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たびガール  作者: 諏訪いつき
6章 鎌倉編

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最終話 黎明

 シーキャンドルを降り切ったらあたりはすっかり薄暗くなっていた。今日はもう帰る時間。あれだけ美しかった紫陽花の色も、今はよく見えないものもあった。

「楽しかった。足パンパンだよ」

「それはよかった。江ノ電の江ノ島駅までは距離あるし、片瀬江ノ島駅から藤沢までいこっか」

「そんな駅があるの?」

「この前電話で小田急のこと教えた時にも思ったけど、もしかして小田急の片瀬江ノ島駅知らなかった?」

「初耳」

「じゃあ今日はなおさらそこから帰ろう、江ノ島駅よりちょっと近いし、いい駅だよ」

 涼乃が言った『いい駅』という表現が引っ掛かったけれど、今は気にしないでおいた。その駅を見てわからなかったらまた聞けばいい。

 辺津宮前の仲見世通りは夕焼けの色が消えて、煌々と金色に光る店の明かりがこの道を飾っていた。まるでお祭りが開かれた通りにいるみたい。そこで売られている扇子や置物を流し見しながら弁天橋へと戻った。

 夜になった弁天橋は一定間隔に設置された街灯に照らされて、さながらランウェイのようになっていた。真っ暗な海は観客席。足は痛かったけれど、前を向いて、胸を張って歩いているだけで楽しい。弁天橋から見える夜景をずっと見ていた気がするのに、気づいたら弁天橋を渡り終えていた。

 来た時にも通った地下道を通り抜けたら、涼乃に「こっちだよ」と誘導された。江ノ島の近くを流れる川を渡る橋が目の前にある。

「ねぇ見て涼乃、ここ」

「ん?」

 茉莉が指さした橋の付け根には「べんてんばし」と書かれていた。

「この橋も弁天橋なんだって」

「ほんとだ、近くに2つもあってややこしいね」

「もしここに集合するときになったら、弁天橋は避けないとね」 

「さすがにあっちの弁天橋のほうがメジャーだから、みんなそっちに行くと思うけど」

 涼乃は笑いながら言った。確かに、わざわざこっちの弁天橋で待ち合わせなんてないかもしれない。

「あたしたちはずっと豆の木で待ち合わせするしかないんだ~」

「いいじゃん豆の木、わかりやすくて」

「え~、シーキャンドル前とかで待ち合わせしたいよ」

「それができるの、島民ぐらいだと思うんだけど……」

「それもそっか」

 片瀬江ノ島駅が見えてきた。

「わ、確かにおしゃれ」

 その駅舎は緑の屋根と赤い装飾、白い柱でできている、物語で語られる竜宮城のようなデザインになっていた。改札に入る前に駅舎の中央を見ると、そこにはクラゲが飼育されていた。その近くに近寄って、眺める。

「これ、いつまでもやってられるね」

「私もそう思うけど、電車きちゃうよ。写真だけ撮ってこ」

 涼乃の提案でまた写真を撮った。今日は二人を映した写真も多い気がする。

 改札を抜けたら、藤沢駅行の電車が待っていた。乗り込んですぐドアは閉まって、電車は動き出した。藤沢までは三駅ほどしかないので、特に暇つぶしをすることもない。疲労で口数は減っていたけれど、二人は他愛もない話をして時間を過ごした。

 藤沢駅は帰宅ラッシュの時間で、人でごった返していた。その流れに乗ってJRの改札口へ。

「茉莉、疲れてない?」

「結構へとへと……」

「だよね。グリーン車乗ってかない?私もちょっと疲れたし、ここから立ちっぱは辛いかも」

「賛成!」

 二人でグリーン券を買って、改札を抜けた。次の電車は5分後。二人で飲み物を買って待った。涼乃が緑茶を買ったのを見て、茉莉も同じく緑茶を買った。

 電車が来た。今回乗るのはいつも乗っている場所ではなく、二階建てになっている車両のほう。涼乃に「一階と二階、どっちがいい?」と聞かれて、茉莉は「景色よく見えそうだし、二階!」とすぐ答えた。

 クロスシートの車内で隣り合った二席が空いているのは最前列左側だけだった。話し合って、茉莉は窓側、涼乃は通路側に座ることになった。天井にICカードをかざす。

「はぁー、本当にグリーン車でよかったよ。もう一歩も動けない」

 茉莉は足をさすった。

「今日はほんとにいっぱい歩いたもんね」

 涼乃はバッグから『鎌倉半月』を取り出した。

「それ、今日買ってたやつ!」

「抹茶風味と小倉風味があるけど……どっちがいい?」

「涼乃が選ばなくていいの?」

「じゃあ抹茶風味もらうね」

「涼乃、ほんとにお茶好きだね。1つのことに夢中になれるの、なんか……すごい」

 思っていたことをそのまま口にした。なぜか最近、これに似たようなことを考えることが多い気がする。

「え?だって……私が淹れたお茶を一番最初に褒めてくれたの、茉莉だったじゃん。好きになったのはそのあたりからだったと思うよ」

 一瞬それを言うのをためらった涼乃は、言葉をとどめるのが面倒になったのか、そのまま口にした。

「そうだったっけ、あたし全然覚えてないや……ごめん」

「気に病まないでよ、何となく口にした言葉が、聞いた人にとっては大事なことだったとか、よくあることでしょ?ほら、その袋空けてみて」

 照れ隠しから、涼乃は茉莉に鎌倉半月を早く試すように促した。茉莉は袋を開ける。中からは甘くて香ばしい良い匂いがする。

「わ、良い匂い」

 匂いだけでもいくらか楽しめそうで、お菓子に鼻を近づけた。

「甘い匂いがしていいでしょ?私、それが好きなんだ」

 涼乃も袋を開ける。茉莉はどうしても気になって抹茶風味の香りも嗅がせてもらった。こちらはやはり、ほんのり抹茶の香りが混じっている。

「「いただきます」」

 二人は半月に口を付けた。パリといい音が鳴った。

「おいしい……」

 ほんのり甘いビスケットを噛んでいると、中に塗られている小倉あん風味のクリームが口の中でふわり広がって、その調和のとれた味にうっとりする。乾いたのどをお茶でうるおせば、旅の高揚感も薄れて、落ち着いた時間が流れる。外を眺めると、ちょうど大船駅を出発したころだった。ホームにはかなりの人がいる。

「これ、ほんとにおいしい。今度また来た時買いたいな」

「ふふ、良かった。人にものを勧めるとき、ちょっと緊張するから」

「どうして?」

「え?ええと、……勧めたものに微妙そうな反応されないかとか、気にしない?」

「うーんあんまり。その人には合わなかったんだなって思うくらい」

「最初に話聞いた時にも思ったけど、どうしてそんな茉莉の心に穴なんて開くの……」

「だからあたしもわからないんだよ……」

 茉莉はしょんぼりしながらも、また半月を口にした。もう半分もない。窓からは家の明かりが見える。時間があまりにもゆったりと流れるものだから、茉莉はだんだん眠くなっていた。二人の間に流れた心地いい沈黙も、それを後押ししていた。寝落ちする前に、急いで半月を食べきることにした。

「次はどこに行きたいとかあるの?」

 しばらく何もない時間をすごしたのち、それを尋ねた涼乃は、返答が帰ってこなかったので茉莉のほうを見た。

「寝てる……」

 茉莉は安らかな表情で眠りについていた。それを見て涼乃もほっとした表情を浮かべた。

「茉莉が『景色が良く見えそう』って言ってたのに」

 呆れるような、けれど優しさも含まれた感情を持った。席を1つ越した窓の向こうには東京の夜景が広がっている。それが見えて一瞬茉莉を起こそうとした涼乃は、その寝顔を見ると思いとどまって、カバンからひざ掛けを取り出し、隣人の体に添えた。「いい景色だけど、見せてあげない」と言わんばかりに微笑んで。

 お菓子ももうなくなってしまったけど、お茶を飲んでいればゆったりと時間が流れる。様々なところを見て歩き回った後のこの何もしない時間が、涼乃にとっては至福だった。ゆったりとした時間が流れているはずなのに、あっという間に埼玉県南端の駅、浦和駅に到着。この駅で降りる人も多かった。

 とうとう大宮駅の隣、さいたま新都心駅に到着したとき、涼乃は茉莉を起こすことにした。ここまでは駅から駅への移動時間が長かったけれど、さいたま新都心から大宮まではたった二分。起こさなければ寝過ごしてしまう。

「茉莉、起きて。もう着くよ」

 茉莉の頬をつついた。

「ん……あとごふん……」

 それを聞いた涼乃はため息をついて、両手で茉莉の頬を軽くつねった。

「五分もたったら寝過ごしだよ、ほら起きて」

「う……ごめん、ありがとう」

 ゆっくりと目を覚ました茉莉を見て、涼乃はやれやれと言わんばかりにため息をついた。荷物をまとめる。電車はもうすでに減速し始めている。

 二人で席を立って、ドアの前に立つと、ちょうど電車は停車してドアを開けた。外には見慣れた大宮駅の景色が見えて、いつも旅の終わりで感じるような、ほのかに寂しさが包まれた安心感を感じていた。

 二階に上がれば、いつもの大宮駅の風景が眼前に移った。やや疲れた様子でホームへと向かっていくサラリーマン、今日一日のご褒美にするのだろうか、ケーキを買う列に並んでいる人、乗り換えの電車に遅れそうなのだろうか、ホームへつながる階段へとかけていく学生の姿も見えた。そういえば、今日は自分たちの学校が創立記念日だったというだけで、ほかの学校の学生は普通に登校しているのかと、今更感じていた。

 改札を抜けて大宮駅の外へと出る。外の空気を深呼吸ですって、茉莉は座りっぱなしで固まっていた体を背伸びで伸ばして、思い出した。

「そういえば、ママにご飯の時間間に合わないって連絡できてなかった」

 茉莉はこれまでの旅に行くときはずっと、「晩御飯の時間には帰ってくる」と言って出かけていたし、旅行計画も毎回その時間に合わせて組まれていた。

「多分大丈夫だと思うよ、私のほうから『ちょっと遅れて帰ってくるかもしれません』って言っておいたから」

「え、いつの間に?」

「茉莉の家を出る前にちょっとね」

 そんな時間あったっけと思いつつも、茉莉は自分の家の方向まで歩き始めた。あんなに歩いたはずなのに、足取りは軽い。ビルの間を抜けたら、住宅街が見えてきた。家はもうすぐ。

「それじゃ茉莉、またね」

「うん!またね、また、どこかに連れてってよ」

「えー、どうしようかな」

「渋らないでよ」

「だって、茉莉の土産話を聞くのも楽しみなんだもん、一緒に行ったらそれが聞けなくなっちゃう」

「そうだったの?」

「うん。だから、また茉莉の土産話が聞きたいな。楽しかった話も聞きたいけど、そうじゃなくてもいい。悲しい出来事があったとしたら、一緒に悲しめるでしょ?」

 そこまで聞いた茉莉は、決心を固めた。

「それなら……またどこか行ってみようかな。それで今度は、涼乃をあたしが見つけた素敵な場所に連れてくの!」

「いいね、楽しみに待ってる」

「任せて!」

 茉莉は胸に手を当てた。そこにはまだ『心の穴』が空いている。これも、そのついでに埋まればいい。涼乃はそれを見て安心したような表情をして、そのあと自分の家の玄関のほうを向いた。

「そろそろほんとに帰らなきゃ」

「うん!、またね」

 涼乃が家に入っていくのを見送って、茉莉も自分の家へと向かった。とはいっても、茉莉の家はその2軒隣。十数秒歩けばすぐについた。出迎えるように玄関の明かりが光っている。

 「ただいま」と言ってドアを開けたら、母が出迎えてくれた。

「おかえり。今日は楽しかった?」

「うん、とっても楽しかった!」

「よかったね、ちょうどご飯できてるよ。荷物置いておいで」

「うん」

 二階の茉莉の部屋は時が止まっているように静かだった。グレイもベッドで横たわったままだ。荷物を置いて手を洗ったら、一階の食卓に降りて行った。

 食卓では暖かい食事が茉莉を待っていた。今日は焼き魚。今日見てきた紫陽花の話を両親としながら食事を楽しんだ。心なしか、いつもより両親の表情が柔らかく感じた。その食事を終えて、入浴まで済ませて部屋に戻ったら、睡魔が襲ってきた。

「今日はもう寝ちゃおうかな」

 軽く翌日の学校の準備を済ませて、伸びをしたら、ベッドで横になった。そばにいたグレイと今日の思い出を、紫陽花に彩られた曇天を思い返していたら、いつの間にか茉莉は深い眠りについた。

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