3話 ダイヤモンドリング
「次は……明月院とかどう?」
道をいったん立ち止まって、涼乃はスマホを見せてきた。言われている「明月院」はここからさほど遠くない位置にあるようだ。
「うーん、あたしあんまりわかんないから、涼乃の行きたいところでいいよ」
「テンション低いなぁ。じゃあとりあえず、行ってみよっか」
線路沿いの道を左に曲がって、住宅街の中を歩いた。雨は霧雨になっているけれど、それでも白みがかった灰色の雲が空を覆っていて、気分も晴れない。隣で歩いている涼乃と、傘1つ分の距離が常に空いていた。
その道を数分歩けば、さっき言われていた明月院の入り口が見えてきた。少し道が細いようで、そこには若干の人だかりができている。その列を待って、拝観料を払って、二人は散策路へと足を踏み入れた。
明月院はおよそ九百年前ごろからある寺院で、現在は鎌倉のあじさい寺として有名な場所である。元々この寺院の紫陽花は戦後道を整備するための杭が足らず、手入れが楽な紫陽花の低木を代わりに植えたことが始まりらしい。有名なのは紫陽花だが、他の季節にも様々な花が咲き、例えば春には桜、冬には蝋梅などを楽しむことができる。
散策路の紫陽花はちょうど満開を迎えていて、茉莉が想像していたような、それよりも美しいような紫陽花の花畑がそこに広がっていた。雲とアスファルトの灰色しかなかった茉莉の視界が、記憶が、鮮やかな花の色に染められていく。曇天の空でさえ、この花の色を引き立てるキャンパスの白のよう。
「わぁ……」
茉莉は心から漏れ出た声を抑えることすらせずに、紫陽花の道を歩いた。今まで時々感じることの出来ていた、心の穴の痛みが優しくやわらげられるような、あの感覚もしっかり感じる。
「気に入った?」
紫陽花に見惚れたような茉莉の顔を見掛けた涼乃が聞いてきた。答えはもう決まっている。
「うん!来てよかった!」
笑顔でそう言った。そういえば、久しぶりにこんな表情をしている気がする。それを聞いた涼乃の顔が、してやったり、の笑顔から、安堵の笑顔に変わっていく。
花の道を歩いていく。境内は紫陽花の低木でできた迷路のようになっており、両隣の花が途絶えることなく咲いている。境内の花の色は青がメインで、赤色の紫陽花があるわけではないが、深い青色から青白い花まで、花の色の青にもグラデーションがあって飽きない。花についている雫すらいとおしく思う。それがこぼれていく様すらも。
いつの間にか雨は止んでいた。
「雨止んじゃった。なんかラッキー」
茉莉は傘を閉じて、ご機嫌そうに言った。
「今日はずっと降り続けるはずだったのに、どういうことなの……」
今まで散々茉莉を振り回してきた涼乃も、天気には振り回されているようだ。手のひらを空に向けて、今日の天気予報とにらめっこして、首をかしげている。
二人はそれから傘要らずの散策を楽しんだ。傘が無い分前方の景色を楽しめる。顔を上げて、紫陽花に包まれた道を行く。眼前の紫陽花の色は、視界に雨粒が無い分よりいっそう、どこまでも青く映っている。
「前に鎌倉来たときには、こんなところがあるなんて気づけなかったな」
「一月はあんまり花の季節じゃないから、気づかなったかもね。私もこっち側はおすすめしなかったし」
順路の階段を登っていく。両脇に咲いている花も見逃さないように。
「あたしが知らないだけで、まだまだこういう景色があるのかな」
「たくさんあるよ。私だって知らない場所もいっぱいあると思う」
「あたしが最近行った場所にもさ、季節が変わったらまた違う綺麗な景色になってるかな」
「そういう場所もあるんじゃない?」
行ってみなきゃわかんないけどね、と笑って涼乃は付け足した。茉莉は少しだけ迷ったような表情をして、そのあと目の前の紫陽花に集中することにした。ちょっとかがんで、花に顔を近づけてみる。他の観光客と同じように、そんなことを楽しんでいた。
枯山水のある場所を抜けたら、明月院の散策も一通り終ってしまった。二人と紫陽花の映った写真も撮って、余すところなく見終わって満足した表情の茉莉は、数時間前とは見違えるように晴れやか。その表情のまま、涼乃に尋ねた。
「次、どこ見にいこっか」




