、日光を幸せな思い出でいっぱいにするの!」
茉莉は嬉しさのあまり顔を隠した。今は嬉しさで変な顔になっているのがわかりきっているから。
「泣いてるの?」
そんなことをしていたから、琴音にあらぬ心配をされてしまった。
「いや、泣いてはないけど。友達も同じようなことを言ってくれたんだ」
少し息を整えてまた平然とした顔を頑張って用意したけれど、実際少し泣いていたのは内緒にしておいた。
「茉莉さんの友達も、きっと茉莉さんに似ていい人なのね」
「うん!自慢の友達だよ。みんな素敵な夢があって、あたしのことも本気で心配してくれてた」
「それなら、日光は茉莉さんの友達さんとも一緒に行きましょう!きっともっと、いい思い出になるわ!」
「あたしの友達も琴音ちゃんにあってみたそうだったから、近いうち会えると思うよ」
「本当?楽しみが増えたわ」
「それでね、その友達が風邪ひいた後落ち込んでたあたしを連れ出して、紫陽花を見せてくれたの」
「素敵!どこまで行ってきたのかしら」
そこからは鎌倉の話をした。雨の中の紫陽花がとてもきれいだったこと、雨上がりのその花はもっと輝いて見えたこと。語れば枚挙にいとまがない。
「だから今日は紫陽花を持ってきてくれたのね」
「少しだけでもあの時の紫陽花のお裾分けがしたくて、近くのお花屋さんで買ってきたんだ」
琴音はひょいとベッドから降りて、花の近くへと顔を寄せた。最初に会ったときはベッドから飛び出して大冒険をしていたとはいえど、そのあとの琴音がベッドから出ているイメージがなかった茉莉は、少し驚いたような表情をした。
「体はもう大丈夫なの?」
「これくらいならもう問題ないわ。この前お医者さんも『来月には退院できる』って言ってくれたの」
「良かったぁ。それなら、8月には一緒に出掛けられる?」
「喜んで!ずっとその時を楽しみにしていたの」
「じゃあ、8月は江ノ島に行かない?きっと楽しめると思うんだ」
花を眺めていて明るかった琴音の表情が、さらに晴れやかになった。
「ちょうど私も茉莉さんと一緒に出掛けるなら、今までお話してくれた場所のどこかがいいと思っていたの!江ノ島、楽しみだわ!」
「あたしも、楽しみに待ってる」
「また『大好き』って思えるものが増えたらいいなあ」
「増えるよ、きっと」
会話ののち、ふと空を見れば今日もマジックアワーの時間。夕焼け空に宇宙の青が混じっていく。この色はどんなに値が張る絵具でも出せないのではないか、と思う。会話も一瞬止まって、琴音の顔がほころぶのも見える。
「ふふ、この時間、大好き」
「綺麗……ねぇ、どうしてこれが『大好き』になったの?」
桜のときに自分で思った疑問を、琴音にぶつけてみたくなった。琴音はマジックアワーを見ながら寸分考えるようなしぐさをした。
「この好きに理由を付けちゃったら、ちょっとくすんで見えちゃうかもしれないわ。だから……『好きったら好き』なの!えへへ、答えになっていないかしら」
きっぱりと言い放った後、照れ隠しのように笑っていた。
「ううん、ちゃんと答えになっていると思う。ありがとね」
思いがけない答えを聞けて茉莉は嬉しそうにしていた。
「来月はどこかへ行くの?」
「三浦半島へ行ってみようと思ってるんだ、神奈川県の右のほうの半島ね」
「日光みたいに名前を知っているわけじゃないけれど……何があるのかしら」
「それが、あたしもわかんない。でも次は、それも楽しんでみようかなって。一応、小さい水族館があるって言ってたかな」
「いいなぁ、またお話を聞けるのが楽しみ!」
琴音は地図を取り出した。そういえば少し前、時間が空いた時にはこの地図でどこかへ行く想像をすると言っていた。ページをめくる手が、神奈川周辺のページで止まる。茉莉は一緒にその地図を見て、三浦半島を指さした。
「そう、ここまで行こうかなって。三崎口駅をでて、自転車借りて……そこからはわかんない。海のほうへ行こうかなぁ」
「横須賀も近いのね、すぐ北にあるわ」
「ほんとだ!時間が余ったらここにも行ってみようかな。猿島って、聞いたことある」
「島!いいなぁ、私1回島に住んでみたいの」
「いいねぇ、島暮らし。『シロと海原の旅』の冒頭みたい」
「でしょ?」
「でも猿島は住めないみたい。無人島で、レジャーとかを楽しむんだって」
「あら、残念」
そのあと少し、済むならどの島がいいか、という議題で盛り上がった。やはり一番有力なのは沖縄とその周辺の島々だったが、それで話が終わってしまうのも寂しく、せっかくの機会だったので他の島も調べてみた。東京都に含まれる伊豆大島、八条島、新潟の佐渡島など、調べればいろんな有人島があって、それぞれに魅力がある。いずれ訪れることがあるのだろうかと夢想するのも面白い。瀬戸内海にある淡路島や小豆島の話になってから、四国は「島」の範疇に含まれるのだろうか、もし含まれるならどこまでを島として扱うかという話にも発展した。北海道はアリかナシかという話は、「済むのはアリだけど、島ではないよね」という結論に落ち着いた。
「茉莉さん、再来月は江ノ島に行くし……夏は海派?」
「考えたこともなかった、でもそうかも、夏の山は虫とかちょっと怖いよね」
想像しただけでちょっと怖くなったのか、琴音は地図で顔を隠した。
「茉莉さん、これから急に心移りして、『山に行こう』とか言わないでね」
「そういえば、ここの窓からは見えないけど、学校の窓から見える筑波山に1回行ってみたいんだよね」
「もう!からかわないで頂戴!」
琴音はそういいながら笑っていた。茉莉もつられて笑う。マジックアワーは終わって、空は暗くなっている。
「あたし、もうちょっとしたら帰らなきゃ。今度はまた近いうちに来るね」
「あまり無理しなくてもいいのよ、私はいつでも待ってるし、もう少しして退院したら、たくさん会えるわ。それに……まだ困り事があるのでしょう?」
「そう見える?」
「ええ。三浦半島へ行くことも、見つかるかわからない探し物をしに行くみたいに見えるの。それが悪いって言っているわけじゃないわ。でも、私の存在が困りごとの解決の邪魔になっているのなら……茉莉さんには自分のことを第一に考えてほしい」
琴音の頭に手を置いた。
「あたしはもともと元気いっぱいだから、心配しなくても大丈夫だよ。自分のことは自分で何とかできると思うし、それで余った元気で琴音ちゃんに会いに来てるから」
「そう?でも無理しないで……ここにいる間にできることは限られてるかもしれないけれど、私に何か手伝えることがあったら、遠慮なく言うのよ」
「ありがとう、うれしい。それに、琴音ちゃんの価値観にはいつも助けられてるよ。今の困りごとでも」
「本当?お世辞は言わなくてもいいのよ」
「本当だって。細かく言葉にするのは難しいけど……とにかく、おかげさまで半年前よりいい」
琴音の疑わしく思っていそうな表情が解けた。
「人の役に立つってこんな気分なのね、今、なんだかとってもあったかい。私、人に助けられてばかりだったから」
「そうかな、琴音ちゃんは居るだけで誰かの助けになってるはずだよ。ほかの人だってきっとそう。だから、もっと胸を張って」
「う、うん。慣れないけれど……そう思うことにするわ。いけない、もう時間ね」
「本当だ。じゃあまたね」
「ええ。また」
もうちょっと喋っていたかったけれど、その気分をなんとか振り払って茉莉は病室を出た。家に帰ったら晩御飯の時間になっているだろう。帰途では琴音と江ノ島に行って、何をしようかを考えながら歩いていた。町はすっかり暗くなって、同じく帰途についている人をよく見かける。通りすがりの車のヘッドライトが流れ星みたい。
自宅のドアを開けた茉莉を、母の「おかえり」の声が出迎えた。家の中にはすでにカレーの匂いが漂っており、聞かずとも今日の晩御飯がわかる。お風呂を済ませればすぐご飯の時間になった。我が家のカレーが一番おいしい……そう思っている時にふと、1か月ぶりに日常が戻ってきたように思えた。5月に風邪をひいてからひどく落ち込んでいた気分がどこかへ行ったような、そんな感覚。『心の穴』はまだ残り続けているけれど、友人や琴音といればあと少しで何かが見つかるような気がする。
おかわりまでした晩御飯が終わって、家族で見るテレビもほどほどに茉莉は部屋に戻った。部屋には変わらず写真が飾られている。まじまじと見ていたのは桜の写真。あの日にふと考えた、どうして桜が好きなのか、今ならその答えがわかる。
「『好きったら好き』、だったんだ」
好きなものに理由などいらないと気付くまでにずいぶん遠回りをしたとは思えど、頭のどこかで引っかかっていたものが取れたような気分でその日を終えた。




