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たびガール  作者: 諏訪いつき
6章 鎌倉編

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エピローグ 日々に戻る

 朝の光が目に差し込んで、茉莉は目を覚ました。今日は梅雨にしては珍しい晴天で、雲も遠く離れたところにしか見えない。朝食を済ませたら、今日の分の準備を手早く済ませて、高校まで向かった。梅雨にしては珍しい晴天のせいだろうか、歩調が軽いような気がする。

 しばらく歩いていると、肩を軽く叩かれた。振り向くとそこには涼乃がいて、少し息を切らしていた。

「おはよ、涼乃。……もしかして、走ってきた?」

「うん、家出たらちょっと遠くに茉莉が見えて……。ちょっと待って、息整える」

 涼乃は立ち止まって深呼吸をした。

「茉莉が意外と歩くの早いから追いかけるの大変だったよ」

 二人は再び歩き始めた。

「大声で呼んでくれればよかったのに」

「それは恥ずいよ」

「確かにそうかも」

 涼乃はどんな時でも自分に注目が向くのを好まない。

「昨日めっちゃ歩いたけど、筋肉痛は大丈夫?」

「ちょっと痛いけど……想像してたよりは痛くないよ」

 茉莉はふくらはぎのあたりを少しさすった。

「よかった。今までの旅で鍛えられたのかもね。筋肉痛で家から出られなくなってたらどうしようって思ってたよ」

「さすがにそこまでにはならないよ」

 二人は笑いあって高校のほうへと歩いていく。高架下をくぐって大宮駅の東側へ。朝日が差し込んでいて気持ちいいけれど、少し蒸し暑くなり始めている。

「今日もお昼一緒に食べるでしょ?」

「うん!いつもの空き教室で」

 行き交う車は忙しなく通り過ぎていく。どこまで向かっていくのだろうか。道を右に曲がる。次第に同じ高校の制服の人たちが視界に増えていく。顔見知りの人もちらほら見える。涼乃と今日ある授業について話していたら、学校の正門に到着した。

「ホームルームまでちょっと時間あるね」

 涼乃は手首の内側の時計をちらと見た。

「早く来すぎちゃったかな」

「最近の茉莉はギリギリ攻め過ぎだったしこれくらいがちょうどいいよ」

「それもそっか」

 階段を登って二人の教室へ。クラスメイトは半分くらいが教室にいた。

「そもそも今日はどうして早く家出たの?」

「昨日カーテンしないで寝ちゃって、外明るくなって……アラームなる前に起きちゃったんだよね」

「最近明るくなるのも早いもんね」

「だからちょっと眠たいんだ~。もし授業中寝ちゃってたら起こしてよ」

「さすがにあの席からは無理だよ」

 涼乃は右前方の席を指さした。今茉莉が座っている席は窓際の後ろから2番目。涼乃の席は中央前方にある。

「そこを何とか!シャー芯飛ばしたりして!」

「あの席でそこまでしてたらヤバい奴だよ……それに私、鉛筆派だし」

「う……何とか頑張って起きることにするよ」

 そのあと二人は茉莉の席でホームルームのチャイムが鳴るまで駄弁っていた。

 午前中の授業は最初のほうは大丈夫だったけれど、3限目から猛烈な睡魔が襲ってきて、うつらうつらになりながら授業を聞いていた。そのおかげで授業の内容は断片的にしか覚えていないし、ノートには「酸っぱい遺跡」という謎の言葉とその後にもはや言葉ですらない訳の分からない呪文が記入されていた。そもそもこのノートは古文のもののはず。

「……後で涼乃にノート見せてもらお」

 解読不能になっていたノートの惨状を見た茉莉は、早々に自力での復元を諦めた。

 3限の眠気を超えた後はだいぶ目が冴えて、4限の地理はいつもと同じように授業を聞けた。今日の内容は北欧の地形のことが中心だった。ノルウェーの地図のギザギザは、氷河によって作られた谷に海水が流れ込んで、フィヨルドと呼ばれる地形になっていることを知る。資料集には見たことのない雄大な自然の中に、民家がぽつりぽつり写っている写真が載っていた。

「ここにも生活があるんだ」

 旅先でたまに抱く気持ちをここでも抱いた。江ノ島の民家、山に囲まれた秩父の集落、それを見た時と同じような、感嘆(?)に少し似た、不思議な感覚。

「いつかこんなところにも行ったりするのかな」

 オーロラの写真を見ながら思う。

「でも、こんなところにまで行かないと『心の穴』が埋まらないなら、ちょっと大変すぎるかも」

 直線距離およそ八千kmの旅なんて、今は想像すらつかない。そもそも関東にある成田空港と羽田空港、どっちの空港から出立して、飛行機で何時間くらいかかるのだろうか。そこに実在した生活を見て、何を思うのだろう。考え事をしていたら、あっという間に4限は終わった。その後、自然と涼乃といつもの空き教室に行く流れになった。

「涼乃、あとで古文のノート貸してくれない?」

「どうして?……さては寝てたな」

「寝てるだけならよかったんだけど……」

 古文のノートが眠気で惨憺たる状況になってしまっていることを涼乃に話した。

「ふふ、わかったよ」

「ありがと」

「そのノート見せるのが条件ね」

「うわ、それちょっと恥ずい」

「私はちゃんと起きてノート取ってたんだから、それくらいは見せてもらわないと」

「確かに、涼乃のノート写させてもらえるなら安い……かも」

 涼乃のノートの作りはクラスでもたまに話題になるほどわかりやすく、簡潔にまとめられていると好評を博している。テスト前にはその授業で休んでいないにもかかわらず涼乃のノートが一目見たいと言ってくる人も少なくない。当の本人は注目を浴びたくないので、基本断っているようだが。少し前には茉莉を伝手にノートをせがむ人もいたが、事情を知る茉莉はなるべく涼乃の力を借りようとしないので、それも徒労に終わっていた。

 空き教室の扉を開けるとすでに結城と拓也が待っていた。特に「待っていて」といったわけでもないのに、二人は昼食を食べずに雑談に花を咲かせていて、こちらに気づくとやっと昼食を取り出した。

「えっと……おはよう」

 最近避けるように接していたから、どう話していいかわからない。もう決して「おはよう」という時間帯ではない。

「よう、今日は……まだ顔色がいい方だな」

 結城は一瞬茉莉の顔色を窺って、安堵したような笑みを浮かべた。

「嘘、あたし最近そんなに顔色悪かった?」

「今まで見てきた中でもトップレベルで悪かったぞ」

「確かにちょっと落ち込んでたけど、そんなにだったんだ」

 涼乃と茉莉は席に座った。茉莉の今日の昼食はメロンパン。中にチョコチップが埋めこまれている。

「昨日私と茉莉で紫陽花見に行ったんだ」

 涼乃も食事に手を付け始めた。やけに凝った和食の弁当が見える。

「どこまで?」

 おにぎりを手にとって拓也が聞いた。

「それがさ、赤羽とか近場でみるのかなとか思ってたら、いきなり鎌倉まで行くことになったんだよ」

「ごめんって。でも、いいもの見れたでしょ?」

「それはそうだけど……」

「それで、ちょっとは気分が晴れたか」

 結城の弁当箱はいつ見ても大きい。あの高い身長が、この食事量に支えられて成り立っていることがとても分かりやすく伝わってくる。

「うん、素敵な紫陽花がいっぱい見れて嬉しかった」

「私も今回が初めてじゃなかったのにちょっと感動しちゃった」

「よかった。最近茉莉の元気がないから、僕たちずっと心配していたんだ」

「心配かけてごめんね、ちょっと前に行った日光で……その……さんざんな目にあって」

 それから茉莉は日光で起きたことを話した。今まで知らなかった乗り物酔いから始まって、ゴールデンウィークのせいで異常な混雑にもまれて東照宮を参拝して、それで疲れているのにバスの中で立ったままいろは坂を超えて、中禅寺湖の湖畔で転んで、帰ってきたら重めの風邪をひいた。そうして話しているだけでも、ずいぶん散々な目に合ったものだと改めて思う。そしてそれは、聞いてくれていた3人も同じように思っていてくれたようだった。涼乃に関してはこれを聞くのは2度目なのに、相変わらず同情したような表情をしていた。

「なんというか……大変だったな」

 結城は言葉を選んで言った。

「疲れて免疫が落ちちゃってたのかもね、人も多かっただろうし」

 驚くべきことに、拓也の手に持っているおにぎりの量がほとんど減っていない。どれだけの牛歩戦術で食事をとっているのだろう。

「私たち、茉莉が風邪ひいたって聞いて、めっちゃびっくりしたんだよ」

「あたし、そんなに風邪ひかないように見える?」

 風邪とか、みんなひくときはひくでしょと言いたげな口調で尋ねた。

「茉莉、今回の前に引いた風邪が何年前か覚えてるか?」

「もちろん!」

 結城の質問に勢いよく答えた茉莉は指を折って年を数え始めたが、片手の分じゃ足りないことに気が付き始めるとその勢いを失っていって、しまいには「あ、あれ?」と言って首を傾げた。確か前にも熱を出すくらいの風邪をひいたのは覚えているけれど、それが何年前か思い出せない。

「少なくとも中高の間は風邪ひいてないぞ。だからみんなびっくりしたんだ」

「マジか」

「マジ」

「そこまでして、どうして日光に行きたかったの?」

 拓也が聞いた。若干だが、おにぎりの量が減っている。

「それはね……」

 どこまで喋ろうか考えた茉莉は、それを考えるのがもう煩わしくなってしまって、ここまでの一部始終をすべて話すことにした。どうせまたみんなで集まってお茶をするときには話すことになっているのだから、と自分に言い聞かせて。それから、琴音と会って、様々な場所に行った話をしたこと、その話の延長で今度は日光に行ってそこで見たことを話してあげようと思ったこと。そのあと、そもそもこの半年間茉莉を翻弄し続けていた『心の穴』のこともなるべく伝わるように話した。とはいっても、茉莉自身もこの『心の穴』についてよくわかっていないから、ふわっとした説明になってしまった自覚もあった。それでも、誰もが話を遮ることなく茉莉の話を聞いてくれていた。

「っていうことを、江ノ島行った時から半年くらいやってるんだ」

 話し終えたころには大体みんな昼食を取り終えていた。

「だから一人で色んな所に行ってたんだね」

 一人、拓也だけはまだおにぎりを相手にしていた。茉莉も話してばっかりでさほど昼食に手を付けられていなかったけれど、それよりも遅い。

「これはあたしの問題だし、あたし一人で何とかしようとしたんだけど……そうもいかないみたいで」

「確かにムズいな、簡単に解決策が出る気がしない」

 ううんと結城がうなる。

「茉莉一人で抱えてたとはいえ半年も答えが出てないんだ、この昼休みだけで答えは多分見つかんないよ。今日は放課後お茶するんだし、そこでゆっくり話そう」

 気づけばみんなと昼食を食べる時間はもう終わりそうになっていた。最近の茉莉は昼食を食べ終えた後そそくさと退散していたから特に気にならなかったけれど、結城と拓也は学内でそれぞれなにか忙しそうだし、涼乃も空いた時間を勉強などに充てているようである。茉莉が接触を避けなくとも、学内でこの三人と時間を共にすることは少なくなりつつあった。

 みんなで拓也がおにぎりを完食したのを見届けたのち、昼食の回は解散となった。茉莉には次の授業まで若干余った昼休みの時間がもたらされて、寸分迷った後、校内を少し散策することにした。心地よい昼間で、日差しを浴びると少し穏やかな気分になって眠くなる。ふと足を踏み入れた中庭に、紫の紫陽花が陽に照らされて咲いていた。足を止める。

「きれい」

 かがんで花に顔を近づけた。花にある皴の1つまできれいに見ることができる。横を見やれば葉も同じように見えて、そちらも葉脈の形をよく見ることができた。

「昨日は楽しかったな」

 遠く、鎌倉まで紫陽花を見に行ったことを思い出す。昨日のことのはずなのに、場所も景色も現実離れしているからか、良くも悪くも、遠く昔に見に行ったような感覚がある。当然明月院よりは花の多さによる迫力はないけれど、花そのものの美しさが劣っているわけではない。花を見ながら思いふける。

「涼乃だけじゃなくて、結城と拓也も巻き込んじゃって……本当によかったのかな。変な奴だって思われてたらどうしよう」

 そよ風で紫陽花の花がぷかぷか揺れた。ふと涼乃の言っていたことを思い出す。

「でも、話してみるだけでもいいはずだよね」

 その花が良く見えるベンチに腰掛けて昼休みの時間を過ごした。昔だったら誰かと遊んだり、喋ったりすることが多かったけれど、いつの間にかこんな時間を過ごすのもよいと思えるようになっていた。その間、これまでの旅と日々のこと、それと『心の穴』について、そしてこれからどうしようか、ということを日差しにまどろみながら考えていた。昼休みが終わることを知らせるチャイムがそのまどろみを覚ますまで。


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