2話 東照宮を巡る旅
東武日光駅から日光東照宮へと向かう道の車道は、ひどい渋滞となっていた。休日だし、多少は混雑しているかなと予想していた茉莉でも、この混みようには困惑の表情を浮かべた。
「この先、決めた時間通りに回れるかな」
早くもそう不安な気持ちが湧くほどに。
駅から東照宮までは約1.5キロメートル。やや上り坂の道のりだが、これまでの道のりを考えればもうどうってことのない道だった。時折、埼玉では聞かないような鳥の鳴き声を聞いては、今日という日の特別感が増していった。辺りの景色は、山に囲まれている秩父とさほど変わらないようには思えた。
道の突き当りにまで着けば、日光二荒山神社が突き当りから見える階段の奥にあるという案内の看板が現れた。東照宮の文字が1つもないのは若干の不安要素ではあるが、二荒山神社のすぐ隣に日光東照宮もあったはず、ということを思い出し、その階段を登って行った。
道中林の中にカフェがあったり、輪王寺というちょっと見上げるくらいの大きさがある寺院があったりと、気になるところはいくつもあったけれど、それをいちいち見に行ってしまってはすぐに旅程が崩れてしまうので、寄ることはせずに東照宮の方まで近づいて行った。スマホの地図を見ても、もうそんなに遠い場所ではないはず。
輪王寺を通過すると、東照宮へとまっすぐ伸びる道とぶつかった。その先には、少しだけ見覚えのある門が見えた。しかしそれを目にして、覚えた感情は嬉しさよりも不安であった。
「人、多すぎない?」
拝観券を発行するカウンター、そして東照宮の門の下には、すさまじい人だかりができていた。拝観にありつくまでどれくらいの時間がかかるか、考えたくなくなるほどに。
ここまで来て混んでいるという理由だけで東照宮の参拝を避けるわけにはいかないと意を決した茉莉は、そのままその列へと並んだ。ちょっと前の電車酔いがまだ少し残っていて、ただ立っているだけだと目の回るような感覚が残っている。
結局、拝観券を手に入れるまで20分も要してしまった。電車酔いをしたときはたった数分の取り返しのつきそうなタイムロスだったけど、今回は桁が違う。
「この先行く場所、いくつか諦めるしかないかなぁ……」
立てた計画が反故になるからといって、せっかく来た東照宮の拝観を雑に済ませたくない。そんなことを考えながら、東照宮の表門をくぐった。
日光東照宮は日光市の南に位置する神社である。祭神は江戸幕府の初代将軍である徳川家康で、本人の遺言によってこの地に社殿が構えられ、日本全土の平和を見守っているとされている。お祭りで使われる馬具や装束を補完する神庫をはじめとして境内には様々な建物があり、そのどれもに豪華な装飾がなされていることがこの神社の魅力の1つである。
茉莉が先ほど通過した輪王寺、その近くにある二荒山神社も含め、これらの社寺は関東では珍しい世界文化遺産に登録されている。その影響もあってか、ゴールデンウィークには国内外問わず多くの観光客が訪れる。今日はかなり混雑する日に訪れてしまったらしい。拝観受付所を抜けた後でも、多くの人の流れに沿って参拝をせざるを得なかった。
表門をくぐってすぐ左手の建物には、ひときわ多くの人が集まっていた。皆それぞれがその建物を写真に収めている。人だかりができている建物には、きっと何かあるはずと建物手前にいる人たちがはけるまで待っていると、それになぜ人が集まっているか理解できた。
「よく見るおさるさんだ!」
東照宮の神厩舎、その装飾として彫られている、『見ざる・言わざる・聞かざる』のポーズをしている三匹の猿が視界に入ってきた。この猿たちは、『余計なことは見ない、言わない、聞かない』という教訓を表しているらしい。茉莉もその猿たちを写真に収め、そこからはけることにした。そうしないと、後ろの人たちからの無言のプレッシャーに耐えられない、とも感じながら。
その後も、人の隙間を縫いながらの拝観が続いた。それぞれの建物の装飾や彫刻などを詳しく見ている暇はあまりなく、流し見程度に見ていくしかなかった。漠然と、今まで訪れた他の神社よりも装飾を豪快にしているというイメージのみが頭の中に記憶されていく。その先には、またも混雑している場所があった。陽明門、というらしい。見てきた建物の中でもひときわ豪華な装飾がなされている。本殿が相当混雑しているのだろうか、あしらわれた装飾の1つ1つを、開きそうな口を閉じながら見る時間はあった。
やっとの思いで陽明門を潜った後、この門を長い時間見続けないければいけなかった理由が判明した。本殿の中へと入るルート、本殿のさらに北に位置する奥宮につながる道、そのどれもがいつか見た構想区道路の渋滞のように、たまに動く人の列で埋まっている。どこかから、「御朱印は90分待ちです」と巫女さんの叫ぶ声が聞こえる。
「どこもすごい並んでる……」
ふと、本殿と奥宮に並ぶ列を見やった。目を背けたい話ではあるが、この2つを拝観するのに1時間半はかかりそうだ。大きくため息をついた茉莉は、覚悟をしたような目つきで本殿拝観の列に並んだ。
本殿での参拝も電波の悪い状況でスマホも満足に見ることのできないなかで長く待った割にはあっさりと終ってしまった。賽銭を入れて、手を合わせて拝んでも、今の状況では何を神様に祈ればいいかわからなくて、真水みたいな内容の祈りをするだけで終わってしまった。ここでも豪華な彫刻をいたるところで見れて、ちょっとは印象深かったけど、それ以上でもない、という感想を抱いてしまう。流れで今度は奥宮へと向かう道の列に並んだ。その道の入り口にある坂下門にスマホを向けている人たちが多くて、いったい何を撮っているのかと気になりつつ列に合わせてゆっくり歩いていると、茉莉にもそれが見える位置まで来た。
「猫ちゃんだ!」
『眠り猫』と呼ばれるその彫刻は、その名の通りボタンの花に囲まれて、丸まってうたた寝をしている猫の彫刻である。戦国時代が終わって建てられたこの建物にある彫刻として、小動物を食べる猫が眠っている、すなわちそれが平和の象徴として解釈のできるものとなっている。その可愛さにひかれた茉莉は、今までとは比べ物にならない枚数の写真を撮って、奥宮への道のりへと戻った。
非日常的な山林の中を進む道で会ったこともあって、本当に永遠に続くのではないかと半分思いかけるほどの時間をかけたのち、奥宮に到着した。ここにはご祭神となっている徳川家康の墓がある場所で、本殿周りの豪勢な雰囲気とは一転、宝塔の影響もあってか荘厳な雰囲気が辺りを包んでいる。列で並んでいた人たちが宝塔を拝むから、茉莉もそれに倣って宝塔をちょっとだけ拝んだ。
「昔本当にいた人が神様だと、お願い事とかちょっとしづらい」
そんなことを思いながら、奥宮を見て回った。人はいっぱいいるけれど、細長い木が満遍なく生えていて、澄んだ空気も人の間を縫って近づいてくるから、ここまであった色々のせいでどこか焦っていた心を少しは落ち着かせることのできる場所だった。
長い帰り道を戻ったら、正午ももうすぐという時間となっていた。ほとんど列に並んでいただけなのに1時間半も経ってしまっているという事実を、あまり直視したくない。
「次は二荒山神社……だけど、このまま順序通りいってもいいのかな」
すでに計画に対して取り返しのつかないレベルの遅れが出ている。
「……ここで行かないのも損した気分だし、行ってみよう」
二荒山神社へと靴を向けた。
「今日は華厳の滝まで行けるのかな」
そんな不安を、胸の内に抱えながら。




