2話 円覚寺を歩く
電車は大船駅から北鎌倉駅に向けて出発した。先程から車窓は戸建てが並ぶ何の変哲もない風景を映し出している。雨を降らせている雲が空をずっと覆っているから、辺りは冬のような色味の無さになっている。それを見ていたら、急に鎌倉を囲っている山が視界に映った。北鎌倉駅に間もなく到着するというアナウンスが流れる。前回来たときは江ノ電で西から鎌倉へ入ったから、こちら側から鎌倉へ向かうのは初めて。
「よし、茉莉、降りるよ」
涼乃が急に立ち上がった。
「降りるのは鎌倉駅じゃないの?」
「ううん、ここで降りて、鎌倉駅まで紫陽花を見ながら歩くの」
「歩きかぁ。雨の中一駅分は遠くない?」
「大丈夫、あっという間だよ」
会話を交わしながら、二人は電車から降りた。
「まずはどこ行く?ちょうどそこにあるし、円覚寺かな」
「え、どこに行くか決めてないの?」
「紫陽花が咲いてるお寺はこの辺りにいっぱいあるしね。茉莉と、私の気分で決めればいいかなって」
涼乃らしくない無計画さに茉莉は驚きながらも、付近の事はわからないので、「じゃあその……円覚寺行ってみよっか」と決めて、そちらへと足を向けた。
円覚寺は鎌倉時代後期に元寇でなくなった兵士を弔うために北条時宗が創建したとされる寺で、北鎌倉駅東口から歩いてすぐの場所に位置している。境内の面積は大きく、道幅も広いので、落ち着いた気分で散策できる。
入口の階段を偶然揃った足並みで登って、拝観料を払ったら、すぐにその雰囲気を二人は味わうことができた。涼乃は伸びまでしている。
「んー、長距離の電車移動はやっぱりきついね」
「もう長距離って言っちゃってるじゃん……」
今朝の「そんなに遠くない」という発言をしたのはもう覚えていないのだろうか。
「ごめんごめん、でもやっぱり体固まっちゃってさ」
「それより、紫陽花は?そんなに見当たらないけど……」
辺りを見渡しても、紫陽花も、他の花もさほど見当たらない。
「そんなに焦らないで。このお寺にも奥の方に紫陽花はあるし、ここはさほど紫陽花がたくさん咲いてるってわけじゃない……はずだから」
「焦ってるってわけじゃないよ、でもここまで来ちゃったし、満足できるくらい紫陽花を見たいし……って、ちょっと」
御託を並べているのもどこ吹く風で、涼乃は茉莉を手招きしながら境内の奥の方へと行ってしまう。
「茉莉ー!ここに紫陽花あったー!」
道の端に咲いていた紫陽花の横に立って、手を挙げて茉莉を呼んでいる。
「ちょっと待ってよ……」
涼乃に振り回されるなんて今まであったっけ。それをしっかり思い返す間もないまま、紫陽花の方へと近寄った。
「確かにきれい。だけど……これくらいなら埼玉で見れない?」
眼前にはふわりまん丸の、綺麗な赤色の紫陽花が咲いている。たくさん咲いていて壮観、というわけではなく、ただぽつりと生えている低木にぽつぽつと花が咲いているだけだ。
「まあまあ、お花見は始まったばっかりだよ。あ!あっちに青い花咲いてる!」
指さすや否や、涼乃はその低木の方へと歩いていく。今日は本当に、振り回されてばっかりだ。
言われた通り、先ほどの低木から少し歩いた道の端に、低木というには少し背の高い紫陽花の木が生えていて、そこに混じりけのない真っ青な紫陽花の花が咲いていた。それを茉莉は、喜ぶような表情を見せるでもなく、ただぼぅっと見つめていた。差している傘から雨の雫がこぼれていく。
「その花、気に入った?」
「嫌いじゃない……けど……」
この程度じゃ『心の穴』には響かない、内心ではそう思っていた。それと同時に、もうどうしようもないと思っていた『心の穴』を、心のどこかでどうにかしようとしている自分がいることに気が付く。
「けど?」
「なんでもない。次、見に行こ?」
しおれた笑顔を見せて、今度は茉莉が涼乃を仏殿の方へと誘った。
仏殿には茉莉にとってはよくわからない、なんだか徳の高そうな仏像が安置されていた。涼乃に倣って、心ばかりの賽銭を入れて、手を合わせた。
「神様も仏さまも、助けにはなってくれないけど」
参拝が終わって他の場所へと向かう途中、茉莉は口にした。
「確かにそうかもね、でも、見守るくらいはしてくれるんじゃない?」
「そういうもん?」
「そういうもんだと思うよ」
そのあとも、緑に囲まれた道を歩いた。雨が降り続いていて、足元にも気をつけなきゃいけないことは煩わしかったけど、木々の香りが気分を落ち着かせてくれる。それを感じて初めて、自分がどこかで焦っている気分になっていることに気づいたのだった。たまに見える紫陽花の花もきれいだ。
「よし、ここは全部散策できたね。次行こう!」
涼乃がそう言ったから、茉莉もそれに同意して円覚寺を後にした。階段を降りたら、北鎌倉駅から南東への方向へと線路沿いに歩いていく。




