3話 さくら坂を降りて
四章三話
目を見張る巨大な建物がいくつも並んでいる。ここは池尻大橋駅から500メートルほど東の地点。目黒川の桜並木を惜しみつつ離れた茉莉は、渋谷駅へと徒歩で向かっていた。田園都市線で一駅の距離だが、持っていた東京メトロのフリーパスを見て、「今日は帰るまで東京メトロ以外禁止で行こう!」と謎の決心をした数分前の自分をちょっと恨んでいるところである。
埼玉でも駅の周辺でしか見ないような高さの建物が右手には並んでいて、首都高速三号線の高架に隠れた左手の風景も同じようになっていると推察できる。見上げてばかりでは疲れてしまうのでできるだけ自分と同じ高さの風景を見れば、ビルの一階部分に店が構えられていることが多いのを見ることができる。飲食店やコンビニ、果ては一目では何を売っているのかわからないような店まで、それぞれが混在していた。
そんな景色を見ながら、考え事をして道を進んだ。考えていたのは桜並木でのこと。あの景色も、これから見る桜も、いつか記憶とともに散ってしまうのだろうか。
「そんなの嫌だな」
「でも、いつかきっと忘れちゃう日はくる、そんな気がする」
そこまで考えて、一人で考え事をしていると、それはどんどん悪い方向へと向かっていることに気づく。
「涼乃なら、みんななら、なんて答えるんだろう」
そこで茉莉は首を横に振った。
「……ううん、これもきっと、あたしが一人で何とかしなきゃいけないこと、それに」
春風は追い風となって、茉莉の先を行く。いつの間にか下り坂になった道の下、渋谷駅周辺の建物が見え始める。
「きっと、今日の桜に答えがあるはず」
今日の桜の名所の中では規模は小さい方だが、渋谷にもちょっとした桜の名所がある。渋谷区桜丘町の北側、「渋谷さくら坂」がそれで、渋谷駅の南側へと向かう坂道に、綺麗に咲く桜並木が植えられている。桜が咲くシーズンには桜まつりも開催され、一定の賑わいを見せる。今日も目黒ほどではないが、桜を見に来ている人がそこらじゅうで見られた。中には、外国から来たと見受けられる人が熱心に写真を撮って回っている姿もあった。
「みんな、こんなに桜に夢中になってる」
そう思っている茉莉も、ここでもすっかり桜の虜となっていた。桜の咲く頭上を見て、「わぁ」と感嘆の言葉を漏らしたことも気づかずに、桜坂を上からゆっくり下って行った。
坂を下り終えたら特徴的な建物が目の前に現れた。ところどころにピンクを取り入れているから、余計に目を引く。建物のところどころに真新しさが見受けられて、その建物が最近建てられたものだと気づくのに時間はさほど必要なかった。
「Shibuya sakura stage……へぇ、だからところどころピンク色なんだ」
この建物の地下はそのまま地下鉄駅へとつながっているようなので、散歩もかねて建物へと入ることにした。どの店舗も、開店したばかりの店特有の綺麗さをもっていた。
そのうち茉莉の気を引いたのは書店であった。こちらも最近開店したようで、汚れのない照明が眩しい。吸い込まれるように書店に入る。旅で移動中に読む本を切らしていて、ここならそれが見つかるといいな、という気持ちで。
しかし、店舗を一周しても、あまり読みたいという本が見つからなかった。けれど、ここまで来た道を考えたら、移動中の暇つぶしはここで絶対に欲しいという意地が生まれている。もう一度一周することにした。そこで偶然、他の客が一冊の本をレジに持っていくのを見つけた。その本棚の場所まで行くと、『シロと海原の旅』というタイトルと海の先を見つめている白いイルカが描かれた表紙の本がそこにはあった。
「……ここで会ったのも何かの縁、かな」
一週目に見て回った時には興味を惹かれなかったのが少し引っかかったけれど、そうやって自分を納得させて、茉莉もその本をレジに持って行った。購入特典で白いイルカのストラップを手渡され、ちょっとだけびっくりしたけれど、せっかくなので、持っていたバッグに取り付けることにした。
店から出たら、そのまま地下へと向かって次の目的地へと向かうことにした。次の桜の名所は、ここからちょっとだけ北の方にある。
「次は……副都心線で新宿三丁目まで行って……うわ、丸ノ内線か……」
東京散策の計画を練っていた時に、できれば乗りたくない路線が丸ノ内線であった。
「でも、今日はきっと何とかなるよね」
そう意気込んで、茉莉は副都心線の改札を通って、ちょうどホームに到着した電車に乗りこんだ。




