最終話 きっと来年も、桜を見に行く
アラームをかけていないにもかかわらず、朝の陽ざしを受けて早い時間に半ば飛び起きる形で茉莉は起きた。
「嘘、あたし、寝ちゃってた!?」
曖昧な昨晩の記憶とともに。
食卓で軽めの朝食を摂った後、皆と集まる時間で何をしようか考えていると、部屋のドアから小さなノックの音がした。ドアを開ける。
「パパ、どうしたの?」
「ちょっとしたプレゼントを、と思ってな」
柊の左手には丸められた紙のようなものが見える。こんな事初めてで、困惑をしていると、その丸められた紙をおもむろに広げ始めた。
「地図?」
その紙の中身は関東の地図だった。ちょっと大きい。
「ああ、これを余ったスペースに貼って欲しい」
「どうして?」
「茉莉、旅先で写真は撮ってるか?」
「撮ってるけど……」
「なら、その写真をプリントアウトしてやるから、その地図と一緒に貼ってみてくれないか?いい記念になる」
「……わかった!」
そのあと、茉莉は過去4回の旅の中でえりすぐりの写真をピックアップして、データを柊に渡した。一月は鎌倉の鶴岡八幡宮や七里ヶ浜から江の島を撮ったもの、シーキャンドルの足元から見上げた写真。二月は川越の街並みと時の鐘の写真。三月は三峰神社、秩父神社、宝登山神社とその奥宮はもちろん、浦山口駅近くの、駅を見降ろせる祠から撮った写真も選んだ。そして昨日の写真からは、特に心の動いた目黒川と、上野、隅田公園の写真を選んだ。こうしてみると、たった4か月で様々なところへと赴いたようだ。
写真のプリントアウトもすぐに済んで、茉莉は地図とそれらの写真を合致する大体の場所に貼って行った。それが完成して遠くから見ると、なかなか感慨深い形になった。特に秩父と江の島は、茉莉の住んでいる大宮から大きく離れた場所に写真が貼られているから、その気持ちもひとしお大きくなる。
「パパ!貼れたよ!」
大きな声で呼ぶと、柊はすぐに茉莉の部屋に来た。
「おお、思っていたよりも壮観だな」
「あたしもそう思った」
「その調子で、これから行くところでも写真を撮って、都度ここに貼るといい」
「え、でも……」
「これからどこかに出かけるとは限らない」とは言えない雰囲気になってしまって、茉莉はそこで言葉を止めて、
「わかった、やってみる!」
その言葉で上書きをした。
そのあとはちょっとの間『シロと海原の旅』の続きを読んでから、花見のための荷物をまとめて、大宮公園へと向かった。茉莉の駅から大宮公園までは自転車で10分程度。春風を切って走った。改めて、生きていて心地の良い季節になったと実感する。頭上を燕が飛んでいった。
大宮公園には既に茉莉以外の三人が到着していた。三人も着いてからまだ時間が経っていないようで、人の少ない場所を探しあて、ブルーシートを敷いている途中だった。そちらに駆け寄れば、それに気づいた涼乃が茉莉に手を振った。
「おーい、茉莉、こっちー!」
「おはよ」
「茉莉、調子はどうだ?」
「ほどほどかな」
みな口々に挨拶をして、ちょうど敷き終わったブルーシートに座った。茉莉は昨日買ってきた人形焼きと雷おこしをそこに広げて、涼乃はポッドに入れてあるお茶を紙コップに入れて、それぞれに手渡した。「こぼさないでよ?」と言いながら。頭上を見れば、満開の桜がそよ風に揺れている。お茶を一口すすってから、涼乃が1つ訪ねてきた。
「東京の桜はどうだった?」
「すごい綺麗だったよ!やっぱりすごい混雑だったけど……」
「このシーズンはどうしてもね。ここでもけっこう人いるし」
辺りを見渡せば、茉莉たちと同じように花見に来ている人たちがかなりの数いた。ちょうど今もちょっと近くにブルーシートを敷いて腰かける老夫婦の姿が目に入った。
「人のいない桜の綺麗な場所を探すのも1つの楽しみだよ。多分東京にもいくつかある」
「そんな場所、ほんとにあるの?」
すると今まで夢中になって粒あんの人形焼きを食べていた結城が口を挟んできた。
「それなら一個知ってるぞ」
「ほんとに?」
「ほら、これ」
そこには川を挟んで桜が見えないくらいの距離まで咲いている写真が映し出されていた。結城の言うように、写真の中に人はほとんど見受けられないし、混雑の中撮影したような構図にもなっていない。
「ほんとだ。これ、どこの?」
「えーっと……そうだ、清澄白河駅から東にちょっと歩いたとこだ。偶然見かけて、それで撮ったんだ。時間帯にもよるかもしれないけど、マジで散歩してる人が数人いるくらいだった」
「清澄白河……昨日どこかで見たかも」
調べると、昨日乗った半蔵門線の半蔵門駅からもっと東へ数分乗ると着く駅だった。半蔵門線に乗っているとき、電光掲示板かなにかで見かけたのが既視感となっていたのだろう。
「昨日の花見は満足だった?」
結城は続けてそう聞いてきた。どうしてそんなことを聞いたのかはわからないけれど。
「うぅん……」
自分の中で未だに消化しきれていない疑念を隠し通すことができず、そんな声しか上げられなかった。すかさず結城は追い打ちのように聞いてくる。
「なんだ、まだ満足してないのか?」
「ううん、満足してないわけじゃない。だけど……」
ここは変に濁してはしょうがないと、茉莉はみんなにこの旅で感じたことを話した。「忘れてしまうこと」への不安の事も。
「──だからね、昨日見た桜も、これから先行くかもしれない場所も、忘れちゃったら悲しいなって」
「茉莉がそんなこと言うの、初めて見たよ」
涼乃は本当に驚いた顔をしている。それは結城も同じで、この話題を作った張本人の癖に言葉を失っていた。そんな中で、拓也だけがいつもと変わらない表情で、いつもと変わらないようなことを言った。
「まるで二度と桜が見れなくなるみたいな言い方だね。また来年もどこか花見に行けばいいのに。一人でも、僕たちで見に行ってもいい」
「……そっか」
まだちょっと不安に思っている茉莉を見通したように、言葉は続く。
「それに、忘れることも悪いことばっかりじゃないよ。ずっと桜が咲いてたら飽きちゃうだろ。一年に今しか咲かないから、僕たちは来年の桜も楽しみに見ることができる」
その言葉を聞いているうちに心を覆っていた靄は驚くほどの速度で晴れていき、頭上の花を一瞥した茉莉の顔にはまた笑顔が咲いた。
「あたし、ちょっと考えすぎちゃってたみたい。ありがと」
そう言って、その笑顔を拓也の方へと向けた。「もう来年の桜が楽しみ!」と付け加えて。
気づけば人形焼きも雷おこしも、もう半分くらい無くなっていた。涼乃が新しくお茶を注いでくれている。春風は吹くたびに桜の花びらを運んでくる。茉莉たちはまた、日常のなんて事のない会話に花を咲かせて時間を過ごした。
「そういえば、来年はもう同じクラスになることはないのか」
結城は残念そうに言った。
「私たちは文系で、結城と拓也は理系だもんね」
「僕たちの連続同クラス記録も、10年で終わりだ」
「そう言われると、やっぱり今までがおかしかったよね」
「最終的に賄賂まで疑われてたしな」
四人はそれが馬鹿らしくて笑っていた。そうして少し経った後、茉莉はまた少しシュンとして、「こうやって、みんなで一緒に居れることも減るのかな」と言葉を漏らした。この話題になってやけに痛む『心の穴』が、その不安を加速させている。
「大丈夫だろ、なんだかんだどっかで集まる機会はある」
「昼ごはん、どこかで集まって食べてもいいしね」
結城と拓也は気楽そうだ。
「それに、多分私と茉莉は同じクラスになるよ」
「そうかなあ」
「だって文系クラスも三個しかないでしょ?三分の一なんて余裕じゃん」
確かに、今まで乗り越えてきた確率よりかははるかに簡単なことである。それにしても、この前会った時もそう思ったが、今日の涼乃もいつに増して元気に見える。
「そ、それはそうだけど……」
その元気は茉莉をたじろがせるほどだった。
そのあとは、皆が学校の中で昼食を食べるならどこが良いかについて話し合うことになった。食堂や教室もいいけれど、もしかしたら他に静かでよい場所があるかもしれないから、新学期が始まったら四人で探そうという結論に至った。そのころには雷おこしと人形焼きは無くなっていて、風も時間相応の冷たさを持つようになった。
「今日はお開きにしよっか」
そう涼乃が言ったから、四人は敷いていたシートや紙コップ、お菓子の袋などを片付け始めた。それが終わったら、四人で一緒に変えることになった。今日自転車で来たのは茉莉だけだったようで、自転車は押して帰ることにした。途中で結城がその自転車を押す役を買って出た途端、他の三人が自分たちの荷物を自転車のかごに入れた。結城はあきれた顔でため息をついた後、笑っていた。そんな帰路の一幕を経て、茉莉は家に戻ってきた。
その晩の浴槽で、茉莉は一人考え事にふけっていた。
「今まで忘れることは悪いことだと思っていたけど」
「忘れちゃったら、また見に行けばいいんだ」
「─それに、きっと本当に素敵な経験は、心のどこかでいつまでも覚えてるよね」
変わらず茉莉の中にある『心の穴』が、ほんのちょっとだけ満たされたような感覚があった。




