4話 新宿御苑
新宿という名前を聞いただけでちょっと怖気づく癖がついていた茉莉でも、今回乗り換えする駅は新宿三丁目駅で、乗り換えは階段をちょっと上るだけというとても簡単なものだった。しかも目的の池袋行きもちょうどそのドアを開いたところで、「今日はちょっとツイてるのかも」と少しご機嫌模様でそれに乗った。
「それにしても、本当にこの路線意味わかんないな」
電車の電光掲示板とスマホに表示されている路線図を見て、茉莉は愚痴を垂れる。荻窪、方南町から出発した電車は、そのまま西へと向かって、新宿を経由したのち、銀座まで走っていく。そこから北上して淡路町まで結ばれているのまでは茉莉もかろうじて理解したが、なぜかこの路線はここから東進。後楽園などを経由して、なぜか新宿駅から直線距離わずか4kmの池袋駅を終点としている。行先表示だけをうのみにすると方向感覚がおかしくなってしまうので、茉莉はこの路線になるべく乗りたくなかったのだった。
新宿三丁目からたった一駅。新宿御苑駅で降りたら、その駅の名前にもなっている新宿御苑へと歩みを進める。この周辺も見続ければ首が痛くなるような建物ばかりで、その建物をかき分けるようにして新宿御苑を探した。幸いこの大都市では緑が目立ったので、御苑自体はすぐに見つかったが、その入り口を探すために御苑の周りを少しさまよう羽目になった。
新宿御苑入り口は混雑具合がすさまじく、人でごった返していた。花見スポットとして有名過ぎた新宿御苑は、そもそもチケット売り場の混雑がすさまじいうえに、簡易的な荷物検査もしなければならないようで、それがこの混雑の一因となっているようだ。並ばないと事は進まないので、この混雑に一種運躊躇しながらもその列に並んだ。
検査とチケット購入列に並んでいる間は、薄桃色が侵食してきているカメラロールをみていた。桜の写真の上は、雑多な写真を挟んで前は秩父の時の写真、その前は川越、鎌倉と江ノ島……そのどれもが、実際に見ていた時よりも色褪せてしまっていることの気づく。権現堂の時ほどでもないが、それらの時の記憶も、どうしても思い出せなくなってしまっている部分があることにも気づいてしまった。
「やっぱり……」
全て忘れてしまうのだから、今までの旅も、今日の花見も、意味なんてないのかも。そんな結論を出そうとした自分の思考を、首を振って振り払った茉莉は、荷物検査もすぐに終えてチケットを買った。
環境省所管の庭園、新宿御苑は、新宿駅から東に徒歩9分、地下鉄新宿御苑駅からは徒歩わずかの位置にある。千駄ヶ谷側からも入園可能で、その場合も地下鉄千駄ヶ谷駅から徒歩すぐのアクセスの良さをしている。元々は江戸藩邸のあった場所であったようで、広さは約58ヘクタールの巨大な敷地には、日本庭園、イギリス式庭園、フランス式庭園があり、新宿にありながら緑溢れる都会のオアシスである。新宿門から入ってすぐの場所から多くのソメイヨシノが植樹されており、それが開花する時期には多くの人がここに押し寄せる、桜の名所でもある。
自動改札にチケットを通して御苑に入った茉莉は、まずその緑の多さに驚かされた。ここに来るまでビル群の中にいて、ビル風以外で浴びる風と言えば室外機のものであったので、空気の綺麗さに心洗われる。少し距離を置いた場所にはまた人だかりが見えていて、それが桜の木であることは一目瞭然だった。駆け寄るように、その場所へと向かった。
御苑入口付近の桜の木は今まで見てきた並木とは違い、一本の大きな木が堂々とそびえたっているもので、その枝は傘上に広がり、花の様子を近くまで見ることができるようになっている。木陰ではシートを轢いてゆっくり花見を楽しんでいる人もいて、花の楽しみ方ひとつとっても様々なものがあるようだ。茉莉も花に近づいてみたり、出来る限り木の根本の方へと近づいて、枝とその先の花の間から見える青空をじっくり眺めたりして、思うように桜を楽しむ時間を作った。時折優しく吹く春風が、人々を笑顔へと変えていく。近くで一枚、全体が映るように一枚写真を撮って、その場を離れた。
歩き疲れても公園内には無数のベンチがあるので、各個人が自由なタイミングで休憩することもできる。カフェまで見つけてしまった茉莉の感想は、「ここ、一週間は居られる……」だった。先程の場所から数分歩いた場所にある、さっき見たほどの大きさはない桜が多く植えられている場所にあったベンチに、茉莉も休憩がてら腰掛けた。ベンチから視点を動かさないでも桜が見られるし、顔を見上げても桜が見られる。たまに降り落ちてくる花びらのおかげで、ただ眺めているだけでも飽きることがない。
涼乃たちにも桜の写真を共有したくて、上手く撮れた桜の写真を茉莉の幼馴染が入っているグループに投稿した。既読はすぐに1つついた。
『いい桜だな どこのやつ?』
既読の正体は結城のようだった。
『目黒と渋谷と新宿御苑!』
『やっぱりうちの周りとは全然違うな』
涼乃といい、茉莉の親友たちは自分たちが生まれ育った土地への愛着が薄いらしい。
『大宮だって負けてないと思うよ!多分……』
文字の入力中に自信を失ってしまった。
『写真見てたら花見したくなってきた』
『じゃあ今度大宮公園でやろうよ!茉莉がお菓子買ってきてくれるし!』
いつの間にか2になっていた既読の主は涼乃だった。元々買う予定だったお土産は、この花見に使われそうだ。桜をもっと見たい茉莉にとっても、この提案は魅力的。
『結城は何か食べたいお菓子ある?』
『じゃあ、人形焼きを買ってきてくれないか?浅草とかで買える』
浅草なら、ちょうど行程の最後の方に組み込まれている。
『任せて!』
そうメッセージを返したら、そよ風が呼んでいるような気がして、茉莉はベンチを立った。
その後も、桜の咲いている場所をメインに御苑内を周って行った。鼻歌まじりに桜を見上げれば、気分もいくらか晴れてくる。一通り回り終えた頃には、太陽が相当高い位置にいて、ちょっと何か食べたい気分。
「次はお昼ご飯だね」
大まかに設定してある行程を思い返しながら、茉莉は御苑を後にした。




