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たびガール  作者: 諏訪いつき
5章 日光編

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1話 世界遺産の地へ行こう

朝日に染められた五月初週の休日、すっかり早くなった日の出の少し後に起きた茉莉はあらかじめ準備しておいた一番お気に入りの服装をして、作った荷物を背負って、慣れた足取りで家を出た。

 天気はやや曇り。日々はやや暖かくなったものの、早朝は肌寒さがまだ残っている。北へ向かうからと用意した上着の出番は思ったよりも早く来た。駅まで向かう道は閑散としていて、ここだけでも非日常的な雰囲気を感じ取れた。

 駅に着いたら改札を抜けて、いつもは行かない宇都宮線の北行きホームへと向かった。ほぼ始発のような時間なので、待っている乗客も少ない。五分くらい待ったら、定刻通りに電車は来た。眠い目をこすって電車の中に入ると、空いている席がちょうどあって、そこに腰掛けた。

「確か、栗橋で降りるんだよね。眠らないようにしなきゃ」

 眠いけれど、乗り換えの駅まではおよそ30分。ここで居眠りしてしまったら、寝過ごしてしまう可能性もある。

 電車はなんて事のない住宅街に挟まれながらどんどん北上していった。蓮田駅を超えたあたりから、水の張った田んぼが多くみられるようになってきて、見える住宅も減ってくる。そんな景色を眺めて、栗橋駅まで待った。

 栗橋駅で降りると、太陽に照らされてちょっと暖かくなった空気が茉莉を包んだ。階段を登って改札を出たら、東武鉄道の自動券売機の前で今日使う切符を探した。幸いすぐ見つかって、お金を入れたら、券売機から『まるごと日光東武フリーパス』が発券された。

 まるごと日光東武フリーパスは、その名の通り日光で使える東武鉄道のフリーパスである。発券された駅からフリー区間最南端の下今市駅までの往復分運賃が内包されているうえ、下今市駅から東武日光駅、新藤原駅のフリー区間を自由に乗り降りでき、加えて日光地域の東武バス運行区間である東武日光駅バス停から霧降高原バス停やいろは坂を超えた湯元温泉バス停等までが丸ごとフリー区間になるという、かなり便利なフリーパスである。ちなみに、この切符の有効期間は4日に設定されており、泊まりがけで各地を回ることが想定されている。

「でも、あたしは今日一日でこの切符の元を取って見せる」

 そんな並々ならぬ覚悟で改札を通り抜けた茉莉は、切符に「今日はよろしくね」と心の中で小さく挨拶をして、北へ向かう電車を待った。

 10分ほど待てば、今日の目的地、東武日光駅を終点とする電車がやってきた。乗車率は朝の北へ向かう電車にしてはかなり多いが、座れる席は多少空いていた。

「みんな日光へ行くのかな」

 今日は大型連休の中日。人々が観光へと赴くには十分な理由。

 この電車は各駅停車なので東武日光駅まではおよそ20駅。距離にして80kmはあり、時間も当然かかる。眠いけれど何となく寝れる気がしなかった茉莉は、『シロと海原の旅』の続きを読んでいた。琴音はもうすでに読み切ってしまっているようなので、これを読み切ればまた新しい話題となるだろう。しかし、読み始めて20分くらいしたところで異変は起きた。

「ちょっと、気持ち悪いかも」

 手足の急激な冷えと吐き気。これまでの人生で経験がなかったにもかかわらず、脳裏には『乗り物酔い』の言葉が浮かんだ。

「どうして今……」

 このまま電車に乗ればこの症状がどうなってしまうかわからない恐怖があるけれど、下車したらその時点で入念に練った計画のどこかを犠牲にしなければならない。

 吐き気で半分パニックになった脳内で数分考えたのち、次の駅が確か栃木だったことを思い出して、次に来る急行電車で計画の遅延を多少防ぐことにした。ほどなくして車掌のアナウンスが聞こえてきた。

「次は静和、静和です。お出口は右側です」

 栃木とは全く違う駅名が聞こえてきた。確かこの駅には急行が止まらないはず。ここでも降りて次の各駅停車を待つか、調べて判明した急行の止まる次の駅、新大平下駅まで耐えるかどうかの選択を迫られた。

「あたしなら、きっと……」

 意を決した茉莉は、そのまま新大平下駅までこの電車に乗り続けることを決意した。スマホから得た情報では3分で着くということになっていたが、体感はもっと長く感じられた。少しじつ強くなっていく吐き気を何とか抑えていれば、今度は『心の穴』の痛みが強くなり始めていた。なんとかギリギリで吐き気を押さえつけていると、間もなく新大平下駅に着くというアナウンスがされて、そのあとすぐ電車のドアは開いた。駆け出すようにして電車から降りたら、すぐ近くにあったベンチに腰掛けた。冷たい風が肺を満たして、少しは落ち着いたけれど、今度は寒さで体が震えてしまう。立ち眩みのする中ベンチの隣にあった自販機の前に立って、暖かいお茶を買った。

「まだあったかい飲み物売っててよかった」

 五月になるととっくに販売を終了しているところもある。キャップを空けて少し口につけると、お腹の中にまで暖かいお茶が這って行く感覚があった。10分も深呼吸をして座っていれば吐き気は治ったが、それでも乗り物はちょっと怖い。間も無く急行の東武日光行きがやってきた。

「あたしなら……大丈夫」

 早速折れかかった気持ちを強引に奮い立たせて、また電車に乗った。もう空いている席はなく、ドアの脇の手すりの前に立った。本を読んでいたらまた酔ってしまうかも、という不安が付き纏っては離れず、ただドアの窓から外の景色を見ていた。蓮田駅を出たあたりから、なんだかずっと一軒家と田んぼの入り混じる変わらない景色が流れている気がする。

 新大平下駅を出てから、栃木、新栃木駅と続けて止まったことが幸いし、再び席は確保できた。しかし、この単調な景色だけはほとんど変わることがなくて、退屈な時間を過ごした。その景色は次の新鹿沼駅まで続いたうえに、新鹿沼駅を越してから変わったことといえば山肌が見えるようになったくらい。やっと、下今市駅に近づくにつれて家屋はどんどん減って、林などの緑が溢れる非日常的な景色となっていった。

 下今市駅を出ると、次の駅が終点の東武日光駅であることを知らせるアナウンスがされた。やっと到着する、そう思うとやっとホッとした気分に浸り切ることができた茉莉は、駅から出たら何をするかという計画を読み返して残りの乗車時間をやり過ごした。電車が減速し始めて、カーブを曲がったら、東武日光駅が窓から見えた。その奥には、かなり近い位置に埼玉からでもたまに見える爪痕のような残雪が特徴的な大きな山が見えた。

「わぁ……」

 やっと酔うリスクのある電車から降りることができる安心感、取り返しのつかないくらい遠くまで来たという事実への不安と達成感が入り混じった声を漏らした後、改札を抜けた。駅前にはやや大きいロータリーと、その脇にお土産屋らしき建物が見える。最初の目的地、日光東照宮は道を右に行けばあるはず。

「東照宮まで、急がなきゃ」

 ここまででもトラブルはあったけど、この旅の本番はむしろここから。記念に東武日光駅の写真を一枚撮った茉莉は、その東照宮の方角へと歩きだした。

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