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たびガール  作者: 諏訪いつき
4章 東京編

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2話 目黒川、桜並木

世田谷区を起点としその名の通り目黒を流れ、五反田を経由して品川駅のやや南から東京湾に流れ出る目黒川は、池尻大橋駅から南にかけて川に沿って多くの桜の木が植樹されており、春にはそれが一斉に咲き誇るので、東京有数の花見スポットとして人気の高い場所である。桜が咲き始める時期からこの周辺では桜祭りが様々な場所で開催されており、周辺の店も花見の客を獲得するために激しい商戦を繰り広げるほか、出店、キッチンカーも随所で見受けられる。花見酒も売られているのだろうか、行き交う人々の中からたまにアルコールの匂いがする。

 「覚悟はしてきたけど、すごい人の量」

 中目黒駅から目黒川の桜並木に着くまで徒歩わずか100メートル。その間でもそんな感想を抱いてしまう。そういえば、涼乃も「東京花見のほぼ唯一のデメリットは、人が多すぎること」とか言っていた。かき分けて先に行くわけにもいかないので、人の流れに沿って桜並木の方へと向かって行った。

 駅から最も近い場所にある目黒川を渡る橋は、交通整備員がいるにも関わらず秩序を失う一歩手前のような混雑具合をしていた。流れに惑わされないよう、まずは桜が最も身近に見えそうな南側の小さな広場の方に移動する。道中、綺麗な桜の花びらが服について、思わず口元が緩む。見上げればどこにでも花びらが舞っている。広場にも多くの人がいて、皆それぞれが写真を撮ったり花に近づいてよく見ていたりしている。その人々のどれもが笑顔で、この花がもたらす力の強さを実感した。

 衆人に倣って茉莉も桜と一緒に写真を撮ることにした。インカメに変えた画面に自分の顔が映って、そこで初めて自分が上手く笑えていないことに気づいた。移動時間に満面の笑みをした自分の顔を見てしまっているせいで、どうしてもそれと比べてしまう。「あれ?」「えっと……」そんなことをつぶやきながら試行錯誤して笑顔を作るが、うまくいかない。ついにはあきらめて、自分を映さないで桜と空だけを撮ることにした。その写真はうまく撮れて、また顔はほころんで、この瞬間が撮れればいいのにと思いながらそこを離れた。

 目黒川の桜並木は中目黒駅から南北に広がっているが、今回のルートでは南の部分を惜しみながら放棄して北へと向かう。池尻大橋駅付近まで約1キロメートル10分程度桜並木を楽しむことができる。相変わらず周辺の道路は地元のお祭りでしか見ないような混雑具合だったが、頭上に咲く花を眺めているだけならさほど苦にならないことに気づく。桜を眺めながら、茉莉はまた昔の自分の写真について考えていた。

「あの時の私は、なんであんなに笑えていたんだろう」

 当時の記憶があまりない。かろうじてあの時も桜に感動していたことは覚えているが、桜を見てどんなことを感じていたかというところまではどうしても思い出せない。時の流れというものは、どんなに素晴らしい記憶も奪い去ってしまうのではないか。

 桜並木の途中には何度か川を挟んで並び咲く桜を見るのにうってつけな橋が架かっていた。その橋を見るたびに立ち止まっては、橋の中央まで行って川を見降ろした。ところどころに散り落ちた桜の花びらが流れて行っていて、それも含めてこの景色がいとおしいと思える。その様は何よりも美しかったし、『心の穴』も今まで以上に強く反応していた。穴が空いて以来初めて感じるくらい、強く満たされているような気がして、春風も心に鋭く空いた心にやさしく染みわたっていく感覚を感じている。でもその景色を見るたびに、先ほどから抱いていた疑問が不安となって、満たされる気持ちと同じくらいの強さで心を蝕んでいく。

「あんなに綺麗だった権現堂も、あたしはほとんど覚えてない」

 歩きながら、今は無い桜の記憶に手を伸ばそうとする。当然記憶はそこにはない。

「もしかしたら、今日見ている桜も、同じように忘れちゃうかも」

 今日の記憶が見ている桜の花びらのように散っていくことを想像する。

「もし今日の事も忘れちゃうなら」

 桜並木の北の端に到着する頃に、渦巻いていた疑問は花開いた。

「今日の旅に、意味はあるのかな」

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